22:吊り橋
森へと入ったレインは、常に周囲を警戒し、エルトリアに危険がないように心がけた。
なるべく、木が生い茂った場所は歩かず、開けた場所を歩く。
ゴブリンなどがいないかに注意し、エルトリアの足元に気を配る。
しばらく歩いたが、特に危険はなかった。
穏やかな森だ。
道中、何気ない会話を楽しんだり、見つけた薬草を採取したりもした。
エルトリアは、レインと手を繋ぎたいと思っていた。
だが、はしたない女だと思われるのが怖くて、手を繋ぎたいとは言い出せなかった。
それでも、レインと一緒に歩けるだけで楽しかった。
少し森を歩いたところで、木々が途切れた。
「見てください、レイ君! 吊り橋ですよ!」
エルトリアが指さす先に見えたのは、少し古ぼけた、簡素な吊り橋だ。
崖の谷間に架けられ、はるか下には川が流れている。
「レイ君、『吊り橋の恋』って知っていますか?」
「『吊り橋の恋』ですか? ごめんなさい、知らないです。よければ、教えて頂けますか?」
「もちろんです! えーとですね、吊り橋の恋というのは――」
――と、エルトリアは嬉々として説明を始めた。
レインに質問してもらえることが嬉しいのだ。
エルトリアの説明を要約すると、『好きな異性と一緒に吊り橋を渡れば恋人になれるかもしれない』ということだった。
吊り橋を渡るときのドキドキを、異性へのドキドキと勘違いしてしまうことが原因らしい。
余談だが、スキル研究が進んだ国では、スキルと精神の関係性の研究から転じて、心理学の研究も盛んに行われている。
「なるほど。吊り橋にはそんな心理効果があるんですね」
レインは感心したように頷いた。
「レイ君、わたくしと、あの吊り橋を渡ってくれますか?」
エルトリアの言葉に「え?」と固まるレイン。
ついさっき、『好きな異性と吊り橋を渡れば恋人になれるかもしれない』という説明を聞いたばかりなのだ。
驚くに決まっている。
レインは考えた。
なぜ、エルトリアが一緒に吊り橋を渡るように言い出したのか。
『吊り橋の恋』の話の後だ。
すぐに一つの『答え』にたどり着く。
好きな異性。
男と女。
自分は男の子で、エルトリアは女の子。
否が応にも、その『答え』を意識してしまう。
だが、相手は一国の姫。
『普通の女の子』ではない。
第一王女であるエルトリア・ストファ・リンセス・ヴァーニングだ。
優しく、可愛らしく、頭もよく、クラスの人気者。
一方で、自分は親に捨てられた『無能』。
貴族ではなく、ただの一般人。
クラスのイジメられっ子。
だから、その『答え』はあり得ない。
そんな考えを持つことすら不敬。
でも、それなら、なにが『答え』だろう。
なんて答えればいいのだろう。
悩むレイン。
エルトリアはその様子を見て、慌てて誤魔化した。
「あ、あの、じょ、冗談。そう、冗談ですよ。う、うふふ」
もちろん、冗談などではなく、完全に本気だった。
だが、レインに引かれてしまったのではないかと思い、焦ったのだ。
そんなエルトリアの言葉にレインは納得した。
「じょ、冗談でしたか。すみません、すこし驚いてしまいました」
それはそうだ、王女と自分では身分も立場も違いすぎる。
真に受けてしまったことが少し恥ずかしい。
顔が赤くなるのを感じて、笑って誤魔化す。
あはは、うふふ、と笑い合う2人。
でも、エルトリアは、まだ諦めきれていない。
レインと吊り橋を渡りたい。
どうすればいいだろうか。
そう考えて、辺りを見渡す。
すると、吊り橋の向こうに鮮やかな果樹を見つけた。
あれだ! と思い、
「あっ、レイ君、向こう岸に果物がなっていますよ! 行ってみましょう!」
さり気なくレインの手を取った。
そして、どさくさに紛れて一緒に吊り橋を渡ろうとした。
だが、
「待ってください、エルトリア様」
レインがそれに待ったをかけた。
吊り橋が安全かどうかわからないのだ。
不用意に渡るのは危険だろう。
そう思ったのだ。
が、
「ダメですか?」
うるうるとした瞳のエルトリア。
「ダメ」とは言い辛い。
「ぼ、僕が先に渡ります。エルトリア様は、僕が渡り切ったら付いてきてください」
「一緒に渡らないのですか?」
可愛らしく小首を傾げるエルトリア。
「……橋の板が古くなっていますから、1人ずつ渡った方が安全です」
レインは、今度は冗談に引っかからないぞ、と思い、エルトリアの質問を軽くいなした。
「そうですか……、残念ですが諦めます」
エルトリアは心底残念そうだった。
◇
レインが思っていたより、吊り橋は頑丈だった。
特に問題もなく、無事に吊り橋を渡り終えた。
「わあ、とっても美味しそうですね」
ぱたぱたと駆けていくエルトリア。
大きな果樹。
甘い香りの赤い果実。
確かに美味しそうだ。
レインは、果樹へ駆け寄るエルトリアを、慌てて追いかけた。
意外と活発で驚かされる。
そのとき、果樹の上に何かが見えた。
サル?
違う。
毛のない皮膚、緑の肌、しわがれた顔、尖った耳。
あれは……、ゴブリンだ!
「エルトリア様っ! 上っ!」
レインが慌てて、エルトリアへ警戒の声をかけた。
だが、それと同時に、ゴブリンが木の上からエルトリアへと躍りかかった。
手に持った棍棒でエルトリアの頭を狙っている。
エルトリアは、レインの呼びかけで、一瞬だけ早くゴブリンに気付くことができた。
「え? きゃっ!」
すんでのところで、腕で頭を庇い、身を屈める。
そこに飛び掛かかるゴブリン。
体重の乗った攻撃。
「ゴギャッ!」
「きゃああああっ!」
なんとか頭を守ったエルトリアだったが、身体を突き飛ばされるようにして、地面へと転がってしまった。
ゴブリンも、体勢を崩し、地面へと転がっている。
しかし、すぐに起き上がり、エルトリアに襲いかかろうとした。
そこに、
「このおおおおおっ!」
レインが割って入る。
「ゴッ!?」
ゴブリンを体当たりで突き飛ばし、素早く剣を抜く。
正眼で構え、ゴブリンを睨む。
突き飛ばされたゴブリンは、すでに体制を立て直している。
軽い身のこなしだ。
油断はできない。
剣先をゴブリンの喉元に向ける。
一瞬の隙も逃さない。
敵を睨み、よく観察する。
ゴブリンの身長は人間の子供と同じくらいだ。
痩せてはいるが、それなりに筋肉質。
普段から野山を駆け回って、鍛えられているのだろう。
子供のような身長の割には強そうだ。
レインは、「1対1だとまだ厳しいかもしれない」という言葉を思い出した。
できれば逃げたい。
だが、エルトリアを置いて逃げることはできない。
オーファならエルトリアを担いで逃げることができただろう。
しかし、レインには不可能だ。
女の子1人を抱えたままゴブリンから逃げ切るなんてできない。
ゴブリンも、じっと観察に徹している。
剣を警戒しているようだ。
間合いに入ってこようとしない。
意外と慎重だ。
高まる緊張。
先に仕掛けたのはレインだった。
剣先を、すぅ、とゴブリンから逸らした。
ゴブリンを間合いに誘い込むためのフェイントだ。
ゴブリンには、喉元に向けられた剣先が退いたことで、レインに隙ができたように見えた。
「ゴギャアアアッ!」
ゴブリンがレインに殴りかかろうと地を駆ける。
棍棒を振り上げ、ドタドタと走る。
その姿は、端的に言って隙だらけである。
レインは自分の間合いにゴブリンが入り込んだ瞬間、
「はっ!」
地面を蹴り、一足で間合いを詰め、ゴブリンの腹へと斬りつけた。
「グギィッ!?」
と、苦し気に呻くゴブリン。
だが、
「浅いッ」
致命傷には程遠い。
血は出ているが、軽く皮を裂いた程度だ。
レインは、まだ身体が小さく体重が軽い。
そのせいで、斬撃に重みが足りなかった。
さらには、ゴブリンの丈夫さも厄介だ。
ゴブリンの皮膚は厚みがあり硬い。
肉も筋肉質で容易に刃物を通さない。
レインは苦く思いながらも、油断なく残心を取った。
ゴブリンの体勢が整う前に追撃を加えなければならない。
狙うのは頭、首、心臓のいずれかだ。
急所なら一撃で仕留められるかもしれない。
ゴブリンは、斬りつけられた腹を押さえている。
頭ががら空きだ。
素早く踏み込みながら、頭を目がけて剣を切り下す。
「でりゃっ!」
しかし、レインの剣速、技術は達人の域には遠く及ばない。
スキルが無いから、身体能力も普通の子供と変わらないのだ。
剣を構えた状態から、剣を振り上げつつ、踏み込み、斬り下ろす。
よく訓練された、淀みない動き。
だが、速度が足りない。
ゴブリンの防御が間に合ってしまう。
ゴブリンは反射的に腕を上げて頭を庇った。
レインは構わずその腕を剣で斬りつける。
「ギィィッ!?」
苦悶の声を上げ、棍棒を取り落とすゴブリン。
だが、やはり致命傷には程遠い。
レインの斬撃は、骨まですら届いていない。
でも、だからといって攻撃の手を緩める理由にはならない。
「まだまだっ!」
レインは、ゴブリンが無手になったことを好機と捉え、さらなる斬撃を加えようとした。
しかし、
「グギギ!」
ゴブリンは背後の茂みへ向かって、一目散に駆けだした。
勝機がないとみて、即座に逃走の一手に切り替えたのだ。
「っ、逃がすかっ!」
レインは、ゴブリンの転身の速さに一瞬だけ驚いたが、すぐに後を追おうとする。
それをエルトリアが止めた。
「待ってください、レイ君!」
地面に倒れたままで、上体だけ起こしてレインの方を見ている。
「しかし、エルトリア様っ!」
ここで取り逃がすのは危険だと考えるレイン。
だが、エルトリアは冷静だった。
「ゴブリンが逃げた茂みをよく見てみてください!」
「っ!?」
レインが茂みの中を視線で探ると、何匹かの人影が潜んでいることに気が付いた。
ゴブリンだ。
「待ち伏せです。わたくしたちが追いかけていって、茂みに入ったところで、一斉に包囲する作戦かもしれません」
レインは「ゴブリンは頭が良い」と言われていたことを思い出した。
木の上から飛び掛かってきたゴブリンは、もともと『囮』だったのかもしれない。
上手く自分で仕留められたらそれで狩りは終了。
それが無理だった場合に、他の仲間がいるほうへ獲物を誘い込むのが役割だったのだろう。
こちらがゴブリンに気付いたことは、向こうも気付いているはずだ。
もしかしたら、茂みから一斉に飛び出してくるかもしれない。
そう思うと、レインは気が気ではなかった。
◇
わずかな時間、睨みあいのような状態が続いた
しかし、ゴブリンが、茂みから出てくることはなかった。
レインのことを危険な相手だと警戒したのかもしれない。
しばらくすると、茂みに潜んだゴブリンたちは徐々に森の奥へと消えていった。
「エルトリア様、すぐにここから引きしょう!」
「そうですね、いっ!」
エルトリアは立ち上がろうとして、再び地面へと倒れてしまった。
足首を押さえ、苦痛の表情を浮かべている。
どうやら足を痛めてしまったようだ。
「僕が背負います。お嫌かもしれませんが、我慢してください」
レインはエルトリアに背を向けてしゃがみ込んだ。
この場に留まりすぎるとゴブリンが戻ってくるのではないかと思い、焦っている。
「いいのですかっ!?」
「ど、どうぞ。僕の背中でよければ」
嬉しそうな声を上げるエルトリアに、レインは戸惑った。
だが、嫌がられるよりは何倍もマシだ。
「ありがとうございます、レイ君! それでは失礼します。んしょ」
「っ!?」
レインはエルトリアが背中に乗った瞬間、柔らかい感触に驚いた。
鼻腔をくすぐる花のような香り。
レインには、まだあまり性衝動というものはない。
だが、エルトリアから伝わる女性の感触に、男性としての何かが大いに刺激された。
エルトリアの身体は、確実に大人に近づいているようだ。
だって、柔らかいもの。
変な思考になりかけたレインに、エルトリアが問いかけた。
「わたくし、重くないですか?」
「い、いえ、軽いくらいです。それでは行きます」
レインは自分の中に生じた不埒な思いを誤魔化すように、足早にその場から離れた。
◇
「追っ手は、ないみたいですね?」
レインは吊り橋まで戻ってきて、背後を確認して呟いた。
どうやら、ゴブリンの追跡はないようだ。
このまま吊り橋を渡り切れば、ひとまずは安心だろう。
だが、レインは吊り橋を渡ることに不安を感じた。
別に、高いところが怖いわけではない。
『吊り橋の恋』の話を真に受けているわけでもない。
ただ単純に、目の前の吊り橋がボロいから心配なのだ。
2人分の体重に耐えられるだろうか。
そんな不安が鎌首をもたげる。
一応、1人で渡ったときは、余裕で体重を支えられていた。
レインが先に渡り、全ての板に体重をかけてみて、絶対に大丈夫だと確認した。
2人になったところで別に問題があるとは思えない。
しかし、目の前の吊り橋は、時代がかっているというか、年代物というか、とにかく古くて、ボロい。
子供とはいえ、2人分の体重。
不安だ。
不意に足元の板が割れてしまうのではないか。
そうと思うと、気が気ではない。
でも、だからといって、渡らないという選択肢はあり得ない。
このままここに留まっているわけにはいかないのだ。
レインとエルトリアが1人ずつ、別々に渡ることができれば問題は解決する。
だが、エルトリアは怪我をしていて、1人で歩くことができない。
先ほど採取した薬草と治療魔術を使えば治療できる、かもしれない。
だが、ゴブリンの追手がくる可能性がある現状、のん気に治療なんかしていられない。
レインは意を決し、一歩を踏み出した。
――ぎぃ……。
不安感を煽る音が、足元の板から聞こえてくる。
だが、流石に割れるほどの負荷がかかっているわけではなさそうだ。
一歩一歩、確実に、慎重に、橋を渡っていく。
板の隙間から、崖の下を流れる川が見える。
ものすごい高さ。
目がくらみそうだ。
この高さから落ちたら、例え下が水でも助からないだろう。
もし奇跡的に水面に落ちた時点で命があったとしても、長くは持たない。
川は水量が多く、流れが速い。
簡単に溺れてしまう。
ここから落ちたら確実に死ぬ。
そう思うと、レインの緊張感は否応もなく増した。
◇
レインは吊り橋を半分ほど渡ったところで、後ろを確認した。
ゴブリンは見当たらない。
どうやら、もう追手を心配する必要はなさそうだ。
そう思い、気を抜いた瞬間、
――バキッ!
足元の板が悲鳴を上げた。
レインの心臓が、ドキッと跳ねる。
慌てて、音が鳴った板から足をどけた。
嫌な音だったが、幸いなことに、板を踏み抜いたりせずにすんだようだ。
エルトリアも驚いたのか、しがみつく力がギュッと強くなった。
さっきよりも、さらに密着度があがる。
ごくり。
レインは思わず、生唾を飲み込んだ。
ドキドキと落ち着かない鼓動。
背中から伝わる柔らかさと温もり。
耳元から聞こえる息遣い。
落ち着かない。
エルトリアを女の子だと意識してしまいそうになる。
不埒な感情を持ってしまいそうになる。
抱いてはいけない気持ちを、自覚してしまいそうになる。
エルトリアは、いつも優しい。
学院で唯一、声をかけてくれる。
つい、もっと仲良くなりたいと思ってしまう。
でも、相手は王女だ。
『普通の女の子』ではない。
変なことを考えてはいけない。
身分が違う。
不敬だ。
でも……。
そのとき、レインは気が付いた。
――ああ、これが『吊り橋の恋』か。
そして、一人、納得したのだった。
◆あとがき
Q:1話に詰め込み過ぎじゃね?
A:ごめんなさい(・ω・`
Q:もともとゴブリンがいるってわかってたんだから、森に入るなよ!
A:ですよねー
言い訳としては、
・教員が森へ入ることを許可した
・野営地にいると確実にイジメられる
・木々の少ない場所なら安全だと思った
・エルトリアの願いを無碍にしたくない
こんな感じです。
子供のレイン君は『教員の言うことは正しい』と思っているので、
教員が良いって言ったんだから、良いだろう、と思ったのかもしれませんね!(適当
Q:木の上にいたゴブリンは何をしていたの?
A:待ち伏せです
果樹の香りにつられてやってくるシカやイノシシを狙っていました。
(シカを狙っていたら人間が来たゴブ!)
(せっかくだから狙ってみるゴブ!)
「エルトリア様、上っ!」
(ぐぬぬ、気付かれたゴブ)
(奇襲は失敗ゴブ)
剣を抜くレイン。
(うわ、めっちゃ怒ってるゴブ!)
(強そうゴブ!)
(これは迂闊に殴りかかれないゴブ!)
レインが剣先を逸らす。
(ちゃんすゴブ!)
腹を斬られるゴブリン。
(い、いてぇゴブ!)
(ひぃ、また斬りかかってきたゴブ!)
(今度は腕を斬られたゴブ!)
(ヤバいゴブ!)
(殺されるゴブ!)
(逃げるゴブ!)
たぶん、こんな感じです。
Q:あとがき長くね?
A:ごめんなさい(・ω・`




