21:遠征訓練
野営地へ向けて歩き出した王立学院生の一向。
だったが……、
「ぜぇ……はぁ……」
「もう、むり」
「ぜぇぜぇ、帰りてぇ」
多くの生徒が早々に体力切れを起こしていた。
単なる体力の少なさも原因ではあるが、一番の原因は、身に着けた金属製の鎧だった。
不要な装飾が多いため、無駄に重量が増えているのだ。
歩き始めて数分経つころには息が上がり始め、更に十数分経ったころには足が痛くなり、一時間が経つころには歩くのもやっとという状態になっていた。
だが、レインはまだまだ全然疲れていない。
革の装備は軽くて動きやすいので、長距離の移動に向いているのだ。
とはいえ、レインの体力に余裕があるのは、装備の重量だけが理由ではない。
4年間、配達の依頼を行ってきたことの成果だ。
今ではかなり体力がついている。
当初は、1区画だけで精一杯だった配達だが、今は3区画も担当しているのだ。
レインは、担当区画が広がるごとに、自分の体力と報酬、そしてギルドからの信頼が増えたことに喜んだ。
ちなみに、他に体力に余裕がありそうなのは、軽い装備しか着けていないエルトリア、身の丈に合った装備を着けているイヴセンティア、後は教員たちだ。
それ以外の生徒の大勢は、今にも死にそうな顔で歩いているのだった。
◇
ようやく野営地に到着すると、何人もの生徒がすぐに自慢の鎧を脱ぎ捨て、その場に倒れ込んだ。
しばらく動けないだろう。
「休憩が終わった者から野営の準備をしろ。以降は各自、自由行動だ。森に入っても良いが、遠くには行くなよ」
野営の準備といっても、準備するのはテントくらいのものだ。
たき火などは敵をおびき寄せるだけなので、王国軍の軍事行動中は推奨されていない。
食料などは火を使わずに、魔術で直接加熱するのである。
なので、今回の遠征訓練でも、火を起こしたりはしない。
テントは男子と女子に、それぞれ5張りずつ配られた。
生徒の人数は、男女ともに15人。
3人ずつ別れれば、余りはでない。
だが、やはりというべきか、レインはどこの班にも入れてもらえなかった。
今夜は野宿である。
そんなわけで、レインは野営の準備をする必要がなくなった。
以降は自由行動の時間である。
しかし、自由行動と言われても、友だちのいないレインにはこれといってすることがない。
かといって、このまま野営地にいるのは避けたい。
ここにいると、他の生徒たちにイジメられるからだ。
少し考えて、レインは『天然の薬草』を集めようと思いついた。
一応、農園でも薬草の人工栽培が行われているのだが、天然の薬草に比べて、その効能は低い。
なので、レインは天然の薬草を集めて、それをマフィオやルイズたちへのお土産にしようと思ったのだ。
だが、ゴブリンがいるかもしれないという情報が気になった。
セシリアたちに危険なことはしないと約束した手前、危ないことはしたくない。
とはいえ、野営地近くの森は浅く、木々は薄い。
教員も森への立ち入りを許可していたし、あまり深くまで立ち入らなければ危険はないように思える。
むしろ、このまま野営地に留まる方が、イジメられる危険がある。
というか、確実にイジメられる。
レインは少し考えたが、結局、森に入ってみることにした。
もしゴブリンに遭遇してしまっても、体力には自信があるので、逃げ切れるだろうと判断したのだ。
レインは森へと向かった。
◇
「レイくーん!」
森へ入ろうとしたレインを呼び止める声がかかった。
立ち止まり、振り返ると、エルトリアが手を振っているのが見えた。
長い銀髪を風になびかせて、ぱたぱた駆け寄ってくる。
エルトリアは王立学院で、唯一、レインに声をかけてくれる存在だ。
レインは、なにかと話しかけてくれるエルトリアのことを好意的に感じていた。
もちろん、好意といっても、それは恋愛的な意味ではない。
王女に恋愛感情を抱くような不敬は犯さない。
あくまで、セシリアやマフィオたちに感じている好意と同じような感情だ。
レインは、何年も前にした『エルトリアの騎士になる』という約束を、今でも覚えている。
だが、子供のころ――今も子供だが――にした約束なので、真に受けたりはしていない。
それに、騎士になることが、そんなに簡単ではないことも理解している。
「なにか御用でしょうか? エルトリア様」
レインは片手を胸に当て、軽く礼をした。
レインのエルトリアへの対応は一段と丁寧だ。
一国の姫君を他の者たちと同列に扱うわけにもいかないので、それも当然である。
「あ、あの、わたくし、暇になってしまったので、レイ君とお話ししたくて、後を追ってきたのです。ご迷惑でしたか?」
エルトリアは蒼い大きな瞳を不安げに揺らし、少し首を傾けてレインへと尋ねた。
その姿はレインの庇護欲を大いに刺激する。
「と、とんでもありません」
レインは慌てて否定した。
迷惑なんてとんでもない。
話しかけてもらえて嬉しい。
それは本心だ。
「それならよかったです。ところで、レイ君は何をしていたのですか?」
エルトリアは、ほっ、と一安心すると、次の問いかけをした。
森林浴や散歩なら一緒に楽しむことができるかもしれない。
そんな期待しているのだ。
「天然の薬草を集めようかと思いまして」
「薬草ですか、面白そうですね。わたくしも、ご一緒してよろしいですか?」
エルトリアは、レインとの薬草集めもなかなか面白そうだと思った。
というか、レインと一緒ならなんだって楽しいと思っている。
だがレインは、
「……あの、イヴ先輩は?」
イヴセンティアのことが気にかかった。
今のエルトリアはどう見ても1人である。
イヴセンティアは「なるべくエルトリア様の近くにいるように言われている」と言っていた。
だから、レインは、自分が勝手にエルトリアを森へ連れ出すのはマズいだろう、と思ったのだ。
だが、エルトリアは、レインの口から他の女の名前が出たことがあまり面白くない。
少しだけ、むむっ、とした表情になった。
そして、ちょっとだけいじけたように答えた。
「むう、イヴセンティアさんですか? 彼女なら他の女生徒たちのテント張りを手伝っていますよ?」
「なるほど」
「イヴセンティアさんには、ちゃんとレイ君と自由行動の時間を過ごすと伝えてあります。……あの、わたくしがご一緒しては、お邪魔ですか?」
いじけた表情から一転して、泣きそうな、不安そうな顔になるエルトリア。
エルトリアのレインへの『想い』は、レイン本人のあずかり知らぬところで勝手に生い育っていた。
エルトリアは成長とともに、なぜ学院の教員たちがレインへのイジメを止めないのかを、理解できるようになった。
それはつまり、レインが自分の身代わりにされていることに気が付いた、ということだ。
レインが酷い目に遭っているのは全部、自分が悪い。
そう思うと、エルトリアはレインへの罪悪感で押しつぶされそうになった。
レインが罵声を浴びせられ土下座をさせられるたびに、自分を責めた。
入学式の日にイジメられそうになっているところを助けてもらい、一番言って欲しかった言葉をかけてもらったのに、自分はレインを助けられない。
それどころか、レインへのイジメは、本来、自分が受けるべきはずのものだった。
レインは自分のせいで不幸になっている。
そう思うと自分が許せなかった。
それと同時に、エルトリアは学院の人間たちが大嫌いになった。
学院の人間たちが、自分と同じ人間とは思えなくなった。
大人も子供も、レインを傷つける、気持ちが悪い別の生き物にしか見えなかった。
そんなもの見たくない。
だから、レインだけを見つづけた。
ずっとずっと、レインだけを見つめづけた。
レインを見つめる度に、エルトリアの想いは加速した。
挨拶をすると、はにかんだ笑顔で返事をしてくれることがとても嬉しい。
ときどき、校舎の裏で、2人きりでお弁当を食べることがとても楽しい。
ふとしたときに、些細な会話ができることがこの上なく幸せだ。
――わたくしだけがレイ君と仲良くできる。
――わたくしだけがレイ君の素晴らしさを知っている。
――わたくしだけがレイ君を幸せにできる。
――わたくしだけがレイ君に、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君、レイ君が、大好き。
だから、エルトリアはレインだけを見つめ続けた。
ずっと、レインだけを想い続けた。
未来永劫、レインだけを想い続ける。
そんなエルトリアに、「お邪魔ですか?」と、問われたレインは、
「そんなことはないです。では一緒に薬草を探しましょうか」
と、あっさり降伏した。
レインは、イヴセンティアに伝えてあるなら大丈夫だろうと考えた。
森の深いところには入らず、少しの時間で戻れば問題ないだろう。
そういう判断だ。
いつも話しかけてくれる優しいエルトリアの願いを無下にしたくない。
そんな思いもあった。
「ありがとうございます、レイ君」
エルトリアは花が咲いたように微笑んだ。
◆あとがき
エルトリア(わたくしだけがレイ君を……、ふふ)
オーファ(レイ、早く帰ってこないかなぁ)




