17:下水道の冒険
下水道に降り立った2人は、せっかくだから、と少しだけ探検してみることにした。
せっかく薄暗くて怖い階段を下りたのに、収穫なしで引き返すのが嫌だったのだ。
だが、それが間違いだった。
「迷っちゃったね?」
「……」
レインの呟きに、オーファは無言で返した。
複雑に入り組んだ下水道に、あっという間に方角がわからなくなり、引き返そうと思ったときには手遅れだった。
すでに、どこに向かって引き返せばいいのかもわからない。
どこまで行っても同じような景色。
ここはさっきも通ったような気がするし、初めて通ったような気もする。
向こうに行けば戻れるような気がするが、あっちから来たような気もする。
そんなふうに、歩けば歩くほど、どんどん深みにはまり、道がわからなくなっていく。
地上に上がれそうな場所は何ヶ所かあった。
だが、肝心の出入り口が固く閉まっていて、外に出ることは出来なかった。
唯一、幸いだと思えることは、流れる下水から不快な臭いを感じなかったことだ。
高度な魔術で下水処理がされているので、水も透き通っている。
水が綺麗だからか、下水道には意外と多くの生物が住み着いていた。
巨大なネズミにコウモリ。
それを食べるさらに巨大なクモ。
カエルやイモリ、カメ。
それらの死骸や糞を食べるスライム。
そしてレインたちを驚かせたのが――。
「オ、オオカミっ!?」
「っし、静かに」
「むぐ!」
驚いた声を出すレインの口を、オーファが慌てて塞いだ。
レインたちの前方にいたのは、ネズミの死骸を食べるオオカミの群れだった。
餌になっているネズミの死骸はかなり大きい。
1メーチル以上ある。
だが、オオカミはそれと比較してもさらに巨大だった。
レインが驚いてしまうのも無理はない。
オオカミたちは、食事に夢中でレインたちに気付いていないようだった。
がしゅがしゅ、ばきばきと、豪快な咀嚼音が聞こえてくる。
おそらく骨ごと噛み砕いて食べているのだろう。
レインからオオカミまでの距離は、およそ20メーチル。
それなりに離れているおかげで、声を潜めていれば見つかる心配もなさそうだ。
ネズミの血肉で、臭いもわからないだろう。
レインは魔術灯に照らされたオオカミの体躯を観察した。
力強く大きな身体。
死肉を貪る鋭い牙。
額にそびえる一本の角。
どこをとっても強そうだ。
1匹が相手でも勝てる気がしない。
オオカミの数は多い。
狭い足場にひしめき合っているせいで正確な頭数はわからない。
でも、10頭以上いるのではないだろうか。
ネズミの死骸なんか、あれだけの頭数がいたら、あっという間に食べつくしてしまいそうだ。
あんな巨大なオオカミの群れに襲われたら一溜まりもない。
「ここから離れるわよ」
オーファの耳打ちにレインは頷き、2人はすぐにその場から離れることにした。
◇
「これからどうしよう」
「だ、大丈夫よ、あたしが付いてるんだから」
不安そうな顔を浮かべるレインを見て、オーファは、自分がしっかりしなければと思った。
レインは毎日のように訓練をしているが、スキル0であるため、残念なことにかなり弱い。
オオカミに襲われたら、あっという間に殺されてしまうだろう。
レインに死んでほしくない。
だからこそ、自分がレインを守ってあげなければならない。
そう考えた。
そもそも、レインを今日、遊びに誘ったのは自分だし、地下に行こうと言い出したのも自分だ。
その上、「このまま戻るのも勿体ないから、少しだけ下水道を探検してみましょう」と言ったのも自分だ。
今の事態は、全部、自分が招いたことだ。
レインは巻き込まれただけ。
被害者だ。
だから、レインだけは、絶対に守らなければならない。
そう思い、気を引き締めようとした。
だが、どうすれば地上に戻れるのかわからない
つい、いろいろと考えてしまう。
戻れなかったらどうなるのだろうか。
ここで死ぬのだろうか。
飢え死にして、ネズミやクモの餌になるのだろうか。
それとも、生きたままオオカミに喰われるのだろうか。
喰われるのは痛いのだろうか。
痛いに決まっている。
痛いのは怖い。
レインも怖いのだろうか。
きっと怖いだろう。
怖いのは嫌だろう。
だから、自分がしっかりしないと。
じゃないと、2人とも死んじゃう。
せめてレインだけでも守らないと――。
「ねえ、オーファ?」
「っ、なに?」
レインの問いかけに、悲観的な思考に沈みかけていたオーファは、はっ、と我に返って返事をした。
「もしかしたら、水の流れる方に歩いて行ったら、外に出られるんじゃない?」
「そ、そうね、良い考えだわ、そうしましょう」
オーファは、なるほど、と思った。
この下水がどこに向かって流れているのかは知らない。
だが、予想は出来る。
王都には北から南へと2本の川が流れている。
そして、その川は王都のすぐ南に面した湖に流れ込んでいる。
おそらくだが、この下水もその川か湖のどちらかに繋がっているだろう。
出口の扉が開いているかどうかはわからない。
そもそも出口があるのかもわからない。
だが、このまま闇雲に彷徨うよりマシだろう。
そうと決まれば善は急げだ。
2人は早速、下水の流れをたどってみることにした。
オーファは、ようやく見えた光明に幾分か心が軽くなるのを感じた。
そして、やっぱりレインは自分なんかよりよっぽどすごい、と思った。
こんな状況なのに、怖いはずなのに、ちゃんと冷静に脱出方法を考えることができている。
不満も不安もあるはずなのに、一言も文句を言わず、泣き言も言わずにいる。
自分なんかとは大違いだ。
オーファは自分もしっかりしなければ、いや、スキルを8つも持っている自分こそがしっかりしなければ、そう思った。
そのとき、
グルゥ――。
獣の唸り声。
オオカミが1頭、こちらに向かって威嚇していた。
さっきの群れとは別行動をしている個体がいたのだ。
片目が潰れた、隻眼のオオカミだった。
その体はひときわ巨大で、凄まじい迫力を誇っている。
そっきの群れの個体と比較すると、その大きさは子供と大人程の違いがありそうだ。
そいつに見つかってしまった。
しかも、そいつはこちらに向かって駆けてきた。
「っ!? レイ、逃げるわよっ!」
見つかった! と気付いた瞬間、オーファはレインの腕を掴んで駆け出した。
『瞬発力上昇』のスキルを持ったオーファの走行速度は、並みの大人の走行速度を軽く凌駕する。
当然、そんな速さでレインが走れるわけがない。
ものすごい速さで走るオーファに腕を引かれて、すぐに足がもつれて転びそうになってしまう。
だが、転ぶ前に、すかさず、オーファがレインを担ぎ上げた。
「わわっ」
上へ下へと目まぐるしく視界が変わることに慌てるレイン。
それを無視して、オーファは必死に駆ける。
立ち止まったら死ぬ。
レインが殺されちゃう。
そう思って、必死に下水道を駆け抜ける。
『筋力上昇』や『持久力上昇』のスキルの効果も相まって、オーファはレインを担いでいても、一向に速度を落とす気配が無い。
オーファはちらっと後ろを見た。
オオカミは……、追いかけて来ている。
しつこい!
オオカミはレインたちのことを、獲物だと認識したようだ。
オオカミに狙われると厄介だ。
執拗に追い立て、攻撃し、命を狙ってくる。
殺そうとしてくる。
だから、オーファは走った。
オオカミの追跡から逃れるために。
通路を曲がり、水路を飛び越え、走る、走る。
「はぁ、はぁ」
流石に、少し息が上がってきた。
また、少し後ろを見る。
オオカミは……、だいぶ引き離せた。
もう少しで振り切れる。
途中、通路で出くわしたネズミやクモを蹴り飛ばし、コウモリを木剣で叩き落し、スライムを飛び越しながら下水道を駆け抜けた。
後ろのオオカミが見えなくなっても、オーファは止まらずに走り続けた。
◇
「オーファ、大丈夫?」
「ぜぇはぁ、っ、大丈、夫。はぁはぁ」
レインを降ろしたオーファは、肩で息をし、疲労困憊という体で「大丈夫」だと言い切ってみせた。
レインは、そんなオーファを見て、つくづく格好良いと思った。
それと同時に申し訳なくも思った。
自分が『無能』だったせいで、オーファにだけ苦労をかけてしまった。
もし、自分がもっと早く走れていたら。
もし、自分がもっと強く戦えるなら。
もし、自分がもっと魔術を上手く使えるなら。
きっと、オーファはこんなに『たいへん』な思いをしなかっただろう。
レインは申し訳なさと、こんなに疲労してまで自分を助けてくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいになった。
「ごめんね、オーファ。ありがとう」
「はぁはぁ、いいのよ、これくらい。あたしは、はぁ、ふぅ、すごいんだから」
「うん、すごかったよ」
レインは本当に、心の底からそう思った。
もし、自分にオーファと同じスキルがあったとしても同じことができたとは思わない。
やはり、オーファはすごい。
レインは助けられるだけじゃなくて、自分も何かしてあげたいと思った。
疲れているオーファに何かしてあげたい。
でも、何をすれば良いかわからない。
だから、なにかオーファからお願いをしてもらおうと考えた。
「ねえ、オーファ、ぼくにして欲しいことはある? ぼく、なんでもするよ?」
まさかオーファまで、「お姉ちゃんって呼んで」とは言い出さないだろう。
「なんでもいいの?」
「うん」
レインは躊躇なく頷いた。
流石に、「さっきのオオカミを殺して来い」と言われても不可能だが、自分にできることなら誠心誠意、頑張る所存だ。
「そう、じゃあ、お願い………………、許して?」
オーファは少し俯き加減に、そう切り出した。
許して欲しい。
初めて会ったときに、酷い態度だったことを。
こんな場所に連れてきてしまったことを。
もしかしたら、一緒に死んでしまうかもしれないことを。
謝って、許されることじゃない。
それはわかっている。
それでも、今しかないから、謝りたかった。
「なにをかわからないけど……、ゆるすよ?」
レインにはオーファがなにを許して欲しいのか、皆目見当が付かなかった。
自分がオーファに謝らなきゃいけないことはいろいろとあると思う。
しかし、オーファに謝られるようなことなんて、なにもないと思う。
「そう、ありがと」
顔を上げたオーファは、にこっと笑った。
その表情を向けられたレインは、なぜだか自分の鼓動が早くなるのを感じた。
◆あとがき
作者が子供のころに見た『大長編ドラえ○ん、アニマルプラネット』で、
ドラえ○んが、
「下水処理能力が完璧なんだ!」
みたいなことを言ってたんですよ。
そんな感じで、王都はとても衛生的です。
作者的には、ヒロインが不衛生な環境で生活していることに抵抗があるのです。
石鹸もお風呂も歯ブラシもない世界だと、エッチなシーンで萎えますでしょ?
萎えるんです。
萎えてください。
一応、「汗の匂いがいいんじゃないか!」という紳士的な意見もわかりますが←
やっぱり作者としては清潔な方がいいです。
一応、魔術で綺麗にできるという裏設定もあります。
ですが、子供には無理ですので、
やっぱりお風呂は必要なのです。
Q:あとがき長げぇよ!
A:ごめんなさい(・ω・`