15:日常
数週間経った。
レインの朝は早い。
目を覚ますのは日が昇る前だ。
起きたらまず柔軟体操を行う。
それから素振りだ。
素振り用の木剣はマフィオにもらったものを使っている。
素振りは、マフィオや他の冒険者たちが教えてくれたことを思い出しながら行う。
一振り一振り、動きが雑にならないように、型が崩れないように、基本が身に着くように、しっかりと丁寧に振る。
レインがマフィオに習っているフェムタイ共和国式の剣術は、実戦を想定した剣術だ。
『寸止め』や『打つ』ことを前提とした決闘用剣術とは違う。
敵を斬り殺すために剣の振り幅が大きく、素振りの度に大きな風切り音が鳴る。
レインが木剣を振る度に鳴る、ぶぉん、という鈍い音。
まだまだ剣速が遅いので、出る音も少々情けないのだ。
マフィオからは、もっと練習したら、しゅっ、という音になり、さらに練習すると、きゅ、という短い音になると言われた。
レインはまず、それくらいできるようになろうと思い、頑張っている。
素振りが終わったら、冒険者ギルドへと向かう。
『郵便配達』の依頼をするためだ。
子供でもできる仕事なだけに、この依頼で貰える報酬額は少ない。
たったの500マナ――通貨単位――程度だ。
ギルドの食堂で1回食事をすると無くなる金額である。
ちなみに、セシリアは、レインがまだ暗い内から配達の依頼を受けるということに難色を示していた。
だが、最終的にはレインの意思を尊重してもらうことになった。
レインはギルドに着くと、受付で地図と郵便物を受け取り、駆け足で配達を行っていく。
走力と持久力を鍛えるために、配達終了まで体力が持つぎりぎりの速さで走り、配達先の手紙受けに郵便物を挿しこんでいく。
レインが担当しているのはギルド周辺の一区画だけだ。
なので、大した時間をかけずに配達を終えることができる。
しかし、まだ身体が小さなレインには、それでもいい運動になった。
配達を終えた後は、ギルドの簡易風呂で汗を流し、家へと帰る。
その時間になると、すでに朝日は昇って、街は明るくなっている。
家ではセシリアが朝食を用意してくれている。
レインは、毎朝、セシリアが「おかえりなさい」と言って出迎えてくれることが嬉しかった。
オーファは、時々、寝坊する。
レインが帰ってきてもまだ寝ているときがある。
3人で卓を囲み、朝食を取る。
お互いの今日の予定を確認し合ったり、最近あったことを話したりと話題は尽きない。
たまに、セシリアのイタズラめいた『お願い』が飛んできてレインを困らせるが、楽しい食卓だ。
レインは、自分が遠慮してしまうと逆にセシリアを困らせてしまうと学んだので、遠慮せずにしっかりと食べるようになった。
たくさん食べるとセシリアが喜んでくれるので、レインも嬉しい。
朝食を食べたら、オーファと一緒に登校する。
いつもは2人きりでの登校だが、たまに聖カムディア女学院の女の子たちと一緒になることもあった。
学校では相変わらずイジメられている。
ことあるごとに『無能』『汚い』『臭い』『ゴミ』と蔑まれ、土下座を強要される。
レインはそんなことがあるたびに、イジメられないように頑張ろう、と更にやる気を漲らせた。
そんな学院生活で少し変化したことがある。
エルトリアがときどき話しかけてくれるようになったのだ。
今までは、誰もレインに挨拶の言葉をかけてくれなかったし、自分から挨拶してみても無視されていた。
しかし、エルトリアが毎日、レインへと挨拶の言葉をかけてくれるようになった。
短い言葉のやり取りだったが、それでもレインは嬉しく思っていた。
そして、優しくしてくれるエルトリアにとても感謝した。
クラスメイトたちは、「流石、エルトリア様は無能なゴミにも優しい」と感心していた。
概ね、レインのイジメに対する影響はないようだった。
授業では、レインが冒険者たちに稽古をつけてもらえるようになったことで、さらに成績が上がっていた。
剣術の授業などでも動きが良くなり、指導教員たちからの評価も上々だ。
指導教員たちは、運営理事たちからの指示でレインへのイジメに介入できないでいる。
だが、その罪滅ぼしの気持ちで、せめてレインへの指導はしっかり行うことにしていた。
そのため、レインは王立学院での授業がとても役に立つものだと感じており、学院を辞めようなどという気は微塵も起きなかった。
放課後は、わざわざオーファが学院の前まで迎えに来てくれるようになった。
たまに、カムディア女学院の女の子たちも一緒に下校する。
女の子たちは、「レインくんをイジメっ子から守ってあげるんだ!」と息巻いていた。
だが、オーファに恐怖心を抱いているブラードたちが、下校中のレインに絡んでくることはなかった。
帰宅後はすぐに冒険者ギルドへと向かう。
冒険者ギルドでは、日替わりで、そのときギルドにいる冒険者がレインへと稽古をつけてくれた。
レインがギルドへと通い始めた当初は、マフィオたちのような、最初にレインと居合わせた冒険者が稽古をつけるだけだった。
だが、日を追うごとに、レインに稽古をつけたがる冒険者が増えていった。
マフィオたちがレインに稽古をつけているのを見て、真似し始めたのだ。
そういった者たちは、最初はただ、面白がってレインに稽古をつけているだけだった。
しかし、素直で真面目、ひたむきに努力するレインの姿に、いつの間にか多くの冒険者が心を打たれていた。
冒険者には、社会から落ちこぼれた結果、冒険者になった者が多い。
その落ちこぼれる原因になった理由の多くが、自身のスキル数だ。
2つ、3つしかスキルを持っておらず、それを『持たざる者』と揶揄され、侮蔑の視線を向けられ落ちこぼれていった。
そんな者たちは、自分はスキルが無くてダメな奴だ、と心のどこかで諦めていた。
だが、1つもスキルを持たないレインが頑張る姿を見て、応援したくなった。
気が付けば、面白半分だった冒険者たちは、本気でレインの稽古の相手をするようになっていた。
レインに触発され自主練の時間を増やした冒険者も多い。
レインの稽古を通して、冒険者通しでの横の繋がりが増えた。
いつの間にか、『レインの稽古係り』は冒険者の中で取り合いが起きるほど人気になっていた。
◇
「今日は俺が魔術について教えてやる」
この日はルイズが稽古をつけてくれることになった。
「今の段階で、魔術はどの程度使える?」
「基本属性が少しだけ使えるようになりました」
ルイズの問いに、レインは学院の授業の進捗状況を思い出しながら答えた。
基本属性とは『火』『水』『土』『雷』『風』などのことだ。
「どれ、少し使ってみろ」
「はい」
レインは学院で習ったことを思い出しながら、手に魔力を込めていく。
手のひらに魔術陣が表れ、ぼんやりと光る。
そして、小指の先ほどの小さな火が灯った。
これは別にレインの魔力が極端に小さいとか、才能がないとかいう問題ではない。
レインたちの年齢なら、これくらいしか使えないことが普通だ。
王立学院では、初等部の間に魔術の基礎を、中等部で応用を、高等部で専門的な内容を勉強することになる。
ルイズはレインが基礎をしっかり身に着けているのを確認すると、満足げに頷いた。
そして、自らも炎の魔術を使い、レインへと見せた。
ルイズの手のひらの上に魔術陣が出現し、さっきレインが創った火よりも大きな炎が創り出されていく。
近くで見ていたレインまで熱が伝わってくる。
「これは魔術で創り出した炎だ。まるで、本物の炎に見えるだろ? だが、これは魔術だ。本物の炎じゃない。炎の特徴を魔術で再現して創り出しただけの、炎によく似たものだ。光と熱を発する特徴とその性質は、本物の炎とほぼ同じだ。だが、気体を燃焼することで生じる本物の炎とは違い、魔術で生み出した炎は体内の魔力を燃焼し……」
「???」
「すまん、話が小難しくなった」
レインのよくわかってないような顔を見て、ルイズは自重したように苦笑した。
ルイズは魔術の基礎でつまずく奴は、難しく考えすぎる奴に多いと思っている。
自分自身にも小難しく考えすぎてしまう悪癖があり、何度か苦い思いをしている。
だから、その持論に関しては自信があった。
とりあえず、考えるのは技術者や研究者の仕事。
冒険者の仕事は研究者が開発した魔術を使いこなすこと、だ。
「とにかく、魔術で作り出した炎は本物の炎じゃないとだけ覚えておけばいい。水の魔術も同じだ。本物の水のような特徴や性質を持っているが、あくまで魔力を媒体として作られた偽物だ。偽物の水だから、飲んだら腹を壊す。気を付けろ」
レインが頷いているのを確認してからルイズは次の話に移った。
「魔術ってのは、基本的には誰にでも使うことができる。だが、攻撃魔術は別だ。あれは、普通の魔力量しか持たない一般人には使えない」
特別な才能がなくても、基本属性を扱うだけなら、練習すれば誰でもできるようになる。
だが、攻撃魔術を使いこなせるのは、魔力上昇系のスキルを持つ者だけだ。
「その炎は、こうげき魔術なの?」
レインは、ルイズが創り出している炎の魔術なら攻撃に使えそうだし、それを投げつければ敵をやっつけられるだろうと思った。
しかし、ルイズは首を横に振った。
「いや、違う」
ルイズはそう言いながら、炎の中に手をさっと通して見せた。
レインはぎょっとして驚いた。
そんなことをしたら火傷してしまうと思ったのだ。
だが、ルイズは火傷をしたふうもなく、平然としていた。
「あ、熱くないの?」
唖然とするレイン。
炎に触れたら即座に火傷すると思い込んでいただけに、レインの驚きは大きかった。
「ずっと触っていたら熱いさ。だが、一瞬なら熱くない。攻撃魔術じゃない炎の火力なんて、そんなものだ。だから、この炎を敵にぶつけても、すぐに消えてしまうし、せいぜい相手を驚かせるか、よくて軽い火傷を負わせるくらいしかできない。」
レインは素直に、なるほど、と頷いた。
「攻撃魔術ってのは、必殺の威力を持った魔術のことを言う。炎の攻撃魔術なら、あっという間に敵を焼き殺せるような、超高熱を持った炎を創り出す魔術だ。とてもではないが、そう易々と使いこなせるものではない」
魔力強化系のスキルは数十人に1人持っているかどうかくらいの割合なので、レインが攻撃魔術を使えないことに対して特別に悲観するようなことはない。
むしろ、使えないことが普通なのだ。
「まあ、そんなわけで攻撃魔術を学ぶってのは、現実的じゃない。だから、とりあえず、誰でも使える治療魔術から教えてやる」
「はい、よろしくおねがいします!」
「よし。まず、薬草と治療魔術の併用についてだが――」
ルイズの話は小難しいものが多かったが、役に立つ話ばかりだった。
◇
稽古が終わってからは、簡易風呂で汗を流す。
レインは、いつの間にか、すっかり綺麗好きになっていた。
汗をかいたまま過ごすことがあまり好きではなく、小まめお風呂に入って身体を綺麗にしている。
ちなみに、肌や髪に優しい石鹸や魔術があるので、入り過ぎても肌が痛む心配はないらしい。
簡易風呂から出てからのレインの行動は、日によって違う。
セシリアの仕事が早く終わる日は、一緒に家に帰って、オーファと3人で夕食を食べる。
逆に、セシリアの仕事が遅くまで終わらない日は、オーファと一緒にギルドの食堂で夕食を食べる。
この日はセシリアの仕事が早く終わったので、家で夕食を食べた。
夕食の後は、1階の居間で、オーファと2人で勉強を行う。
意外なことに――というと失礼だが――オーファは頭が良くて、レインがわからない問題などを教えてくれた。
勉強に一段落が着くと、レインは2階へ上がり歯を磨く。
それから、ベッドに入りすぐに就寝する。
レインは起きる時間が早いが、眠る時間も早い。
こんな日常が続いたのだった。
◆あとがき
作者が子供のころ、3時間働いてもらえるお金が500円でした。
「20日働けば1万円になるよ」
と言われて、
「うわ、ほんとだ、すげー!」
と大喜びで働いたものです。
完全にアホです。




