番外編:竜殺しと化け物
幼い頃から化け物のような姉に思い知らされてきた。
才能が努力を凌駕することはあっても、その逆はないと。
「――てやぁ!」
どれだけ鶏が足掻いたところで空を飛べないのと一緒だ。鍛練を積んだとしても辿り着けない領域ってもんは存在する。
そして今、オレは努力が才能に対して無力であることを改めて痛感していた。
「てぇーい!」
キングモール家、地下2階の訓練場。
リリ嬢がまっすぐ振り下ろしてきた木製の棒を、同種の得物で受ける。軽い材質にもかかわらず手が痺れるほどに重い一撃だ。同時、木材同士では到底ありえない激しい衝突音が響く。
「えーい! えい、えい!」
振り下ろし、薙ぎ払い、突き押す。
間髪を容れずに攻撃は続き、繋がっている。オレは先ほどからそれを捌くだけで精一杯の状況だった。
「――くっ!」
はじまりは数アワ前に遡る。
オレが訓練場で日課の鍛練を積んでいると、リリ嬢がやってきて両手に持った延べ棒をでたらめに振り回しはじめた。よっぽど暇だったのか、どうやらオレのマネをする遊びを思いついたらしい。
棒を振りながらキャッキャとはしゃぐ姿に、自衛にも役立つと考えたオレは、リリ嬢に正しい素振りの方法を教えた。
『力まずに、ちゃんとまっすぐ振り下ろすんだ』
『えい!』
『お、いいぞ。その調子であと10回だ』
やたらと筋が良く、リリ嬢はあっという間に棒術の基礎を覚えていった。そして現在、実戦形式の訓練に入って40ミニットほどが経過している。
相手は護衛対象だ。こちらから打ちこみにいくような真似はできない。だが、たとえ今さら本気を出したところで、すでに反撃に転じられるような隙は見つけられそうになかった。
一撃一撃の鋭さは増すばかり。棒術のスキルに関しては、もう明らかにこちらを上回っていると考えるべきだろう。
それは、もはやあの姉を彷彿とさせる輝きだった。
これが本物の天賦の才。
いや、だとしても、こんな短時間でここまで強くなるのかよ……。
人は学ぶことで強くなれる。
よって思考を促す強者は歓迎すべき対象だ。
それでも、その相手が自分よりも10近く下の幼女となればさすがに手放しで喜ぶことはできなかった。
「てあぁー!!」
「――っ!?」
やがて防戦一方だった戦いにも終止符が打たれた。
これまでで一番速くて重い、突きの一撃。
延べ棒で受けるも、完全には威力を殺し切れず、オレは真後ろに倒れた。
天井を仰ぎ見る形になる中、その視界に現れる小さな影。天井スレスレまで高く飛んだリリ嬢は、そのまま体重の乗った一撃をこちらの眉間に目がけ振り下ろしてくる。
回避は不可能。オレは咄嗟に延べ棒の両端を両手で握り、目の前に掲げた。
――バギィッッン!!
直後、歪な衝突音とともに交差した互いの得物は同時に拉げた。パラパラと振ってくる木材の破片。オレの額からは遅れて、すっと一筋の汗が流れ落ちた。
「あー、おれちゃった~!」
オレに馬乗りになったリリ嬢が残念そうに口元を歪める。一撃でも加えられれば勝ちという条件を満たせず悔しそうだ。
それでもすぐに笑顔を浮かべると、リリ嬢は無邪気な様子で訓練の感想を口にした。
「たたかいゴッコたのしかったー! またやろうね、ぱーちゃん!」
「お、おう……」
そして訓練終了後、2人してシホルの怒りを買った。どうやらリリ嬢が持ってきた2本の延べ棒は料理で使う道具だったらしい。
帰ってきたエミカが例の力で代替品をこしらえてなんとかその場は収まったが、危なくリリ嬢と一緒に今夜の飯を抜きにされるところだった。
「あはは、台所の〝麺棒〟へし折るとかどんな遊びしてたの?」
「たたかいゴッコー!」
「そっかそっか、たたかいゴッコか。ならしかたないかー」
「しかたないー!」
「もうエミ姉、ふざけてないでちゃんと叱ってよ!」
「あ、はい! え、えっと……物は大切にしようね!」
この家にきてしばらく経つが、エミカとシホルは時々どっちが姉かわからなくなる。ただ、それでも姉妹としてバランスが取れているのだから不思議だった。
「ごちそうさん。なぁ、エミカ」
「ん?」
オレは晩飯を味わったあと、この先もリリ嬢に稽古をつけていいかエミカに尋ねた。
「リリが楽しいなら反対はしないよ。運動になって護身にもなるってなら一石二鳥だし」
あっさり許可は取れた。
ただ、もう護身のためだけという話ではない。万一にも誤って人を殺してしまわないように、徹底的に力の加減を教える。今後はそれが課題となってくるだろう。それだけリリ嬢のポテンシャルは異常だった。
仕事としては従来よりも確実に難易度が上がっている。だが、その才能に気づいてしまったからにはやるしかない。王女の護衛は姉からの至上命令であり、大きな意味としてはその日常生活を守ることも含まれていた。
「てか、いい加減、もう1つのほうもやっとかねーとまずいか……」
自室に引き揚げたところで、ふと、もう一方の至上命令を思い出して焦りがこみ上げてきた。この街にきて1ヶ月以上経つが、そちらのほうは未だに手つかずのままだ。
「たくっ、どうしてオレが……」
そもそも畑違いにもほどがある。密偵なんて仕事は、あの諜者にでもやらせるのが適任だろうに。
今さらながらに不満は募る。だが、絶対的強者の命令に逆らうことはできない。問題はやるやらないではなく、いつやるか。
文句を言い続けてもしかたがない。ベッドに横になりながら悩んだ挙句、重い腰を上げて今夜から調査に乗り出すことを決めた。
キングモール家の夜は早い。全員が寝静まったところでオレはこっそりと家を出た。
向かった先は冒険者ギルド。
中に入ると、酒場と隣接しているだけあって賑やかだった。冒険者らしき団体客がジョッキを片手に大声で騒いでいる。王都でも度々見た光景だ。酒場の雰囲気というのはどこも似たり寄ったりらしい。
受付のほうに顔を向けると何名か職員の姿が見えた。アリスバレーの受付嬢はこんな晩くまで仕事をしているらしい。王都ではたとえ何があろうがきっちり夜の6時に受付は閉まるので、この点は運営ルールに違いがあるのだろう。もしくは何かトラブルでもあったのか。
どちらにせよ、今この状況で忍びこむのは得策じゃない。少なくとも職員がいなくなるまで時間を潰す必要がある。そう自分に言い聞かせて意気揚々、オレは酒場のカウンターに向かった。
「カシス酒をボトルでくれ。あとグラスもな」
店員はジロジロとこちらを見てきたが、最後まで咎めてくることはなかった。何も言うんじゃねーという願いをこめて睨んだのが効いたようだ。
さっそく空いている席に座ってグラスを傾ける。実に久し振りの酒だった。
「ぷはぁ……」
咽喉を過ぎて落ちていく熱さが、ゆっくりと全身に広がっていく。王都では見ないボトルだが悪くない酒だ。グラスに口をつける度、気持ちがやわらいでいった。
仕事前の最高の1杯。
てか、もう仕事なんてどうでもよくなってきた。
明日でもいいし、別に明後日でも構わない。そもそもなんでオレが要人の調査なんかしなきゃいけねーんだ? やめだやめだやめ!
2杯、3杯と酒の量が増えていくと、さらに良い感じに酔いが回ってきた。もうあの姉の存在さえも恐くなくなってきている。今のオレは最強で、そして最高の気分だった。
「ちょっとあなた! こんなところで何をしているの!?」
しかし、4杯目を注いだところですべてを台無しにする者が現れた。
「あ? 見てわからないのか? 酒を飲んでんだよ」
「……はぁ? あなた歳はいくつよ!?」
肩までの黒髪に、赤い縁のメガネ。
制服を見る限りギルドの受付嬢だろう。
大人っぽく見えるが、実年齢はおそらくオレより年下だ。
まったく人が静かに飲んでいるところを邪魔しやがって、このガキは。
それでも今は気分がいいので、オレは質問に答えてやった。
「16だぞ」
「嘘言わないの! ほら、こんなところにいたら周りのグータラどもと同じになっちゃうわよ!」
「あ、ちょ、お前――!」
一切話を聞かず、受付嬢はオレの腕を引っ張ろうとする。それに抗っていると、耳聡い酔っ払いたちが続々と集まってきた。
「がはは! 俺たちがグータラだってよぉ!」
「そんなぁ! ひどいぜユイちゃ~~ん!」
「さっきから思ってたんだがよ、あの子、ちょっと似てないか?」
「あ、誰にだよ?」
「ほら、あの王都で有名な、なんとか殺しのなんとかっていう」
「ぎゃはは、なんとかばっかじゃねーか!」
げっ、まずい……!
さすがは同業。この街にもオレの顔を知ってる奴が少しはいるらしい。ならばこれ以上、騒ぎを大きくするのは危険だ。そう判断した俺はお節介な受付嬢に抵抗するのをやめた。そのまま酒場の外まで連れていかれる形で避難する。
「あなたのような小さな子供がこんなところにきたらいけないわ!」
「いや、だからオ――」
「言い訳無用! 今回だけは見逃してあげるからもう家に帰りなさい!!」
「……」
もうすっかり酔いも醒めて反論する気も起きなかった。
入口の前で睨みを利かせる受付嬢から離れ、一旦エミカの店の辺りまで撤退する。
「クソ、なんなんだあの女! 人を見かけで判断しやがって!」
地団駄を踏んで怒りを発散させると、さらに酔いが抜けていくのを感じた。夢から現実へ。脳裏にはまた例の命令がチラつきはじめる。同時に、あの姉に対する恐怖も鮮明に蘇ってきた。
「やっぱ、やるしかねーか……」
悪寒でブルッと震えながらしばし時間を潰したあと、オレは浴場施設のあるギルドの裏手に回った。
まずは1ヶ所ずつ窓を確認していく。
だが、どれもしっかり施錠されていた。
「さすがにそこまで甘くねーか。しかたねぇ」
まずは侵入しないことには家捜しもできない。足元に転がっていた手頃な石ころを掴むと、オレはガラスを割りにかかった。ぶつけるため鍵の辺りに石を近づける。その瞬間、何者かの強烈な視線を感じた。
「――――……っ!」
誰かに見られている。
咄嗟に石を捨てて周囲を探るも、人の気配は感じられない。ならば視線は建物の内部から発せられたと考えるのが妥当か。
何者かは不明。
だが、大凡の想像はつく。
そして、ほんの一瞬だったがオレにはわかった。
相手は間違いなくあの姉と同類、もしくは、それ以上の――
勝てない相手とは戦うな。
幼少期のかなり早い段階で得た金言の1つだった。
オレはすぐにその場から離れた。
あの禍々しい視線が誰のものであったかは、数日後にはっきりとした。
「こんな時間に何作ってんだ?」
「エミ姉、おなか空かせてると思って」
「おいおい、まさか1人で店までいくつもりか?」
シホルが夜食を届けにいくというので、リリ嬢も連れて3人でエミカの店に向かうことになった。
街灯で照らされた街の真ん中を進んでいると、正面から背の高い女がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
漆黒のスーツに、長い銀髪。事前に知らされていた特徴とその異様な気配から、オレはすぐに相手が何者かを悟った。
ギルドの建物がある通りだったこともあり、初めから心の準備はできていた。動揺を押し殺し、相手の存在を完全に意識の外へと追いやる。我ながらに冷静に対処できた。こちらが一瞬だろうと注視していた事実に、監視対象が気づく手立てはない。
そのはずだった。
「――私に用があるなら直接いらっしゃい。歓迎するわよ」
すれ違う瞬間だった。
女はたしかに、オレに向けて囁いた。
「どうしたの、パメラさん?」
あまりのことに思わず足を止めてしまったらしい。気づくと、少し先で心配そうに首を傾げるシホルの姿があった。
「いや、なんでもない……」
まるで煙のようだった。
背後を振り返ると女の姿は消えていた。
そのままエミカに夜食を届け、家に戻ったあと、オレはあの姉宛てに手紙を書いた。
〝相手はあんたと同じ化け物だ。オレの手に余る。以上――〟
「………………」
正直で正確な報告をまとめたつもりだったが、さすがにこのまま送ったら逆鱗に触れること間違いない。オレは手紙を破り捨てると丁寧な時候のあいさつからしたため直した。











