番外編:モグラの手は温かい
0
私にも落ち度がなかったわけじゃない。
それでも、世の中は理不尽だと思う。
1
憂鬱な朝。
商会の1階受付。
ヒソヒソと、話し声が聞こえてくる。
「……あの子だろ?」
「ああ、無理な商談持ちかけて大損させたらしいぜ」
1階の受付は全部で8ヶ所。今日も早朝から大勢の商人が商会にやってきて列を成している。
けれども、誰1人として私の前に並ぶ者はいない。
それは決して偶然などではなく、意図的に避けられた結果だった。
「俺は他にも色々と黒い噂を聞いたぞ」
「それ本当なのか?」
「真偽はどうあれ商売にケチがついちまう。係わらないのが得策さ」
「………………」
半月前のトラブルがすべての発端だった。
ストームによる急激な作物の高騰で利益を逃したお客さんが、契約の不当性を訴えて商会に怒鳴りこんできたのだ。
もちろん正当な取引であったことを再三に渡って説明したけれど、興奮した相手から理解は得られなかった。そして事態は悪化し、私はこのような憂き目に遭うことになってしまった。
相手が取った報復の手段は、根も葉もない噂話。
下らない嫌がらせだ。
それでも、ここまで悪評が広まってしまえば、公明正大が重んじられる商会の人間としては致命的だった。
現にかれこれ1週間、職場ではこんな異様な状況が続いている。
やっぱり、もうこの仕事を続けるわけには……。
先日、上司に退職の意思を告げると「考え直せ」といわれて励まされた。人の噂は長くは続かない。この状況も一時的なものだと。
それでも、すでに私の心は折れてしまっていた。
たとえ今を乗り切れたとしても、また同じようなトラブルに巻きこまれるのではないか。永遠にこんな苦しい思いをしなければならないのではないか。最近は何もかも、悪いほうばかりに考えてしまう自分がいた。
「あのー」
もう私の中で考えは決まっていた。今日の業務が終わり次第、再度上司に退職の意向を伝えるつもりだ。
この苦しみもそれまであとちょっとの辛――
「野菜の販売について相談にきたんだけど、いいかな?」
「――え?」
派手な紅蓮色の髪。
だぶだぶのオーバーオールに、両手にはモグラのような爪。
驚いて顔を上げると、私の前にはそんな風貌の女の子が立っていた。
2
女の子は、エミカと名乗った。
収穫量を身振りで表したり、種さえあればなんでも育てられると豪語したり、最初はちょっと言動が怪しい女の子だった。
それでも、彼女が見本として持ってきた野菜と小麦はどれも一級品で、とても嘘を吐いているようには思えなかった。
「その……実際に畑を見せてもらうことは可能でしょうか?」
「別にいいよ」
翌日、農場を見学させてもらい、わずかにあった疑念も払拭された。私はさっそくモグラ農場の小麦に関して契約を結んだ。それはここ半月の停滞を差し引いても余りある大きな成果となった。
「よくやったな、ぺティー! まさかここまで大口の契約を取ってくるなんて想定外だ!!」
上司は私の働きを大いに評価してくれたけれど、交渉はこちらが拍子抜けするほどあっさり成立した。
本職が冒険者だからだろうか。教会との配分でも、彼女は自分の利益が高くなることを望んでいないようだったし、一般的な商人や経営者とは少し違う考えを持っているようだった。
一体、何者なのか?
私は彼女に一層の興味を持つようになった。
「んじゃ、値段は例年通りの価格を基準にするね」
「あ、あの……」
「ん? 何ぺティー?」
「あ、いえ、ごめんなさい。やっぱりなんでもありません……」
半月前のトラブルが頭を過ぎり、野菜の販売価格について意見を呑みこんでしまったのは完全に私の落ち度だった。
荷馬車と効率性の高い農機具の手配。そして、より条件の良い販売場所の確保まで。挽回するためにも上司に掛け合い、私は今の自分にできる最大限のことをやろうと心に決めた。
「エミカさんとの契約を、商会での最後の仕事にしたいんです」
「……そうか」
上司は気の済むまでやれと背中を押してくれた。
3
販売初日は大混乱だったけれど、2週間も経つとすっかり落ち着いた。教会の子たちも飲みこみが早く、全体の仕事の流れも確立できている。これなら私がいなくなっても問題はなさそうだった。
念のため代役を頼むと、上司は特別待遇で対応すると確約してくれた。これでもう何も心配はない。その日の販売終了後、私は商会を退職する旨を伝えた。
「――決まってるでしょ! そんな輩は私が取っちめるよ、この爪で!!」
憂き目に遭っていた事情を話すと、彼女はまるで自分の身に降りかかったことのように怒ってくれた。本当に殴りこみに行きそうで心配だったけれど、その瞬間、私は心にあったわだかまりがスッと解けていくのを感じた。
「最後に、握手してくれませんか」
熱く真っ直ぐな気持ちが、私をそうさせたのだと思う。
左手を差し出すと、彼女も左手を差し出す。甲には翼の形をした刻印があり、やわらかい部分に触れると温もりを感じた。
この手は、これからも大勢の迷える人々を救う。
第六感というやつだった。
直感した私は笑顔で彼女と別れた。
4
大変だったのは退職した翌日だった。私の家に商会のトップであるロートシルト代表が訪ねてきた。
「こんな夜中にすみませんね」
「いえ、こちらこそ大したおもてなしもできずに申しわけありません……」
「あなたがぺティーちゃん? へー、これは期待してた以上ね。決めた、採用!」
「……はぁ?」
代表は黒いスーツを着た人物と一緒だった。銀髪で、どこか妖艶な雰囲気を纏った女性だ。
はて、どこかで見た顔だ。私が考えていると、彼女はギルド会長のイドモ・アラクネだと名乗った。見覚えがあって当然だった。代表と並ぶ、この街の超大物である。
続いて驚愕する間もなく、代表から大規模な小麦の生産計画があることを説明され、農家との交渉役になってほしいと頭を下げられた。あまりの突然の申し出に意味がわからなかった。
「そんな大役、私にはとても無理です……」
街の存亡に係わるような案件であり、決して失敗の許されない仕事だ。私以上の適任者は星の数いることだろう。絶対に、断らなければ。
「あ、あの――」
それでも、気になることがあった。
なぜそのような話を私に持ってきたのか?
疑問を口にすると、代表はあっさりと教えてくれた。
「ほっほ、キングモール氏から推薦がありまして」
「……エミカさんが、私を?」
「モグラちゃんがいってたわよ。優秀な人物で今回の件にはピッタリだって」
事実ならば身に余る評価だ。思わず恐縮してしまう。
ただ、その一方で、激励されているようにも感じた。
もしかしたら一歩踏み出せと、彼女は背中を押そうとしてくれているのかもしれない。
そこまで思い至ったところでふと、手のひらに温もりを感じた。
私は自分の左手を広げ、ジッと見つめる。
「………………」
世界は不条理だ。
私はまた失敗するかもしれない。
それを考えると、不安で胸が一杯になる。
足が竦み、思うように前に進めなくなってしまう。
けれど、なぜだろう。
とても不思議だった。
「――精一杯、がんばらせていただきます」
じんわりと温かいその手の感触が、私に立ち向かう勇気をくれた。
5
農家との交渉をまとめたあと、私は計画を一任される立場となった。
正式な肩書きはアラクネ会長の秘書となる。そのため仕事上、最近はギルドにもよく足を運ぶようになった。
「あ、ぺティー!」
アラクネ会長に報告した帰り、偶然にも彼女と会った。
「今度ね、お店を持つことになりそうなんだ」
突然目の前に現れて、私を救ってくれた女の子。
彼女から受けた恩はあまりに大きい。だから、たとえ何年かかったとしても少しずつ返していけたらと思う。
「またいろいろ相談させてもらってもいいかな?」
両爪を合わせてお願いしてくる彼女に笑顔で首肯した。
「はい、私でよければ喜んで!」
了
サクッと書く予定だったんですが、ぺティーの一人称に四苦八苦しました。内容的には『74.もぐらっ娘、新技を試す』と『75.もぐらっ娘、三つの良いニュース』のあいだを補足する話になります。
この調子だと次回もちょい遅れるかもです。











