幕間 ~迷宮観測室~
約五百年前のこと。
人類史上最初のダンジョン攻略者となった初代国王ハインケルは、東西南北に聳える四つのダンジョンの中心地に神が造りし遺跡を発見した。
調査を行ない遺跡の計り知れない価値を理解したハインケル王が、その直上に城塞を築くよう臣下に命じると共に周辺地域の開発も進んだ。何もなかった荒野に続々と集落ができはじめ、点と点が結ばれるようにして大きな街を形成すると、やがてその地は栄華を極めた都市へと発展を遂げていくこととなる。
新生の都ハインケルート――現在の、王国の王都である。
初代国王の名に因んだその地には今も尚、王都を遷す根源にもなった神の遺跡は朽ちることなく在り続けていた。
遺跡は〝観測室〟と呼ばれ、昼夜を問わず王立神創遺物研究所の研究員が常時監視業務に当たっている。数百年間途切れることなく続く、観測業務だ。それはアリスバレー・ダンジョン地下九十九階層で守護者を滅するため、天使サリエルが魔法を放たんとした瞬間も例外なく行なわれていた。
神が造りし遺跡。そこで起こる異変を見逃さないために。
「暇だ」
その日、歴史的な人類五度目のダンジョン攻略の目撃者となる若い研究員は、欠伸を噛み殺していた。監視は基本一人で行なう決まりである。そのため話し相手もなく、彼は昨夜からいつものように長く孤独な時間を過ごしていた。
「はぁ……」
溜息を一つ挟み持ち込んだ椅子に座り直すと、目前に広がる地図をただジッと眺めるだけの業務へと戻る。正直、誰にでもできる容易な仕事だ。だが、男が監視するそれはただの地図ではない。
世界の縮図――初代国王によってそう名付けられたそれは巨大な立体模型地図であり、ハインケルートを中心に、広範囲に亘って世界の在り様を観測できる神創遺物だった。
寸分違わず示される地形。
流れる河川に聳える山脈、森林に草原に荒野に砂漠。
それは更なる領土拡張を狙っていた王国にとって非常に有益な情報を齎すものだった。
しかし、世界の縮図の真に驚嘆すべき点はそのリアルタイムにおける精確性にこそあった。
五百年前、遺跡が発見された当初には王都ハインケルートは当然のことながらまだ存在せず、地図の中心部には平らな大地と、針のように突き出た迷宮の尖塔が東西南北に四ヵ所存在しているだけだった。だが、徐々に築城が進み街が形成されていく日々の中、立体模型地図にも現実の分だけ絶えず等しい変化が起こり続けた。
つまり、世界の縮図はより不変的な地形だけを反映する従来の地図とは異なり、世界の在りのままの姿を映し出す鏡そのものなのだ。
「あー、早く交代の時間になんねーかなぁ……」
現実に合わせ、刻々と変化する巨大な模型地図。初めて目にする者にとって、興味が尽きることはないだろう。
しかし、一夜で城塞や都市が築かれるわけでもない。目視できる変化はわかるかわからないか程度の微々たるものであり、見飽きてしまえばただの巨大な模型に過ぎないというのもまた一つの事実であった。
「てか、この仕事、本当に意味あんのかねぇ……」
唯一、今後〝観測室〟で急激な変化が起こるとすれば、それは世界各地に点在するダンジョンのどれかが攻略されたときに他ならない。
そう。
この部屋は、迷宮を観測する部屋。常時研究員を常駐させている理由は一つである。ダンジョン攻略者の出現を逸早く察知するため。
だが、しかし――
「だってよー、前回の四人目の攻略者が出たのって、もう二十年も前の話なんだろ?」
五百年間でたったの四回。
その年月と回数が、若い研究員に疑念を抱かせる。自分が生きているあいだに五人目は現れないのではないか、と。
「たく、次は何十年後になるんだよ……。はぁ~」
しかし、また男が溜息を吐いた次の瞬間、異変はなんの前触れもなく唐突に訪れた。
「へ? うわ、眩しっ――!?」
目が眩むほどの光だった。
直後、若い研究員は世界の縮図が燦然と輝いている光景を目の当たりにし、理解する。
「おいおい嘘だろ!! こ、これってまさか……あっ!」
すぐに驚いている場合ではないことに気付き、男は慌てて報告に向かった。研究所は〝観測室〟の出口を進んだ先、隣接した場所に存在する。まだ朝の早い時間ということもあり不安だったが、所長室の明かりを見て男は安堵した。
「た、大変ですっ!!」
現場の最高責任者である所長と数人の研究員を連れて再び〝観測室〟に戻ると、発せられていた光は先ほどよりも弱まっていた。
「見ろ、あそこ! 王都から南西のダンジョンだ!!」
若い研究員の同僚が指差した先では、針のように突き出たダンジョンの先端から光が真っ直ぐ上に向かって伸びていた。
「ローディス方面ということは……アリスバレーか!?」
「はい! 攻略されたのはアリスバレー・ダンジョンのようです!!」
「皆、今はそれよりも天井を見よ! 二十年振りの〝神の恩恵〟じゃ!!」
老いた所長が歓喜をはらんだ声を荒らげる。遺跡の天井部では光で描かれた文字や図形が次々に浮かんでは消え、明滅を繰り返していた。
「失われた古代の技術じゃ! 研究員総出で書き写すんじゃー!!」
「しょ、所長……あれもですか?」
若い研究員が最初に目にした天井の中心部には、人物と思しき人の名前と謎の十三桁の数字が踊っていた。
何かの意図があるのだろう。白い光で埋め尽くされた天井部で唯一、なぜかそこだけは赤い光の文字で特に目立つように記されていた。
「おおっ、あれこそまさしく人類五度目となるダンジョン攻略を果たした御方の名前である! 数字は冒険者の証であるギルドカードの番号じゃ、決して間違いのないよう記録するんじゃぞ!!」
「は、はいっ!!」
所長に命じられた若い研究員は、まず真っ先に『エミカ・キングモール』というその名を自らの手帳に書き写した。











