217.薄情者の刻印
「やっぱり漁場ならここが最適でしょうね」
「ばーとぽぺ、しゅぽぽ……」
「バートペシュポートよ。ちょっと校長先生? 文字くらい読めないと学校の子供たちにバカにされるわよ」
「わ、わかってるよ! てか、こっちからだと反対で読み難かっただけだし……」
冒険者ギルドの受付。
机の上には王国全土を網羅した巨大な地図の東側部分だけが広げられた状態で置かれてる。
「むかし王都だった場所。つまりは旧都ね」
ユイはアリスバレーと小さく書かれた場所から北東の位置――ツノのように出っ張った先にある海に面した街を指差しながら続ける。
「距離的にもここから一番近い海である北方海峡。旧都バートペシュポートは、その湾の入り口にあって港を含め漁場関係の施設も充実しているはずよ。別名、水の都なんて呼ばれているくらいだし。まー、普通に考えて魚を本格的に流通させたいならここに出向いて商談すべきでしょうね」
「ほーほー」
最近、その準備でかかりきりになってた学校の創設も一段落。地下道の正式な開通でさらに交流が活発化してるホマイゴスとの契約や取り引きも、ペティーやお偉いさんたちにすべてお任せの状態でつつがなく進んでる。
ってことで、なんやかんやで少し時間にも余裕が出てきた。
でも、またしばらくしたらどうせまたなんやかんやで忙しくなるだろうし、この凪を呑気に過ごすのもすごくもったいない。そんな仕事一途の精神から、私はレコ湖に遊びに行ってからずっと保留にしてた漁場の件の方針を固めることに決めた。
やっぱ海だよ、海っ!
結局そんな豪快な結論に至るのに一晩とかからなかった。
思い立った翌日、困ったときの幼なじみの法則に基づいて私の足は自然と冒険者ギルドに向いていた。
「ちなみに少し離れた場所に都の名前を冠したダンジョンもあるわよ。ただし地下一階層から延々と海だけが広がる構造で攻略不可能認定がされているわ。そのせいでバートペシュポートには冒険者ギルドもないみたい」
「はへー。海だけのダンジョンか。ま、今回そっちはどうでもいいかな」
「冒険者にあるまじき発言ね。商売もいいけれど本職も忘れないように。一応あなたはここの副会長で責任ある立場なんだから」
「あいあいー」
ユイに窘められちゃったけど、今回の狙いはただ一つ。
新鮮も新鮮ピッチピチのお魚だ。
それでも、現地でただ欲望の赴くまま好きなだけ乱獲するわけにもいかない。スマート且つ合法的に目的を達成するためには、まず考えなくちゃいけないのは移動手段。続いて向こうでのコネをどうするかってところ。
とりあえず前者については心配も問題もない。普通に旧都まで地面を掘っていってもいいけど、魔力列車網構築の件でアンナさんから国中を穴だらけにするのは控えてほしいとお願いされてる手前、無断で掘るのはちょっと気が引ける。
なので、今回はもっと手っ取り早い方法を使うとしよう。完全に禁じ手だけど、誰に禁じられてるわけでもないし。
というわけで残された問題は後者の伝手をどうするかだ。
「旧都の領主様って偉い人なの?」
「当たり前でしょう、公爵なんだから。それに女王様というか王室とも血の繋がりが深い人よ。ギルドの書庫に王家の家系について詳しく書かれた本があるから調べたいなら取ってきてあげるけど」
「んー。いや、いいや。たぶん見てもよくわかんないと思うし」
なぜか知らないけど偉い人ってすごく名前が長いし、正直そんなありがたい羅列を目で追っていったらごちゃごちゃになって最後には誰が誰だかわかんなくなっちゃいそうだ。てか、ミリーナ様のご親戚ってだけでもう十分にその偉大さは伝わる。
相手は大貴族。
貴族の中の貴族だ。
商談のため私みたいな子供が手ぶらで出向いても、ただ追い返されるだけに違いない。事実、王都の庁舎ですら門前払いだったわけだし。
「とあればしかたない。背に腹は代えられないし、ここは邪道一択か。気は進まないけど……」
「会長だったら奥にいるわよ。昼から遠出するみたいだから声をかけるなら早めにね」
こっちの考えを先読みしたのか、それとも単純に私の顔に書いてあったのか。ユイは広げてた地図をしまうと、私を受付の中に通してくれた。
そのまま察しのいい幼なじみの助言に従い素直に会長室へと向かう。
大抵いつもは出歩いてるというかほぼ仕事をサボってるアラクネ会長だけど、今朝はどこか物憂げな様子で執務机の椅子に腰かけてた。
「旧都の領主? それなら去年の暮れ王都で招集を受けたとき顔を合わせたわね。あいつなんていったかしら? たしか外見に似合わず、かなり平凡な名前なのよね」
おお、知り合いならなお良しだ。
どうせ足元を見られるときは靴の裏まで見てくる相手。駆け引きしても意味がないので橋渡しに一役買ってくれませんかと端的にお願いしてみた。
「一生のお願いです! どうか一筆したためてください!」
「ふーん。ま、手紙を書くくらい別にいいわよ。でも、モグラちゃん。本気であの女に会いに行くつもりなの?」
「はい、まぁそうしないと魚も――え、女っ?」
公爵というからには老けこんだお爺ちゃんだと勝手に思いこんでたのはこっちだけど、予想外の言葉に思わず遅れて驚きの声が漏れた。
「あら、相手の性別すら知らずに会いに行くつもりだったの? ダメね、モグラちゃん。交渉事はまず相手を知ってからはじめないとでしょ?」
「お、仰るとおりで……」
ああ、これはたしかにダメだ。すでに準備段階で考え足らずも考え足らず。
移動手段と伝手さえあれば、あとは大体なんとかなると思ってたけど世の中そう甘くない。ここは一度気を引き締めるためにも、私は有益な情報を求めてアラクネ会長に質問した。
「あの、会長。お訊きしたいんですけど、その旧都の領主様ってどんな人なんですか?」
「どんな人ねぇ……んー、ま、なんというか如何にも貴族の代表ですって面構えで、細かい仕草一つとっても一切の落ち度なく完璧。誰がどう見ても神々しい聖女そのものって感じの女よ。だけど……」
「だけど?」
「そう。だけど、とても気に入らない女」
「は、はぁ……?」
言い淀んでたわりに急にきっぱり嫌いだと宣言する会長。私の口からは思わず腑抜けた返事が漏れる。
「あ、そうだわ」
そんな感じでこっちが戸惑ってるのを気に留める様子もなくだった。会長は良案を思いつきましたとばかりにそこでパチンと両手を合わせた。
「この際だし、モグラちゃんにバリバリとその化けの皮を剥いでもらいましょうか」
「え、化け……? あの、それってど――」
私が真意を問う前にだった。会長は執務机の引き戸から便箋とともに手のひらほどの木箱を取り出すと、乱雑に木箱のほうを投げて寄こした。そして、そのまま便箋に羽ペンの先を走らせながら言う。
「手紙も書いてあげるけど、念のためそれもつけていきなさい」
しかたなく指示されるまま木箱を空けると、中には金色の輪っかが入ってた。取り出して近くでまじまじ観察する。リングの表面には魔術印らしき複雑な模様が彫られてた。アラクネ会長曰く、それは身分を証明する魔道具らしい。
なんでもこれをつけていればアリスバレーの最高権力者であることをすんなり証明できるんだとか。
ん? 最高権力者?
「ありがた迷惑な頂き物よ、女王からのね。どうも君主様は飼い猫に首輪をつけないと気が済まないタイプらしいわ」
「そんな大事な代物……あの、ほんとに私がつけちゃっていいんですか?」
「いいのよ。どうしたものかと思ってたけど、この際だし、よく遠出するモグラちゃんにあげるわ。ああ、ちなみにそれは首輪じゃなくて腕輪だから」
アラクネ会長のいつもの王族批判は流しつつ、少し逡巡したあとで私は金色の輪っかを左手の指先から通した。初めからわかってたことだけど、それは腕輪にしては直径が大きすぎてブカブカ。サイズが合わない。
それでも、これじゃ落ちちゃうよ、と不安に思った瞬間――
――キュルルル、ギチッ!
それはたちまち縮まって私の手首を軽く締める感じで巻きついた。
金ピカの腕輪がはまった左爪。そのまま手のひらを握ったり開いたりしつつ具合を確かめる。
「……あれ?」
と、そこで不意に妙な違和感。
なんだろ? 何かがおかしい気がする。
「どうしたの、モグラちゃん?」
右手の爪も一緒にひらひらと表裏に返したりして観察してるとだった。アラクネ会長が便箋から顔を上げて首を傾げた。完全に挙動不審に思われたっぽい。
「何か気になる?」
「あ、いえ、大したことじゃないです。たぶん……」
喉の奥に魚の小骨が引っかかった感じ。だけど、その場でどれだけ考えても正解は出そうになかった。
「はい。これお望みの手紙。失くさないようにね」
「ははー、ありがたくちょうだいいたします」
え、もう書けたの? なんて内心で驚きつつも平身低頭。私は下僕になりきって封蝋されたペラペラの手紙を両手で受け取る。
てか、ほんとに薄いよ、この手紙……。
さっきの会長の化けの皮どうこうの言動も気になるし、なんだかちょっぴり嫌な予感。それでも、内容が薄いんで書き直してくださいなんて口が裂けても言えるわけがないので、ここは強い意思だけをもって根拠なく自分に大丈夫だと言い聞かせることにしとく。
「モグラちゃん、誠意とお礼はお土産で示してくれればそれで満足よ」
「あー、ははっ。ぜ、善処します……」
やっぱ高くついちゃったかもなぁと思いつつ、さもあれ出発の物質的な準備はこれにて完了。そのあと私はモグラ屋さんに移って一日の仕事をやり終えた。
「おーい、サリエルー?」
帰宅すると、ちょうど大広間では晩ごはんの配膳がはじまってた。私は帰ってすぐ旧都への移動の件で居候の天使を捜したけど、彼女の棲み処であるゲストルームにもその姿はなかった。
ま、もうすぐ晩ごはんだし、待ってたら向こうから勝手に姿を現すよね。
なんて思うも、家族全員が着席しても一向にのほほん天使は姿を見せず。
さすがに心配になった私は、いただきますのあと近くの面々に訊いた。
「ねえねえ、みんな。サリエルどこ行ったか知らない?」
「「「………………」」」
ピタっときれいに全員の動きが止まったかと思えばだった。その直後、カドっこの席に集まる面々は一斉に白い目で私を見た。
「ウソ? まさか……エミ姉、気づいてなかったの?」
「え、何を?」
「いやいや、ご主人様。サリエル様ならこないだからずっといないじゃないっすか」
「へっ?」
イオリさんの言葉に思わず私もスプーンを持ってた手を止める。
「ずっといないって……え? それって、いつぐらいからの話?」
「えっと、たしかご主人様たちがホマイゴスのお客様たちと湖に遊びに行った日からだったと思うっすけど」
「………………」
え、それってもう二週間以上も前の話なのでは? いや、でも言われてみたら最近、家の中がやたらと静かだった気も……。
「だとしたらサリエルさんは……」
「本当に行方不明だってことになるっすね……」
「………………」
「エミ姉が何も言わないから、てっきり事情を知っててあえて黙っているんだとばかり……」
「喧嘩ならまだしも、何か言えないような深い事情があって黙ってるんだと思って、自分たちは何も訊かないようにしてたっすからね。てか、ご主人様、マジで天然で気づいてなかっただけっすか……」
「………………」
じーっと冷淡な眼差しに苛まれて、いても立ってもいられなくなった結果だった。よせばいいのに私の口からはつらつらと言いわけが飛び出していく。
「あ、いや……で、でもさ! ウチってすごい広いし家族も多いじゃん? それに毎日サリエルと顔を合わせてるってわけでもなかったし。それにほら、なんていうの? 親しい仲だからこそ気にしないっていうか、便りのないのは無事な証拠っていうかさ。そ、その……つまりだよ! 私が何を言いたいかって言うと――」
「薄情者」
「え?」
「この薄情者」
「………………」
短くも強烈な指弾。
それまでただ無言で私を白眼視してた右隣のパメラは二度言い放つと、どうやら諦めの境地に達したみたいだった。
年齢的には一番上の我が家の四女様は力なくかぶりを振ると、それ以降はもうこっちに目を向けることもしてくれなくなった。
「………………」
はい、薄情者です。
今までまったく気づかずまことに申しわけありませんでした。
「おねーちゃんおねーちゃん! さーちゃん、いつかえってくるのー?」
自分の両膝に両手を置いて静かに項垂れてると、左隣のリリがぐいぐいと私の腕を引っ張った。
ぐらぐらと揺れる視界と心。
そこでふと、私は今さらながら会長室で覚えた違和感の正体に気づいた。
「あっ――」
しばらくサリエルが家に帰ってきていないという事実。それを認識したことで直感はようやく正常に働いたらしい。
私の左爪の、猫の肉球みたくブヨブヨとした甲の部分。違和感の原因は、そこにある天使の翼を模した刻印だった。
よくよく記憶を呼び起こす必要もなく本来、それはより鮮やかにくっきりと刻まれていたはずだ。
なのに今、天使との契約を示すその印はところどころ線が欠けていて、まるで煤で汚れたように全体が薄れかかってた。











