番外編:霊廟の森、妹の記憶。
冬の終わり近づく王国領内。
針葉樹が連なる森の中、終焉の解放者首領であるパープル・ウィスパードは歩き続けていた。
時折り立ち止まっては深く息を吸って、新鮮な空気を肺の奥まで取り込む。森に入ってから馬鹿の一つ覚えのようにそればかり。だが、そもそもそれが目的なのだから自分は正しいとパープルは考える。
ただ唯一、問題があるとすれば自分がどちらからやって来たのか、それがわからなくなったことだろう。
案内役の双子の姿はすでに無く、周囲にあるのは物言わぬ木々のみだった。
「……ふむ」
さて、どうしたものか。
そう一瞬悩むも、よくよく考えればそれほど急いでもいないことに気づく。そもそもここに来たのは森林浴が目的である。
ジーアから目立つ行動は控えるよう、しばらくシュテンデルート城から出ることを固く禁じられていた分、ここでの気分転換は真なるエルフの血を受け継ぐパープルにとって非常に重要なことだった。
体質上の問題として長期間、自然に触れないでいると体調を壊すのだ。それもあの城のように暗く陰気な場所に軟禁されていたとなれば尚更のことである。
『なんだよ、そのキャラ属性。本物の森ガールか。そんな闇と不吉が折り重なって生まれて来ましたっつうようななりしてよ』
終焉の解放者を結成してまだ間もない頃のことだった。仲間のユウジがその体質のことを初めて知ったとき、そう言って爆笑していたのをパープルは珍しくもよく覚えている。
特段その言動に腹を立てたから、というわけではない。森林浴が自分にそぐわない行為であることを指摘され、パープルは戸惑いを覚えた自分にさらに戸惑いを覚えたのだ。
誰が自分をどう思おうがどうでもいい。
思い返せばパープルが長い月日、抱え続けていた固定観念に最初に罅が生じたのは、ユウジが似合わないと小馬鹿にしたあの瞬間だったのかもしれない。
それからというもの、パープルは森を散策するという姿をなるべく仲間のメンバーには見せないように心がけていた。案内役である双子と離れてしまったのもそういった心情が無意識的に働いた結果であるといえるだろう。
即ち、この状況はすべて――
「ユウジの責任だな。まったく、あいつは足手纏いのくせに私に迷惑ばかりかける」
自分が森を彷徨う羽目になった責任の所在を明確にしたところで、パープルは本格的に双子と合流する方法を考えることにした。
「そうか。この指があったな」
すぐに思い当たったのは、仲間のアレクベルの能力〝どこでも脳内通話〟で間接的に連絡を取る方法だった。現状、考える上では最善の選択だろう。さっそく指をこめかみに当てて念話をしようと試みる。
しかし、その瞬間だった。
「きゃっきゃ!」
「ま、まって!」
「ちーちゃん、おいつかれるよ! はやくはやくー!」
「リリちゃん、やっぱダメだよ! 戻らないとおこられちゃうっ!」
森の奥。最初に見えたのは煌びやかな金髪と赤いリボンだった。
楽しそうにはしゃぐ幼女が木々のあいだを縫うようにしてこちらに向かって走って来ていた。その後方からはもう一人、前髪を切り揃えた亜麻色髪の幼女の姿も。
(この近くに住む子供か)
レコ湖周辺に集落すらないことを知らないパープルはそう結論付けると、ほとんど気にも止めず再び念話に集中しようとする。だが直後、さらにその後方から近づいてくる多数の異様な気配を感じて、すぐにこめかみから指を離した。
「あっ!」
「………………」
パープルの存在に気づいた金髪の幼女が驚いた様子で足を止めて立ち止まる。不意に目が合ったこともあり、しばし二人のあいだには沈黙が流れた。
(子供は苦手だ)
接し方を知らないパープルは、何度か躊躇して言葉を呑んだあとでようやく訊いた。
「あれに追われているのか?」
「おねーさん、だぁれ?」
「質問に答えろ」
「……うん。にげたらおっかけてくるから、おいかけっこしてる」
「リ、リリちゃんっ!」
金髪の幼女から視線を外し、その背後に目をやると、もう一人の亜麻色髪の幼女も息を切らしながら追いついてきた。
「ぜえはぁ、ぜえはぁ……あっ、え?」
歩み寄ってくるパープルの存在にそこで気づき、亜麻色髪の幼女もポカンと口を開けて驚く。
「下がっていろ」
「「……?」」
沈黙の中、疑問符を浮かべる幼女二人のあいだを通り抜けるとだった。パープルの前方にあった多数の小さな影は散開し、森の死角に入った上でその姿を完全に消し去った。
それでも、気配だけは確実にその速度を上げて着実に近づいてくる。
そして、パープルが囲まれたと悟った瞬間だった。
最初の一体が樹上の陰から勢いよく飛び降りてきた。
(こいつは囮か――)
短い腕を目一杯に振り上げ、パープルを押さえ込もうとする奇怪な形をしたゴーレム。
隙だらけの上に身動きの取れない空中である。
反撃は容易だった。
しかし、それ自体が罠。
ゴーレムの腕から逃れるようにパープルは華麗にバックステップを踏むと、両脇の木々から同時に飛び出して来た新たな二体のゴーレムも交わしつつ、三体を眼前に置いて迎え撃った。
――ズズッ。
〝絶望を穿つ紫〟を発動させ、そこから魔槍を取り出し、横一閃。三体を薙ぎ倒すように捻じ伏せ弾き飛ばすと、そのまま新たに背後から飛び出してきた新手にも魔槍を振るった。
(頑丈だな。しかし、それよりも――)
確実に手応えはあったものの、破壊できてはいない。だが、元が土塊だけあって人よりも丈夫なのは道理。それよりも驚嘆すべきは頭が切れることだった。
その後も、最初の一体の襲撃から攻撃は途絶えることなく続いた。ゴーレムとは思えないほどに緻密に計算された連係と次々に繰り出される手数はパープルに決定的な反撃の隙を与えない。攻撃をするのではなく、させられている。
ゴーレム側の目的は明白だった。それは幼女たちからパープルを引き離すこと。連中の行動はすべてその達成を基軸に計算されている。
ならば、その裏をかいてやればいい。
あえてパープルは自ら幼女の傍から距離を取ると、不意に止んだ連撃の空白を利用して槍から弓に武器を替えた。
そのまま足元に出現させた穴に向かって早業ながら出鱈目に連続で矢を放つ。直後、それを別の穴から放出させると正確無比に軌道を修正した上、ゴーレムたちを次々に射止めていった。
矢の破壊力は槍には劣るものの、通常ではありえない攻撃を受けたゴーレムたちの行動は変化し、それ以降の積極性は鳴りを潜めた。
(やはり、戦局を見て戦術を替えられるだけの長けた知能がある)
未知の攻撃を受けたことで、パープルの動きを見て慎重に行動するようになったゴーレムたちは打って変わって完全な守勢に転じた。
攻守が逆転すると、操る術者が近くに隠れていないかパープルは探りもしたが、そのような気配は微塵も感じられなかった。果たして、ここまでの統率を術者の指揮も無しに魔術で作られただけの土塊が示せるものなのか。
エルフとして風の大魔術も行使できるパープルにすら、それは魔術の領域を逸脱しているように思えてならなかった。
人間でも魔物でもない、特殊で不可思議な相手との闘い。
だが、それも終わりが近づきつつあった。
――ドガッ!
再び持ち替えた魔槍であらかたゴーレムを薙ぎ飛ばすと、最後にパープルの目の前に立ちはだかったのは赤いゴーレムだった。
「なるほど。お前が指揮者代理か」
パープルが呟くも口のない相手からは当然のこと返答はない。しかし、その個体が他の個体とも比べてさらに異質なのは発せられる威圧感でわかった。
相対すると、音もなく突進してくる相手。
速度も俊敏性も見るかぎり白いゴーレムと大差はない。
だが、だからこそ違和感があった。
その寸胴に魔槍を打ち込む間際のこと。パープルは刹那のあとに訪れる未来を予知し、ほとんど無意識の内に得物を引いた。
(こいつには攻撃が――効かない……?)
戸惑いの中、赤いゴーレムが繰り出す突きがパープルの胸元を捉えようと迫る。咄嗟に防御のために〝絶望を穿つ紫〟を発現させるも、次の瞬間、赤い爪は何事もなかったように穴を切り裂くように霧散させた。
繰り出された勢いそのままに迫り来る五本の爪。
咄嗟に魔槍を引き戻し体勢を崩したパープルに逃れる術はもう残されていなかった。
(これは驚いた。だが、面白い――!)
戦闘において劣勢に立たされることなど生涯においても数えるほどの経験。危機に直面する中パープルは焦燥を抱くことすらなく、純粋に目の前の窮地に胸を躍らせていた。
さて、この一撃をもらったあと、どう反撃しようか。
おそらく、こいつには〝絶望を穿つ紫〟での直接攻撃も無意味。傷一つ付けることはできないだろう。
全神経を集約し、一瞬をさらに細かく区切った一瞬の中、パープルは答えを導き出すべく思考を加速させた。
問題ない。
これまで如何なる絶望も潰してきた。
たとえ万能の天賦技能が封じられようとも、それは不変だ。
最後に生と死を穿つのは、呪われた運命に身を置く自分以外にないのだから。
絶対的な自信を超越した確信の中、パープルの脳内では小さな火花の如き閃きが朧げながら策として形になろうとしていた。あと刹那の間さえあれば、それはこの場を切り抜ける逆転の一手として明確に、また確実に浮かび上がっていたことだろう。
それでも、閃きよりも早く。
そして、爪よりも速くだった。
絶叫に等しい金切り声がパープルと赤いゴーレム、その両者のあいだで爆発するように轟いた。
「――だあ”め”え”え”ええぇっーーー!!」
パープルが気づいたときにはすでに、眼下には金髪の頭とリボンがあった。そして、赤いゴーレムが繰り出した爪は、その幼女が目一杯に伸ばした両手でピタリと押さえられ、完全に動きを止めていた。
「こらぁー! しらないひとに、ひどいことしちゃだめぇー!!」
「………………」
百戦錬磨のパープルとはいえ、この状況を理解するのに時間が必要だった。
だが、努めて冷静に考え、それしか答えがないことに気づく。
守られたのだ。
この自分が。
それも、このような小さな子供に。
「リリちゃん、ケガしてない!?」
「へいきー!」
再び時間が元の尺度で動き出すと、亜麻色髪の幼女も心配して駆け寄ってきた。
周囲を見ると、どのゴーレムたちも金髪の幼女に注意されたことで肩身を窄ませ、首を垂れるように反省の意を示していた。
まるで主人と従者である。そこに至ってようやく、パープルは自分が酷い思い違いをしていたことに気づいた。
「このゴーレムたちは私の殺気に反応していただけか」
「きれいなおねーさん、ちっちゃいおねーちゃんたちがあばれてごめんなさい」
「……いや。こちらが勝手に勘違いしただけだ」
やけに引っかかるワードはあったが、状況的に訊くことは憚られた。
「迷惑がてらになるが、一つ質問がある」
その代わりというわけではないが、森を抜けるにはどちらの方角に進めばよいかと訊くと、幼女たちはならば近くの湖まで案内すると申し出てきた。どうやら二人の話ではそこに彼女たちの保護者もいるらしい。
「おにくもあるよ!」
「ふむ……」
目立つ行動は控える必要がある。
しかし、パープルがどうすべきか逡巡しているとだった。そこで頭の中で唐突にアレクベルの声が響いた。
『――パープルさん、聞こえてます? ロコちゃんたちがさっきから捜してるみたいなんですけど、今どこにいますか』
†
「きれいなおねーさん、ばいばいー」
「またねー」
ゴーレムたちをゾロゾロ引き連れ離れていく幼女二人を無言で見送ったあと、パープルはしばし夢見心地だった。
「………………」
酷く意識がぼやけているのを感じる。まるで今ここに存在することが現実ではないような気分だ。
その原因はいうまでもなく、あの金髪の幼女である。
最早、間合い、などというレベルの話ではなかった。完全に懐に入られるまで察知することすらできなかった。
一体、何者だったのか。
あれほどのゴーレムを同時に多数使役し、超人以上の俊敏性と腕力を具えた子供。冷静に考えれば考えるほど謎でしかない。もし先ほどの出来事を夢だと誰かに言われたのなら、パープルは思わず無条件で受け入れてしまいそうだった。
「――あっ、いたー!!」
針葉樹の幹に寄りかかったまま考え込んでいるとだった。やがて幼女たちが去って行った反対の方角から、黒い軍服と軍帽を纏った双子が姿を現した。仲間のロコとモコである。
アレクベル経由で傾きかけた太陽の位置やら歩いた距離などの正確な情報を得たあとで、彼女らは居なくなったパープルを懸命に捜索していた。
「捜した」
「もうっ、少し目を離した隙に迷子になるとか! パープル、あなた幾つなわけ!?」
細身で低身長の双子は短い歩幅でトコトコとパープルの下までやってくると、勝手に離れて森を彷徨ったパープルを非難した。
「……目的は果たした。転送の準備を頼む」
「んっ」
「せめて一言くらい謝りなさいよ!」
まったく悪びれないその様子に、片割れのロコはさらに激怒して地団駄を踏む。だが、先ほどからどこか心ここにあらずのパープルをすぐに怪訝に思い、弟のモコが魔法陣を用意しているあいだに訊いた。
「どうしたのよ? 何か様子が変よ」
「………………」
先ほどの金髪の幼女について話すべきか少し思い悩んだあとで、結局、面倒になって言葉を呑んだ。
その代わりに十年前に死んだ妹のことを不意に連想し、パープルはほとんど独り言のように吐き出した。
「妹も、あのくらいの歳だった」
「はい?」
「どうして今の今まで忘れられていたのか。いつも思い出す度に思うことだ。たとえ塞がらない傷も、血を出し切れば取るに足らない古傷として風化していく」
「………………」
脈絡のない返答にただ首を傾げるロコを気にも留めず、パープルはさらに想起を続けた。
そう。
そうだった。
妹が死んだ場所もちょうど、こんな霊廟のように冷ややかで静かな森の中だった。
「もうっ、意味わかんない! ウチのメンバーってなんで普通にコミュニケーション取れない奴ばっかなの!? てか、もうすぐ新しい計画もはじまるってのに……こんなんで本当に大丈夫なの!? 終焉の解放者っ!!」
ついにはロコの怒りが爆発するも、やはり気にも留めずパープルは自らの記憶と思考に最後まで没頭した。
この針葉樹の森とあの金髪の幼女が引き金となり、死んだ妹の記憶を呼び起こした。ただ、それほどあの金髪の幼女が妹に似ていたかと問われれば、決してそうではない。
いや、そう否定するのも間違いである。正確なところは、「わからない」というのが正しいのだから。
記憶の中の妹の相貌は、すべて影で覆われ真っ黒に塗り潰されていた。
(わからない。妹は、どんな顔をしていただろう――)
よく笑う子だったのか。
よく泣く子だったのか。
最早それすらも、パープルには思い出せなかった。
「準備できたよ」
「ほら、ボケっとしてないでさっさと帰るわよ!」
「………………」
最後にパープルは金髪の幼女が去って行った方角を静かに見やり、そこに妹の面影を求めた。
だが、当然ながら望みは叶わず。
妹の記憶を再び封印し片隅に追いやると、パープルは自らが支配する救国へと帰って行った。











