145.約束
一面の銀世界。
氷壁ダンジョン地下1階層――
「――うわっ!」
雪の大地に足を突っこんで着地すると、私はその勢いのまま前のめりになって倒れこんだ。
直後、視界は暗転。
雪の冷たい感触が顔中に広がる。
「ぷっは!」
ガバッと上体を起こして無事戻ってこれたことを再確認。今度は転送位置にミスもなかった。
「ん? あれ、でもパメラは?」
転送してきてすぐその姿を探すも、周囲には雪景色しかなかった。
え? まさか、置いてきちゃったとかないよね……?
「あっ、いた!」
「……」
嫌すぎる憶測が脳裏にチラついた次の瞬間だった。今自分が無残に下敷きにしてしまってる存在に気づく。
どうやら転送直後、パメラを巻きこんで雪の地面に突っこんだっぽい。私は急いで埋もれてるパメラを助け起こした。
「あわわ! 潰してごめんっ、大丈夫!?」
「けほっ、けほっ!」
幸い、パメラにケガはなかった。少しだけ雪が口に入っちゃったみたいだけど、大事には至らず。すぐに呼吸も落ち着いた。
「……ここはどこだ?」
「ダンジョンの地下1階層だよ。最終階層から一気に転送してきたの」
「て、転送だと……?」
「うん。あ、そんな無理して立たないでいいから。もう少し休んでなよ」
「……」
「いやー、ほんと心配したよー」
背中をさすってあげながら会長から情報をもらってやってきた旨を説明すると、なぜか怯えた眼差しのパメラは恐る恐るといった感じで奇妙な質問を私にぶつけてきた。
「……お、お前……本当に、エミカか……?」
「え、何いってんの? もしかして私の顔忘れちゃった? ……ん? あ、そっか。今はこれをかぶってたんだったね。よいしょっと――」
かけ声とともにモグラきぐるみーの頭部をズボッと取り外したあと、魔眼のスコープも額の位置まで上げる。ボディー部分はでっぷりしたままだけど、顔を見てもらえれば私が本物だと信じてもらえるはずだった。
「ほらほら、見まごうことなく私でしょ?」
「おえっ」
不意に漏れる嗚咽。
私と目を合わせると同時だった。
次の瞬間、パメラは嘔吐した。
「ちょ、パメラ!?」
「う、うえ”ぇっ……」
その場で吐き出された物のほとんどは胃液だった。暴飲暴食ってわけでもないし、やっぱさっきの連中に何かされた可能性が高そうだ。今さらになってまた怒りがフツフツと湧き上がってくるのを感じる。
てか、あの連中、なんだったんだろ……?
あのクマの子がいたってことは、王子様を誘拐しようとした連中がパメラもさらおうとしてたってことで間違いないよね。つまり悪いことをするために、力を持った仲間を集めてる悪い人たちってことか。
ま、でも、王子様はみんなで守ったし、パメラだってこうして救出できた。
うん。相手が誰だろうともう問題なし。パメラの具合だってきっと一時的なもの。少し休めばすぐによくなる。
「吐き気が治まったら家に帰ろ。シホルたちも誕生日パーティーの準備を進めてると思うし、手伝わないとね」
「……オレは……も、戻らない……」
「はひ?」
一瞬何かの聞き間違いかと思った。私の口から気の抜けた声が漏れる。
「え、戻らないって――?」
どういう意味?
体調がまだよくなりそうにないってことかな?
少し考えるも明確な答えは出なかった。だけど、やがてまた同じ意味の言葉が繰り返されて、私は嫌でもパメラの真意を知ることになる。
「お前の家にはもう居れない……。だから、オレはお前と帰らない……」
「は? え、なんでなんで? いや、全然意味わかんない。一緒に帰ろうよ」
「……無理なんだ! お前もさっき、あいつを見ただろ……! あいつは絶対にオレを諦めない!! クソッ、どっかで野垂れ死んでるとばかり……なのに、なのにまだ生きてやがった! しかもあいつは、オレたちの母親が同じだってほざきやがった! だからあいつにも天賦技能が宿ったってのか!? よりにもよって刳り貫かれたあの両目に――!!」
「ちょっ、パメラ落ち着いて!」
同じ母親?
両目を刳り貫いた……?
どうしよう。話がまったく見えてこない。
でも、たぶん〝あいつ〟ってのは、あの大鎌を持ってた人のことっぽいね。パメラと同じ髪だったし、さっきもちょっと気にはなってた。
「えっと、私に攻撃をしかけてきた女の人がそのダリアって人でいいのかな? それで、あの人は何者だったわけ?」
「……あれは、オレの姉――いや、姉だった奴だ……」
「へっ?」
お姉さんだったの!? ってことは、コロナさんやティシャさんとも姉妹ってことか。
でも、なんで過去形?
「現ファンダイン家当主の四女にして、裏切り者……。6年前、あいつは身内を手にかけ放逐された。真っ当な生活が二度と送れないように、ティシャーナに両目を刳り貫かれた上でな……」
「……」
「でも、生きてやがった。しかも天賦技能持ちに目覚めて……。あいつが得た力は最悪だ。あれは、あいつの本質そのものだ……。オレは、絶対そんなことしたくなかったのに……この手で……お、お前を……うぇっ――」
「パメラ!? わかった、もういいから!」
また苦しそうに嗚咽を漏らすパメラ。もうこれ以上の説明を求めるのは酷でしかない。なので現状の情報だけで推察してみる。
たぶん、あのダリアっていうお姉さんがパメラを引き入れようと画策した人物で、元凶なんだと思う。その上、性格は陰湿で攻撃的(?)。このうろたえようを見る限り、もしかしたらパメラは幼い頃彼女にイジめられたりしてたのかも。
さらにそんでもって今回失敗したからといって、そう簡単に手を引くようなお姉さんではないと……。
なるほど。
パメラが危惧してることはわかった。
「なんだ、よかった。一緒に帰れない理由はそんなことか」
「そ、そんなことだと……?」
「うん。私はてっきりパメラが心変わりしちゃって、もしかしたらもうウチで一緒に暮らしたくないのかなって」
「……」
「でも、そうじゃないんならなんの問題もないし。帰ろ」
「……エミカ、お前は知らないからだ。あいつがどういう人間なのかを……。〝悪意〟以外は何も持たずに生まれてきた。この世界にはな、そんな悪魔みたいな人間だって実在するんだ……」
「はは、大丈夫だよ。私は本物の〝悪魔〟とだって仲良しだよ? あんまというかほとんどしゃべったことはないけど」
「ふざけんな、ちゃんと人の話を聞けよ! ダリアは身内を殺して幸福を感じるような奴なんだぞ!? 人として重大な欠陥を持って生まれてきた――いや、人間とはもういえない……あれは、邪悪な獣そのものだ……。食らいついたら最後、獲物は離さない。だから奴は、また必ずオレの前にやってくる……。わかるだろ? これ以上、オレがお前の傍にいたら、絶対に――」
「うん。もちろんわかってる」
絶対に――
大丈夫だって。
たとえ相手が誰だろうと、私の大切な家族には指1本触れさせない。
「シホルやリリ、メイドさんたちやミニゴブリンたちのことなら心配はいらないよ。だって、私がいるし」
「……」
「もちろんパメラもね。全員、私が守る。家主としてお姉ちゃんとしてね。約束するよ」
「やっぱお前はとんでもない大バカだ、エミカ……。何もわかっちゃいない……」
「何もわかってないのはパメラのほうだよ。ちょっと怖いお姉ちゃんと久々に再会したからってさ、何をそんな怯えてるの? 全然らしくないし」
「うるせぇ……」
「てか、あんな元お姉ちゃんより現お姉ちゃんである私のほうが絶対に遥かにしつこいよ? またパメラが何もいわずどっかいっちゃったってさ、また今日みたいに追いかけて必ずウチに連れ戻すもん」
たとえ、異国であっても。
たとえ、ダンジョンの最終フロアであっても。
たとえ、この世界じゃない場所であっても。
どこへでも。
どこまでも。
「……バ、バカ野郎、なんでわかんねーんだ! お前はそんなにシホルやリリをひどい目に遭わせたいのかよ!?」
「大丈夫。ひどい目になんて遭わないから」
「あいつは手段なんて選ばない! お前が想像もできない残酷な方法ですべてを滅茶苦茶にしてくるぞ!!」
「大丈夫。そんなこと私がさせないし」
「お、お前なっ……!」
「もう話は終わったよね。んじゃ、帰ろうか」
「オレに触るな!!」
「あっ――」
差し伸べたこちらの手を払いのけるパメラ。そのまま彼女はバランスを崩してよろめくと、冷たい雪の上に力なく座りこんでしまった。
「1人で立てる?」
「……」
しばらく私の呼びかけにも応じず、パメラは項垂れてた。
「ははっ、なんてザマだ。情けねぇ……」
それでも、やがて顔を上げると悔いるように独り呟きはじめる。
「オレは、むかしのまんまだ。何1つ成長してない……。それなのに、もういっちょまえの大人になった気でいた……」
「そんなの私だって同じだよ」
「……違う、お前はオレとは……。お前は、何もわかってねーくせに……それなのに、いつも正しい道に進んでる……」
「私は別に正しいことをやろうなんて思ったことないよ。自分の好きなようにしてるだけ。こうやってパメラを連れ戻しにきたのもそう。これからも、家族として一緒に傍にいてほしかったから」
「……オレは、一番仲の良かった身内がつらい目に遭った時、なんの助けにもなってやれなかった……。それどころか、当時のオレはそいつのことを軽蔑して突き放した。
そいつのやったことが――やらなくちゃいけなかったことが、オレたちが一緒に目指してたはずの〝理想〟からあまりにかけ離れたものだったから……。だから、それからのオレはそいつのぶんも正しいことをやろうと思って生きてきた」
「うん」
「ダリアは悪だ。絶対の悪だ。野放しにはできない……。それでも、オレはあいつを――血の繋がった姉をきっと殺せない。怖いんだ……。ダリア本人がどうこうじゃなく、一番仲の良かった姉や、あるいは一番優しかった姉が変わってしまったように、自分も変わってしまうことが……」
そんなの簡単な話だ。
パメラが変わりたくないなら変わる必要なんてない。
もし無理やり変えようとする奴が現れたなら、その時は私が相手になる。
「安心して。パメラが守りたいと思うものも、全部私が守るよ。たとえ敵が悪魔でも神様でも、絶対に奪わせない」
「お前にそこまでしてもらっても、オレはお前に何も返せない……」
「それなら、パメラは私が守りたいと思うものを守ってよ。そうしちゃえば貸し借りなしでしょ?」
「……」
「ほら、もう駄々こねてないでほんと帰るよ。てか、そんな雪の上に座ってたらお尻凍っちゃうし」
「……ほんと無茶苦茶だ」
「普通だよ」
「絶対に後悔するぞ」
「しないし」
「お前は本当にバカだ。大バカ野郎だ」
「うっ、それは否定できない……」
苦笑しながら再び手を差し出すと、今度は払いのけることなくパメラは力強く私の手を握り返してきた。
助け起こすあいだ、目と目が合ってすぐに理解する。それはもうさっきまでのパメラじゃなかった。その瞳は、すっかりいつもの光を取り戻してた。
「チッ、天賦技能の影響があったとはいえ、クソダセーところを見せちまったな。忘れてくれ。てか、絶対に忘れろ。いいな?」
「あ、はい……」
ま、私も王都のダンジョンではパメラの足元で吐いたし。お互い様だよね。
「ところでよ、さっきからすげー気になってたことがあるんだけど、訊いてもいいか?」
「ん、何?」
「そいつまで、なんでここにいるんだ?」
「え?」
不意にパメラが私の背後を指差す。
振り向くと、びっくり。そこにはニコニコ笑顔ののほほん天使様が立ってるじゃありませんか。
「あはー♥」
「……」
「……」
あ、ヤバい。
サリエルのこと、パメラになんて説明すれば……?
帰りについてはマジでなんも考えてなかった。











