幕間 ~竜殺しの休日6~
身の丈ほどの大鎌に、黒の礼服。
例のドワーフの双子とともに現れたのは、見るからに陰湿な雰囲気をまとった女だった。その顔はベールに隠され、表情は窺えない。
対峙したところでいつでも3対1に応じられるよう、オレは素早く大剣を構えた。
「よう、随分遅かったな」
「あっー! こ、氷の神殿がっ……!?」
転送してきて早々、アジトの惨状に双子の片割れが驚きの声を発する。正直、すでに倒した獣人と僧侶と比べても、即死技を使えるこいつのほうが脅威だ。なんとしても一番先に片づけておくべきだろう。
隙を突けるタイミングを窺いつつ、オレはそこであえて挑発的な態度を取った。
「悪ぃな。お前らの仲間があんまりポンポンぶっ飛ぶもんであーなっちまったんだ」
「あんたね……この場所が私たちにとっての〝聖地〟だってことくらいわかってるでしょ? それをこんな滅茶苦茶にして!」
「はっ、聖地かよ。それなら永眠するにはぴったりの場所ってことだな。よかったじゃねーか。お前も今夜からはここで安らかに眠れるってわけだ」
「きぃ~、ふざけんなー! 永眠するのはあんたのほ――」
あともう一瞬、あともう一瞬だった。
勝ち気な双子の片割れが言葉を続けていれば逆上する相手の間隙を突いて、オレは奇襲の第1歩目を踏みこんでいただろう。
だが、双子の背後に立つ不気味な女がそれを寸前で踏み止まらせた。
「――はーい、そこまで。こっからは私のお仕事だからね~」
「あ!? ちょっ、また勝手に!!」
激昂する片割れを無理やり押し退けて前に出てくると、黒いベールで顔を覆い隠した女は、オレとの距離を半分ほど詰めたところで立ち止まった。
そのまま対峙し、互いに沈黙する。
静寂の中、オレは時が止まったように行動を起こせずにいた。
「……」
原因は強烈な違和感。
女の声が、繰り返し繰り返し頭の中で響く。やがておぼろげな過去の記憶が呼び覚まされると、オレは違和感の正体を知った。
そうだ。
オレは、こいつのことを、知って――
「――会いたかった」
次の瞬間、静寂が破られ、内なる予感が確信へと変わった。
「ま、まさか、なんでお前が……」
「あはは。ひどいな~、パメラちゃん。すぐに気づかないんだもん。まー、あれから6年も経つわけだしね、しかたないと言えばしかたないかー」
軽薄な口調で喋りながら女は黒いベールを剥ぎ取ると、白髪の混じったオレンジの髪をあらわにする。それは鮮やかな夕焼け空を連想させる、オレと同じ髪色だった。
「嘘だろ……」
抉られた傷痕を隠すためだろう。
その目元は、薄いレースの布で固く結ばれている。
「えへへ、嘘じゃないんだなーこれが」
「……」
それは追放された存在だった。
父親と姉ら家族を殺傷し、犯してはならない罪を犯した上から4番目の姉。
ダリア・ファンダイン。
いや、今はもう、ただの――
「――ダリア、お前があいつらにオレの情報を売ったのかよ……」
「えー、呼び捨てなんてひどーい。昔みたいにダリアお姉ちゃんって、親愛をこめて呼んでほしいな~♪」
「ざけんな、質問に答えろ!」
「うわっ、パメラちゃん本当に怒ってるー、あはは。いや~、ごめんごめん。でもね、別にパメラちゃんを売ったつもりはないよ。純粋に会いたかっただけ。だって私たち、姉妹の中でも唯一同じ胎から産まれた本当の姉妹だし。思いが募るのも当――」
「は? 今、なんつった……?」
「ん? あれれー? あ、もしかしてまだ教えられてなかった? あちゃー、衝撃の事実発覚だね~。ちなみにあの日、パパを拷問して吐かせた情報だから間違いないよー♪」
「……」
ファンダイン家の子供は産まれてすぐ母体から引き離され、生涯母親の顔を知ることなく育てられる。情報を入手する方法があるとすれば、直接当主である父親から訊き出す他ない。
オレたちの髪色のことも含めて、ダリアの発言には信憑性があった。
「そうかよ、オレとお前が……」
「えへへ、昔からなんか感じるものはお互いにあったよね~」
「……だけど、今さらそれがなんだって言うんだ? 母親が同じであれ、放逐されたお前はもう赤の他人だろうが」
「それでも、私がパメラちゃんを愛しちゃいけない理由にはならないでしょー? 世界でたった1人の妹なんだし」
「家族を手にかけたお前はもう姉でもなんでもない。これ以上……オレにつきまとうな!」
「も~、そんな敵意剥き出しにしてー。久し振りの姉妹の再会なんだよ? もっとお互い向き合って話し合おうよ。それに私の話を聞けばさー、6年前のこともダリアお姉ちゃんにはダリアお姉ちゃんの事情があったんだねって、きっとパメラちゃんも納得してくれると思うし」
そこで手にしていた大鎌を投げ捨てると、ダリアは敵意がないことを宣言しつつ空いたその両手を後頭部へと回した。
そのままスルスルと、目隠しを外していく。
「あの女もわざわざ呪われた魔剣で刳り貫くとか本当ひどいよね~。おかげ様で最高位の治癒魔術もまったく効果なし。まー、そんな状況でも掃き溜めの中で泥水をすすって生き続けたよ。だって、このままじゃ死ねないでしょ? すべてに復讐するまではさ」
「……」
閉じられた両瞼。
その奥の眼球は6年前、長女のティシャーナが罰として抉り取った。今は何もない空洞がただ広がっているだけ――のはずだった。
「ねえ、知ってる? 夢は願っても叶わないけどね、呪えば叶うんだよ。ほら、これが証拠。パメラちゃんにも見せてあげるね」
ゆっくりと、開いていくダリアの瞼。次の瞬間、白目の一切ない不気味な双眸がオレを見つめる。
それは真っ黒で、深淵のような――
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気づくと、オレは仄暗い場所に立っていた。
ここはどこだ?
明かりもなく薄暗い。
ダンジョンの中とも違う。
てか、オレは何をしてたんだっけ……?
「――ぱーちゃん!」
え?
声に驚いて背後を振り返ると、そこには小さな少女の姿があった。
金髪に、赤いリボン。にっこりと愛らしい笑みを浮かべて、彼女はこちらをキラキラとした眼差しで見つめていた。
なんでリリ嬢が――?
――ザクッ。
疑問が脳裏を過ぎった次の瞬間だった。
リリ嬢の胴体に、深々と大剣が突き刺さった。
なっ――
「……い、いたい……たいよ、ぱーちゃ……」
大剣が引き抜かれると、リリ嬢の身体は力なく崩れ落ちた。そのまま血溜まりの中へと静かに沈む。
やがて双眸から光も消え失せ、幼い少女はそれっきり動かなくなった。
な、なんなんだ……これは……。
意味がわからない。
いや、起こっていることは理解できている。
殺したんだ。
オレが、リリ嬢を――
「――パメラさん、どうして! どうしてリリを殺したの!?」
動かなくなったリリ嬢の傍には、いつの間にかシホルが立っていた。
違う! 違うんだ、シホル!
オレが殺したわけじゃ!!
「嘘だ! 私見てたよ、パメラさんがリリを――!!」
――バシュ。
すべてがゆっくり見えた。
大剣が、シホルの胴体と両腕を切断していく。
上下に分かたれた腹部からはピンク色の内臓が溢れ、地面に零れる。支えを失った彼女の上半身は崩れ、内容物を撒き散らかしながら両腕の先端とともに足元へと転がった。
赤、赤、赤。
大量の返り血。
視界が、染まる。
そんな。
嘘だ嘘だ。
嘘だ――
しかし、周囲に漂う血と臓物の臭いが、これが間違いなく現実であることを告げていた。
「――人殺し」
そこで不意に、また背後から声が響いた。
ああ、お願いだ。
もうやめてくれ。
オレは、このままだと、お前まで――
振り返ると、そこには紅蓮の髪の少女が立っていた。
「リリもシホルも信じてた。ほんとの家族だと思ってたんだよ」
こちらに険しい眼差しを向けながら彼女は迫ってくる。
その瞳に、いつもの明るい輝きはない。
暗く、黒く、濁っていた。
「なのにこんなのってない。ひどいよ、パメ――」
――ザシュ。
オレは、エミカの首を刎ねた。
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「――わ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっーーーーーーーーー!!」
意識を取り戻すと同時、オレは絶叫した。
すぐに喉が潰れて息が止まり、膝から崩れ落ちる。直後、近寄ってくる何者かの気配を感じた。
「えー、今のがパメラちゃんがこの世で一番恐れてることなの? お姉ちゃん、ちょっとショックだなー」
「……あ、あ”ぁっ!!」
耳元で囁く声に半狂乱になり大剣を振るおうとするも、力は発現しなかった。
「はーい、どうどう。混乱してるみたいだから説明するけどさ、今のは私の天賦技能で魅せた幻だからね~?」
虚しく空を切るオレの手を掴んで、声の持ち主――ダリアは、さらに続ける。
「というか、まさかパメラちゃんが未だに殺人未経験だとは思わなかったよ。ファンダイン家の人間が殺しを恐れるなんてね~、まったくあの女は私のパメラちゃんに一体どういう教育してきたんだか。も~、あったまきちゃうなー」
「……ギ、天賦技能? な、何を言って……お前に、そんな力……」
「忘れっぽいな~。ほら、さっき言ったでしょー。呪えば夢は叶うって。つまりね、後天的に力に目覚めたってわけ。お仲間たちによればなんかすっごいレアケースらしいよ? まー、眼球を刳り貫かれたことで眠っていた力が呼び覚まされたとも言えるのかも?
いやいや、そう考えると人生って本当わかんないもんだよね~。失った視力とともにこんな素晴らしい力まで手に入るんだからさ。あ、ちなみにこの能力ね~、目を合わせるのが発動の第1条件だからー」
「うぐっ……」
〝双眸恐怖症〟――ダリアは自らの能力について触れると、オレの髪を掴んで顔を上げさせた。
「さて、それじゃいよいよこっからがほんだーい。さっきはただ会いたかっただけなんて言ったけど、あれさー実は嘘なんだよね~。まー、会いたかったのは本当なんだけど、一番の目的はパメラちゃんを隷属させて私の手駒にすることだったりしまーす♪」
「……誰が……お、お前、なんかの……」
「あー、そういう態度はよくないな~。というかパメラちゃんさ、この状況わかって言ってるー?」
「くっ……!」
「あはは。そんなふうに目を瞑っても無駄だってば~」
笑いながらオレの瞼を片手でこじ開けると、ダリアはそのまま顔を近づけてきた。
「や、やめ……」
深淵のような闇。
恐怖を魅せる双眸が、もう目の前にあった。
「死ぬほど恐いけど、そんなに恐がらないで大丈夫だよ。すぐに終わるし、少し精神を崩壊させてパメラちゃんに素直になってもらうだけだから。
それにね~、これからは私がパメラちゃんをしっかり教育して、身も心も今よりもっともっと強い子に作り変えてあげる。人殺しなんて今になーんにも感じず、お姉ちゃんみたくザクザクできるようになるよ。よかったね~」
「うぐっ……」
抵抗しようにも、もう身体のどこにも力が入らなかった。恐怖に凍えながら身体を震わすこともできない。
負った精神的ダメージはあまりに過大だった。
「それじゃ、また愉快な悪夢を見せてあげるね~♪」
「や、やめっ……」
このままダリアの力で幻惑に引き摺りこまれれば、オレはもう一度、あの3人を。
嫌だ。
そんなのは、絶対に――
「――ぎゃあああああああああああぁぁぁっーーー!!」
直後、頭上から絶叫が降り注いだ。
ダリアの幻術が発動し、再び悪夢がはじまった。そう思い、絶望とともに身構える。
しかし次の瞬間、オレはその悲鳴が現実のものであることに気づいた。
「どいてええええええええぇぇぇっーーー!!」
ありえない。
でも、それは本物のエミカの声だった。











