幕間 ~終焉の解放者5~
ゴルディロックスが王子の追跡に向かったあと、襲撃地点での戦闘はさらなる苛烈を極めた。
打撃と剣戟によって生じた鳴動。
それらが幾度となく響き渡り、洞穴内部の湿った空気を揺らす。
「――ぐ、覇ッ!」
「おいおい、さっきまでの威勢はどうした!」
肉体の半分以上を獣化させたレオリドスは、連係で攻撃をしかけてくる肉体言語メンバーに開始直後は防戦を強いられていた。
「慣れちまえば所詮はこの程度かぁ!?」
しかし類い稀なる戦いの才を持つ彼は、短時間でマストンらの攻撃パターンを熟知すると、もはや圧倒的優位に戦闘を進ませていた。
一方で、王都有数の冒険者パーティー蒼の光剣の前に立ちはだかったラッダは、想定外の劣勢に追い込まれていた。
目下のところ最大の弊害は相手が持っている赤黒い武具。
彼が放った打撃はすべてその奇妙な得物と盾で完全に防がれていた。
「――ぬ”んっ!」
目前で構えられた剣に向かってラッダが重い拳を打ち込む。通常であれば衝撃で容易に相手が吹き飛ぶ場面。だが、相対するリーダーのグリフは怯むどころか、むしろ受けた剣でラッダの拳を押し返してきた。
(まただ。また、こちらの突きを防い――いや、違う。これは……)
三人相手に圧倒的な手数で攻めながらも決定打を与えられない。
拳が生み出す破壊力。そのすべてがただ防がれているのではなく、吸収されている。
あの男らが持つ赤黒い武具。
さぞ名のある鍛冶師が作り上げた逸品か。
或いは、邪の道を行く魔装か。
「フフッ、やはり世界は広いな」
パープルたちと出会い旅を続けてかれこれ二年以上経つが、これまで彼が自らの修行不足を嘆いたことは一度や二度ではなかった。
幾度の敗北と、苦戦に次ぐ苦戦。
しかし、同時にその都度、何度も己の壁を打ち壊してきた強い自負がラッダにはあった。
「素晴らしい。実に良い剣だ」
「ああ、俺もさっきからそう思っていたところだ。生憎、まだあんたには一太刀も浴びせられていないがな」
「ならばその機会、与えてやろう」
そう言って構えを解くと、ラッダは両腕をだらりと下げて直立した。突如、グリフら三人に包囲された状態でまったくの無防備を晒した格好だ。
「……なんの真似だ?」
「前言したとおり一発食らってやる。その剣で打ち込んで来い」
「本気か?」
「気をつけろ、グリフ! 罠だ!!」
「ああ、わかっている。だが――」
見る限り目前の大男は完全に脱力している。ジリジリと間合いに入った今も変わらず隙だらけだ。これならばこちらを引き込むのが目的であろうとも、確実に初撃を入れられる。
つまり、すべては次の一撃次第。
グリフは一瞬悩んだあとで心を決めた。
「――せっかくだからな。ここはお言葉に甘えさせてもらおうか!」
同時、踏み込んで前へ。
エミカから渡された赤黒い剣を真っ直ぐ振り上げ、距離を測り、狙いを定め、全身のすべての力を駆使して素早く振り下ろす。
剣先は確実にラッダの頭部を捉えていた。
数瞬後にくる手応えと勝利。
それを確信するグリフ。
だが――
「――何っ!?」
ラッダの丸刈りの頭部を破壊することなく、剣先はその表皮に触れた瞬間ピタリと止まった。
キーンとした異音が辺りに響く中、我に返ったグリフが背後に飛び慌てて距離を取る。幸い追撃はなかったが、状況が呑み込めない。
額に冷たい汗が浮かぶのを感じながら、再び前方を見据えて剣を構える。そこでようやくグリフは、ラッダの頭の一部が金属のように鈍く輝いていることに気づいた。
「……おいおい、石頭ってレベルじゃないだろ。あんたの頭蓋は鋼でできているのか?」
「得心いかぬ顔だな。だが、拙僧にも貴様らの攻撃が通じぬことは十分に理解できたろう」
〝破壊神〟――全身を硬質化させ、肉体の強度を極限まで高める天賦技能。
使用時にはその攻撃力と防御力は超人とも呼べる領域へ達する。
終焉の解放者の中でも、ラッダは近接戦により特化した能力を有していた。
「これでようやく五分だな。さらに推して参る――」
左右の拳を鉛色に輝かせながらラッダは再度攻勢に転じると、今度はアーサーが持つ盾に向かって連続で突きを放った。
「――ぬんっ!」
「くっ!」
僅かに相手を怯ませたものの、やはり威力のほとんどは赤黒い武具に相殺される。
(破壊神でも破壊は困難か。ならば――)
直後、ラッダは両拳を開き、盾の上下の縁を掴んだ。そのまま背負う形でアーサーを盾ごと宙に浮かし、全力で硬い地面の上へ叩き付ける。
「――がはっ!」
「新人!? 待ってろ!」
背中を激しく打ったアーサーが咽喉の奥から血を吐き出す中、追撃を受けようとしている彼を救うため、副リーダーのゲンドルが突進していく。
斧を振り上げる重心の低いドワーフの動きに対して、ラッダはあえて一切防御の構えを取らなかった。そのまま斬撃を硬質化させた脇腹で受けると、今回は反撃のタイミングを見送ることなく拳を叩き込んだ。
「ゲンドル!!」
瞬く間に吹き飛ばされ鍾乳洞の壁に激突した仲間と、吐血し地面に横たわる仲間を順に見たあとで、グリフは歯を食いしばりながら剣を構えた。
「化け物め!」
「これで拙僧の八分――いや、九分といったところか」
「くっ……」
こちらから無理に前に出れば長くは持たない。
一対一になった時点でグリフの目的は襲撃者の排除ではなく、これよりどれだけ戦いを引き延ばせるかその一点に移った。
「――ヘッヘ、あっちももう終盤みたいだぜ。大将さんよぉ~」
ラッダと蒼の光剣側の大勢がほぼ決した頃、同じくレオリドスも勝利をほぼ手中に収めつつあった。
「はぁ、はぁ……」
戦線に残るはリーダーのマストンのみ。
すでに他の二人のメンバーは傷を負って離脱中である。当初の作戦通り神官たちの手により回復魔術を施されてはいるが、傷は深く戦いに復帰できるようになるまでにはまだかなりの時間を要する状況だった。
レオリドスもそれを理解してか、戦闘が開始されてから一度も治療の妨害を試みてはいない。
いや、もしくはあえて自分に不利な状況を作り出し、その状況すらも楽しんでいるのか。
マストンには判断が付かなかった。
「どうやらお仲間の治療は間に合いそうにねぇな」
「……」
「まー、なんつうの? あんたらよくやったほうだぜ。俺様が戦いの天才ってだけでな」
「……もはやこの状況、出し惜しみする意味はない」
「あ?」
「まだ完成には至らず道半ば。だが、この場にて試させてもらおう……」
「コラ、何一人でブツブツ言ってやがる。頭イカれちまったかぁ~?」
「刮目せよ! これが我が奥義――〝疾風拳〟である!!」
追い込まれたマストンは奥の手として、自らの属性である風の魔術を発動させると、その全身に鋭利な疾風を纏った。
風の渦が赤いマントを切り裂き、鍛え上げた己が身体にも次々と無数の裂傷を生じさせていく。
全身から鮮血を滴らせながらマストンは地面を軽く蹴ると、刹那――その拳を突き立てレオリドスの胸元を抉りにかかった。
「――覇”ッッ!!」
「っ!?」
互いの血飛沫が舞う中、交差する二人。
疾風拳の初撃を受けながら、ギリギリのところで致命傷を避けたレオリドスは通り過ぎた旋風の行方を目で追う。それはすでに踵を返し、またこちらに襲いかかろうとしていた。
「ガハハッ、面白ぇ――!!」
マストンの風を纏った正拳に合わせ、レオリドスも虎の拳を打ち込む。直後、互いの拳に無数の裂傷が走り新たな鮮血が舞った。そのまま衝撃の反動で後方へと吹き飛ばされていく両者。
再び十分な間合いができたのを見て、そこでマストンは一度風の術を解いた。
「……疾風で作り出す諸刃の剣か。いい技だ、気に入ったぜ! まさか天賦技能持ちでもない奴とここまでバトれるとはよぉ!!」
「はぁ、はぁっ……」
レオリドスが言い当てたとおり、全身に旋風を纏わせ戦うマストンの奥義――疾風拳は非常にリスキーな技だった。僅かでも身に纏う風のコントロールを誤れば、相手を切り裂く前に血の海に沈むのは己である。
すでに身体中が鮮血に染まり激しく消耗したマストンでは、全身全霊で望んだとしても技の発動はあと一回が限度。
泣いても笑っても、次が最後のチャンスだった。
「しかもこの風、魔術印なんかの威力の比じゃねぇな。大将、あんたどう見てもプレーンにしか見えねぇが、まさかエルフだったりするのか?」
「……我はノーマルである。ただ、先祖にエルフと交わった者がいたため、例外的に風の属性を授かった」
「なるほどな。まー、パープルと似たようなもんか……? ああ、気にすんな。こっちの話だからよ」
「そうか……」
「てか、息はどうよ? そろそろ整ってきたか?」
「……我のことなど気にせず、貴殿からかかってくればよかろう」
「おいおい、あんまつれないこと言うもんじゃねぇな。人間一人じゃ誰とも殺り合えねぇんだ。何事も相手を思いやるってのは大事だろ?」
「……」
可笑しな戯言を抜かす獣人だ。
多量の出血で朦朧としつつある中、マストンはそう思った。
しかし、なぜか不思議と悪い気はしない。おそらく、それはこの男が己の信念を持ち、自らのルールに殉じているからだろう。
猛獣でありながら、しかし、ただの気の狂った殺戮者ではない。
中身は貪欲に誇りある戦いを望む、純粋なる戦士。
「……では、我が奥義にて、再び参らん!!」
「おう、来やがれ!!」
敗北を喫すれば、次が生涯で最後の一撃となる。
ならば、我も殉じよう。
鍛え上げた、この肉体に。
「覇”アアアァッ――!!」
旋風を纏い、疾風となったマストンが動き出す。
レオリドスは一歩も引かず、それを正面から迎え撃つ。
互いの両の拳が激しく裂け、潰れ、風の渦が夥しい血を巻き上げていく。
烈風の中心となった両者は衝撃に怯まず、玉砕覚悟で相手を打ちのめさんと血に塗れボロボロになった拳を繰り出す。
序盤の一瞬はマストンが手数で上回った。
微かな勝利への糸口。
しかし、その数瞬後にはレオリドスが決定打を放ち、一気に戦いを終わらせた。
「――まさか、これほど、とは……ぐはっ!」
「久々にいい勝負ができた。感謝するぜぇ、大将」
繰り出した手刀による突き。
伸びた猛獣の爪はマストンの胸元を深く抉り、彼の背中を貫いていた。











