幕間 ~終焉の解放者4~
ミハエル王子とリリを連れ出し、戦線を離脱していくエミカ。
襲撃者三名の中で逸早くその動向を察したのは、獣人族の中でも卓越した動体視力を持つレオリドスだった。
「おい、王子が逃げるぞ」
「ゴルディロックス、お主が追え」
「さっき袋の鼠って言ってたのは僧侶さんなの」
「この先に抜け道が存在しないことは確かだ。だが、透明化の魔術で潜伏でもされたら厄介であろう」
「ゴルディーは気が乗らないの」
「チッ、何うだうだ言ってやがんだこのクマ娘! 黙ってさっさと追――」
レオリドスの注意が背後の仲間に向いたと同時だった。鋭利な剣先がその頬をかすめた。
遅れて薄く傷口が開き、すうっと鮮血が流れ出していく。
一瞬の隙を狙って剣を薙いだラッセル団長は再び間合いを取ると、対峙する獣人の襲撃者をジッと睨み付けた。
「戦いの最中に余所見とは、どこまで我々を愚弄する気か!」
「……ヘッヘ。悪ぃな、爺さん。だがよ、今んでちっ~とばかし目が覚めたぜ。もう油断はしねぇ。その上で全力で相手をしてやるよ、俺様に傷を負わせた褒美としてなぁ!」
頬から流れ出る血を乱暴に素手で拭うと、レオリドスはそこで自らが持つ力を解き放った。
「ウオ”オ”オオオォッ――!!」
咆哮による振動。
ビリビリと辺りの空気が揺れる中、レオリドスの肉体――特に上半身が肥大化していく。
筋肉が膨張し、骨格が隆起し、さらには頭髪と同じ金色の体毛が全身を瞬く間に覆った。
変化はほぼ一瞬。
まばたき数回分の時間を挟んだのち、レオリドスの身体は〝虎獅子〟への変貌を果たした。
「……こ、これは!?」
己が肉体を変幻自在に獣化させる力――〝獣王変化〟。
それがレオリドスが生まれながらにして持った天賦技能だった。
「化け物染みた輩だとは思ったが、まさか本当に化け物だったとは……」
「おいおい、そりゃ獣人差別ってやつだろ。問題発言だぜ? まー、俺様のようにここまでパーフェクトに獣化できるやつなんざ同族にも存在しねぇがな」
「……貴様ら、本当に何者だ?」
「はっ、ただのはみ出し者よ。てか、出自なんざ殺り合いの最中で気にしてどうなる。それより、この身体になっちまうと色々と抑制が利かなくなっちまうんだわ。だからよ……」
ギラ付いた眼差しに、突き出た顎から覗き見える白い牙。
瞬間、対峙する者たちの背筋に冷たいものが走った。
「そろそろこっちからも行かしてもらうぜ!」
二足で歩く猛獣と化したレオリドスが残り僅かとなった騎士たちに襲いかかる。
体毛に覆われた太い前腕が振り下ろされ、一撃で最後の三人の内二人が薙ぎ倒されていく。
部下の骨が砕ける音と悲鳴を傍らで聞きながら、ラッセル団長は地面を蹴って相手の懐を目掛け飛び上がった。
(たとえ刺し違えても、この狂獣は自分が止める――!)
その一念で放たれた高速の剣撃はレオリドスの頭部を切り裂かんと伸びる。
瞬く間に鮮やかな弧を描き、一閃。
長剣の刃は獅子と化した頭部を完全に捉えたかに見えた。
「――おひぃふぁ!」
「くっ!?」
老兵の渾身の一撃を、レオリドスは口だけで受け止めていた。
「おのれっ!」
剥き出しの牙がブレードを砕き、文字どおりに食い止めている。どれだけ力を込めようとも剣先はビクともしない。
「ヘッヘ!」
「……っ!?」
直後、殺気を感じたラッセル団長はやむなく武器を手放し、レオリドスの胴体を蹴りつつ背後へと飛んだ。
相手の間合いからの緊急離脱。
しかし、落下して地面へ逃れるまでのその僅かな時間が命取りとなった。
「ベッ、これで終わりだ爺さん!!」
咥えていた剣を吐き捨てると、レオリドスはリーチの長い蹴りを放った。
宙にいるラッセル団長に最早かわす術はない。できることは衝撃に備え、身構えることのみ。
獣人化したレオリドスの脚技は通常時と比べ数倍以上の破壊力を叩き出す。甲冑を装備してようとも、まともに当たれば致命傷は避けられない。ラッセル団長は圧縮された時の中で自らの命運を悟った。
「――覇アァッ!!」
「おっ!」
だが次の瞬間、両者のあいだに鋼の肉体が割って入った。
「マストン殿!?」
「助太刀いたす!」
レオリドスの脚力を全身を使って受け流したマストンの両脇から、そこでさらに二名の肉体言語の古参メンバーが躍り出た。
「「覇ッ!!」」
「チッ……!」
繰り出される左右の打撃を避けつつ、今度はレオリドスが慌てて背後へと距離を取る。
一度下がるとさらに追撃は続いた。
(調子に乗りやがって。それならもう二、三歩踏み出してきたところで強烈なカウンターをお見舞いしてやるぜ――!)
防戦一転、瞬時に迎撃態勢に入る。
しかしその間際、殺気を察したのか半裸の男たちは赤いマントを翻すと、そのままあっさり仲間の下へ引き下がっていった。
(おいおい、俺様の蹴りを止めたあのマストンって奴だけじゃねぇな。こいつらもかなりできやがる)
目論見が外れ苦笑する中、マストンたちが外で最初に攻撃をしかけてきた者と同じ格好をしていることに気づく。
おそらくは同じクランのメンバーだ。しかも王子の傍に付いて護衛していたことを踏まえれば、その実力はチーム内で確実に上位。
「ヘッヘ、なるほどな。こりゃ思う存分楽しめそうだぜ。おい、クマ娘。多少だが長引きそうだ。だからわがまま言ってねぇで、さっさと王子を追跡しろ。それが嫌ならハゲの代わりにお前が残って戦え!」
「ゴルディロックス、どうするのだ? 拙僧はどちらでも構わぬぞ」
「はぁ、しかたないの……」
溜め息を吐くと、ゴルディロックスは胸に抱いていた継ぎはぎだらけのぬいぐるみをその場で掲げた。
「くまさん、お願いなの」
直後、白煙と共にポンッと気の抜けた爆発音が響いた。
ゴルディロックスの天賦技能――〝くまさんといっしょ〟が発動すると同時、仲間の男たちよりも二回りほど大きいクマのぬいぐるみが出現した。
それは即座に機敏に動きはじめる。
「くまさん、肩車なの」
巨大なクマに抱えられてその肩に乗ると、ゴルディロックスは鍾乳洞の奥を指差しながら続けて命令を下した。
「急いで王子を追いかけるの」
人の倍ほどあるぬいぐるみが直立している。
冒険者の精鋭たちはあまりの事態に呆気に取られ、対処が遅れた。巨大なクマのぬいぐるみが中央突破を試みようと大きな一歩を踏み出していく。かろうじてその動きに反応できたのはラッセル団長だけだった。
「行かせん!」
「邪魔なの」
どのような術の作用によるものなのかは皆目検討も付かない。
だが、いくら巨大化してようとも中身は綿の塊である。剣はなくともこの身一つで止められるはずだ。
「くまさん、キックなの」
しかし、それは誤った判断だった。
走りながら繰り出されたクマの爪先がラッセル団長を捉える。次の瞬間、彼は軽々と天井まで吹き飛ばされた。
「だ、団長さんが!?」
「まずい、あのデカ物を嬢ちゃんのとこに行かせるな!」
「まだ間に合う、我々が止めるぞ!」
響く轟音。
また鍾乳石の破片が降り注ぐ中、蒼の光剣のメンバーたちが僅かに遅れて動き出す。
だが、その三人の前には即座にラッダが立ち塞がった。
「行かせられんのはこちらも同じだ。貴様らは拙僧が相手をしよう――」
これでレオリドス、ラッダ共に一対三。
ゴルディロックスを肩に乗せた巨大なクマのぬいぐるみは鍾乳洞の奥へと突き進み、すでにその姿を薄闇に溶かしつつあった。











