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番外編:悪夢


   1


「お父様、まだ起きていらっしゃいますか?」



 書斎の扉を開けた幼いわたくしは、次の瞬間、壮絶な光景に震撼する。

 室内に敷かれた絨毯の上。そこで血塗れで倒れている、父の姿。瞳孔が開き、虚空を見つめたまま一切動かない。

 死。

 物心が付く前、病に伏した母の最期を看取った朧げな記憶はある。

 しかし、目の前の光景はそれには当て嵌まらなかった。


 ――凄惨な死。


 病ではなく、老いでもなく、刃で。

 一目瞭然だった。

 父は、殺されていた。


「ひっ」


 亡骸のすぐ傍だった。

 そこに黒い頭巾を被った人影が立っている。

 何者かはわからない。

 わかることは、その人物がただ危険だということ。

 きっと、わたくしも殺される。

 それに気付いてしまった直後、さらなる恐怖で身が竦んだ。

 一歩も、動けない。


「あ……」


 それでも、奇妙なことに頭巾の穴から見える暗殺者の双眸は、幼いわたくし以上に絶望を含み、怯えている。


 生殺与奪の権を握りながら。

 圧倒的強者でありながら。

 一体、なぜ。


 困惑する最中、悪夢はいつもそこで唐突に途切れる。そして、自分はまた目覚めの悪い朝を迎えるのだった。








   2


 最近は、特にエミカと出会ってからは、思い出すことも少なくなってきたというのに。


「また、あの夢ですのね……」


 屋敷の自室で目覚めて、過去から現実に戻ってきたわたくしはベッドから起き上がりながら悪夢の原因を探る。

 昨日は盛大に試飲会を行なった。

 大勢の顧客の前に立ったことで重圧を感じ、自分でも知らないうちに精神的に追い詰められていたのだろうか。だとしたら、ローズファリド家の当主がそんな蚤の心臓でいいはずがない。今日からまた一層気を引き締め直さなければ。


「怯んでる余裕なんてありませんわよ、スカーレット!」


 自分の名を自分で呼んで、パチパチと両手で頬を叩く。

 本日から順次、造ったワインを顧客の下へ届けていく予定となっている。販売契約を結んだ一億マネン分のワインの製造と配送。それはたとえこの命と引き換えになろうとも、ローズファリド家の当主として成し遂げなければならない責務だった。


「「「おはようございます!」」」

「みんなおはよう」

「お嬢様、今朝もお早いですね」

「ええ、うかうか寝てなんていられませんわ。今日もローズファリド家一丸でがんばりますわよ!」


 まだ薄暗い早朝から焼き釜の前で作業を手伝ったあと、朝一の馬車に乗り込んでモグラ屋さんまで焼きたてのパンを運ぶ。開店後はユニフォームを着用しての客引きが主な仕事だ。


「しかし、そろそろわたくしも売り子の仕事を覚えたいのですわ」

「んー、だったら近いうちにお店のレイアウト変更するからさ、その時にでも。ちなみにパン売り場は二階に移す予定だから」


 どうやらパンの販売と一緒に喫茶店を経営するつもりらしい。とてもいい案だと思う。

 だけど、エミカはわたくしが着ているメイド服がネックになる可能性があると、その場で不安を吐露した。


「でも、アリスバレーではこれが普通なんですわよね?」

「え? あ、ああ、そうだったね! うん、普通普通! 超普通だよ!!」


 なぜか急にあたふたするエミカを多少怪しみつつも、売り場の変更には大いに賛成だった。

 その後、これまでお試し期間で無償だった場所代も正式にローズファリド家側が支払う方向で話はまとまり、同時に白ワインやロゼの製造も前倒しで進めていくことが決まった。








   3


 試飲会以降、原料として入荷されるブドウの量もさらに増え、醸造所も作業所もフル回転の状況。

 あまりの生産スピードに入れ物の空瓶が一時底を突く事態に直面するも、エミカが例の不思議な力であっさり問題を解決してくれた。


「あなたには何から何まで助けられっぱなしですわ。本当ならわたくしたちだけで対処しなければならない問題ですのに……」

「モグラ屋さんの利益にも関係することだし、別に気にしないでいいよ」


 しかし、このまま甘えてばかりはいられない。仕事のパートナーである以上、持ちつ持たれつ対等な関係を築くことは最低限の条件であり、礼儀だった。


「そうですわ。今度、妹さんたちを含めてエミカを我が家に招待いたしますわ」


 客人として精一杯エミカとその家族をもてなすこと。

 それが考え付く、今できる最大限の恩返しだった。


「リリとかまだ小さいからすごくうるさくしちゃうと思うけど、ほんとにいいの?」

「そんなのまったく構いませんわよ」

「んー。んじゃ、せっかくだしお言葉に甘えちゃおうかな。お店の調整もあるから明日すぐにとはいかないけどさ」


 そして数日後、エミカたちが客人としてやってくる当日。

 吉報はその早朝に舞い込んだ。



「――お嬢様、大変です!」



 ひどく慌てた様子で秘書を兼任する執事が持ってきたのは王都から届いた一通の証書。

 それは、これまでローズファリド家に科せられていた幾つかの罰則の免責と、遠い場所で幽閉されている兄たちの減刑を通知する文書だった。


「今日は最良の日にございます!」

「ええ、そうね。人生でこれ以上に幸せな日なんて。ああ、お兄様たちと生きているうちに、また会えるなんて……」


 よかった。

 本当によかった。

 胸が、心が、幸福な気持ちで満たされていく。


「でも、どうして今になって……」


 しかし、同時に疑問も芽生えていた。今まで王都の関係機関には何度も嘆願書を送った。それなのに一度だって回答が返ってきたことはない。

 なぜ、このタイミングで?

 考えられる可能性としてはモグラワインだった。

 今回エミカの謎の伝手で、女王様が個人で相当な量を買い入れている。その品質が評価され、製造元であるローズファリド家に恩赦が与えられたのではないか。

 いや、本当にそれだけで叛逆の罪が軽くなるものだろうか。わからない。自分にはわからない。ただ、一つ断言できることは、エミカと出会えてすべてが変わったこと。

 彼女によって救われ、今の自分があり、これからの自分がある。


 そこで、ふっと光が射したように感じた。

 視界が開ける。

 世界が色を取り戻していく。

 それまで引き摺っていたものが消え、信じられないほどに心が軽くなっていく。

 もう大丈夫。

 呪縛は解かれ、これからはちゃんと前を向いて歩いていける。



 ――だからって、すべてを許してしまうのか?



 その自問自答に、わたくしはすぐに(かぶり)を振った。憎しみはまだはっきりと心に宿っていたから。


 それでも、もう四年前の悪魔に悩まされることはない。

 そんな気がした。








   4


「ところで、エミカは元気かい?」

「ええ、最近はキノコの栽培をはじめてまた商品を増やしてますわ」

「キノコか。彼女の店もどんどん手広くなっていくね」


 王都からの強制退去。

 その罰則の免責によって、また自由に王都を往来できるようになったわたくしはその日、二番目の大口顧客であるファンダイン家の下にワインを届けていた。

 空になったボトルの回収も含め、直接この屋敷に伺うのはもうこれで三度目だ。本日は直接の契約者であるコロナ・ファンダイン氏も在宅しており、彼女に客間へ案内されたわたくしは世間話に興じていた。


「お嬢様、本日分のワインの搬入すべて完了しました」

「ご苦労様。では、わたくしたちはそろそろお暇させていただきますわね」

「ああ、せっかく来てくれたのに大したもてなしもできず済まない」

「とんでもないですわ。とっても美味しい紅茶でしたのよ」

「気に入ったのなら次来る時までに茶葉を用意しておこう」


 玄関まで送ると言ってくれた彼女と、わたくしは並んで歩く。玄関まで一直線に伸びる長い通路。その途中、初対面の頃より感じていた疑問がはっきりとした形になって湧き上がってきた。

 特に深い意味はない。

 だから、なんの気もなしに彼女に質問をぶつけた。


「そういえば試飲会の頃から思ってましたけど、わたくしたちって以前どこかでお会いしてません?」


 その瞬間、ふっと隣の気配が重くなった気がした。

 だけど、それもほんの僅かで一瞬のこと。


「君が昔、王都に住んでいたのならばどこかで会っているかもしれないね」

「それもそうですわね」


 笑顔での返答。彼女から変化は感じ取れない。

 やはり、何かの気のせいだったようだ。


「それでは、熟成が完了次第またお届けに上がりますわね」

「ああ、また今度。エミカにもよろしく伝えておいてくれ」


 玄関先で別れの挨拶を交わすと、わたくしは執事たちと一緒に馬車に乗り込んで次の顧客先に向かった。


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