幕間 ~真夜中の侵入者~
邸宅の一室でダルマ・ポポン伯爵は激怒していた。
「一体どうなっているホ!」
ローズファリド家に大量の小麦が渡り、あまつさえ醸造所には入手困難な黒ブドウまでもが運び込まれている。彼を激しく苛立たせたのは執事からのそんな報告だった。
パンとワインの販売を目的とした製造。
その再開が事実とあれば、飢饉に乗じてこれまで行なってきた兵糧攻めが効果を失ったことになる。
しかし、あの状況で一体どこから材料を入手したのか。考えても謎は募るばかりだった。
「商会の連中は何をしているホ! 奴らは余の命令を無視しておるホイか!?」
「いえ、それが商会は商会でも、どうやらアリスバレー側の商会と直接やり取りをしているようでして……」
製造したパンの販売もアリスバレーで行っており、輸送路には最近噂になっている例の地下道を利用しているとしか考えられない。だとすれば、ローズファリド家はアリスバレーの有力者とコネクションを持った可能性が高い。それも、かなり強力な。
その報告は執事の推測を交えたものだったが、概ね事実と乖離はなく、伯爵もこれまでの状況を照らし合わせた上でありえる話だと納得した。
「アリスバレーの愚民どもめ、よくも余の邪魔をしてくれたホ……」
神に仇なす行為だといっても過言ではない。
直ちにやめさせなければ。
しかし、貴族の存在しないアリスバレーではポポン家の強制力も効果は薄い。その上、あちら側には〝豪商〟として畏れられる例の老人もいる。いくらポポン家の当主といえども容易に手の出せる状況ではなかった。
「ですが伯爵様、今さら生産を再開したところで期限までに稼げる金額は僅かです。ワインに至っては熟成期間を考えれば商品として売り出すことも不可能でしょう。取るに足らぬ問題かと」
「おい、貴様は馬鹿かホ?」
「……へ?」
「誰が今さら勝敗の心配なんぞするホ! これは矜持の問題なんだホ!!」
「は、はぁ?」
「このような足掻きをすること自体、余に対する最大限の侮辱! 本来ならばさっさと降伏し、頭を垂れにくるのが礼儀だホイな! それをあの娘、余が深い慈愛の精神をもって返済期限を延ばしてやったのにも係わらず、アリスバレーの愚かな権力者と結託し、ここまでの抵抗を見せるなど……ホぬぬっ! やはり、少しわからせてやる必要があるようだホイな……」
伯爵は椅子から立ち上がって執事に命じると、急遽、強面の男どもを呼び出した。その数、総勢5名。全員荒事専門でポポン家に雇われているゴロツキたちである。
眼前で跪く彼らに、伯爵は卑劣な命令を下した。
「あの娘の工場を潰してくるんだホ!」
「「「仰せのままに、伯爵様っ!!」」」
報酬という絆で伯爵と結ばれている荒くれたちは夜を待つと、ローズファリド家が所有する外街の工場に向かった。
こういった類いの命令を下す際、伯爵は手段などを含めて具体的な指示はしない。今回も例に漏れず、やり方は男たちに一任された。
「もうめんどくせーしよ、全部燃やしちまおうぜ」
「は? お前の火の魔術クッソしょぼいじゃねーか。小火で終わっちまうわ」
「火炎瓶なら持ってるぞ」
「おっ、用意がいいな。投げ込めば一発だし、いいんじゃね?」
「グヘヘ、それじゃ火遊びで決まりだな」
方法も決まったところで、男たちは工場の敷地へと侵入した。
時刻は真夜中。辺りは暗く、虫の声も聴こえないほどにひっそりと静まり返っていた。
「……不気味なほど静かだな。暗がりから化け物でも出てきそうな雰囲気だぜ」
「おいおい、何ビビってんだ。これから建物に火つけようって人間がよ」
ヒソヒソと話しながら闇を進み、まずは先遣の2名がパン工場の壁に張り付いて中の様子を窺う。人の気配がないことを確認したあとで、彼らは遠くの茂みに待機している残りの仲間たちに向かって合図を送った。
「……妙だ」
「どうした?」
「いや、あっちの連中から返事がねぇんだよ」
光石を使い再度チカチカと合図を送るが、何度やっても向こうからの合図はなかった。
「大方、サボってどっかいったんだろ。別に構わねぇよ。俺たちだけでさっさとやっちまおうぜ」
「おう、それもそうだな……」
何か胸に引っ掛かるものを感じながらも、懐から火炎瓶を取り出し、飲み口に詰められた布に魔術で火をつける。直後、揺らぐ小さな炎が周囲を照らすと、男の仄かな安堵と共に闇を払った。
あとはこれを工場の内部で炸裂させれば仕事は終わる。建物の一部は石材が使用されているが、見る限り大部分は木造である。火はたちまちに燃え広がることだろう。
「よし、投げろ!」
隣の男の号令と共に、勢いよく投げ込まれた火炎瓶。
それは窓ガラスを破壊し、工場の内部で激しく火柱を巻き上げる――はずだった。
――パシッ、シュンッッ!!
「「えっ?」」
一瞬、小さな黒い影が凄まじい速さで男たちの眼前を横切っていった。同時、投擲した火炎瓶も消えた。工場の窓は割れておらず、どこにも火元は確認できない。男たちの周囲にはまた暗がりが戻っていた。
「一体、何が起こったんだ……?」
「お、おい! あそこになんかいねぇか!?」
侵入者の1人が指差した先、そこには赤い帽子を被った小さなゴブリンがいた。男たちがその存在に気づくと同時、周辺からは複数の奇声が上がった。
「キー!」
「キキー!」
「キッキー!」
「うわ、あそこにも!?」
「あっちにもいやがるぞ!?」
自分たちは今、得体の知れないモンスターの群れに囲まれている。鳴き声と薄っすらと見える黒い影から、男たちはすぐにその絶望的な状況に気づいた。
「なんなんだよ、こいつらは!」
「まさか、他の連中はもう……」
「ヤ、ヤベェって! マジで逃げねーと!!」
「逃げるってどっちにだよ! 俺たち囲まれてんだぞ!?」
「……い、いや! こっちだ、来いっ!!」
「おい! 待ってくれよー!!」
囲まれてはいるが、包囲網は完全ではない。
南側に1ヶ所、隙があった。
混乱の最中、侵入者の1人がその事実に気づき一か八か駆け出すと、僅かに遅れてもう一方の侵入者も続く。
我先にと一目散に逃げ出す男たち。
無事、狙い通り包囲網の間隙を突いて脱出に成功する。
しかし、それは初めからあえて用意されていた逃げ道だった。
「――モグラプリズン!」
次の瞬間、男たちが逃げ出した先の地面から格子状の壁が出現し、あっという間に彼らを牢獄の中に閉じ込めた。
「ふー、張りこみ6日目でようやくおでましか。思ったより遅かったね」
どこか気の抜けた少女の声と共に、闇夜にゆっくりと浮かび上がる白い影。
大きな丸い頭に、大きな丸い身体。筒状に飛び出した目らしき部分からは光が発せられており、両手両足の先端からは鋭利な爪が伸びている。
果たして人間なのか、怪物なのか。
捕らわれたという事実と共に、形容し難いその姿は侵入者たちを恐怖のどん底に叩き落した。
「ひえええええぇぇー!!」
「な、ななな何者だぁ!? てめぇー!!」
「いや、それこっちのセリフだから。よそ様の土地に勝手に上がりこんで何いってんの」
「「……」」
「てか、さっき工場に火つけようとしてたよね? 誰の差し金?」
「「……」」
「ま、いわないでも答えはわかり切ってるんだけどさ、一応裏は取りたいんだよね。だから、早く洗いざらい吐いたほうが身のためだよ」
得体の知れない人物は邪悪に口角を上げると、そのぷっくりとした身体を屈めて地面に手をついた。
直後、2人の男を捕らえていた土の檻に異変。
ぐるぐると格子の壁が回りはじめたかと思えば、それは内へ内へどんどん狭まっていき縮小を開始した。
「うぎゃああああぁぁぁー!」
「やめろっ! やめてくれええぇー!!」
「……んー、この技は〝モグラクラッシュ〟でいいか」
――ギュッ、ギュギュギュウゥ~!!
「ひぎい”いいぃ~! 潰されるうううぅぅぅーー!!」
「わかった! あんたの勝ちだ! すべて洗いざらい話す! だから頼む、もうやめてくれええええぇぇっーー!!」
暗闇と閉所が同時に迫る恐怖。元々、伯爵に対する忠誠心など欠片も持ち合わせていない侵入者たち。すでに潰されかけている彼らが口を割るのに時間はかからなかった。











