99.モグラワイン
パンの販売をはじめて2日が経った。私は今日もまた朝からローディスの工場にきてる。
「作業所で〝ジャム〟や〝シロップ漬け〟とかって作れる?」
「器材を整備すれば可能ですわ」
ワインのボトル詰めを行う施設の前で、最初の視察の時に思いついたことを訊いてみたら前向きな返答をもらえた。
ぺティーにも昨日確認したら、大モグラ農場1つぶんの収穫範囲なら何を育ててもいいって話だったし、材料についても問題はなさそう。整備費や人件費含めて全部私が負担するなら製造してもらえるかな? そしたらまたモグラ屋さんに新商品が増えるね。
ま、ただこれは本日の本題じゃないので、本格的な話はまた今度だ。
私たちは今、執事さんたちと職人さんたちを引き連れて醸造所に向かっている最中だった。
「んじゃ、開けるね」
ワイン樽をモグラストレージに入れて今日で5日。
できればあと1日熟成させたいところではあったけど、顧客探しの時間もあるので前倒しで本日開放となった。
「――モグラクロー!」
醸造所の地下に作った部屋から、みんなにも協力してもらって保管してた3つのワイン樽を運び出す。
木枠の上に置いて樽を横向きに固定後、醸造所を管理する白髭を蓄えた一番偉い職人さんが上部に小さな穴を開けた。そのまま大きなガラスのスポイトで中身を吸い出すと、用意してたワイングラスに少量を注いだ。
「たしかに、色も香りも問題ないようじゃが……」
グラスをいろんな角度で眺めたあと、白髭の職人さんはワインを口に含む。
直後、その目は驚きと興奮で大きく見開かれた。
「信じられん! たった5日で本当に熟成が進んでおる!!」
……ほっ、よかった。
正直モグラストレージに関しては私自身、眉唾なところがあったからね。ちゃんと効果を発揮したなら御の字。てか、これでほんとに計画どおり話を進められるってもんだ。
そのあとモグラストレージ部屋をさらに拡大して、保管してなかった残りのワイン樽も収納。入念に人がいないことを確認しつつ、再びモグラウォールで入口を塞いで密閉した。
これで残りも5~6日したら商品として売り出せるね。モグラ屋さんに最初に並ぶボトルワインはここの樽から詰められたものになるはず。
「エミカ、本当に今日から顧客探しをはじめますの?」
「うん。まずはアリスバレーだけど、大半は王都で探すことになると思う。もしかしたら2、3日は向こうに泊まるかも。パンの販売で何かあったらソフィアかルシエラに相談してね」
「わかりましたわ。あと、その……本来なら当事者であるわたくしもついていくべきなのですが」
「それはもういいよ。お店も大繁盛中だし、スカーレットはパンのほうに集中してて」
「肝心な時に、申しわけないですわ……」
深々と頭を下げるスカーレット。
昨日、一緒に王都にいこうよと誘ったところ、彼女の返答は「あそこには入れない」だった。
行けない、ではなく、入れない。
詳しいことはわからないけど、それだけでただならぬ事情があるってことぐらいは私にも理解できた。
「エミカ、以前から考えてたことで1つ相談がございますの」
試飲用として使うため、熟成の完了した樽を馬車まで運び終わったあと、不意にスカーレットからワインの銘柄について話を持ちかけられた。
「これまではずっと我が家の紋章をボトルのラベルに使用してきましたが、今回を機にそれを一新しようかと思いますの。つきましてはエミカに新しい素案を出してもらいたいのですわ」
「……え、私が?」
いや、そんなこといきなりいわれてもね。ボキャブラリーが貧困な私じゃ気の利いたことなんて何も思いつかないよ?
「……ん~、モグラ農場産のブドウで作ったから、モグラワイン? ふざけてるわけじゃなく、マジでそれぐらいしか思いつかない……」
「でしたらエミカ、モグラ屋さんのあの看板をラベルに使ってもよろしくて?」
看板?
あー、あのモグラが穴から顔を覗かせてる〝ロゴマーク〟ね。なんかあれさ、いつの間にか小麦の袋にも刻印されるようになったんだよね。元々は看板屋さんがお店のために描いてくれたやつなんだけど。
「別にいいけど、その前にほんとにモグラワインでいいの……?」
「わたくしは気に入りましたわ」
スカーレットが胸を張ってそういうならもう私が反対する理由はなかった。これから大モグラ農場で採れたブドウで造るワインは、すべて〝モグラワイン〟として売り出すことが決まった。
「んじゃ、お金持ってる人たくさん集めてくるね」
「はい。どうかお頼みいたしますわ」
昼頃までパン工場のほうを手伝うというスカーレットと別れて、私は馬車でアリスバレーに戻った。
そのままギルドに立ち寄ってぺティーと合流。今回の交渉行脚、売買契約に関して知識の乏しい私1人では厳しい。なので彼女には早い段階から同行のお願いをしておいた。
「大口・中口・小口、それぞれ契約書を準備しておきました。契約後、顧客には期間以内にこちらが指定する金庫に代金を納めていただく形となります」
「アリスバレーと王都、どっちの銀行でもいいの?」
「はい。すでに王都にも商会を通じて金庫を開設してありますので」
「おっけー。んじゃ、予定どおりはじめよっか。まずはアラクネ会長からだね」
ぺティーと合流後、すぐ会長室に向かった。
そこにはちょうどロートシルトさんの姿もあったので、手はじめにこの街の最大権力者2名に売りこみを開始。
あらかじめモグラの爪の中に取りこんでおいたワイングラスをリリースして、台車に乗せて運んできた樽からルビーのように赤いワインを注ぐ。
余計な口上は不要、物は試し。というわけで、2人にはさっそく試飲してもらった。
「嫌な苦味も酸味もない。それでいてしっかりとした風味と甘味があるわね」
「ほー、これはいい。上等ですな」
実際のモグラワインは大モグラ農場でこれから採れるブドウを使うので、品質が異なる可能性がある。もちろんその点もしっかり説明しておいた。
「事情は知ってるし、いいわよ。私もロートシルトも1口乗るわ」
「ほっほ、ワインはいくらあっても困りませんよ」
2人ともその場であっさり大口の契約書にサインしてくれた。さすがはこの街の権力者様方だね。なんて頼もしいんだろう。
でも、1億というノルマはまだ遠い。他にワインを買ってくれそうなお金持ちに心当たりがないか、私は2人に訊いてみた。
「この街で一番の大富豪なら目の前にいるわね」
「え? それって、もしかして……」
「わざわざ確認を取る必要がある?」
「あはは。もー、アラクネ会長ってば、今はそういう冗談いいですから!」
「……自覚がないのなら何もいえないわ。そうね、この場にいる人間以外っていうなら、今モグラちゃんの家でお世話になってる子は?」
あ、そっか。パメラがいたね。
由緒正しきファンダイン家の生まれで、しかも〝竜殺し〟とかいう物騒な異名を持った超上級冒険者様だったよ。
あれ?
でも、会長なんでパメラのこと知ってるんだろ?
ユイとは少し前に顔合わせてなぜか軽く修羅場になったけど、ギルドに連れてったことなんてないし……。
うーん。
ま、いっか。
あの見た目のパメラにお酒を勧めるのは倫理的問題が発生しそうだけど、とりあえず今日は授業のある日だったので、私はぺティーを連れて教会に向かった。
「なんだよ、急に外に呼び出して」
「フッフッフ、まあまあどうぞ一献。ぐいっとやっちゃってくださいよ」
「ん? この香りと色、ブドウ酒か?」
「うん。パメラに味の感想を訊こうと思って」
「……」
「ささ、遠慮せずにどうぞどうぞ」
「まさか毒とか入ってねぇよな……?」
やたらと警戒心を剥き出しにしてたけど、ワイングラスに口をつけた途端、パメラの表情はふっと和らいだ。
「美味しい?」
「あ、ああ……ワインはあまり知らねーが、うまい酒だってのはわかる」
「んじゃ、今度私からプレゼントするね」
「は? これかなり高いやつだろ? いいのかよ?」
「えへへ、いいよ。いつもシホルとリリの面倒見てもらってるお礼だから」
「……そっか。礼か。んじゃ、わざわざ断るのも気持ち悪ぃからな。ありがたくもらっとくわ」
と、これで大義名分が立ったので私も大口の契約書にぱぱっとサイン。この手はなしだと考えてたけど、ウチにはパメラがいたのでセーフとしよう。きちんと飲んで消費するわけだしね。
「――酒好きの上級冒険者だって? いや、心当たりは山ほどあるが……姫さんよ、そんな連中になんの用があんだ?」
そのあとガスケさん経由で対象の冒険者を紹介してもらったり、ギルドの酒場なんかとも契約を結んだ。
「エミカさん、次はどうしますか?」
「んー。もう当たれるところは当たってみたし、そろそろ本命のほうにいってみようか」
「わかりました。では、馬車の手配をしてきますね」
やがて新規契約も頭打ちになってきたところで、私たちはいよいよ王都へと出発した。











