午前 10時47分
馴染みのカフェにバイクを停めていると、テラス席で小柄な女性が手を振るのが見えた。
胸の中に、微かなさざ波。
急いでほいほいと向かうのも何だか悔しいので、わざとゆっくりヘルメットを脱ぐ。
彼女が座るテラス席を横目に、いったんスルー。店内に入って、マスターにクラブハウスサンドとコーヒーのセットを告げる。
一呼吸置いて、振り返った。
今日のアイツは真っ白なカーゴパンツに、なんだかクシュクシュした質感の黒シャツを羽織っている。透け感のあるシャツの下から、ラベンダー色の花柄キャミソールが薄っすら見えた。
上半身は女性的なのに、ボトムはクラッシュ加工でややワイルドな印象。いまも無造作にホットドッグを噛りながら、こちらにヒラヒラと手を振っている。
そのギャップが何とも彼女らしくて、思わず目を細めてしまう。
はやる気持ちを抑えながら、ゆったりとテラス席へ出た。
「あれ、なんだか…… 背伸びてない?」
「そんな訳ないだろ。もう四捨五入したら三十歳だぞ、オレも」
「うわ、そーなんだ。歳取ったね。オッサンだ」
「いや、同い年だから。そっちもオバハンだろ」
「むー 私はいいの。年取らないから」
マスターが席にやってきて「いらっしゃい」と低く響く声で彼女に告げる。
いや、おかしいだろ。いま来たのはオレだよ、マスター。
「きたきた! 美味しいんだよね、ここのクラブハウスサンド」
「いや、これ、オレのだから」
「男のくせに細かいなぁ。じゃ、コレと交換してあげるから」
「もう四分の一しか残ってないだろ、このホットドッグ」
「いっただきまーす」
満面の笑みでオレのクラブハウスサンドを頬張る彼女。鼻の頭にさっそくソースつけてるし。
相変わらず、惚れ惚れする食いっぷりだ。女にしとくには勿体無い。
「で? 今日は何だよ」
「ん、何もないよ」
「何もないのに…… オレを朝から叩き起こしたわけ?」
「なによ。こんな美人から誘ってあげたのに不満なの?」
「む……」
思わず、言葉に詰まる。
理由は……胸の中を探ってみたが、不満の言葉なんて一つと見当たらなかったから。実際、目の前の女性は整った顔立ちをしている。物凄く。
ふとしたことからお互い気が合うことがわかって、こうして度々会ったりしてるけど…… 普通だったらなかなかお近付きにはなれないだろう。
もっとも、見た目と中身とのギャップも相当激しいわけだが。
「あ、そーだ。コレ、知ってる?」
ソースで汚れていない薬指と小指を器用に使ってバッグから彼女が取り出したのは、クシャクシャに折り畳まれた美術館のフライヤーだった。