もう一度
もしもあの日誰にも言わずに過ごしていたら。
もしもあの日なにも見なければ。
きっと今の世界は変わってたのかもしれない。ごめんね。みんな。
1997年。私は次女として生まれた。
父、母、3歳離れた姉、そして私。4人で小さなアパートの一階に住んでいた。
父と母は同じホテルで働いており、そこで職場結婚をした。出産をおきに退職した母は専業主婦になり、父は家族のために、前よりも多く働いた。
3歳になった私は今でも覚えている。
夜中に鳴った母の携帯。
『病院からだ。』不安そうに答える母。
父が病院に運ばれた。ストレスによる胃潰瘍。
ここから私たち家族はもうすでに壊れていたのかもしれない。
3歳を過ぎた私は、人見知りが激しかった。父、母、姉以外誰とも話さず、いつも母の後ろに立っていた。
胃潰瘍になった父は仕事を辞め、農家である父の実家に住むことになった。
見渡せば田んぼと畑。コンビニなど一つもなく、あるのは小さな個人経営の商店。
都会暮らしをしていた私にとってそこは、暮らせないのではないかという不安が今でも覚えている。
ガラガラと玄関の扉を開ける姉の後ろに立ち、今日からここに住むのだと実感した私は、祖父も祖母も怖かった。ほとんど話したことのなかった私にとって地獄のような生活だった。
何カ月か過ぎ、徐々に祖父母にも慣れていった。母は引越しをおきに仕事をし、父も自宅の農家と市場の仕事を掛け持っていた。共働きだった私にとっての話し相手は、曽祖母だった。ひいじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっており、お姉がつけたのがおじいちゃんとおばあちゃんを足して、『おばあくん』と曽祖母のことを呼んでいた。
私も真似をして、いつもおばあくんおばあくんと呼び、一緒にテレビを見たり、お菓子を食べたり、時には掃除に厳しくて、喧嘩することもあった。
しかしおばあくんは誰よりも悩んでいたのだと今思う。
祖母はおばあくんが本当の母にも関わらず、強い口調で命令し、準備、片付け、そして掃除、すべてをおばあくんにさせていた。70歳を過ぎたおばあくんにとってはきっと過酷だったであろう。
しかしおばあくんはいつも笑顔だった。近くにいる幼馴染みが遊びにくると頬を赤く染めていつも楽しそうに話していた。きっと私の頬がいつも赤いのはおばあくん譲りだろう。
私が小学5年生になった頃、おばあくんの様子が一変した。
いつもの優しいおばあくんではなく、叫び、『誰かが私をよんでいる。』何度も何度も私の手を掴み、訴えてくるおばあくんの姿だった。
『うつ病』
おばあくんの病名だった。
小学5年生の私でもわかる病気だった。『ひいじいちゃんが迎えに来た。だから私も行かないと』
『すぐ行くからね待っててくださいね』
おばあくんはいつしか口癖のように、体をゆらゆらしながら言うようになった。
時には部屋を飛び出して、裸足のまま外に出歩いたり、急に泣き出すこともあった。手に負えなくなった祖母は疲れ切ってしまい、徐々に家族が崩壊しかけていた。おばあくんの幼馴染みは必死に声をかけてくれ、おばあくんはその時だけ、心が穏やかだった。
だが、世間体を気にする祖父が、いつしか幼馴染みのみえちゃんを拒否するようになった。きっと狭い地域で、悪い噂になりたくなかったのであろう。
それにより、おばあくんはさらに、年のせいか、介護も必要になった。
今日はご飯を作れなくなった。
今日は歯が磨けなくなった。
今日はトイレに1人で行けなくなった。
今日はご飯が1人で食べられなくなった。
変わり果てたおばあくんの姿に私はいつしか目をそらすようになってしまった。
『おばあくんさえいなければ友達が呼べるのに。』
そう思うことさえあった。
友達と約束をし、出かけようとした時、おばあくんが何度も『オー』『オー』呼んでいる。家には私1人。
重い足取りで、部屋に向かうと、倒れ込んだおばあくんの姿があった。
そっと近寄ると、トイレに行けずに転んでしまい、我慢できずにもらしてしまったおばあくんの姿。
私は逃げたくなった。汚い。そう思ったからだ。
しかし、涙を流して何度も謝るおばあくんに、私はとっさに手を握った。
大丈夫だよ。
そんな言葉をかけてあげればよかったのだろうか。
私は何も言わず、がりがりになったおばあくんを抱き上げ、ベットに寝かせ、泣きながらおばあくんのおしっこを拭いた。
汚い。そんなことを思った自分が許せない。そんな涙だった。
ごめんを言い続けるおばあくんの隣で、眠りにつくまで私はそばにいた。
『ごめんね。』
幼稚園で友達ができなかった私に声をかけてくれた
怒られた時にこっそりチョコレートを二つくれた
一緒に四時に始まる水戸黄門を見た
自分の母のように育ててくれた
寂しい時、ずっとそばにいてくれた
そんなおばあくんに目をそらした自分が情けなかった。
毎日文句を言いながら介護する祖母に嫌気がさした日もあった。おばあくんは私が守るとも思っていた。
しかし、我慢の限界を超えた祖母は、おばあくんを施設に入れることにしたのだ。家族からいなくなる。もう二度と帰ってこない。それがおばあくんにとってよかったのだろうか。
しかし小学生の私には何もできない。それが現実だった。
食卓におばあくんの姿が消えた。いつも朝の7時に、トイレと叫ぶ声が消えた。おばあくんの部屋はお父さんの部屋に変わった。
これで家族が幸せになったのだろうか。いつもいてくれたはずのおばあくんがいなくなった私は、いつしか家族と距離を開けるようになっていた。
裏切られた。そういう気分だった。
中学生になって、部活動を始めた。
放課後、そして土日。体がボロボロになるまで、必死に動き続けた。何かに没頭したかった。それと同時に祖母が買ってくれたパソコンにハマった。
ブログ
これが私にとってのストレス解消だった。むかつく友達の愚痴を書き、コメントで共感と言われる喜び。いつしかそれは私を止められないところまでいってしまった。
部活で気にくわない友達のことを書いた。それがどこかで伝わって、担任に呼び出された。
父、母、そして記事にした友人の母。そして担任。
夜に学校に行き、相手の親はすごく怒っていた。父、母、私3人で土下座した。
2人に土下座させた罪悪感。
なぜ私だけ。他の人もやっていたのにという複雑な気持ち。
感情が混ざったまま担任に慰められる私。
正直すべてを捨てて逃げたいとも思った。私の記事を見て担任が相手の親に言わなければ。ただ注意してくれていれば。私の人生は変わっていたのかもしれないとまで思った。
両親の前でいい教師を演じる担任に嫌気がさしたが、休まず学校に行った。
朝、昼休み、放課後。担任に呼び出され、攻められ、精神的に疲れ果ててきた。
総合の時間には学年全員に『A』さんとわかりやすいイニシャルで私が書いたブログを見せ、こんなひどい人がいるなどと授業で話し、私は一瞬で居場所を失った。影であの子じゃない?そう言ってくる声が私の耳に入る。
『私なんか居なくなればいい。』
そう思った。
物がなくなれば私のせいにされ、影でこそこそと噂は広まり、私は完全に居場所を失った。
通学路にある大きな橋を渡るとき、ここから飛び降りれば死ねるのだろうか。そう思う毎日だった。だが、自分がやったことは事実だから、両親には言えず、私の話し相手は、お墓に眠る会ったこともないひいじいちゃんに話しかけることだった。
『じいちゃん助けて。ごめんなさい。私なんか居なくなればいいのに』
日が暮れるまでお墓の前で泣いてる私は返ってくることのない返事だとわかりながらもただただ聞いて欲しくて毎日通った。
心配かけるのが嫌で、毎日学校に行った。相変わらず友人達の目は痛かった。でも行った。
親に心配かけたくない。
ただそれだけの理由で通った。
三ヶ月が経って、徐々に噂はなくなった。友人も話しかけてくれるようになった。学校が楽しくなった。この時から初恋の相手ができた。
1つ上の幼馴染みだった。
帰る時間をわざと合わせたり、行く時間も合わせた。バレンタインはあげられなかった。そんな青春の中、私は現実を突きつけられた。
母の浮気
ショックだった。社員旅行と言っていたのは嘘。
浮気相手と旅行に行っていた。
見たくもない幸せそうなメール。
『愛してる』とか『好き』とかそんな文字を見るたびに、悲しさよりも怒りがわいた。
裏切られた気分だった。
お土産にもらったぬいぐるみを持って、母の部屋に行った。
ぬいぐるみを投げ捨てた私に母は不思議な顔をしていた。
『いらなかった??』
そんな言葉なんて聞きたくない。
お父さんじゃない人と抱き合って一つになった。そんな母が汚くて仕方なかった。
その日から私は荒れた。
髪を染めて学校もサボって、早退して。そうやって現実から逃げた。
大事な人から裏切られた。
忘れたくても忘れられないメール。
こんなの間違ってることくらい私が一番わかっている。なのにやめられない。
誰か止めて。
そう心の中で必死に叫んだ。
誰にも言えない悩み。本当は誰かに言いたい。だけど言ったら。。
そう思うと、どんどん心が押しつぶされそうだった。
母との微妙な距離を保ったまま、受験生になり、私は必死に勉強した。
隣町の高校に後期で受かり、好きだった幼馴染みが所属するバスケットボール部に、マネージャーとして入部することにした。
中学生の私を知ってる人なんかほとんどいない。生まれ変わろう。そう決めて入学した高校。
毎日がキラキラしていた。
好きな人と毎日いれて、ちやほやされて、そんな毎日が楽しくて仕方なかった。
入部して一ヶ月が経った頃、好きだった人に告白された。もちろん付き合うと返事した。幸せが絶頂期に達した瞬間だった。
家デート、デート、そして一緒に手を繋いで帰る。こんな幸せなことはなかった。
でも違った。
彼は私の体が欲しかった。
どっちが先に童貞卒業できるか。
勝負をしていた。
ショックと恥ずかしさで逃げたくなった。
でも昔の私とは違う。友人がたくさんできたからか、そんなに落ち込まなかった。
部活で会う気まずさは大きかったが、他の部員が支えてくれた。
だから部活が私の生き甲斐になった。
毎日ドリンクを作り、時間をはかって、ボールを拾う。そしてモップをして、ドリンクのボトルを洗って、水道の元栓を閉めて帰る。
こんな平凡な仕事が私には楽しくて仕方なかった。
先輩方が引退して、すごく弱いチームになった。大会はいつもビリ。それでも楽しかった。
部員が優しかったから。
引退試合の日、車で3時間の体育館で行った。一回戦はギリギリ勝った。
二回戦はあっという間に負けた。
私にとっての高校生活があっという間に終わった。
そう思った。
引退してから一ヶ月が経った。
私はAO入試があり、面接練習をしていた。家にいる時間が増え、お母さんとお姉ちゃんは帰宅が遅いため、その他のみんなでご飯を食べていた。
その時からだろうか。父のメールのやり取りが増えたこと。
食事中、運転中、お風呂中、寝る前。
父はいつも携帯を触っていた。
機械音痴の父が。何をしているのだろう。そう不思議に思ったがどうでもいいと思って普通に過ごしていた。
ピロリン♪
父の携帯が鳴った。父を呼んだがうたた寝しており、仕方がないから、父の顔の近くに置こうとした。
『由紀恵』
女の人からだ。仕事上父は接客の仕事をしていた。だから仕事のメールだと思い、急な用事かもしれないと考えた私は父を叩き起こした。
携帯を見た父は慌てた様子で部屋からでていった。
おかしい。
私はあの日と同じ気持ちになった。
母の浮気を知った日。
父はいつも私のわがままを聞いてくれた。学校の送り迎えだって、行事だって、誰よりも褒めてくれた。そして心配してくれた。
そんな父を信じ、私は携帯のことを考えるのをやめた。
『ピロリン♪』
一日に何度も鳴る父の携帯。見えてしまう同じ名前。
私は父がお風呂に入ってる時、いつもは持っていくはずの携帯を忘れたのか、リビングに置いたままにしていた。
チャンスだ。
頭の中で、見てはいけないと思う気持ちと真実を知りたいという気持ちが混ざった。しかし体が勝手に父の携帯を
とっていた。
暗証番号
父は機械音痴。きっと簡単だろう。
父の誕生日。違う
母の誕生日。違う
私の誕生日。違う
姉の誕生日
開いた。
メールをクリックした。そこにはあの日と同じ。
愛してる。幸せだ。そんなメールが残されていた。
どこかで疑っていた自分がいたのだろうか。ショックも悲しさもなかった。
残ったのは怒りだけだった。
また隠せばいい。私はそう思った。何もなかったように父の携帯を元の場所へ置いた。
父とは普段通りに生活できていた。
ある時、父の仕事の手伝いのために、車で30分程の所に行った。
地味めの事務の女性が挨拶をしてきた。私が挨拶を返そうとした時、父が笑顔で今日も頑張ってるね。
『由紀恵』
そう名前を呼んだのだ。
間違いだよね??きっとそう。間違い。
私は混乱を隠したまま、手伝いをした。
違う違う。絶対に違う。そう言い聞かせた。
だがそれは間違いだった。
今日は夕方なのに会えて嬉しかったよ。娘さんはあなたにそっくりね。
メール文を見てしまった。
やはりそうだったのか。
会社で社員に見つからないようにキスをし、遅番だと家族に嘘をつき、ホテルへ行っていた。
お小遣いが少ないと母に文句を言っていたのも、ホテル代。そして浮気相手へのプレゼントを買うため。
抱えきれなくなった私は、姉へ相談した。
冷静な顔で姉は、ほっとけばいい。
そう言った。私は我慢ができずに言ってしまった。
母に。
元々仲が悪かった両親だった。だから母は離婚を選ぶだろう。
そしたら田舎から出れる。
そしたらカチャっと音がする可愛い玄関があるとこに住める。
煮物や干し柿から抜け出せる。
そう思った自分がいた。
母は私にこう言った。
証拠を集めないとね。
悲しい顔を一つせず、冷静に私に言ってきた。自分も浮気してたくらいだ。そりゃあ悲しむわけない。
私は1人で納得した。
私はその日から、こそこそと父の携帯をチェックしては母に報告した。
そしてゴールデンウィークに入った頃、母は実家に帰った。そして祖母に、旦那が浮気していることを言ったのだ。
浮気を最初にしたのは母。
被害者ぶる母に私は納得がいかなかった。
だが、黙ってみてることしかできなかった。どっちにも捨てられると思ったから。
母方の祖父と祖母は怒りを抑えきれず、父を呼んだ。私が残した証拠を一つ一つ父に見せ、驚きながらも正直に父は事実を話し始めた。
母と仲が微妙になった頃、会社先で出会った女。あちらも私と同じ年齢の子供がいて、旦那もいる。浮気相手も旦那とうまくいっておらず、それで共通の話で盛り上がり、そして抱いた。
父が事実を話したあと、母は父の頬を叩いた。『ふざけんな』そう言って。
私はどちらも同じ裏切り者にしか思わなかった。ただ、母についていけば、生活が変わる。そう思ったから母に味方した。
父は私と姉に土下座をして謝った。やり直そう。そう言いながら。目に涙を溜めて。
だが、結局夏休みに入り、親は離婚。そして3DKの二階建てのアパートに住んだ。
母、姉、私。家族が一気に減った寂しさと後悔、そして不安が一気に押し寄せた。
『私が言わなければよかった』
ただそう思う毎日で、それから逃げたかった私は必死にバイトした。
ダブルワークをして、少しでも家に帰る時間を減らした。一日12時間以上も働き、家に帰れば寝るだけの生活。
すれ違い。
家族はみな仕事仕事になっていた。
でもそれが私からしたらすごく楽だった。
それから月日が経ち、私は短大に入学した。
新しい友達がたくさんできた。お弁当を食べている時、友人の1人が私に聞いてきた。
『おとうさんどこの会社ー?』
『サラリーマンやってる』
嘘をついた。お父さんがいないなんて恥ずかしくて言えなかった。
それからは単身赴任のふりをしたり、バイト先でも嘘をついた。
今さらお父さんがいないなんて言えない。だから私は必死に嘘をついた。
入学して一ヶ月が経った頃、高校の先輩だった人と会った。話したこともない。ただかっこよくてスポーツができる先輩。バンドもしていてキラキラしていて憧れていた。
私のことなんか覚えてないだろう。
そう思っていたら、先輩が私に声をかけてくれた。
その日からラインを交換し、たまに私のバイト先に来てくれた。車の中でたわいもない話をして、夜中にドライブをした。そんな普通のことが楽しくて、いつの間にか私は好きになった。
優しくて面白くて、私の話を聞いてくれる。
今まで付き合った人のなかで、一番好きになった。
だから、私の家のことも話した。
全部受け入れてくれた。
私は生きてきた中で、こんな幸せがあるのかとさえ思った。
勇気をだして告白して、付き合って。
私の人生はキラキラした。
辛い日があった時、嬉しかった時、寂しい時、彼はいつもそばにいてくれる。
初めて本当の私をだせる人ができた。
私にとって19年間は、辛いことの方が何倍も楽しいことよりあった。
おばあくんとの別れ、彼氏に裏切られ、母の浮気、父の浮気、そして離婚。
きっと私にとってこれから先も辛いことがたくさんあるだろう。
病気になるかもしれない。また裏切られてしまうかもしれない。
でも私は今を、大切に生きたい。
子供は親を選べない
親は子供を選べない
だから私は選ばれたこの人生を精いっぱい生きたいと思う。
離れてしまった父も、そして新しくできた父も、母も。
私にとっては大切な家族だ。
裏切られ、嫌いになると思ったときも、一生懸命育ててくれた感謝の方が大きくて、今では感謝している。
生まれなければよかったと思った日もある。きっとこの先もあるかもしれない。
だから私は伝えたい。
もう一度人生がやり直せるのなら。
もう一度同じ人生を歩きたいと。
まだ19歳なんだ。子供だね。
そう思う人はたくさんいるだろう。
だが、大切なのは年齢じゃない。
どれだけ自分の人生と向き合えるか。
私はそう思う。