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郡上八幡 少し昔の話~智子の話~

作者: こにゃんこ
掲載日:2016/04/26

少し昔、郡上八幡に一人の女の子が住んでいました。少し昔というのは、テレビやお家の電話はあるけれど、まだまだ携帯電話なんて影も形もなかった頃のお話です。

女の子は智子という名前でした。智子の家は職人町にありました。智子の家族は、お父さん、お母さん、おばあちゃんとふたりのお兄ちゃんの六人家族でした。

お父さんは木工所で働いていて、お母さんとおばあちゃんは家で内職をしていました。専らお母さんはミシン仕事、おばあちゃんは手縫い仕事でした。

お母さんは、既製服の一枚縫いをやっていました。一枚縫いというのは、沢山の裁断されている布を、最初から最後まで一人の人が縫い上げることで、終わる時には、同じお洋服が何枚も出来上がっているのです。反対に部分縫いというのは、何十枚もファスナー付けならファスナー付けだけをやって、それが終わると、また次の人の家で、今度は脇縫いなら脇縫いだけをやってもらうことを言います。お母さんは部分縫いを頼まれても、絶対に引き受けませんでした。一度だけ引き受けた時に、前の人の仕事が汚く、その人のやったところをやり直していたら、かえって時間がかかるばかりで、ちっともはかどらなかったというのが理由です。それ以降、お母さんは一枚縫いの仕事しか請けなかったので、智子の家には、まだお店に出回る前の、同じデザインのお洋服がいつも出来上がっていました。

智子は保育園に上がる前の小さい頃、いつもお母さんのミシンの横に座ってお手伝いをしていました。お手伝いといっても、製品につけるネームを切ったり、ベルトの芯や平ゴムを見本と同じ長さに切ったり、それを数えたりすることです。お母さんにしてみたら、多少間違えても、大勢に影響のない仕事をさせていたのでしょう。いつもお母さんの仕事部屋でお手伝いをしながら、新しいデザインのお洋服を目にしていたので、智子は自然と洋服好きの女の子に成長していきました。

おばあちゃんはというと、着物の仕立てをしていました。郡上八幡は郡上踊りと言われる盆踊りの盛んな地域です。春が過ぎる頃になると、おばあちゃんは浴衣の仕立てで大忙しでした。踊り好きは毎年浴衣を新調する人もいますし、揃いの浴衣を作る人たちもいて、おばあちゃんの部屋の隅には、いつもいつも呉服屋さんから持ち込まれた反物が積んでありました。

智子はあまりおばあちゃんの仕事には興味がありませんでした。おばあちゃんの部屋には、あまり入る事も無く、お手伝いをしたこともなかったからです。おばあちゃんの部屋は、狭い家の中の、一番奥にある狭い部屋で、子供禁制になっていました。というのも、浴衣もさることながら、冬物の着物はどれも絹物で、智子やお兄ちゃんたちが間違って汚したりしようものなら、取返しのつかないことになるためです。

おばあちゃんは、腕のいいお針子さんだったので、絹物の仕立ても途切れることはありませんでしたが、それでも、浴衣の仕立ての多さは比べ物になりませんでした。呉服屋さんが、反物とサイズを測ったメモを一緒に持って来ると、おばあちゃんは「ええ柄やんなぁ」と言うことがあります。智子はおばあちゃんの言う「ええ柄」はちっとも良く見えません。智子がたまに可愛らしいと思う柄は、おばあちゃんはまるで興味がなさそうです。なので、智子の中では、和装そのものがおばあちゃんぽいというイメージがすっかり出来上がってしまいました。

智子の住む職人町は、夏になると踊り会場になる本町や大手町にも近く、智子は小さい頃から踊りを見て育ちました。

といっても、踊りそのものにはあまり興味が無く、踊るのは大人のすることだと思っていました。そのため、徹夜踊りの日でさえ、沢山出ているお店を見に行って、かき氷やたこ焼きを食べるだけで、踊りの輪にろくに近づいたこともありませんでした。大人というのは、一体いくつ以上の人を指すのかは、漠然としていましたが、自分はまだ参加年齢には達していないと思っていました。

靴のサイズが二十三センチになった五年生の夏、八月に入ってすぐの暑い日、学校のプールまで歩いて行く途中、友達のゆきちゃんから、徹夜に行こうと誘われました。それまで、踊りの中でも盂蘭盆会(十三日から十六日)の徹夜踊りは、子供の参加するものではないと思っていたので、少し悪い遊びに誘われたような気分になりました。智子はちょっとどきどきして聞きました。

「ゆきちゃんとこ、お母さん、行っといでって言っとくれるか?」

ゆきちゃんが言いました。

「うちは、お母さんが行きたいんやで」

「えぇ!そうなんか?」

「本当は、夜中に出て行って、明け方の、終わりの時間まで踊りたいんらしいけど、私が一緒やで、早い時間に行って、早う帰るって。一緒に行かんか?」

「お母さんに聞いてみる」

「そうやな。うちはお母さん行く気満々やで、絶対行くで。どうせお父さんはお盆休みで、野球見ながらビール飲んで寝てまうで、ほっといて二人で行こって言っとった。弟は踊りになんか行かんて言うで、お父さんに任せるって言いよった」

「そうなんか。ゆきちゃん踊れるんか?私、いっぺんも行ったことないんや」

「私もや。お母さんに教えとくれって言ったら、『そーぉんなもん、踊り場で上手な人見て覚えるんや』って言われたし。郡上の踊りは、飛び入り参加の楽しさなんやと。誰でも最初は下手で当たり前、下手でもなんでも、ぶっつけ本番、見よう見まねで踊って、楽しゅうなったらそんでええんやと」

智子はゆきちゃんのお母さんが、随分頼もしい人に思えてきました。うちに帰って、早速今年の徹夜に行きたいと話そうと思いました。


その日の夕食の後片付けを手伝いながら、智子はお母さんに、ゆきちゃんから徹夜に誘われたことを話しました。

「お母さん、ゆきちゃんと徹夜行ってもいい?」

「ゆきちゃんと二人でか」

「ゆきちゃんのお母さんも一緒」

「徹夜は人も多いし、まだ小学生やでなぁ。迷子にならんか?」

「ならんろ。なっても帰って来れるし」

「はぐれると心配しなれるがな。ゆきちゃんのお母さんに迷惑かけるとだちかん」

「ゆきちゃん、早う行って早う帰るって言いよった」

そこでおばあちゃんが会話に加わりました。

「おまんも智子について行ってやんなれ。坊ンたも行くなら、兄弟みんな連れて行ってやんなれ」

「お兄ちゃんらは、二人とも行かんろ。行くなら友達と行くンないか。二人は中学生やし、男やで。

民子さんとこは何日においでるんや?」

民子さんというのは、お父さんのお姉さん、つまり智子のおばさんです。同じ郡上でも、美並という美濃市寄りの地域に嫁いでいて、男の子が二人ありました。

「あそこもお客さんあるでな。お客さん帰ってから、十五、十六で来るようなこと言っとったでな。ほんでも、何日に来たって、踊りは夕食の後やで、誰が来とっても行けるろ」

「ゆきちゃんは、何日に行くって?」

お母さんは智子に向き直って聞きました。

「今日は、十五日って言いよった」

「そうか、なら、まぁ、行くことにしなれ。お母さんも一緒に行くって」

「おばさんたち、来たら一緒に行くやろか?」

「どうやろ、あそこも男の子ばっかやでなぁ。いつもはお店見にいくだけで、ちっとも踊らんな。おばさんは本当は踊りたいんやろうけどな。とっちゃんはもう高校生やし、ゆうくんは今年受験生やで、二人は来るかどうかも分からんな」

「受験生はお盆の間も勉強するんか。うち、お兄ちゃん受験生やけど、勉強せんがな」

そこでまたおばあちゃんが言いました。

「ゆうが勉強なんかするはずがないがな。うちに来なんだら、よそ行って遊んどるくらいが関の山や。としは来んかもしれんけど、ゆうは絶対来るわ。あれは踊らんでも、徹夜に行くが楽しみで来るんやで」

「そうなんか」

「そうや。あれの勉強嫌いなとこや、お調子者でお祭り好きなとこは、民子の若い頃そっくりやでな」

「おばさん、勉強しなんだんか」

「しとったら、まぁちいと賢うなっとるろ」

智子はおばさんが好きでした。おばさんはなんとも頼もしい大人でした。

女の人が運転免許を持つことが少なかった当時、おばさんは免許を持っていて、よく軽トラックに野菜を積んで智子の家に持って来てくれました。冬になると、家の樽で漬けた白菜を沢山くれました。春には山菜採りに行き、どこにわらびやぜんまいがあるか、どこに蕗があるか、よく知っていました。どうやって灰汁抜きをし、どういう食べ方があるか、お母さんはよくおばさんに聞いています。時々、佃煮に作ってから持って来てくれたりもします。智子にとっておばさんは、色んなことを知っていて、頼れる大人でした。

おばさんはお盆に来ても、踊りには行ったことが無いような気がします。智子はおばあちゃんに聞いてみました。

「おばさん、踊れるんか」

「そら踊れる。美並に行くまでは、よう踊りに行ったでなぁ」

「どして今は行かんのよ」

「嫁に行ったら、子供連れとるで、なかなか行けんようになる」

「もう二人とも大きいがな」

「何年も踊らんうちに、面倒臭うなるンないか」

「今年は行くやろか」

「どうやろ。来たら聞いてみなれ」

「行くなら浴衣が要るろ」

「なんよ、行くかどうかわからんがな」

そんな話をするうちに、智子はなぜか絶対におばさんは踊りに行くに違いないと思えて来ました。

「そういや、智子、おまんの浴衣、今年着れるか?」

おばあちゃんが言いました。そう言われればそうです。去年までの浴衣は、去年の時点でかなり丈が短くなっていたはずです。多分、今年は着られないほど小さくなっている気がします。

「おばあちゃん、作って」

「そう急に言われても、だちかん。うちのもんは、秋になって暇な時しか作れん。踊りのあるうちは、作る人がおいでるで、なかなか手が回らん。お母さんに聞いてみなれ」

「お母さん、作れるんか」

「そら、一通りはやれるはずや」

智子は驚きました。お母さんは洋服しか作れない人だと思っていたからです。

「ねぇ、お母さん、本当に作れるんか」

「そうやンなぁ。浴衣なら作れるか。袷は無理やけど、浴衣なら単衣やでなぁ。でも、結婚前にやったきりやで、ようやらんかも。盆前には仕事もひと段落つくで、作るならその時やけど」

「それ、徹夜に間に合う?」

「わからん」

「間に合わなんだら、着てくのないがな」

「そうなら、お母さんの着なれ。そうや、そういやあ、いっぺんも着とらんやつ、あったわ」

「それ、可愛らしいんか?」

「なんよ、失礼やし。相生のおばあちゃんが、八幡の町ン中に嫁に行くに、浴衣は一枚では笑われるやろって、反物買ってくれたで、三枚新しいやつ縫って持ってきたでな」

「自分で縫ったんか」

「当たり前や。まだ着てないやつ、一枚あるな。あれはもう、私には派手かもしれん。ちょっと大きいかもしれんけど、あれ着なれ」

智子はすぐにでも、そのお母さんの浴衣が見たくなりました。後片付けが終わってから、早速お母さんに浴衣を出してもらいました。

その浴衣は、濃紺の浴衣でした。柄は大きなひまわりで、他の色は入っていません。もっと赤や黄色が入っているのを想像していた智子は、がっかりでした。濃紺の地色も、黒に近く、もっと明るい青ならいいのにと思いました。

「えー、これぇ?」

「ほうや、ええ柄やんなぁ」

智子とおばあちゃんが同時に言いました。智子はまたがっかりしました。おばあちゃんの「ええ柄」は、いつも可愛くないのです。やっぱり、これは可愛くないんだと、智子は思いました。

お母さんはと言うと、おばあちゃんが「ええ柄」と言ったので、ちょっと得意そうでした。

「そうやろ、これ、私も相生のお母さんも気に行って、持ってきた浴衣の中で一番高かったんや。なんや、勿体のうて着んうちに、智子行きになったわ」

「えー、お母さん、私こんなおばさんみたいなの嫌や」

そういう智子に、二人がそれぞれに、

「ほんなら洋服で行きなれ」

「罰が当たるわ。そんなこと言うと」

と言いました。ゆきちゃんも、ゆきちゃんのお母さんも浴衣で行くのに、自分だけ洋服は嫌でした。去年までのはもう小さくて着られません。智子は仕方なく、お母さんのを着る事にしました。でも、あと何回かは、新しい浴衣が欲しいと言ってみようと思っていました。


次の日、またゆきちゃんとプールに行く途中、智子は昨日の浴衣の話をしました。

「結局、お母さんの着る事になりそうなんや」

「そうなんか。私は自分のやつなんやけど、私に作ってくれただけで、柄はお母さんが選んだんや」

「自分で選んどらんのか」

「お母さんが、もう大きゅうなったで、紺地がええやろって言って、いくつか見るうちに、そん中で、小さいお花のやつが可愛いらしいって思ったら、そんな地味なの、おばあちゃんの着る柄やって言うんや」

「そうなんか」

「もっと大きいのでないと、映えんって言うんや」

「へぇ…。で、どんなやつ?」

「葡萄の柄やったはずや。葡萄の所々に赤が入っとったと思う。やけど、あれ、一緒におっただけで、私選んどらん。結局はお母さんの好きな柄なんや」

「そうなんか。でも、ゆきちゃんのは新しいもんなぁ。私のはお母さんが嫁に来るときに持ってきたやつやで、お兄ちゃんが生まれるより前に作ったやつなんや」

「智ちゃんの、どんなの?」

「ひまわり」

「ひまわりなら、夏らしゅうてええがな」

「うん…」

智子はゆきちゃんが羨ましくなりました。お母さんが選んでも、ゆきちゃんのは新しく、自分の物なのです。

その日、帰ってから、智子はまたお母さんに浴衣の話をしました。

「おかあさん、ゆきちゃん、自分の作ってもらったんやと」

「それがどしたんよ」

「やっぱり、私も自分の欲しい」

「昨日見せてやったろ。あれ智子にやるで、智子のやつや」

「えー、あれ、お母さんのお古やん」

「お母さん着とらんで、お古やないがな」

「…」

「おまんな、あれ、相生のおばあちゃんが買ってくれた、お母さんのやつの中で一番ええやつなんやで。おまんに頼んでまで、嫌々着てもらわんでもええんやで。そんに気に入らんなら、服で行きなれ」

「それは嫌や」

「なら、わかったな」

「…」

智子はがっかりでした。昨日おばあちゃんが「ええ柄」と言ったので、お母さんはあの浴衣の柄に妙な自信を持ったように見えました。

お母さんとおばあちゃんは嫁と姑なので、時々、子供の智子にも、二人の雰囲気が悪い時があるのが感じられました。おばあちゃんが夜、ご飯の後で部屋に戻ると、お母さんはお父さんに、その険悪な雰囲気の原因になったことについて話をすることが度々あります。そういう時、お父さんは黙って話を聞いています。お父さんはいつも口数の少ない人で、男の人はこういうものだと智子は思っていましたが、それは何年も女二人に挟まれて暮らすうちに、お父さんが身につけた防御策の一つなのでした。お父さんがどちらかの肩を持てば、さっきまで小雨程度の低気圧だったのが、あっという間に巨大ハリケーンに成長し、あろうことか、第三者のお父さんに向かって襲いかかって来ることがあるからです。それはお父さんが、世の中で一番恐れていることでもありました。

ただ、この家の嫁と姑は、二人とも働き者でしたから、その点に於いては、お互いに一目置いていることは、智子にも分かりました。おばあちゃんはお母さんが大量生産の枠にはまって、次々に新しい洋服を仕立てていくプレタの世界を、感心して見ていましたし、お母さんはおばあちゃんの、和装という、いわばオートクチュールの世界に長く関わって来た、その歴史というものに尊敬の念を抱いていました。

その道のプロフェッショナルに褒められたのですから、お母さんはあの浴衣のことなんて、ずぅっと仕舞いっ放しだったくせに、急に自慢の品になってしまったのです。

…おばあちゃんが変なこと言うから。

智子は浴衣の柄の良し悪しなんてまるで分からないくせに、おばあちゃんを恨みたい気持ちになっていました。


大手町の踊りの日、智子は家から近いこともあり、徹夜の予行演習も兼ねて踊りに行ってみる事にしました。ゆきちゃんも、ゆきちゃんのお母さんも一緒に行くことになりました。

ゆきちゃんの家は本町にあります。少しだけ遠回りになるのですが、その日は智子の家まで迎えに来てくれました。なぜかゆきちゃんちは一家総出で、お父さんと弟も一緒です。

「あれ、今晩は。どしたんよ、今日は御主人まで一緒で」

「ゆきに新しい浴衣買ったろ。親ばかで、浴衣くらいの事で写真撮りたいらしいんや。そのために、わざわざストロボ買ったんやで。どうせ撮るなら、智ちゃんも一緒の写真撮っとくれって言ったら、ついて来たんや」

「そらまた、悪いんなぁ」

「ええて。あれ、智ちゃんの浴衣、ええ柄やんなぁ」

「そうやろ、本人気に入らんのや」

「何でや。よう映える柄や」

智子には「映える柄」が、今一つよく分かりません。褒め言葉、なんだろな…。

「智ちゃん、早う写真とってもらお」

ゆきちゃんが言いました。

「うん、でも、この浴衣嫌なんや。ゆきちゃんの、可愛らしいんなぁ」

その時、ゆきちゃんのお父さんが、ファインダーを覗きながら言いました。

「智ちゃんの、ええ柄やんなぁ。よう映えるわ。こら、写真の写りもええわ」

智子は、きっとこれがお母さんのお古で、智子が嫌がっているのをみんなが知っているから、慰めてくれているのだと思いました。

その日、智子のお母さんは、内職の納期が迫っているので踊りには行けないということで、ゆきちゃんと、ゆきちゃんのお母さんと、智子の三人で踊りに行きました。ゆきちゃんのお父さんは、写真を撮ったら、弟を連れてさっさと帰って行きました。野球の中継を見るためです。

智子のお母さんが言いました。

「悪いんなぁ。仕事も盆前で、今が追い込みなんよ。申し訳ないんなぁ」

「ええて。今日は徹夜と違うで迷子になるようなこともないで、心配いらん」

ゆきちゃんのお母さんが言いました。

三人で大手町に向かって歩いていると、途中で近所のおばさんに会いました。

「あれ、智ちゃんかや」

「うん、今晩は」

「また、大人に見えるし。ええ浴衣作ってもらったんやんなぁ」

「これ、お母さんのなんや」

「そうか、お母さん、またええの持っとったし。よう映えるがな」

…また出た。よう映える。褒め言葉には違いないようだけれど。

ゆきちゃんが言いました。

「お母さん、私の浴衣、だあれも、ちっとも褒めてくれんがな。お母さんの選んだの、あんまり良うないんと違うんか。やっぱり、私、お母さんの言うこと聞かんと、自分で選べば良かった」

それを聞いて、智子が言いました。

「そんなことないて。それ、可愛らしいがな。葡萄の柄なんて、私、今まで見たことないし。私の方が、昔臭うてごっついことないか」

「みんな、智ちゃんのはええ柄やっていうがな」

「ゆきちゃんは、これ、ええ柄やと思う?」

「なんかな、それ、はっきりしとる」

そこでゆきちゃんのお母さんが言いました。

「二人ともええ柄や。私のも、ええ柄やないか?」

ゆきちゃんのお母さんの浴衣は、細い縦縞に大きな手毬の柄です。可愛いけれども、大人を感じさせる浴衣で、いかにも浴衣を選び慣れている人が好みそうな柄です。

「たんと踊りに来といでるで、他の人の踊りも浴衣も、よう見なれ」

踊り場に近づいてきて、ゆきちゃんのお母さんはわくわくしているようでした。

その当時、まだまだ浴衣といえば、藍染めが主流でした。とはいえ、水色のような青から、黒に近い濃い藍もありました。柄も金魚、団扇、風鈴、蛍、朝顔、鮎、柳…。みんな本当に様々な柄を着ていました。

それまで、人の着ている浴衣に、こんなにも関心を払ったことはありませんでした。自分で選んでみたいという気持ちができて、初めて他の人の柄にも目が行くようになったのです。

智子はおばあちゃんの仕立物を見ても、着物なんて、色や柄が違ったって、洋服みたいには楽しくないと思っていました。洋服は色んな形があり、色んな組み合わせがあります。着物は同じ形のものに帯を組み合わせるだけで、結局、いつも同じスタイルだと思っていました。でも、今日初めて、揃いの浴衣を着ていても、色違いの帯を締めていると、浴衣そのものの印象まで変わってしまうことがわかりました。初めて『見る気で見た』、沢山の浴衣でした。

踊りの輪を見て、ゆきちゃんのお母さんが待ちかねたように言いました。

「ほれ、練習、練習。踊るで」

智子は全然踊れないので、一瞬躊躇いました。ゆきちゃんも同じです。その二人をまるで気にしないで、ゆきちゃんのお母さんはずんずん輪に入って行きます。ゆきちゃんが思わず言いました。

「おかあさん、待ってよ」

「なんよ、もたもたしとらんと、ついて来なれ。上手な人見て踊るんやで」

「待ってよ」

「待てん。早う、入りなれ。ほれ、後ろが困るろ」

そう言うと、ゆきちゃんのお母さんは後ろの人に、

「悪いんなぁ、この子ら初めて踊るで、もたもたして」

と言いました。後ろの人は、踊りながら笑っていました。踊りながら前を開けてくれたので、ゆきちゃんと智子は並んで輪に入ることが出来ました。

踊りは、かわさきと春駒は運動会で踊ったことがあるので、なんとか踊れました。他の曲は、誰かをお手本にしながらでないと、全然踊れません。同じような踊り方があるように見えても、ゆきちゃんのお母さんに言わせれば、それは全く違う振りなのだそうです。もともとの踊りの意味が違うから、一見似ているように見えても、違う踊りなのだそうです。初心者の智子には、まだまだ奥が深すぎて、真似するだけが精一杯です。

踊っているうちに、楽しくなってきました。ゆきちゃんは真剣な顔です。多分、智子も同じに違いありません。間違えないように一生懸命です。常連と思われる踊り客たちは、笑いながら喋ったりする間も、踊りを止めません。余裕があるのです。また、踊りながら上手に合いの手を入れたりもしています。ゆきちゃんのお母さんは、いかにも慣れた感じで踊り、合いの手を入れていました。

その日の帰り。

「猫の子、なんか、ようわからんうちに終わったな」

「あれ、にゃおーんって言っとる人おったな」

「うん、踊ってにゃおーんって言ってみたいな」

「春駒の、一番最初の『ほい』って言えるか」

「あれ、最初の『ほい』は難しいンな。歌の途中の『ほい』は言えるけど」

二人の会話を聞いていて、ゆきちゃんのお母さんが言いました。

「最初の『ほい』は、ちょっと初心者には難しい。けど、すぐに覚わる」

「今日、ずっと言えなんだ」

「なんでよ、チャッカチャッカチャッカチャッカチャッカチャほい、や」

「えー?」

「やで、チャッカチャッカチャッカチャッカチャッカチャほい、ここで『ほい』や」

「チャッカチャッカチャッカチャッカチャッカチャカ…」

「その、最後のチャッカのカの代りに『ほい』って入れるんや。ええか、チャッカチャッカチャッカチャッカチャッカチャ、」

「ほいっ!」

「そうや、出来た、出来た」

ゆきちゃんが智子に言いました。

「次の時は踊りながら言えるな。チャッカチャッカチャッカチャッカチャッカチャ、」

「ほいっ!」

「完璧!」

「今度、また行こうな。徹夜の前に行けるか?」

「うん、また一緒に行こ」

二人の様子を見ていて、ゆきちゃんのお母さんも嬉しそうでした。踊り好きにとって、この楽しさを共有できる相手が自分の娘であるのは、この上も無く嬉しいことなのでしょう。智子もまた、踊り場の高揚感がそのまま自分の身体にまとわりついているような気分でした。帰りには、浴衣の柄が気に入らなかったことなんて、すっかり忘れていました。

徹夜の前に、ゆきちゃんとはもう一度踊りに行きました。その時もゆきちゃんのお母さんは一緒でした。ゆきちゃんのお母さんは、

「徹夜の時は観光客が大勢おいでるでな。こっちのもんが下手では笑われるで」

と言いました。早くゆきちゃんのお母さんみたいに踊りたいと、智子は思いました。徹夜の日まで、こっそり練習してみようかと思っていました。


いよいよお盆になりました。毎年、お盆の前はお墓やお仏壇のお花を用意したり、お仏壇の飾りを磨いたり、お盆提灯を出したりします。お仏壇のお磨きは、いつもおばあちゃんの仕事になっています。使い古しのタオルなんかじゃなく、お磨きの布はいつも新品の布です。智子はこのお磨きのお手伝いをするのが好きでした。ろうそくやお線香で煤けたお飾りが、少しの油薬のようなものをつけてこすると、ぴかぴかになるからです。油薬をつけて智子が磨いた後、おばあちゃんがそれを乾拭きして仕上げるのです。

お磨きをしながら、おばあちゃんが言いました。

「毎年、智子が手伝ってくれるで、おじいちゃんも喜ぶわ」

「おじいちゃん、生きとったらいくつなんや?」

「いくつや?えっちゃんのおじいちゃんと一緒やでな」

「えっちゃんのおじいちゃん、まだ元気や。畑やりよる」

「あそこは、徴兵検査で痩せすぎとって、兵隊に行けなんだんや」

「そんなことあるんか」

「その時は、そうやった」

「行けなんでよかったがな。今も生きとる」

「そうや、大勢送りだしたんや、この町内からも。このうちの前の道にみんなして並んで、何人も送り出したんや。やで、えっちゃんのおじいちゃんが、たまたまそういう運やっただけで、うちのおじいちゃんが特別運が悪かったわけでもないでンなぁ。大勢、おじいちゃんみたいな人はおいでるで。一人だけ死んだわけやないでンなぁ」

おじいちゃんは南方で死んだらしいです。どこで死んだのか、定かではありません。お仏壇には「おじいちゃんの箱」がずっと置いてあります。箱の中は遺骨は無く、紙が一枚入っているだけです。いつもおばあちゃんは、戦争が一年早く終わっていたら、おじいちゃんは死ななくてよかったと言います。

智子は戦争が終わって二十年も過ぎてから生まれたので、戦争はずっと昔の出来事で、もう戦争なんて起きないような気がしていました。

でも、おばあちゃんにとってはまだ最近の出来事のように思われるようです。「おじいちゃんの箱」に入った紙は、おばあちゃんに旦那さんが死んでしまったことを知らせる紙でもあり、家族の誰一人として、その遺体を確認できないでいるという証拠なのです。なので、戦争の話になると、「本当に死んだんやろか」と、時々言います。

「おばあちゃん、おじいちゃんは踊りに行ったんか」

「昔は踊りくらいしか楽しみもなかったで、みんな行きよった」

「おじいちゃん、上手やったか?」

「どうやろ、普通や」

「おばあちゃん、おじいちゃんと踊りに行った?」

「一緒には行かん。嫁入りの話が出た時に、仲人さんが、踊り場におばあちゃんのこと連れて行って、『あの人やが、どうや。そうええことも無いかもしれんが、特別悪いこともなかろも』って、おじいちゃんが踊っとるとこ、輪からはずれたとこで指さして教えてくれたんや」

「そんだけで結婚したんか」

「昔はそんなもんや。今より暗いとこで踊っとるし、顔もようわからんうちに結婚してまったわ。やけども、暗いとこでも、おじいちゃんがにこにこして楽しそうなのはようわかったでな。上手でもなかったけども、踊りは好きやったんやろな」

「おじいちゃん、生きとったら、まんだ踊りに行っとるやろか」

「どうやろな。

戦争中はなぁ、兵隊さんが戦地で頑張っとるに、残っとるもんが遊んだらだちかんってことで、祭りなんかどっこも、のうなったんや。ほんでも郡上は、お盆の十五日だけでも、戦没者の慰霊のためやって、踊りを続けたんや。戦時中でも絶やさんと続いたんやでな。警察も許可くれたんやで。

戦争の終わった日、八月の十五日やったろ。みんな、だあれも、何にも言わんでも橋本町の踊り場に集まって、踊ったんや。聞きつけた人で、段々輪も大きゅうなってな、みんなして踊ったんや。もう戦争は終わったんやって。

そやけど、そん中にはおじいちゃんはおらなんだでなぁ。生きとったら、絶対踊りに帰ってくるでンなぁ。やっぱり、死んでまったんやろなぁ。

でもな、踊りの屋形の上の方に、キリコがあるろ?死んだ人はあれを目印にして、お盆に降りて来るらしいでな。おじいちゃんも、他の戦争で死んだ人と一緒に降りてきて、踊っとるかも知れん。私んたには見えんけどな」

智子は、もし自分のお父さんが朝仕事に出かけ、ある日「死にました」と言われた時に、お母さんや自分はそれを信じることが出来るだろうかと考えました。台風だから仕方が無い、地震だから仕方が無い、そんな風に、戦争だったから仕方が無いと、おばあちゃんは思ってきたのかしら。

お仏壇の上の額には、今のおばあちゃんよりずっと若いおじいちゃんの写真があります。おじいちゃんはいつも若々しく、お盆の支度をする二人を、物静かな目で見下ろしていました。


十五日になりました。

昼頃におばさん一家が来ました。

「坊ら、二人とも来たんか」

「そら、墓参りはしな、だちかん。今あるのはご先祖様のお陰やでンな」

「ほうか、そらありがと」

おばさんとおばあちゃんが喋っています。智子はおばさんの声を聞きつけて走って行きました。

「おばさん、今年は踊りに行こう」

「それおばあちゃんに聞いたけどなぁ、慌てて浴衣出して見たけど、みぃんな小そうて着れんのンや」

「なんでや、子供の頃に作ったやつなんか」

「ははは、違うて。おばさん、若い頃より、たーけ太ったでぇ。前の合わせが足りんのんや。あんなの着て踊ったら、前がはだけてかなわんで」

「そうか。おばさん、そんに痩せとったんか」

「みんなおばさんになったら肥えるんや」

「今日は踊りには行かんのンか?」

「浴衣は着れんけど、一緒に行ってもええよ」

「行こ、行こ!みんなで踊ろ!」

「なんよ、いつの間にそんに踊り好きになったんよ?」

智子の様子を見て、おばさんが驚いて言いました。聞いていたお母さんがおばさんに言いました。

「いっぺん行ったら、よっぽど楽しかったらしゅうて」

「ほうか、なんや、こっちまで楽しゅうなるな。今日はみんなして行こか。男衆は行かんなら、うちで飲ませとけばええで」

「私、こっちの生え付きのもんと違って、上手によう踊らんで、智子のお手本になったっとくれ」

「もう忘れたかもしれん。長いこと踊らんし、こんに太って、心臓あぶつくかも知れん」

おばさんはそう言いながら、嬉しそうでした。やっぱり、ただの田舎町とはいえ、ここで生まれ育った者にとって、踊りは自慢の種なのです。

みんなでお墓参りに行って、夕食を済ませたら、智子は浴衣を着せてもらいました。

「また、ええ柄やんなぁ」

おばさんが言いました。その言葉に、また少し得意そうなお母いさんが言いました。

「昨日も、相生のお墓参りに行って、浴衣の話が出たんよ。実家の母もこれ買った時のこと覚えとって、あれ智子が着るんかって、嬉しそうにしとったんや」

「こら、夜によう映えるわ」

「そうやろ。タンスの肥やしになっとったけど、よかったと思って」

「ええんなぁ、ほんと。こんに太らなんだら、私が着たいくらいや」

「義姉さんにそんに褒められると、智子にやったの惜しゅうなってきたわ」

なんだかそんなふうに言われると、智子も嬉しくなって来ました。今日踊りに行くのが楽しみになってきました。

おばあちゃんが留守番をしてくれることになって、なぜか他の全員が踊りに行くことになりました。智子は知らなかったのですが、実はお父さんもおじさんも踊れるのだそうです。なので、夕食でお酒の入った男二人が、久々に踊ろうと言い出し、それに息子たちもなんとなく引きずられて、全員で踊ることになったのです。

みんなが歩いて踊りに行く後姿を見て、おばあちゃんは、

「みんなして踊りに行けるって、ええなぁ。ええ時代になったってことやんなぁ」

と呟きました。思わず漏れたおばあちゃんの本音でした。

嫁姑の多少のゴタゴタはあったとしても、嫁は情の濃い人間で、とりあえず折り合いをつけて暮らしているし、子供たちに食べさせることも着させることも出来ているし、お陰様でみんなが健康でいられる。

戦時中や、戦後の苦しかった時代を思うと、今を幸せと言わないのなら、いつが幸せだろうかと思うおばあちゃんなのでした。

本町のゆきちゃんの家に寄って声をかけると、ゆきちゃんとゆきちゃんのお母さんが出てきました。

「あ、ゆきちゃん、いつものと浴衣が違う」

「うん、智ちゃんの浴衣、みんながええ柄やって言うでぇ、お母さんに、私もお母さんの着たいって言ったら、これ出してくれたんや」

ゆきちゃんの浴衣は、大きな団扇の柄の間に、朝顔や金魚が描かれている、何とも夏らしい、可愛い柄でした。

「ええンなぁ。それも可愛らしいンなぁ」

智子が言うと、ゆきちゃんのお母さんが言いました。

「若い頃に着たやつやで、ちょっと派手かと思って、この頃は着なんだけど、ゆきが、せっかく今年買ってやったやつより、これの方が好きやって言うで、今日着せてやったんや。ちょっと大きいけどな」

話しながら、離れたところに智子の一族がずらりと並んで待っているのを見て、ゆきちゃんのお母さんが驚きました。

「あれ、どしたんよ、こんに大勢で行くんか」

「おばあちゃん以外の、今日うちにおるもん、全員で行くんや」

智子のお母さんが言いました。

「遠足みたいやんな」

「智子が踊りに行くって言ったら、昔踊ったもんみんな踊りとうなって、踊ったことの無いもんは試しとうなったみたいや。まぁ、男はいつまで踊るかわからんけどな」

智子のお母さんと、ゆきちゃんのお母さんの会話を聞いていた、民子おばさんが言いました。

「今日は徹夜やで、夜が明けるまで、痩せるまで踊るで!」

みんながどっと笑ったところで、出発になりました。橋本町方面に歩いていくと、まだぞろぞろと人が歩いています。

歩きながら、夜のガラス戸に映った人影を見て、智子ははっとしました。沢山の人が行き交う中、目にも鮮やかな紺と白のコントラストに、目を奪われたからです。智子は初めて、「夜に映える」という言葉の意味を理解しました。薄暗い夜の照明の中で、くっきりと浮かび上がる大きなひまわりは、自分の浴衣だったのです。智子は思わず立ち止まり、ガラス戸に自分の姿を映して、しげしげと眺めました。

智子が歩くのに遅れたのに気づいたお母さんが、声を掛けました。

「智子、どしたんよ?」

「お母さん、これ、ええんなぁ」

「何がよ?」

「浴衣の柄!」

「当ったり前や。何回も言うがな」

「うん、よう映えるんなぁ。よう映える。よう映えるって、こういうことやンなぁ」

「はは、わかったか。そら、あのおばあちゃんが褒めてくれた柄やでンなぁ。悪いはずがないって」

「そうやンなぁ」

智子が何やらはしゃいでいるので、おばさんが尋ねました。

「なんよ、嬉しそうに」

「おばさん、これ、この柄、よう映えるンなぁ!」

「なんよ、急に。さっきも何回も言ったに。今頃嬉しゅうなったんか?」

「違うて、よう映えるって、どういうことかよう分かったんや」

「そらよかった。それええ柄やで、大事にしなれ。お母さんのやで、尚更やで」

「うん、大事に着る。これ、ええ柄や!」

その夜は、智子は自分の浴衣が誰のものより良く見えました。踊っていても、とても自慢に思えました。気分がとても高揚していたので、ちっとも疲れず、眠くもなりませんでした。このまま朝まで踊れそうだと思いましたが、おばさんたちが疲れたようなので、それでも深夜の一時頃まで踊ってからみんなで帰りました。

家に帰ると、おばあちゃんが眠そうな笑顔で出てきました。

「もっと早う帰って来ると思っとったに、楽しかったとみえるんなぁ」

「智子が帰らんで、みんなくたくたや」

「そんなことない。おばさんもずうっと踊っとった」

「おじさん二人は、途中でビール飲んだら、踊るやら飲むやら分からんようになってまったけどな」

「飲んでもすっぐに汗になって出てまうで」

「嘘言え。飲んで踊ったら、心臓あぶついたって、座って休んでばっかやったがな。そんに踊らなんだろ」

そんなみんなの会話を聞きながら、おばあちゃんはずっとにこにこしていました。自分は踊りに行ってないのに、みんなと同じような満足そうな顔をしていました。


翌日、おばさんの次男のゆうくんは、余程踊りが楽しかったらしく、来年は高校生になるし、徹夜で朝まで踊ると言っていました。おばさんは、

「高校生になれるかどうかわからんわ。遊んでばっかで」

と言いました。それを聞いて、おばあちゃんは大笑いしながら言いました。

「おまんと同じやがな。ゆうはほんとに、おまんそっくりや。勉強なんかひとっつもせなんだがな」

「私らの時は、そういう時代やったで、そんでよかったんや」

「勉強ばっかでもだちかんけどもな。また戦争になったら、どんな楽しいことも我慢して、男の子は兵隊に行かんならんでな」

子供達はみんなそこで笑いました。戦争なんてずっと遠い昔のことで、まるで別世界のことのように思ったからです。おばあちゃんは続けました。

「みんな、そうやで。戦争なんかになったら、勉強なんかより出来なだちかんことがたんとある。お父さんやお母さんのお手伝いして、勉強やないこともたんと覚えるんやで。

そんでまた、遊んでばっかでもだちかんが、楽しいことはたんとあると、思い出すことも楽しいことが多いでンな。勉強も大事やが、遊ぶことも大事や」

「ゆうの前でそんなこと言わんでええわ。まぁ、単純なんやで。お手伝いしたら勉強せんでええって、勝手に解釈するんやで」

おばさんが言いました。

「ゆうはおまんにそっくりやって、なんべんも言うがな」

おばあちゃんはまた大笑いしました。

智子はおばあちゃんに聞きました。

「おばあちゃん、浴衣の仕立ての仕事、まだ入っとるか?」

「そうたんとは無いけどな。また徹夜が終わると、呉服屋さんが持っておいでるで、少しは増えるけど」

「そうなんか」

「郡上踊りの柄があるろ?あの浴衣を買ってく観光客がおいでるし、違う柄買う人もおる」

「それ、もう今年は着んろ?」

「今年踊りに来て楽しいと、また来年来るつもりになるんや。来年着たいと思って作っていかれるんや。八幡を気に行ってくれたってことやで、嬉しいことや。智子も踊り、楽しいろ?」

「うん、おばあちゃん、なんかな、着物の柄って、洋服と違うな」

「何よ、急に」

「仕立ての反物、後で見に行ってもええか?」

「ええよ。おまんも大きゅうなったら、仕立て屋になるか?」

おばあちゃんは笑って言いました。今まで和装には何の興味もなかった孫が、自分の仕事に関心を持ったのが嬉しいようです。

まだまだ暑い八月の昼下がり、写真のおじいちゃんは、お仏壇の上から、今日も穏やかな眼差しでみんなを見つめているのでした。

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