#8
数日後。
タイムズスクエアにあるビルの5階に設けられた高級レストラン。
六人掛けの大きなテーブルで、モーリスは隣で野獣の様にステーキを喰らうジニーを見つめていた。
「おいモーリス。赤ワイン頼んでくれ。赤なら何でもいいからさ」
「いいけど……飛ばし過ぎじゃないか? 相手が来るのはこれからだぞ」
「いーんだよ。大した話なんざしねぇんだから。早よ頼めやハゲ」
「あっそ……」
モーリスは通りかかったウエイトレスに適当な赤ワインを注文した。
「ばーかばーか薄のろ」
着慣れないスーツに機嫌を損ねているのか、先程からいつになく稚拙な悪態をジニーから浴びせられている。
「やめなさいよ」
「タコ!ハゲ!カス!ジジイ!!」
「やめろ。みんな見てるから」
「どいつだ。殺すぞ」
「だからやめてって。あ、ジニーほらワイン来た!」
ウエイトレスから急いでワインを受け取ったモーリスがワインをグラスに注ごうとした時だった。
「貸せや」
「え?」
ジニーはボトルを取り上げると、そのままラッパ飲みを始めた。
「やめて!目立つ目立つ!!」
モーリスがあわや悲鳴をあげそうになった時だった。
「ほら、何やってんの」
嗜める様な声。ジェナだ。
なんていいところに!
ホッとしたところで、後ろに連れ立っているマフィアとは違う異様な雰囲気の男達に気がついた。
やや細身の男と、モーリスよりも大柄でがっしりとした男の2人だ。
「今日のお客さんだよ。まあ、座って。一人もうデキ上がってるみたいだけど……」
ジェナの紹介によると細身の方がデレク、がっしりした方はロッコと言う名前らしい。
「それじゃ失礼」
冷たい雰囲気を放つ男2人がそれぞれテーブルの席につくと、ムスッとしていたジニーがモーリスを殴りつけた。
「うわ痛っ!!なんだよ!」
次はボディーブロー。
「ぐふぅっ!!」
椅子に座りながらモーリスはうずくまる。KOだ。
「おーい、もうその辺にしてくれアディソン。根回しはしてるが騒ぎはごめんだ」
無表情で制止しようとするデレクを、両手でモーリスを掴んで更に追撃を仕掛けようとしていたジニーは睨みつけた。
「ジニー。やめな」
ジェナが諭したところで、突き飛ばされる様にモーリスが解放される。
「さて、じゃあ…色々聞かせてもらおうかな。そうすりゃ俺達もさっさと帰るからさ」
デレクの含み笑いに、ジニーはニコッと返しながら中指を立てた。
◆
こういう場合−−つまりジニーが不貞腐れている場合は、必ずジェナが対話の舵を取る。
それはジェナが思いのほか温厚であり、そこから無用なドンパチを抑制する為であった。
「で、何が聞きたいの?」
ジェナがデレクに言った。
「ブラッドリーの旦那だ。少し前の話になるがダンフォードの親分を裏切ったろ?それで、ちょっと色々口説いたりカマかけたりしてもらえないかなと……」
「ちょっと待てや!」
グラスに口をつけたジェナの隣で、ジニーがテーブルに両手を叩きつけて怒鳴り散らした。
「オイ!このタコハゲ!!当たり前の様に質問攻めしてんじゃねえぞ! 」
あまりの剣幕に、ロッコが身構えたが、ジニーは止まらない。
「カマかけろだとゴルァ!ブラッドリーもダンフォードもあたしらには関係ねぇわ!!得意のワッパ掛けるなり何なりしててめぇらで聞きやがれ」
デレクはジニーの言葉を遮らずに最後まで言わせると小さく溜息を吐いた。
「落ち着けよアディソン」
「苗字で呼ぶなクソが……」
「ああ分かったよ。ジニー、お前が俺達を嫌いなのは知ってる。それを承知でこうして会いに来てることも申し訳なく思ってるよ。でも、もう長い付き合いだろう。お互いの立場って言うのもそろそろ理解するべきだとは思わんか?」
「関係ねぇ!一切!!」
「そうか?持ちつ持たれつで上手くやって来てると思うが?」
「てめぇ……」
叩きつけたままの小さな白い手が握り拳を作った時だった。
「はいはい、止めた止めた」
ジェナがその握り拳にそっと手を被せた。
「デレクの言う通り、持ちつ持たれつの長い付き合いじゃん。こないだの陳の事だって丸く収めてもらったっしょ?」
ぐぬぬ、とジニーが顔を真っ赤にしながら今にも血が流れそうなくらいに唇を噛み締め、怯え果てながらも回復しかけていたモーリスに再びボディーブローを炸裂させた。
まともに食らったモーリスは今度は無言で脇腹を押さえて上半身をフラフラさせた後、テーブルに頭を打ち付けてそのまま動かなくなった。
「あーあ。気絶しちゃった?」
見慣れていた光景にジェナは冷静だった。
「その新入りさん、さっきからボコボコにやられてるけど……死んじまうぞ?」
さすがのデレクも失神したモーリスを哀れみの目で見ていた。
「やり過ぎだと思う。可哀想……」
それまで微動だにしていなかったロッコが眉を潜めて口を開いた。
「うっせぇ!てめぇらも近ぇ内こんなザマにしてやっかんな!!」
◆
レストランで周りの注目を浴びながら叫ぶジニーをなだめる為、ジェナは小さな狂獣をトイレに連れ出した。
「ジニーあんたね、いくらなんでも意固地になり過ぎ。せっかくローリスクハイリターンの取引を成立させてんだからさ……」
「仲良くやれって?DEAと」
「そう。」
「DEAだぜ?ジェナ。D・E・A!」
「そう!DEAとも仲良くやるの、もちろん少しだけね。奴さん方はああやってFBIやCIAに良い顔したいんだから。その代わり、奴らは色々と便宜を図ってくれる」
「気に食わねぇ。気に食わねぇよ」
「そりゃまぁ、あたしも良い気はしねえさ。でも上手い事使われんのはお互い様。何より、デレク達との仲はウィルも公認って言うのが一番の強みさ」
「ジェナ」
これまでの狂獣の吠え方とは違う、氷柱で心臓を刺して来る様な冷たい声に、ジェナの舌は止まった。
「ウィルフレッド・ダンフォードの話は、今日はもうしないで……!」
冷え切った声で懇願している様に言っているのは、抑えられない衝動をこのままではジェナに向けてしまいそうだからだ。
「確かにあたしが変な意地張り過ぎてた。……戻ろう。モーリスに何か細工されても嫌だし」
しまったと言う様な顔をしているジェナからジニーは蒼い眼を伏せて、トイレを出た。
◆
「おう……おかえり」
二人を迎えたデレクとロッコは大人しくなった代わりに更に鋭い殺気を纏った狂獣ジニーと、それにやや呑み込まれそうな司会者のジェナの様子に緊張を覚えた。
「平気か?」
「ああ、まぁ……気にしないでいいよデレク。早い話がつまり、ブラッドリーに近づいて景気はどうか聞けばいいんだろ?」
話しかけて来ているのはジェナだが、DEA捜査官二人の注意は明らかにジニーへと向いている。
どう見ても一触即発の狂獣。早めに切り上げた方が身の為と言うのは猿でも分かる。
「そう……そうそう。頼むわ。あ、もう出るか? ここは俺達が持つから」
席を立つデレクの腰は引けている。ロッコは既に臨戦体勢。
「デレク」
そして嫌に落ち着いたジニーの声。
「どうした?」
「ステーキ……ごちそうさん」
にや、とジニーは悪意と冷酷さの混ざり合った微笑みを見せた。
冷や汗をこめかみに流すロッコの小さな唸り声が、その悪魔の表情の威力を物語っていた。