#3
明るい照明が差す洒落た店内。シャッターの外からは街を行き交う人々の気配が伝わってくる。モーリスは蝉平に自分の身の上をざっと話した。
「元特殊部隊……デルタかい?」
「いや、レンジャーです。セミヒラさん。今となっては自慢にもなりませんが」
「仲間に死なれたショックで辞めたんだと。そりゃ自慢にもならんさね」
デリケートなところを突かれたモーリスは口を噤んだ。
「こら、ジニー!ごめんなモーリス……そうか、それは大変だったな」
おごり、と蝉平は真っ赤なカクテルを差し出した。
「景気付けにどう?見た目ほど強くはないからさ」
「ああ……どうも」とモーリスはグラスに口をつけた。美味い。
カウンター席に着いてから30分は経っていたが、ここまで仕事の話など一切なかった。そして、いい感じに酔っていたジニーは自分の仕事での出来事を勝手に話し出した。
「……ヒヒヒ。それでさ、その野郎パニクってさ、ビルの陰から出てきたパトカーの横っ腹に思いっ切り突っ込みやがってよ」
「あーやっちゃったね、そいつ。それで?」
「へへ、ヒヒヒ。熊みてえな警官2人に半殺しにされてた。キャッハハハハ!!」
「あれ?でもそれじゃあ警察の手柄になっちゃうんじゃないの?」
「いやいやいや、それであたしが引き下がるわけねえだろナツ!そこまで追い詰めてやったのはあたしなんだぜ!?当然、金はもらったさ!ハハハハ!」
「そう……。さすがだねジニー……」
肩を揺らしながら手を叩いて笑う、顔の赤くなったジニーと、温かくあしらう蝉平。
「……なあジニー、お前ってさ、バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)?」
聞いていて何だか嫌な予感がしたモーリスはそっと身を乗り出したが、目の前の女は、
「Ha?へへ、イヒヒヒ」
と薄気味悪く笑っただけであった。
「何だジニー。お前自分の身の上も言ってなかったのか?」
蝉平が代わりに答える。
「まあ、確かにこいつは賞金稼ぎとして生計を立ててたけど、それはもう昔の話なんだ……今は何でもありだよな?」
「うん、うんうん。色々やってるよ!ドラッグ密売、武器密売、人質奪還、暗殺、殺人なんでも来い!!」
ジニーが両手を大きく広げて、その拍子にカウンターに置かれたラムがこぼれた。モーリスは顔面蒼白になる。
「え?じゃあ、俺に手伝えっていうのは?」
「今日は武器の密売−−−正確には引き渡しです」
ジニーが赤ら顔に虚ろな目で敬礼した。モーリスは固まった。
(なんだこいつは。とんでもねぇならず者じゃないか)
「何だよ。あたしがまともな仕事してる様に見えたか?」
「いや、正直そうは見えなかったけど、そこまでぶっ飛んでるとも思わないよ」
今にも帰ると言い出しそうなモーリスにジニーは目を釣り上げ、
「……聞いたからには付き合ってもらうからな」
蒼い目が肉食獣のそれの様に光る。モーリスを気の毒に思った蝉平が、
「嫌がる素人にやらせる仕事じゃないだろ。見逃してやったら?」
「はあぁ?何が素人だよ。こいつは特殊部隊出身なんだぜ?」ジニーは得意気である。
「ふざけるな」モーリスが声を捻り出した。
「確かに俺は話を聞くと言ったさ、でも……」
「黙れこのタマ無しが。さっきから息が臭えんだよ」
充血した目でモーリスを睨むジニー。
それを見た蝉平が、「あっ」と息を呑んだ。
「モーリス。とりあえず今日は言う事を聞いた方がいいかも。この目は本気だ」
「え……本気?」
「うん。こいつは本当なら言葉より先に手が出るタチだからさ。これ以上我慢させるとモーリスが殺されちゃうよ」
淡々と説明する蝉平。茫然とするモーリス。
ふあぁ、と面白くなさそうに欠伸をしたジニーは腕時計を見て、
「ああー、そろそろ時間だな。行くぜ」
(待て待て、それはマズイ!!いくらなんでもあり得ないだろうが、このギャング女……!)
「おいナツ。あたしのコルトを出してくれ。前に預けた奴」
「これか?」
蝉平はカウンターのカウンターの足元に置いてあった金庫の中からコルト・ガバメントを取り出してジニーに手渡す。
(コルト受け取ってるぞ。ドンパチする気満々じゃねえか。ていうか酔っ払いにそんなもん渡さないでセミヒラさん!)
(それにしてもどうする?きっぱり断ったところでこいつは納得するわけないし)
カチャカチャと簡単な整備を施されているコルトを眺めながらモーリスは頭を回す。
(引き受けた振りして逃げるか?……いや、下手に動いたら悟られそうだ。コルトなんてぶっ放されたら……じゃあいっそ戦う?!組み合って何とかこいつを伸ばしてから逃げるか?)
元レンジャーとしての戦闘能力を活かすこの「組み合って伸ばす」作戦。しかし先ほどの蝉平の忠告が嫌に強烈に思い出された。
(どうすんだよ。畜生……バカすぎだ俺は)
そう。考えてみればこれは彼が自ら飛び込んでしまった修羅場であった。
(ええい、クソ……ん?……あっ!)
モーリスに突破口が浮かんだ。取り敢えず協力しよう、と。上手く行く様ならそのまま最後まで付き合う。途中で少しでも雲行きが怪しくなったら全力で離脱する。よし……!
「おぉい、モーリス。ゆっくり味わってんじゃねえよ!行くぞハゲ」
「お……うう……おお、分かったよ。仕方ないな……」
隠しきれない動揺を抱えていたものの、モーリスは席を離れた。
蝉平がシャッターを上げる。
「悪りぃなナツ。ほい勘定。さっきの肉汁みてえなカクテルの分も入ってら」
「あ、俺が出すよジニ……」
「うっせハゲ」
一蹴されたモーリスはしゅん、と静かになった。
「肉汁とは言ってくれたな。ていうか、あれは奢りだぞ」
「あたしに奢ったわけじゃねえだろ。何ならチップって事にしとけ」
擦れた奴だな、と蝉平はジニーから渡された数枚の札をポケットにしまった。
シャッターの外……昼下がりのニューヨークは人通りが増していた。
「じゃ、武運を祈るぜジニー。モーリスもな」
「はーいよ」ジニーが後ろ手に見送る蝉平に手を振った。フワフワとしたその動きは完全に酔いどれのそれであった。
ガシャ、と店のシャッターが降ろされたのを聴きながら、モーリスはぼんやり街を見渡した。
「おら、モーリス。これ持ってろ」
ジニーはバーで受け取ったコルトをその場で堂々とモーリスに手渡した。
「うわわ、馬鹿!」
モーリスは反射的に受け取ってしまった銃を素早くジャケットに潜り込ませてベルトに差した。奇跡的に人には見られなかった様だ。
(イカれてる!酔ってるにしてもこんな所でこんなもん渡すか普通!)
「おお、さすがに持ち慣れた動きだな」
ジニーはとろんとした気怠そうな目でその動きを追っていた。
人目につくのはまずい。そう判断して、狭い路地へとジニーを誘導する。ここなら何を話そうと何を見せられようと問題はない。
「お前は何持ってるんだ?」
「あ?」
「ちゃんとしたもんを持ってるのか?その……道具は」
「おう、これ。スイス製だぜ。」
ジニーのジャケットから、拳銃がさっと抜かれた。
(路地に入ったのは正解だったな)
モーリスはほっと胸を撫で下ろして、ジニーの銃を観察した。
「シグか……P210?」
スラリと細長いスライドのそれは、どことなく刃を連想させる。
「おう。安心した?なら行くぞ。下手な動きしたら殺すからな」
「分かってるよ……分かってる」
自分に向かって飛ばされた殺気に元レンジャー、モーリスは純粋に怯えた。
ジニーは白い指で拳銃を風車の様に回しながら、路地を出る一歩手前でそれを懐に収める。ふらついた足取りは相変わらずであった。
(こんな酔っ払い女にここまでビビっちまう様になるとは……)
モーリスは自分を情けなく思った。
アフガンでのあの出来事は、元兵士から最低限の自信と勇気までも奪っていたのである。