#16
夕闇に覆われ始めたニューヨーク。
フランス人の実業家であるルネ・ジャルベールは、高級ホテルのレストランで取引先の社長とのディナーに付き合っていた。この社長はヴィンス・ウォリロウというアメリカ人で、かなり長い付き合いになるのだが、ルネは未だにどうにも好きになれない。
まず話し方と食事の仕方に品が無い……というより汚い。やたら大声で喋るしその内容に至っても端々に女へ媚びを売ってる感じがあって鳥肌が立つ。思わず溜め息が漏れそうになるのを抑え、悟られないための渾身の愛想笑いを返す。そしてコイツはまた調子に乗るという悪循環。
(ワインぶっかけて帰っちゃおうかな……)
嫌悪感が悪魔の囁きをもたらす。しかし当然ながら実行に移すわけにはいかなかった。
ルネは無関心に頬杖をつき、相変わらず下品に振る舞うウォリロウを動物園に来た感覚で眺めた。
「--なあ、ところで。そろそろ部屋に戻ってゆっくり話したいな。いいだろ?」
(ふざけんな)
喉元まで出てきた言葉を呑み込み、
「ごめんなさい。これから知り合いと約束があるの」
と丁重に断ったが、
「これから!?そんなものは次の機会にすればいい。今夜は俺と一緒に過ごす約束だろ?」
酔いが回ったのもあってか誘い方も雑で粘着が強かった。
「もう充分楽しませてもらったわ。またお話聞かせて」
恨めしげに見てくるウォリロウに心底呆れ果てながらルネはそっと席を立った。
◆
ホテルを出たルネはむせ返る様なギラつきに満たされた大都市の通りに出た。今日は大人しくマンションに帰ろうと思っていたが、その長い脚はほとんど無意識に、『Lily's Kitchen』に向かった。小洒落た店のシャッターはやはり降りていたが、今日は看板のネオンが光っていた。
--その店は常連が来る時だけ開けてるみたいなんだ……。
昨晩の親切な青年の言葉を思い出す。そういえば、中から複数の親しげに語らう楽しそうな声が漏れている。
(あたしは常連じゃないものね……)
何となく拒絶されてる気がして、諦めようとした時だった。
ガチャ、と裏口のドアが開く音が聞こえて振り返ると、タバコに火をつけようとしている店主と目が合った。その瞬間、時が止まった様に二人は固まってしまった。
◆
「ルネ……」
蝉平夏はキツネにつままれた気分で、昨晩に読んでいた小説をちらりと思い出した。
「ナツ。久しぶり……」
人違いでないのを、蝉平は確信した。
「驚かせてごめんなさい」
微笑んでいるルネに蝉平は、
「どうしたの?」
としか返せない。
「仕事でね。ニューヨークに来たついでに」
「そっか……」
「満席なのかしら?」
楽しそうな雄叫びの漏れるシャッターに、ルネが青い眼を向ける。
「あ、いや。これでもガラ空きさ。ただ馴染みの客が来てるんだ」
「そう。なら出直すわ」
サッパリとそう言って、来た道を戻ろうとする彼女を、
「待って」と引き止めた。
「友人だって言っとくよ。下品な連中だけど、話は分かってくれる奴らだから」
ルネは少しだけ逡巡したが、結局「それなら……」と誘いに乗った。
「えと……どこから入れば?」
「ああ、良ければこっから……裏口ですまん」
蝉平は自分が出て来た小さなドアの前からずれて、ルネを招き入れた。
「ありがと」
ブランドの髪から流れる爽やかな香りを懐かしく思いながら続いて中に入った蝉平が、裏口のドアをそっと閉めた。
◆
店内を貸し切っていたのは勿論ジニー達で、過激な談笑をジェナと繰り広げる傍ら、モーリスがグラスを片手にテーブルに突っ伏してすやすやと眠っていた。
「んおお!?何だナツ!誰だそいつは?メイドか!?雇ったのか?おぉ?ナツぅううぅ!!」
蝉平と一緒に厨房から現れたルネにジニーは驚いた様で、既に出来上がっていた彼女は今にも飛びかかってきそうな興奮っぷりであった。
「俺の古い友人なんだ。お手柔らかに頼むよ」蝉平が紹介して、
「ルネ・ジャルベールです」と名乗った。
「うお!?聞いたこともねえ系統の名前だなオイ!」
相変わらずジニーが管を巻く。
その隣に座っていたジェナが身を乗り出した。
「ジャルベールさん?初めまして。ジェナ・ウィンストンです」
見た目とは裏腹に礼儀正しく自己紹介を返してきたのがルネには意外だった。
「こっち来て座ったら?ちゃんとお目付けしてるんで」
続けて安らかに眠るモーリスの隣を指した。
躊躇するルネに蝉平が頷く。
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
端麗な長身が恐る恐る席に着く様子に、
「大丈夫っすよ。とって食うワケじゃねーんだから」
ジニーがゲラゲラと笑った。




