#15
『アワーグラス・エンタープライズ』は、自動車産業を始め、観光旅行や飲食業などを手掛ける企業である。しかし裏の顔は、マフィアのボスであるマーティン・ザモラが仕切っている会社であった。ニューヨークの本社はそのままザモラ・ファミリーの本拠地でもあった。
12階建ての事務所の最上階では、照明を消した部屋でザモラが一人ニューヨークの夜景を楽しんでいた。
毎夜見ても飽きない程の壮大な輝きだが、ふと自分という存在もこの巨大なジュエルボックスの中に埋もれているのかと思うと、少しだけ胸が痛む。巨大で、煌びやかで、昼夜を問わず"何か"を追い求めているであろう人々が右往左往しているこの街は、そんな寂しさも同居している。ザモラは静かに息を漏らした。
(やれやれ。何を考え込んでんだか……)
ナイトビューを見て楽しんだり、感傷的になったりする自分を嘲りながら、テーブルの上に置いていたタバコを取って火をつけた。
溜息に乗って立ち上る煙の香りが落ち着きをもたらす。こいつがあれば充分だな、と自分に言い聞かせていると、スーツの懐でスマートフォンが鳴った。
「俺だ。ジニーか?」
ピンと来たので確認すると、ドンピシャだった。電話口の部下によると、妙に弾んでいるらしい。
「フッ、そうか。……いいぞ、通してやれ。最上階だ」
野太い声で部下に指示してもう一度煙草を吸う。
(元気みたいだな……ジニー)
何よりだ、と思ってやりたい所ではあったが、真っ先に浮かんだのは「面倒くせえ」の一言。ザモラは思わず、何にともなく独り失笑した。
◆
「ここってマフィアの会社だったんだ……うわぁ」
最上階へ上がって行くエレベーターの中で、ビビりを通り越してもはやハイになっているかの様なモーリス。
「おっさん、何か目が輝いてるよ。壊れたか?」
エレベーターの壁にもたれ掛かっているジェナが顔を覗き込む。
「俺もさっきから気になってたんだ。その人なんかパアッとした表情なのに真っ青だぜ?」
案内役のソルジャー(若衆)が怪訝そうにしている。
ジニーが「キャッハハ!」と笑った。
「モーリスもこっちの世界に慣れて来たんだよ、きっと。次に会う時はザモラの胸ぐら掴むようになってるよ」
「いや……それはないっす」
ポーッとしたままモーリスが呟いた。
「その新人さんを見習え。知らねえ仲じゃねえにしたって、ボスには敬意を払えよな」
ソルジャーに窘められても、ジニーは機嫌良さげに、
「尊敬してますよ〜。いっつもお金いっぱいくれますもん。ヒャッヒャッヒャッ」
ちっ、とソルジャーが苛立ちながら呆れていた。
◆
「ボス。連れて来ました」
通された最上階の部屋で待っていたマーティン・ザモラはグレーのスーツを着たやや低身長の男で、右目の下に入った傷跡が厳つい顔立ちに箔をつけていた。
「おう。そうか」
曲がりなりにも穏やかに見えるダンフォードとは違って、こちらはいかにもマフィアといった感じだ。モーリスはやはりビビっていた。
「よお、ザモラ!紹介するぜ。こいつはモーリス。死んだふりが得意な元軍人さ」
なんだよそりゃ、とザモラがニヤリと笑いながら小刻みに肩を揺らした。ある程度のシャレは通じるらしい。
「金はそこだ。ご苦労さん」
タバコをくわえながらちらりと目線で指したテーブルの上に、でかいアタッシュケースが立てて置いてあった。
「ごっつぁんでごわす」
ジニーが開けて中を確認すると、大量の札束がビッシリと敷き詰められていた。
「相変わらず気前がいいな。そういうの好きだぜ、ザモラの旦那」
それを見たジェナが言うと、ザモラはふふん、と得意気に煙を吐き出した。
「なあ。今度お前らの拠点の近くにそこそこ洒落たレストランをおっ建てるつもりなんだが、気が向いたら寄ってけ。格安料金でたらふく食わしてやる」
「おっ、マジっすか。あたしゃスシを食ってみたいっすザモラさん」
ジニーが蒼い眼をキラキラさせた。
「ん。メニューにぶっ込んでおこう」
超適当な感じでザモラが言った。
◆
「吹っ掛けるまでも無かったね。そんだけガッツリ渡してくれるあたりはやっぱ流石だよ」
帰りの車内では皆んなが安堵していた。ジニーは大金にウキウキと胸を踊らせ、モーリスは先程から何度も失禁しそうな顔になっている。今更になって麻痺していた恐怖が湧いたらしい。
「また一人友達が増えたじゃんモーリス!」
ジニーにぽーんと叩かれたモーリスの頭が首振り人形の様に揺れた。
「や、やめてくれ。マジでチビりそうなんだ」
「ひゃっひゃっひゃ!問題ねえよ!!ビチャビチャにしたところで新車に買い換えれるぜ、余裕で。まあやりやがったらブチ殺すけどな!!」
狂気の笑いが響く傍で、モーリスがぐむむと呻いた。
「な、なあジェナ。どこかトイレのある場所に寄ってくれないか?限界が……!」
膀胱に溜め込んだ恐怖が今にも破裂しそうで、並々ならぬ焦りが彼の頭の中を渦巻いていた。
◆
モーリスが膀胱破裂及び大失禁の危機に晒されていた頃。夜でも人が行き交う街の中で、シャッターの下りた「Lily"s kitchen」の店の前に一人の女性が立っていた。スラリと背の高い白人の女性で、背の半分までの長い金髪が、僅かに靡いていた。
「どうかしたの?」
通りすがりの若い男性が一人、声を掛けて来た。女性は青い眼にネオンの光をキラリと反射させて、店のシャッターを指差した。
「このお店、明日は開いているかしら?」
動作の一つ一つに高い品位を窺わせるその女性に若い男はドキリとして、声を上ずらせながら、
「あ、あー、その店はね。多分、常連が来る時だけ開けてると思うんだ。それ以外だったら、店主の気まぐれとか……」
「そう……」
残念そうに目を伏せる女性に思わず、
「でもこの店、あんまり良い客は来てないみたいだよ。ついこの間も物騒な感じの車が何台も停まってたんだ」
と胸の高鳴りに乗じながら一生懸命に説明した。
ふーん、と女性は驚きもしない様子だった。
「そんな店だから、俺は入った事ないんだけどさ。一回だけ店主を見た事があるんだよね。意外にも大人しそうなアジア系の人でさ……」
「日本人よ」
「え?」
「彼は日本人」
「……もしかして友達?」
若い男が少し青ざめると、
「別にそんなんじゃないわ」
女性はそっと微笑みを返した。
「色々教えてくれてありがとう。また来てみる」
店を一瞥してからゆっくりと立ち去って行く女性を若い男はしばらくの間見送っていた。やがてその姿はニューヨークの人波に掻き消された。
◆
蝉平夏は閉店中の店の中、普段は客が座るテーブルでフランス製のワインとチョコレートをつまみながら静かに小説を読み進めていた。
(久々にゆっくりしてるなぁ、全く……)
今日という一日が平和に終わりそうである事に安堵の息を漏らし、今日はジニー達が来ても居留守しようと腹に決めた。
読み進めていた小説の中で、主人公の男性は時の流れによって引き離されてしまった恋人の女性と8年ぶりの再会を果たし結ばれて、海の近くに二人の新居を建て、そこから夕日が沈んでいくのを肩を寄せ合って眺めている。
『沈んでしまうのを見るのは少し寂しいね』
主人公がそう言いながら妻となった女性をそっと抱きしめると、
『そうね。少しだけ……。でも穏やかな気持ちでいられるわ。今はあなたが一緒にいてくれてるんだもの』
と、潤んだ瞳を輝かせるのだった。
こうしてお互いにかけがえのない存在であることを確かめ合うシーンで、物語はフィナーレを迎えた。
(感動の再会か……。いいなあ)
蝉平はパタリと本を閉じた。
実は彼にも、ふとした時に思い出す女性がいた。彼女と出会ったのも、そして別れたのも、祖国の日本で仕事をしていた時だった。
(あいつ、今どうしてんのかな……)
再会したとしても感動も愛も起こり得ないだろうなと思った蝉平が、ガラ空きの店内で自嘲した。




