プロローグ
その日のモーニングコールは、
「ピーンポーンピピピピピピーンポピピピピーンポーン……」
連打されたインターホンの音だった。
静寂だった部屋の中に甲高い電子音が鳴り響き、その部屋の住人は目を覚ます。
寝ぐせの立ちっぱなしの住人は、そのまま玄関に向かい、ドアを開けた。
「なんだ?」
そこにいたのは、金髪青瞳の美少女だった。
誰もが見とれてしまうほどの美少女で、おしとやかなオーラが見える。
しかし……
「もう7時半よ! 遅刻しちゃうじゃない!」
その少女は、慌ただしい女の典型だった。
「おう……おはよう」
少年は、能天気に挨拶をする。寝ぐせ立ちっぱなしの寝ぼけ顔で。
「おはようじゃないわよ! 早く準備して、行くよ!」
少女の絶叫は、島中に響き渡った。
♢ ♢ ♢
7月18日。
夏休み4日前の朝は、やかましく始まった。
約十分で支度をし、唯に連れられて駅までダッシュ。運動部に入っていない俺にとって、このハードトレーニングはきついもんだ。
信号待ちで止まっている時間すら、人生で最高の時間に思える程だった。
「おい……ちょっ、ちょっと待てよ……」
絶え絶えの呼吸の中、声を絞り出す。紺を基調とした制服の右胸には、『冴島 朱音』という名札が付けられていた。
「だらしないなぁ」
嘲笑しながらそう言う唯は、息一つすら切れていない。
「さすがは、長距離全国一位だな」
「そんな事、大した事ないよ」
「そうか? この島に来てから、お前変わったよな」
「そう……かな……」
唯は、顔を赤くしていた。
新東京島。
それが、この島の名だ。
太平洋に浮かぶこの島は、学生の数が人口の6割を占めている。それに比例して、小中高などの教育機関が200以上点在している。
日本本土にも学校はあるが、最近はこの島にある教育機関への入学を望むものが多くなってきていて、島内の学校では熾烈な学力競争が起こっている。
この島の主要な産業は、研究産業である。
学校だけではなく、研究機関も多数進出していて、その分野も様々だ。
医療、精密機器などなど。
目まぐるしく毎日が動く、東京京ドーム50個分の小島で、ある男の罪滅ぼしが始まろうとしていた。
教室に着くころ、朱音は死にかけていた。
「……ゼェゼェ……」
もはや言葉も出ない。
「間に合ったー」
唯は汗すらかいていない。
その体力の差は、歴然だった。
「――良かったな。授業開始まで1分と20秒。ギリギリセーフだ」
ヘアバンドを巻いた少年。
峯川 翔。朱音と唯の幼馴染で、普段から仲が良い。
校則を若干ながら違反している服装。ネックレスやダテ眼鏡。所謂、《チャラ男》である。
「いーえ、常識的には遅刻よ」
眼鏡を掛けた大人の感じがする女性。
制服の右胸には、鳥の双翼を模した校章の他に月の形をしたバッジがされていた。
この学校でのクラス委員長を表すエンブレム。その少女は神菜 美和。
しっかりした性格で、頭脳明晰、運動神経も抜群。更にその美貌は女子男子共に人気がある。
「堅い事言うなよ。な!」
峯川がそう言って神菜の肩に手を回す。
「なっ……!」
神菜は、赤面になりながらその手を振りほどく。
「なんだよー」
「とっ、とにかく! これからは、五分前行動を心がけて下さいっ!」
神菜の口調には、焦りが見受けられた。
そんな時、
「早く席に着いてー」
高く響く女性の声。
その声の主は、霧名嘉 美穂乃。朱音達の担任だ。
綺麗な黒髪を靡かせながら教室に入るその美人は、以外にも未婚である。(何しろ、酔った時の本性がすごいらしい……)
霧名嘉が教卓の前に立つ頃には、教室にいた35人全員が席に着いていた。
「えーっと……今日は、みなさんに転校生を紹介しまーすっ!」
その突然な発表に教室中は……………静まり返ったままだった。
この島の学校では、転校していく者も転校してくる者も、週刻みであることが多い。
その原因は様々で、ホームシックや一人暮らしの飽きなどが多くの理由だ。
どうせ本土から来ても、すぐ本土に帰ってしまうような人が入ってくるのをいちいち歓迎してなどいられないのだ。
「……えーっと……それでは、どうそっ!」
霧名嘉は、教室内の微妙な空気を何とか盛り上げようとするが、その努力は、一瞬にして打ち砕かれた。
そこへ入って来たのは、背の低い少女だった。
茶色の長い髪。琥珀色の目。その整い過ぎた顔は、なんとも機械の様な印象を与える。
おそらく、そのクラスの男子全員が目を丸くしたであろう。朱音と翔もその一人だった。
その美少女は、教卓の一歩手前で足を止めた。
「……私は、天照 梓。このクラスの《冴島 朱音》以外とは仲良くする気が無いので、あまり話しかけないでください。以上」
そう言って、彼女は一礼すると、空席だった朱音の隣に歩いて行った。
「よろしく……」
梓は、静かに朱音に囁いた。
「お……おう」
朱音は、その挨拶よりも宣言の方にショックを受けているような感じだった。
『私立峰ヶ丘高等学校』通称『峰丘』
新東京島の中でも学校の多い東島にある全生徒800人の普通科高校。
島内では中盤くらいの位置づけにある極々普通の私立高校である。自慢できるのは、陸上部の活躍くらいで特徴は無いが、毎年志願者倍率は2倍を超す人気校だ。
武道場や屋内プール、陸上のトラックは全て合成ゴムで造られ、サッカー場や野球場は独立されており、設備は私立高校の中でもずば抜けて充実している。
♢ ♢ ♢
「起立。礼。ありがとうございました」
今日最後の授業が終わり、神菜が終了の挨拶をすると放課となった。
「ねえ朱音、一緒に帰らない?」
真っ先に喋りかけて来たのは、唯だった。
「え? ……ああ、まあいいけど」
「じゃあ、先に昇降口行ってるね」
「おう」
唯は、女友達と教室を出て行ってしまった。
「……ねえ」
「え?」
その囁きにしか聞こえない声は、ギリギリ朱音の耳に届く程だった。
「ちょっときて……」
そう言うと、梓はその外見には見合わないものすごい力で腕を引っ張られた。
「うおっ!」
かろうじて、自分のスクールバッグを持つと、そのまま教室→廊下→昇降口にまで連れられて行った。
「どこに行くんだ!」
この質問は、もう15回以上繰り返されている。
「………………………」
しかし、梓からの返答は無い。
靴を履き替えると、「待ってました!」と言わんばかりに、梓は高速で手を引っ張った。
「――あれ? 朱音?」
約束通り、昇降口で待っていた唯は、梓に連れ去られていく朱音を呆然と見ていた。
♢ ♢ ♢
朱音が唯に連れてこられたのは、体育館の裏だった。
広大なこの高校の敷地は、ほとんどの場所に生徒がいるが、体育館裏は人が居ないポイントの一つである。
「ここならいいかな……」
「何なんだよ! ……えーっと」
朱音は怒っていたが、梓の名前が思い出せないようだ。
「……ぅさ」
「え?」
「梓!」
それは、今までの声のボリュームからは考えられない綺麗な声だった。
「……そうだったな……で、なんでこんな所に連れて来たんだ?」
しばらく黙った後、梓は口を開いた。
「……そろそろいいかな」
その声は、さっきまでの弱々しさを完全に消し去っていた。綺麗で澄んだ声。
「あなたには、これから『零機関』の命令に従って行動してもらいたいと思います」
しばらくすると、朱音は腑に落ちた顔をした。
「遂に、来ちまったか……」
「はい」
「……で、あんたは何者だ?」
「私は、零機関直属対超能力者魔導師組織。第3教会の修道魔師です」
その言葉は、聞きなれた事の無い組織名だった。
しかし、その中でも『零機関』という名だけは、朱音の記憶に残っていた。
それは、朱音を死の淵から救った張本人であるからだ。
残酷な現実。
現在のヨーロッパの復興状況。
フランス 復興率 20%
ドイツ 復興率 34%
イタリア 復興率 26%
ヨーロッパだけでは無い。
世界は一度、消滅しかけたのだ。
ある5歳の少年によって