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「松下さん、これ、どういう事」

 凄んだ口調でスタスタとこちらへ歩きながら、越智さんの手には何かが印刷された書類が握られている。既視感があった。

「松下さんでしょ、これ書いたの」

 幾度か目にした事のある、標準的なゴシック体で埋め尽くされたA4用紙の左上には「越智さかえ」と書かれている以外、殆ど同じと言って間違いなかった。泥棒猫、黒谷を返せ、黒谷から離れろ、死ね、自殺しろ。

「こんな程度の低い嫌がらせするぐらいなら、直接私に言ったらどう?」

 まじまじと見据えられ「私じゃないんだけど」と口ごもるも彼女は態度を変えず、その紙を私に突き出している。ふと視線を横にずらすと、奥に座る黒谷君と目線があった。しかし彼はすっと、ごく自然な呈で視線を逸らせた。その代わりに、課長をはじめとする面々からは痛い位の強い視線で凝視される。

「私じゃないの、私も同じ事されたの、前に。だって私の名前なんて書いてないでしょ? 私が犯人だって、どうして決めつけるの?」

 する必要もない言い訳を必死で探した。犯人は私ではないのだ。それなのになぜこんなに必死になって。間抜けにも程がある。

「黒谷君から離れろとか、誰の特になるの。松下さんしかいないでしょ」

 課長が立ち上がるのが分かった。制止しに来ようとしているのだと思い、私は課長に目をやり手でその動きを逆に制した。

「あの、さ、後でちょっと二人で話しよう。そうしよう。課長、それでいいですか?」

 中途半端に腰を上げた姿勢で静止していた課長は「あぁそうすると良いと、うん」と何とも歯切れ悪い言葉を残し、業務に戻った。


 いつも、新棟のレイアウト構想に使う会議室に、越智さんと向かい合わせに座った。彼女はむすっとした表情で、口を尖らせている。

「あの、私も全く同じような手紙が送りつけられた事があって。課長にも言ったんだけど、カッターの刃が送られて来たんでしょ?それも私、された事あるの」

 目の前の彼女は不審気な顔を崩さぬまま一つ頷く。

「私もやられたの。あとは私の写真を切り刻まれた物が机に置かれてたり、服を破られたり。全てが同じ人の仕業かは分からないけど、多分、行方不明になってる彼女、のせいだったと、私は思ってたんだ」

 そこまで言うと、彼女の目には多少の安堵の色が見えた。信じてくれるらしい。

「でも、だとしたら、私に嫌がらせしてるのは誰なのかなあ、松下さん、思い当たる?」

 腕組みをして唸るようにして思考を巡らせる。黒谷君に女が近づく事を嫌う人物。それもごく近くにいて、私達の行動を把握できるような人物。

「中野さんかなぁ......」  ほんの思い付きをぽろりと口走ってしまい、後悔する。「呼んでくる」そう言って彼女は居室に戻っていった。


「何なの」

 中野さんは気怠げな態度で会議室に入って来た。

「単刀直入に訊くけど、私と松下さんに嫌がらせをして黒谷君から引き離そうとしてるのは、中野さん?」

 思いっきり顔を顰めた中野さんは「何の得があってそんな面倒な事やるの」と口を尖らせ、脚を組んだ。

「あのねぇ、私、彼氏いるから黒谷君には興味ない。それに、自分に振り向いてもらいたいなら、片っ端から嫌がらせなんてしないで、他の方法をとるんじゃない?」

 確かにそうだ。いくら嫌がらせをしたところで、黒谷君が振り向いてくれる訳ではない。会議室が静寂に支配され、時計の秒針がいたずらに軽妙な音を立て、正確に時間を進めていく。

「とりあえず、私でも中野さんでもないって事で、納得してくれる?」

 向かいに座る越智さんを見ると「うん」と首を縦に振り「疑ってごめん、被害に遭ってるなんて今日初めて知ったから。ほんと、ごめん」と謝罪された。


 それでもまだ、越智さんへの手紙は送りつけられ続け、金曜日で五通目を数えた。その度に彼女は私に手紙を見せに来た。内容は毎日少しずつ違うけれど、罵詈雑言の羅列である事には変わりなく、それでも気丈に振る舞っている越智さんは強いなと思わずにいられなかった。

 私への嫌がらせはきっと、あいつの仕業に違いない。そう思い込まずにはいられない。そうでなければ、私があの女を消し去った意味がなくなるのだ。しかし越智さんへの嫌がらせはどう考えても別の人間の仕業だ。私が添島から受けた嫌がらせを全て知っている人物。それでも中野さんではない。職場の誰か。昼休み、中庭のベンチに腰掛けて考える。二月の寒空は思考回路を冷却してくれると期待して。


「何してんの」

 さわやかな笑みをたたえて近づいて来たのは黒谷君で、私の隣に腰掛けた。

「嫌がらせの犯人が全然分からなくって。その事を考えてた」

 そう言って少し浅く腰掛けて背を反らせる。空はただ一様に淡い青だけを塗り籠めたようで、白い雲が見当たらない。場違いな太陽が、光を放って眩しい。その眩しさが、今は鬱陶しかった。私は上を向いたまま長く溜め息を吐いた。

 横から、クツクツと笑い声が聞こえた。それは確かに隣から聞こえる音で、私は身体を起こして笑い声の主を確認する。間違いなくその声は黒谷君の身体から発せられ、笑っているのに奇妙にひしゃげた顔に妙な違和感を感じる。

「まだ分からないの。男が絡むと女は皆必死になるんだよな、醜いよな」

 唖然として彼の歪な笑顔から視線が外せない。口はぱくぱくと動くのに、声が出ない。

「女が醜い争いをしてるを見るの、俺、大好きなのね」  そうして口元を押さえてまた笑う。 「お前の事なんてこれっぽっちも好きじゃないから、俺」

 そう言い残して彼は立ち上がり、まるでスキップをするように歩いていく。開いた口を塞ぐ事ができないまま、彼の広い背中をじっと見ていた。

 ふと、脚を止めて彼は小走りにこちらへ戻って来ると、動けないでいる私の耳元にキスをするように唇を当てた。そして囁く。

「奈々美の事、殺してくれてありがと。楓が一番面白かったよ」

 今度こそ踵を返し、跳ねるように歩いていく彼の後ろ姿は、徐々に歪んでいき、気づいた時には頬に落ちた涙が冷気で冷えていた。

 立ち上がると膝が言う事をきかない。暫くその場で膝を押さえ、脚を引きずるように居室へ戻った。早退する、と課長に告げた事は覚えている。自宅までどうやって戻って来たのか、記憶が定かではない。

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