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家族になりたい  作者: 京夜
後編
5/8

好きな人



 三月のはじめ。

 神奈川にある小さな街も、春の暖かな風に包まれつつあった。

 駅前に広がる商店街を抜けた先には、昔から変わらずにいる神社がある。何の神をまつっているのかは解らぬが、社の前には子供が遊べるような小さな広場がある。そして、さらにその周りには幾本もの梅が枝を伸ばしており、枝についた小さな白い花はすでに咲いていた。

 散歩するにはよい季節となり、商店街からの帰り道にここを通る者がちらほらいる。夕日がゆっくりと沈もうとしている頃、家への帰り道となるその境内を、悟と水香のふたりが歩幅を合わせてゆっくりと歩いていた。

 二人の両手にはビニール袋がぶらさがり、その袋の口元には醤油や柑橘類、ネギなどがはみ出している。食料はあわせて八つの袋にもなるが、家で待っているはずの食べ盛りばかりの家族にかかっては、おそらく三日と持たないだろう。冷蔵庫の底が見えだす度に、長男長女である二人はこうして買い出しにいき、お腹を空かした兄弟の待つ家へと、重い荷物を運んでいくのだった。


「十人分の重みを感じるぞ」


 右手にジュース類をひとつ、左手に野菜類の袋を二つもつ水香は、手に食い込むほどの重みに、そう呟かずにはいられなかった。

 高校を卒業した彼女だが、体は華奢で身長も155cmのまま伸びていない。濃い眉ときつい感じのする目つきを持ち、総じて整った顔立ちをしている。


「少し持とうか?」


 両手に合計五つの袋を持ちながら、悟はそれほど重そうな様子を見せず、水香に声をかけた。身長は190cm近く、体重も90kgある。水香と並ぶと、その大きさはさらに際だって見える。

 悟の申し出を、水香は首を横に振って断った。


「いや、いい。この重みが幸せなんだ」


 その重みを確かめるように、水香は手を握りなおす。


「わかる気がする」

「だんだんオレを理解してきたね」

「七人の兄弟が急にできればね」


 悟の言葉に、水香は声をたてずに笑った。

 1年半ほど前まで、水香と悟はただの他人でしかなかった。悟の父が、水香の母が経営する居酒屋へ通い続け、結婚するまでは……。

 水香には他に六人の兄弟がいて、一人っ子であった悟は急にできた兄弟たちに囲まれ、毎日てんてこまいしていた。


「悟も大変だよね。あいつら手間がかかるわ、うるさいわで」

「でも、かわいいし、明るいし、優しいしね」


 何かを得たいのなら、その引き替えに何かを失うのは当然のことである。沢山の楽しい兄弟のためなら、おもい荷物をもつ苦労を厭う気にはならない。

 そうはいっても、手が痺れてしょうがない。二人はため息とともに袋を足下に置き、両手をぱたぱたと振る。大きな影と小さな影が、砂利道に寄り添っていた。

 見上げると空は夜と昼との狭間で、2つ3つ星が見えた。金星と、そしてシリウス。


「手は痛いけど、家族が増えたことに感謝」


 一度は流れかけた結婚話をつなぎ止めたのが、この星のような気がしてならない水香は、本尊の前だというのに「星」に対してかしわを打って感謝の言葉を述べた。

 目の前の神様はきっと笑っているだろうが、水香は気にしていなかった。悟も軽く会釈をして、そっと水香の荷物を1つ奪い取った。


「兄ちゃん、本当にいいってばよう」

「幸せをひとつ、分けてもらおうかと思ってね」

「あはっ、なるほど」


 水香は、悟の厚意に甘えることにした。

 二人はふたたび歩きだした。

 悟は父親の経営する会社とは系列の違う、子会社に就職が決まっていた。しばらくそこで修行してから、親のあとをつごうと思っていた。

 父親は文房具の開発をおこなっており、この業界では最大手である。もし、大学卒業後、そのまま親の会社に就職してしまっては、上層部のことしか知らずに社長となってしまう。それが悟には嫌だった。

 なるべく末端の方でこき使われてから、それから親のあとを継いでもきっと遅くはないと思ったのだ。

 そして水香は、あれだけうるさい環境の中でしっかり大学に合格し、四月から通うことになっていた。

 ただ、彼女はとつぜん家を出て下宿すると言い出した。


「出なくてもいいのに」


 水香の入る大学は、家から決して遠くない。遠くないどころか、悟が今の家から通っていた大学なのだから、家を出る必要は全くなかった。


「上からどんどん抜けていかないと、下が困るんだよ」

「部屋は足りているぞ」

「いや、そういう問題じゃなくて……自立かな。双方の」

「なら俺が出なくちゃ」

「親父さんがなげくぞ。それに個人の問題だから、オレは出たいんだ」


 悟の父親と水香の母親が再婚してできた今の家族も、そのことに対するこだわりは全くない。それでも、唯一の息子として二十年も暮らしてきた悟が出ていってしまっては、父親も元気をなくすだろう。

 悟はなんと言ってよいか解らなかった。

 平気だよ、と笑う妹の顔を見おろす、悟の胸が少し痛くなった。

 血のつながっていない妹のことを、いつしか悟は好きになっていた。

 水香がどうか家を出ないように、と悟はシリウスに祈ったが、星はただ輝くだけでなにも応えてはくれない。

 2年前、親が再婚してできた新しい家族は、焼失した場所に新居を構え、もうひとりの子を迎え、あらたに出発した。

 総勢10名の家族はただもう賑やかで楽しくて、この時がずっと続くものだと悟は思っていた。それが早くも終わりをつげる。

 水香が出ていく。そしてやがて、家族は兄弟はみな、散らばっていく。

 そう思うと悟は、何かやたらと悲しかった。

 妹として、愛する人として、悟は水香を手放したくなかった。

 それを、言葉にすることはできないのだが。



「気にせず、告白すればいいじゃないか」


 悟は飲んでいたビールを吹き出しかけたが、向かえに座る海はいたって真面目な顔をしていた。

 高校二年になる次男の海だが、身長はのび男前になり、そして相変わらず笑顔ひとつ浮かべない。すかしているわけでもなく、ユーモアが欠落しているわけでもなく、ただ感情表現ができない「海」という人間を理解するのに、悟もだいぶ時を要した。

 本当の海はむしろ誰よりもあたたかく、しかも熱い男であることを知ってからは、悟はよくこうして海の部屋をたずね、酒を飲むようになった。

 しかし、だいたいは悟が悩みを持ちかけ、海が聞き役となっているのだが……。


「真面目な顔をして」

「本気だよ」

「そう言われて告白できりゃあ楽なんだが……水香にとって俺はどうせ『いいお兄さん』だぜ」

「実際、そうじゃないか」

「いや、確かにお兄さんなんだが……」


 海は表情もかえず、悟のコップにビールをそそぐ。1年もかかってようやく、それが海の優しさであることに気づいた。ゆっくりとふえゆく泡が今では、「まぁまぁ、頑張れよ」と呟いているように聞こえる。

 こんな不器用な表現しかできない海を、ときおり悟はとてもいとしく思う。


「水香姉が気づいていないだけなんだ」

「何に?」

「水香姉が好きになるとしたら、悟だけなんだ」


 首をかしげる悟。海はビールを飲み干した。


「水香姉は、ほら、家族以外とはほとんど話さないじゃないか」

「うん、ポーズとっているというか、恥ずかしがっているというか」

「そうそう。で、特に学校では誰一人とも話していないんだ」

「……」


 悟は口に含んだビールをゆっくり飲み干す。胃袋に落ちて、じわっと広がった。


「まぁ、俺も似たようなもんだけど、素直になりたくなくてな」

「素直になれない、じゃなくて」

「そう、素直になりたくない。うわべだけの会話はしたくなくて」

「家族は?」

「家族の間でつっぱっていたら疲れちゃうよ。まぁ、俺を良く理解してくれる奴には、素直になれるのかな」


 一拍だけ、沈黙が広がった。


「それで素直なのか」


 悟の真面目に問いかける瞳と、海の無表情な瞳がしばらく向かい合う。


「……その話はおいておこう」


 海の呟きに、悟は黙ってうなずいた。


「つまり水香の選択支は家族にしかない、というのか」

「それだけじゃないと思うけど、可能性として一番高いのは悟だと思う。心許せる、血のつながっていない年頃の異性という点で」


 海の少し茶色の瞳と出会う。人を信頼させる目であるし、実際に海のいったことで間違いはほとんどなかった。


「じゃあ、水香がそのことに気づくのを待ってろというのか?」

「恋の駆け引きは、俺もよくわからん。好運を祈る」

「かぁいぃぃ」


 思わず悟がうなると、海は苦々しい顔をした。


「それどころじゃないんだ」

「何が?」


 珍しく海が、手で口を押さえる。心なしか顔が赤くなったのを、悟は見逃さなかった。


「何が、『それどころじゃないんだ』?」

「さぁとぉるぅ、勘弁してくれ。口がすべっただけだ。忘れろ」

「海」


 悟はきわめて真面目な顔をして、海の肩に手を置いた。


「一度ぐらいは、お兄さんの役をやらせてくれよ」


 六才年上の兄はきわめて真剣に、そう頼んだ。年の上から言えば悟は海の兄であるのだが、二人の関係は対等かむしろ海の方が兄ではないか、と錯覚することがたびたびある。相談を持ちかけるのはもっぱら悟の方であるし、沈着冷静で大人びているのは海の方であった。

 その海が、めったに見せない困惑した表情を見せたのだから、悟にはほっておくことなどできなかった。


「まぁ、その……黙っててくれな」

「いいとも」

「付き合っている子がいるんだ」


 八畳の広さを持つ簡素な部屋に、沈黙だけが広がった。


「普通の女の子か?」


 海と付き合う女の子、という図式がなかなか了解できず、悟は確かめるように聞き返した。


「同級生だよ」

「まさか男とか」

「……相談した俺が悪かった」

「わっ、悪い。海っ! ちょっとお兄さんは信じられなかったんだ」


 海はばつが悪そうにビールを飲み、怒った顔を窓に向けた。

 恥ずかしいらしい。

 悟は初めて、海が年相応の少年に見え、ほっとため息をついた。

 そうなると、むくれる姿の海はむしろ可愛く、悟は「まぁ、頑張れよ」とビールをついでやった。これでこそ、お兄さんだ。


「どうやって知り合ったんだ?」

「いじめられていたのを、助けたことになるのかな? それから付きまとわれた」

「付きまとわれているだけなのか?」

「俺は好きではない。でも、嫌じゃないんだ」


 それは人嫌いの海にとって、大きな進歩だった。悟は、うんうんと嬉しそうにうなずいた。


「どうしたらいいのかな」

「そうだなぁ。まあ、なるべくその時の素直な気持ちを話しておくことだな。へんな期待は持たせない方がいい」

「俺もそう思う」

「でも、嫌じゃない、とつけ加えてな」

「……悟、嬉しそうだぞ」

「分かるか?」

「分かる。目が笑っている」

「嬉しくて」

「他人のことにそんな喜ぶな」


 悟はそれでも、笑っていた。窓の外には、すっとのびた梅の枝と、星が見えた。こうして家族が増えていくといいなぁ、と悟は心の中で呟いた。


「海、連れてこいよ。その子を」

「分かった」

「近いうちにだぞ」

「……よかろう」


 海はゆっくりとうなずいた。




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