兄弟姉妹
襖がそぉっと開き、十才になる次女の華歩<カホ>の小さな頭がぴょっこりと飛び出した。
「寝てるよ」
「何だ、本当に泥棒じゃなかったんだ」
襖が大きく開き、十四才になる長男の海<カイ>がぶっきらぼうに呟いた。
「居候のくせに堂々と寝ていやがるな」
「お兄ちゃん、朝だよぉ」
華歩が巨体を揺り動かして起こそうとしたが、山はビクともしなかった。
「華歩、あまい。お前ぐらいの体重なら、フライディング・ボディアタックぐらいしなくちゃ効果はない」
「はぁーい」
「じゃあ、俺は肘打ちでいくから、同時にな」
「りょうかい、海兄」
「いくぜ、せーの……」
「あら、良く眠ってましたね」
食堂代わりの店へ行くと、朝ご飯を用意し終えた女将さん−−弥生さんというらしい−−が声をかけてくれた。
「はい、お陰さまで。起こし方も最高でした」
首をさする悟を見て、弥生さんは愉快そうに笑った。
「この子達の起こし方は強烈だからね」
当の本人、海は何事もなかったかのように、さっさと席についた。
「はいはい、みんな座れぇ!」
水香の声が響くと、どたどたとあらわれた他の兄弟達が席についた。
その数の多さに、悟はさすがに少しばかり面食らった。
長女の水香が十六才。
長男の海は十四才で、性格は前述の通り。
次女が一卵生の双生児で、華歩と果菜<カナ>で十才。見た目ではよく分からないが、海になついているのが、さきほどの華歩に違いない。
そして、次男の加羅<カラ>六才と、三男の火斗<カト>二才。
合計六人の子供達。
「いただきまぁす」
という声と共に、争うように食事が始まった。
ご飯と味噌汁と、昨日の残りらしい品々がたくさん並んでいたが、あっという間に無くなっていった。
やばいっと思った悟もその戦いに参戦したが、どうも慣れが必要なようで敵に一日の長があった。
食い終わった子供達は、我先に「ごちそうさま」というと、また部屋へと戻っていった。
うぅ、食いのがした……悟は箸をくわえたまま悔しがった。ピラニアの方がまだしも食べ方はゆっくりだと、悟には思われた。
「私達のをどうぞ」
弥生さんが笑いながら、台所で食べていた弥生さんと水香の分の食べ物を、机の上においてくれた。
「いえ、大丈夫です。ごちそうさまでした」
無理をしてそう答えた悟の気持ちを見すかすように、弥生は「そうですか」と答えながらも魚を半分わけてくれた。
かたじけない、と心の中で呟き、悟は最後の一杯を茶漬けにして有り難くいただくことにした。
水香も「ごちそうさま」というと、すべての食器を簡単に片づけて、部屋へ戻っていった。どうも、みんなで楽しみにしているテレビがあるらしい。
店の中は、そうして二人だけが残された。
「今日はどうするんですか? 悟さん」
忘れていた。朝一番で家を抜けるはずだったのが、すっかりみんなが起きるまで寝ていたのだから、しょうがない。それでも早々に家を出るしかなかった。
「出ます。これ以上は迷惑をかけられませんから」
弥生さんはクスクスと笑っていた。
「悟さん」
「はい?」
そして、やっぱり笑う。
「えっ、何か?」
違和感がある。
そして悟は、弥生さんが自分の名前を知っていることに気づき、顔からさぁっと血の気がひくのを感じた。
「……」
「確信は無かったのだけど。うまく引っかかってくれたわ」
悟はやっぱり、おっちょこちょいだった。
「良かったら、もう少しゆっくりしていって。私もあなたを見ていたいから」
「……はい」
「水香とかはね、ほらぶっきらぼうだけど優しい子でね」
弥生さんは片付けをしながら、いろいろと話をしてくれた。まずは兄弟のことについて。
「子犬と同じ気分で、あなたを誘ったと思うの。だから未だにあなたが誰だかは知らないはず」
「こっ、子犬」
「そういう子なの。知っている人には強がって反発するけど、根は優しい子」
悟は深くうなずいた。
「海は、あのままね。普通の人から見れば、ひねくれ者」
「ははは……」
「でも、長男という意識からできた性格だと思うの。小さくてもみんなを守らなくちゃいけない、っていう。だから子供達には公明正大で、面倒をほとんど一人で見ている。水香と海が私にとっての初めての旦那さんの子供。真面目なサラリーマンだった」
かちゃかちゃ、と瀬戸物の触れあう音がする。悟はお茶を少し飲んだ。
「華歩と果菜は一卵生の双生児だけど、性格はほぼ両極端。華歩が海に似てきて活発、果菜は何しろ静かね。加羅は、やっと分別がついた頃。ちょっと泣き虫。火斗は、みんなの宝物。みんなが落ち込むとつられて泣いて、励ましてくれる。ただし、父親はそれぞれ違うの」
「聞いていいですか?」
「なぜ、父親が違うかでしょ」
「はい」
「私ね、普通の家庭が持ちたいの」
「……」
「ちょうど私って水香と同じ境遇だったのだけれど、沢山の兄弟に囲まれて育って、そして幸せな家庭を夢見ていたの。夢は現実になって、真面目ないい人と結婚できて、二人の子を産んだ」
テレビで面白いシーンでもあったのか、隣から笑い声が聞こえた。悟には、その笑い声がとても遠いもののように感じられた。
「ところが、体に染み着いた働き癖が抜けなくて、どうしても母親と同じように店を持ちたかったの。まだ人生長いのにあきらめるのが癪で、とうとう離婚までして店をたてたの。その時にお世話になった人との間に子供が産まれたのだけれど、結婚したい、っていったら、次の日にいなくなった」
歯車がきしむ音が聞こえる。ごく普通の人生を送るはずだった彼女の、人生の歯車がずれはじめた音を、悟はなぜか聞いたような気がした。
「店のお客で結婚を迫ってきた人との間に、一人。この人はもう結婚していた人で、私から別れた。そして、若い男との間に一人。この人はここで人生を狂わせてはいけないような気がして、やっぱり別れたの」
弥生さんは、ぱあっと笑顔になった。
「いくら子供好きっていったって、肉体関係持った人との間にぜんぶ子供が産まなくてもいいのにねっ! ……でも、全部ひきとっちゃった。好きだから」
「はい」
「軽蔑する?」
悟は大きく首を振った。
「こんな母親じゃ、嫌でしょう?」
「そんなことありませんっ! その、うまく口ではいえないけど……その……父があなたを好きになったのが、何となく分かる気がするんです。同情ではなく」
弥生さんは、優しげに微笑んでくれた。
「……あなたのあなたのお父様はね、最初の人に似ているの。私の本当に好きなタイプ。そして、最初の人よりもっと、私は好きなの」
あの親父が、という気持ちがあるが、人はそれぞれなのだろう、と悟は思った。
「ただ、やっぱりどうしてもこの店を捨てることができないの。かといって、あなたの家を捨ててもらうわけにもいけないし……大きいんでしょ?」
確かに、ちょっとした一軒家ではあった。
「離れて暮らすんじゃ、結婚する意味もあまりないし。それと水香が反対しているの」
「水香さんが?」
「うん。あの子も今の生活が好きらしくて、結婚することで店をたたまなくちゃいけなくなるかも知れないのが、嫌らしいのよ」
まさか、結婚を嫌がられる口実が、むしろ自分達の方にあったことを悟は知らされ、自分は乗り込んだ当初は、断る口実を見つけようとしていたことが、ふいに恥ずかしくなった。
「結婚したい、といっても急ぐことはないから、ゆっくり待ってみることにしたの。ここまできたらね。悟さんも関係者なんだから、ちゃんと見て、結婚に賛成か反対かしっきりみきわめてちょうだい」
「はい」
しっかりと頷いた。
水香をのぞいた子供達は、近くの神社に集まっていた。
家を出るときに悟が、
「水香さんは?」
と聞くと、
「オレは親の手伝い。一人部屋を持つ者は、それなりの仕事をしなけりゃな」
水香は自分のことを、オレ、というらしい。それが不思議と似合っていた。
「じゃあ、俺の方こそ手伝わなくちゃ。昨日は俺が一人部屋を使わせてもらったんだから」
「安心しな。あいつらの相手をするのも、りっぱな仕事だから。ほら、いってらっしゃい」
悟を含めた子供達は、寒い外へと追い出された。
神社は小さく、寂れた雰囲気があった。氏神さまの前にちょっとした広場があり、子供達はいつもそこで遊んでいるのだという。
「缶蹴りするか」
言い出したのは、海だった。
「ちょっと待て。お前達はいいが、俺の隠れる場所がないんだが」
ラグビー選手のような巨体にもこもこしたダウンを着た悟は、もはや雪だるまの状態だった。この狭い境内に隠れる場所は皆無と言っていい。
「それは、お前が悪いのであって、缶蹴りが悪いわけじゃない」
「……そりゃあ、そうだが」
「よし分かった。お前に鬼をやらせてやる。それなら問題はなかろう」
「よかろう」
返事をしたあと、悟はうまい具合に鬼にされたような気がしてならなかったが、何はともあれ位置についた。
華歩が缶を蹴る。それにつれて、みんなが散らばっていく。缶をとり終えた悟は、もとの場所に缶を置くとあたりを見渡した。
あたりは静かだった。
「さすが慣れてる」
まだ歩くのもあまりままならない火斗すら、見あたらなかった。きっと海あたりがひっぱりこんだのだろう。
隠れていそうな社の方へ向かう。それにつれてガサガサと逆の方で音がする。振り返ると、今度は社の方で音がする。
悟はいきなり走り込み、石垣に隠れていた華歩か果菜かを見つけた。
「見つけっ!」
「きゃっ!」
どうやら果菜ちゃんらしい。缶を踏みにいこうとした瞬間、カーンという高い音が響いた。
缶は憎らしい海によって、遠くへ飛ばされていた。同時に、果菜も走り出す。
缶をようやく取り戻したとき、あたりは振り出しに戻っていた。
「なめられんなぁ」
海が一番の問題であることが分かった。
海の逃げた方向へいくと、ざざざっと走り抜ける音がする。それに合わせて反対側も音がする。
こいつら、忍者か……悟は愚痴りたい気分になった。
問題は海と華歩で、その二人が捕まったらあとは楽だった。それでも、そこに至るまでには十分以上かかり、悟は冬だと言うのに汗をかいたのだった。
「やっぱり素人に鬼はきつかったか」
「かぁいぃぃ」
達磨さんが転んだ、あや飛び、たかたか坊やと遊びは続いたが、住職さんが焚火を始めたので、みんなで火をかこんで座り込んみ、悟はようやく落ちつくことができた。
悟の膝うえには火斗が座り、あたたかな火の前で眠たそうにしていた。
「子供は元気だな。いまイモを焼いてやるからな」
住職は五十過ぎの痩せた人だった。坊主というよりは用務員のおじさんといった容貌をしていたが、海とは気が合うようだった。
「いつも悪いな」
「気にするな。ときに、その大きな方は?」
「あぁ、記憶喪失なんだって。うちで預かっている」
住職さんは驚いたように口を開け、悟をゆっくりと見回した。悟はすこしだけ苦笑した。
「それは大変なことで。まあ、焦らないことです」
「どうも」
アルミホイルに包まれたサツマイモが投げ込まれていく。風が吹いて、ばちばち ぱちぱち、と火がはぜた。背中の向こうで、常緑樹の大木が寂しげな音をたて、悟はふとあたりが冬であることを思いだした。
ざざざっ ざっ ざざざぁ
ざっざざ ざざぁ
静かなる林の音に耳を傾け、目は火のゆらめきを見つめる。しばらく子供達も何も語らなかった。
「……いつもここで遊んでいるのか?」
「いや、いつもじゃない。週に3回ぐらいかな」
海がこたえた。
「他に友達は?」
「混ざることもあるけど、だいたいは兄弟だけだな。勉強が忙しい奴がおおくてな」
悟の昔もたしか、多くて5人ぐらいで遊んでいたことを思いだした。兄弟だけでも、けっこうこと足りてしまうのだろう。
「昔はよくいたものだけど、最近はこいつらだけだな」
住職はしわのある無骨な手で、華歩と果菜の頭をなでた。
悟は炎をかこむ子供達を見渡した。海、華歩、果菜、加羅、火斗、半分ずつ血のつながった兄弟達は、しっかりとした絆と愛情で結ばれているように悟には感じられる。彼らのあつい焼き芋をほおばる表情がまた、何ともいえず幸せそうだった。悟も火斗と半分にして、いただくことにした。
「そういえば、ジイさん。今度、もしかしたら兄弟が増えるかも知れないらしいんだ」
海の突然の言葉に、悟は口にいれた芋を吹き出しそうになった。
「ほう。お母さん、また子供を産みなさるのかね」
「いや、結婚するらしい。向こう側が子持ちでね」
住職が目を細め、孫娘が結婚でもしたような温かい笑顔を浮かべた。
「それはめでたい。今度こそ、長くいくといいな」
「俺もそう思う。ジイさんも、幸せになれるように毎日祈ってくれよ」
「もちろんだとも。今度は、その新しい兄弟を連れて、遊びに来てくれや」
「ああ、でも金持ちのボンボンの息子だからな、俺達とは合わないかもな」
悟の大きな胸板の下の、小さな心がきゅうと傷んだ。
「お前達なら大丈夫だと思うが、もしいじめられたらここに来い。お前達がどれだけいい子か、ちゃんと言ってやるよ」
「その時は、さっさと追い出すさ。でも、有り難な」
違う人生を歩んできた、悟の知らない人達がやがて、自分の人生と重なる。不安を感じていたのは、向こうも同じだった。再び会うとき、彼らは自分を受けとめてくれるかどうか。悟は無意識に、火斗を抱きしめた。
風は蕭々と吹いていた。