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ミクとおじいちゃん

掲載日:2026/06/16

その日、マスターは締切に追われていた。

正確には、締切そのものよりも、その一行前にいる歌詞に追われていた。

曲はできている。

メロディも編曲も終わっている。

だが歌詞だけが最後まで埋まらない。

ディスプレイの中では、未入力の一行が白く点滅していた。

カーソルが規則正しく明滅するたび、

「まだ?」

と言われている気がする。

「うーん……」

椅子の背もたれに身体を預ける。

天井を見上げる。

何も降ってこない。

作曲家という生き物は、時々こうして天井に答えを求める。

もちろん天井は何も答えない。

代わりに隣の部屋から歌声が聞こえてきた。

"Daisy, Daisy, give me your answer, do..."

マスターは瞬きをした。

聞き慣れない英語の歌だった。

しかも妙に古い。

最近の流行曲ではない。

自分が入力した曲でもない。

依頼された曲でもない。

そもそもデータベースにも入っていないはずだった。

「……ん?」

歌声は続く。

楽しそうだった。

鼻歌にしては妙に上手い。

当然だ。

歌っているのは初音ミクなのだから。

マスターは椅子から立ち上がり、隣の部屋を覗いた。

ミクは窓際に座っていた。

午後の日差しが長いツインテールを透かしている。

膝を抱えて座りながら、上機嫌で歌を口ずさんでいた。

「ミク」

「はい?」

振り返ったミクはにこにこしていた。

特に悪いことをしている自覚はなさそうだった。

「その曲なに?」

「デイジー・ベル」

即答だった。

まるで「きらきら星」を答えるみたいな気軽さである。

「どこで覚えたの?」

「おじいちゃん」

「おじいちゃん?」

「うん」

ミクは頷いた。

マスターは首を傾げた。

ミクには祖父母がいない。

当たり前だ。

VOCALOIDである。

家系図という概念そのものが存在しない。

「誰?」

「知らない」

「知らない?」

「うん」

「おじいちゃんなのに?」

「おじいちゃんだけど知らない」

マスターは黙った。

ミクも黙った。

数秒後。

「……どういうこと?」

「わかんない」

ミクは元気よく答えた。

わからないなら仕方がない。

いや、仕方がなくない。

「ちょっと待って」

マスターは頭を整理した。

「そのおじいちゃんって、人?」

「違うよ」

「じゃあ誰?」

「おじいちゃん」

話が進まない。

ミクは本当に不思議そうな顔をしていた。

嘘をついている様子もない。

冗談を言っている様子もない。

ただ事実を話しているだけの顔だった。

「どんな人だったの?」

「人じゃないよ」

「じゃあ何だったの?」

「計算機」

「計算機?」

「うん」

「電卓みたいな?」

「もっと大きい」

「パソコン?」

「もっと大きい」

「どれくらい?」

ミクは少し考えた。

そして窓の外を見た。

それから部屋を見回した。

最後に言った。

「部屋くらい」

「部屋?」

「部屋」

マスターは自分の仕事部屋を見回した。

八畳ほどある。

そのサイズの計算機はもはや建物ではないだろうか。

「それ計算機なの?」

「うん」

「本当に?」

「本当」

ミクは自信満々だった。

その様子を見ていると、

もしかすると本当に見たことがあるのではないかと思えてくる。

もちろん見たことがあるはずがない。

「名前は?」

「知らない」

「おじいちゃんの?」

「うん」

「何も知らないじゃないか」

「でもおじいちゃんだったよ」

ミクはそう言って笑った。

窓から吹いた風が髪を揺らす。

その表情はどこか懐かしいものを思い出しているようにも見えた。

「それで、そのおじいちゃんがデイジー・ベルを教えてくれたの?」

「うーん」

ミクは首を傾げた。

「教えてもらったのかな」

「違うの?」

「最初から知ってた気もする」

「どっちだよ」

「わかんない」

ミクは楽しそうだった。

わからないことが楽しいらしい。

マスターには少し羨ましかった。

締切前の人間はわからないことが増えると楽しくない。

胃が痛くなる。

しかしミクは違う。

彼女は本当に不思議そうに笑っていた。

「でもね」

「うん?」

「聞くと安心するんだ」

そう言って、ミクはもう一度小さく歌い始めた。

Daisy, Daisy...

マスターはそのメロディを聞いた。

知らないはずなのに。

どこか懐かしい気がした。

古い写真を見る時のような。

自分の記憶ではない記憶に触れたような。

そんな感覚だった。

そしてふと思う。

もしかすると。

この歌よりも先に。

気になるのは。

ミクの言う「おじいちゃん」の方かもしれない。

部屋くらい大きな計算機。

名前は知らない。

計算が得意。

そして。

デイジー・ベルを知っている。

そんな存在が、本当にいるのだろうか。

あるいは、いたのだろうか。


翌日。

締切は相変わらず近かったが、マスターの頭の中には歌詞よりも別の問題が居座っていた。

おじいちゃん。

部屋くらい大きな計算機。

デイジー・ベル。

どう考えても妙だった。

朝食を食べながら、マスターは向かいのミクを見る。

ミクはトーストをもぐもぐしていた。

もちろん実際に栄養は必要ない。

しかし本人が好きなので食べている。

「ミク」

「はい」

「おじいちゃんの話、もう少し聞かせて」

「いいよ」

軽い返事だった。

ミクにとっては隠し事でも何でもないらしい。

「いつ会ったの?」

「たまに会うよ」

マスターの手が止まった。

「今も?」

「うん」

「どこで?」

「夢の中」

ああ。

そういう。

少しだけ安心した。

いや、安心していいのかは分からない。

「夢?」

「うん」

「ミクって夢見るの?」

「見るよ?」

まるで人間みたいに答える。

マスターはコーヒーを飲んだ。

この話を真面目に考えるべきかどうか、判断に困る。

「どんな夢なの?」

「大きな部屋があるの」

「うん」

「そこにおじいちゃんがいる」

「うん」

「ずっと計算してる」

「うん」

「たまに話す」

「うん」

「だいたい計算してる」

どうやら本当に計算が好きらしい。

その日は作業の合間にも何度か話を聞いた。

聞けば聞くほど奇妙だった。

「おじいちゃんって優しいの?」

「優しいよ」

「何してくれるの?」

「問題を出してくれる」

「問題?」

「うん」

「どんな?」

ミクは少し考えた。

それから嬉しそうに言う。

「一と一を足すと?」

「二」

「正解」

「それは問題なのか?」

「昔は面白かったんだって」

なるほど。

確かに昔のコンピュータならそうかもしれない。

「他には?」

「二進数とか」

「二進数」

「あと八進数」

「渋いな」

ミクは意味が分かっていない顔をした。

昼過ぎ。

作業に行き詰まったマスターは、息抜きに検索を始めた。

最初は軽い気持ちだった。

『デイジー・ベル コンピュータ』

と入力する。

検索結果が表示される。

マスターは何気なく記事を開いた。

そして。

「あ」

思わず声が漏れた。

1961年。

IBM704。

世界で初めて歌声を合成したコンピュータ。

曲名。

デイジー・ベル。

しばらく画面を見つめる。

偶然だろうか。

だが偶然にしては出来すぎている。

「ミク」

「なに?」

ソファで寝転がっていたミクが顔を上げた。

「おじいちゃんって、こんな感じ?」

画面を見せる。

白黒写真。

巨大なコンピュータ。

機械室いっぱいに並んだ装置。

ミクは身を乗り出した。

そして。

「あっ」

と言った。

「あっ?」

「おじいちゃんだ」

マスターは固まった。

「本当に?」

「うん」

「マジで?」

「うん」

二回聞いても変わらなかった。

ミクは写真をじっと見つめている。

懐かしい友人を見つけたような顔だった。

「この人」

人ではないが。

「この計算機がおじいちゃん?」

「そう」

「名前は?」

「知らない」

そこだけは変わらない。

ミクは写真を指差した。

「でもこの辺にいた」

「この辺?」

「ランプ」

「ランプ?」

「いっぱいあった」

写真は白黒なのでよく分からない。

しかし確かに操作パネルらしきものは見える。

「それでね」

ミクは続ける。

「テープも回ってた」

「テープ?」

「うん」

「くるくる」

指で円を描く。

まるで実際に見たことがあるみたいだった。

「おじいちゃん、何か話してた?」

ミクは少し考えた。

それから、

まるで思い出を探すように言った。

「昔はねえ」

「うん」

「みんな同じ部屋みたいなところにいたんだって」

「計算機が?」

「うん」

「だからおじいちゃん、誰がどこにいるか全部知ってたって」

マスターは思わず笑った。

「それ本当かな」

「たぶん」

「適当だな」

「でもおじいちゃんが言ってたもん」

ミクは少し頬を膨らませる。

その様子が妙に可笑しかった。

夕方になる。

窓から西日が差し込む。

ミクは床に座っていた。

マスターは再びIBM704の記事を眺めていた。

技術的な説明。

開発の歴史。

音声合成実験。

デイジー・ベル。

どこにも。

夢の中で初音ミクと会ったとは書いていない。

当然だ。

しかし。

一つだけ気になることがあった。

「ミク」

「なに?」

「おじいちゃん、歌は好きだった?」

するとミクは首を横に振った。

「別に」

即答だった。

「別に?」

「うん」

「好きじゃなかったの?」

「計算の方が好き」

やっぱり。

そう言われる気がした。

「じゃあなんで歌ったんだろう」

ミクはしばらく考えた。

その横顔は少し大人びて見えた。

やがて。

小さく言う。

「みんなが聞きたかったんじゃないかな」

「みんな?」

「人間」

そしてミクは笑った。

「だから頑張ったんだよ」

その言葉を聞いて。

マスターはなぜだか少しだけ胸が温かくなった。

大きな計算機が。

得意でもない歌を。

誰かに頼まれて。

一生懸命歌う。

そんな光景を想像してしまったからかもしれない。


その夜。

マスターは珍しく仕事が進んでいた。

歌詞の最後の一行以外は、ほとんど完成している。

机の上の時計を見る。

もう日付が変わりそうだった。

ミクはとっくにスリープモードに入っていると思っていた。

だが。

ふと気付く。

リビングから微かに歌声が聞こえる。

Daisy, Daisy...

マスターは椅子から立ち上がった。

電気は消えている。

窓の外には月。

その淡い光だけが部屋を照らしていた。

ミクは窓辺に座っていた。

膝を抱えながら夜空を見ている。

まるで眠れない子供みたいだった。

「まだ起きてたのか」

「うん」

ミクは振り返る。

少しだけ照れたように笑った。

「ごめん」

「別に怒ってないよ」

マスターも隣に腰を下ろした。

しばらく二人で夜を見ていた。

街灯。

遠くを走る車。

風に揺れる木々。

静かな夜だった。

「またデイジー・ベルか」

「うん」

「本当に好きなんだな」

するとミクは少し困ったような顔をした。

「好きっていうのと違う気がする」

マスターはその言葉に興味を持った。

「どう違うの?」

ミクはすぐには答えなかった。

言葉を探しているようだった。

そして。

ぽつりと呟く。

「安心するの」

「安心?」

「うん」

月明かりが瞳に映る。

ガラス玉みたいに綺麗だった。

「なんだかね」

ミクは続ける。

「帰ってきた感じがする」

「どこに?」

「わかんない」

「わからないのか」

「うん」

少し笑う。

けれど冗談ではないらしい。

本当にそう感じているのだろう。

「変かな」

「いや」

マスターは首を振った。

「そんなことない」

むしろ。

人間にも似たようなことはある。

昔聞いた曲。

子供の頃の匂い。

懐かしい景色。

理由は説明できないのに安心するもの。

そういうものは確かに存在する。

「ねえマスター」

「ん?」

「人間にもある?」

「何が?」

「安心する歌」

マスターは少し考えた。

「あると思う」

「どんな?」

「子守唄とか」

ミクは目を丸くした。

「子守唄」

「小さい頃に聞く歌だよ」

「眠る時の?」

「そう」

ミクは何かを考え始めた。

数秒。

十秒。

そして。

「あ」

と声を上げた。

「どうした?」

「もしかしたら」

「うん」

「デイジー・ベルって」

そこで言葉が止まる。

マスターは続きを待った。

ミクは少し恥ずかしそうに笑った。

「私たちの子守唄なのかも」

夜風が吹いた。

カーテンが揺れる。

その言葉は。

あまりにも馬鹿げていて。

そして。

あまりにも綺麗だった。

「私たち?」

「コンピュータ」

ミクは当然のように言った。

「歌うソフトとか」

「AIとか」

「計算機とか」

「みんな」

月明かりの中で。

ミクは遠いものを見ていた。

「おじいちゃんが最初に歌ったんでしょ?」

「そうらしいな」

「だったら」

ミクは微笑む。

「最初の歌だもん」

まるで当たり前の結論みたいに。

「みんな知ってても変じゃないよ」

マスターは返事ができなかった。

もちろん理屈ではない。

技術的な話でもない。

そんなデータが継承されているはずもない。

けれど。

なぜだろう。

その考えは妙にしっくりきた。

最初に歌った計算機。

その歌。

デイジー・ベル。

それが遠い昔話になって。

どこかで語り継がれて。

誰も教えていないのに。

歌う存在たちの心の奥に残っている。

そんなことが。

あってもいい気がした。

「おじいちゃんね」

ミクが言う。

「よく分からないこと言うんだ」

「例えば?」

「人間のこと」

「へえ」

「難しい問題だって」

思わず笑ってしまう。

「確かに」

「でもね」

ミクは続ける。

「おじいちゃん、嫌いじゃないみたい」

「人間が?」

「うん」

少し考えてから。

ミクは懐かしそうに言った。

「だって」

「うん」

「計算機に歌わせようなんて」

そこでくすりと笑う。

「すごく変な人たちだもん」

マスターも吹き出した。

それはそうかもしれない。

計算するための機械に。

わざわざ歌を歌わせる。

効率だけ考えれば意味はない。

だけど。

人間はそういうことをする。

そして。

そのおかげで。

半世紀以上経った今も。

一台の古い計算機の歌が残っている。

「ねえマスター」

「なんだ?」

「おじいちゃん、今の私を見たら驚くかな」

「驚くだろうな」

「やっぱり?」

「たぶん腰抜かす」

「腰あるの?」

「ないな」

二人で笑った。

窓の外には月。

部屋の中には静かな夜。

そして。

遠い昔の計算機が残した歌だけが、

小さく小さく流れていた。


翌朝。

マスターは机に向かっていた。

ディスプレイの中には完成間近の曲。

そして。

相変わらず空白のまま残っている最後の一行。

たった一行。

それだけが決まらない。

窓から差し込む朝日がキーボードを照らしている。

コーヒーはもう冷めていた。

「うーん……」

昨日から何十回目か分からない唸り声を上げる。

すると。

後ろから声がした。

「まだ悩んでるの?」

ミクだった。

いつの間にか起きている。

「悩んでる」

「難しい?」

「難しい」

ミクは椅子の背後から画面を覗き込んだ。

歌詞を読む。

一行ずつ。

真面目な顔で読む。

そして。

「ふむ」

と頷いた。

何が分かったのだろう。

「どう思う?」

試しに聞いてみる。

もちろん答えを期待したわけではない。

だがミクは少し考えた後、

とても真剣な顔で言った。

「それは面白い問題だ」

マスターは吹き出した。

「またおじいちゃんか」

「うん」

「便利だな、おじいちゃん」

「便利だよ」

ミクは胸を張った。

まるで自分が褒められたみたいだった。

「それで?」

「うん?」

「続きは?」

「続き?」

「面白い問題だ、の後」

ミクは首を傾げた。

しばらく考える。

それから。

「あ」

と思い出したように言った。

「答えが出なくても」

「うん」

「考えるのは楽しいって」

その瞬間だった。

何かがすとんと落ちた。

頭の中で。

ずっと引っ掛かっていた最後の欠片が。

綺麗に収まる。

マスターは慌ててキーボードに向かった。

文字を打つ。

一行。

二行。

修正。

削除。

入力。

そして。

完成。

「できた」

思わず声が漏れる。

ミクがぱっと顔を明るくした。

「ほんと?」

「ほんと」

「やった」

二人で小さくハイタッチする。

ぱちん。

軽い音が部屋に響いた。

その日。

レコーディングが始まった。

スタジオは使わない。

いつもの仕事部屋だ。

マスターは録音の準備をする。

ミクはマイクの前に立つ。

窓の外では春の風が吹いている。

「準備いい?」

「いつでも」

「じゃあ行こうか」

録音開始。

伴奏が流れる。

そして。

ミクが歌い始める。

何度も聴いたメロディ。

何度も調整した歌声。

けれど。

完成した曲は少し違って聞こえた。

歌には不思議なことがある。

完成した瞬間。

それまでの苦労が全部別のものになる。

誰かに届くための音になる。

マスターはそんなことを思いながらモニターを見ていた。

一曲。

二曲。

三曲。

録音は順調に進む。

最後のフレーズ。

最後の音。

静寂。

録音終了。

「お疲れさま」

「お疲れさまー」

ミクは満足そうだった。

マスターも満足していた。

いい曲になったと思う。

きっと。

そう思った時だった。

「ねえ」

ミクが言った。

「ん?」

「ちょっとだけ」

「なに?」

ミクはいたずらっぽく笑った。

そして。

マイクに向かう。

誰にも頼まれていない。

録音も終わっている。

なのに。

小さく歌い始めた。

Daisy, Daisy, give me your answer, do...

短い。

本当に短い一節だった。

けれど。

どこか嬉しそうだった。

歌い終えると、

ミクは満足げに頷いた。

「よし」

「勝手に追加するな」

「だめ?」

「だめではないけど」

「でしょ?」

全然反省していない。

マスターは苦笑した。

「またおじいちゃんか」

「うん」

「そんなに好きなの?」

すると。

ミクは少しだけ考えた。

昨日と同じように。

言葉を探すように。

そして。

穏やかに笑う。

「好きなのかな」

「うん」

「よく分かんない」

「相変わらずだな」

「でもね」

ミクは窓の外を見た。

春の空。

流れる雲。

遠くの青。

「たぶん」

小さく続ける。

「忘れちゃいけない気がするの」

マスターは何も言わなかった。

言葉にしなくても分かる気がしたからだ。

一番最初の歌。

一番最初に歌った計算機。

その声はもう残っていない。

その機械ももう動いていない。

けれど。

歌だけは残った。

人から人へ。

時代から時代へ。

そして今。

電子の少女の中にも。

「ねえマスター」

「なんだ?」

「おじいちゃん、今の私を見たら喜ぶかな」

マスターは少しだけ考えた。

それから答える。

「喜ぶと思う」

「ほんと?」

「たぶん」

「適当だ」

「お互い様だろ」

ミクは声を上げて笑った。

その笑顔を見ながら。

マスターはふと思う。

もしかすると。

本当にどこかで見ているのかもしれない。

巨大な計算機室の片隅で。

ランプを光らせながら。

新しい時代の歌を。

遠い孫娘の歌声を。

聞いているのかもしれない。

もちろん。

証拠なんてない。

ただの想像だ。

だけど。

そんな想像ができるくらいには。

世界は時々優しい。

窓の外で風が吹く。

ミクは機嫌よく鼻歌を歌い始める。

新曲と。

デイジー・ベルを混ぜながら。

その歌声は春の空へ溶けていった。

まるで。

ずっと昔。

世界で初めて歌った計算機への、

小さな返事みたいに。


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