第1話 透明な深夜の共犯者
午前二時。
スマートフォンの画面に表示されたデジタル時計が、無機質に時刻を告げている。
「……また午前二時か。世界中が寝静まってるのに、俺の意識だけが取り残されてるみたいだ」
天井の染みを数えるのにも飽きた俺、坂井湊は、重たい身体を起こしてアパートを出た。
慢性的な不眠症は、俺から色彩と活力を奪い続けている。
深夜の街を徘徊するのは、眠れない自分を正当化するための儀式のようなものだった。
駅前へ続く大通りは静まり返り、信号機だけが誰に見られることもなく点滅を繰り返している。
その先に、ぽつんと白く光る箱があった。
コンビニ『ナイトオウル』駅前店。
眠れない人間たちの避難所。
自動ドアが開くと、ファミレスのようなチャイム音と共に、少し肌寒い空気が肌を撫でた。
レジの奥では、深夜バイトの田所さんが舟を漕いでいる。
いつもの光景だ。
ただ一つ、いつもと違うのは、レジ横のホットスナックコーナーの前に、一人の少女が張り付いていることだった。
パーカーのフードを目深にかぶり、ガラスケースの中を食い入るように見つめている。
俺は彼女の横を通り抜け、棚からミネラルウォーターを一本取ると、レジへと向かった。
「……あーあ。ラスト一個かあ。食べたかったなあ、あれ」
少女が恨めしげな声を漏らす。
視線の先には、『特製・極厚肉まん』と書かれたポップの下、最後のひとつが鎮座していた。
俺は商品をカウンターに置くと、寝ぼけ眼の田所さんに声をかけた。
「これと、あとその肉まん一つください」
「……うあ、いらっしゃいませー。あ、肉まんラスト一個っすね。少々お待ちを……」
田所さんがトングをカチカチと鳴らす。
その瞬間、隣の少女が
「えっ!?」
と大声を上げて俺を睨んだ。
「ちょっと! それ私が狙ってたんだけど! 横取りしないでよ!」
あまりの剣幕に、俺は思わず彼女の方を向いて答える。
「いや、狙ってたって言っても……買ってなかっただろ」
「は?」
少女が目を丸くするのと、田所さんが怪訝な顔をするのは同時だった。
「え、お客さん……今、誰と喋ってるんすか?」
田所さんの視線は、俺の顔と、俺の隣にある「何もない空間」
を往復している。
「え……?」
俺は隣を見た。
少女はそこにいる。
怒った顔で、腰に手を当てて。
「……いや、ここにいる彼女が」
「誰もいないっすよ? 怖いこと言わないでくださいよマジで……」
田所さんは本気で怯えているようだった。
演技ではない。
背筋に冷たいものが走る。
俺は震える手で財布から小銭を出し、逃げるように会計を済ませた。
「お箸つけます? ……え、二膳? 一人なのに?」
「……いいから、つけてください」
店を出て、外の赤いベンチに腰を下ろす。
心臓が早鐘を打っていた。
「ねえっ、無視しないでよ! 私が見えてるんでしょ?」
追いかけてきた少女が、俺の目の前に立ちふさがる。
店内の蛍光灯を背に受けた彼女の輪郭は、どこか薄ぼんやりとしていて、背景のガードレールが透けて見えている気がした。
「……お前、何なんだ」
「私? 私は真白透子。……見ての通り、透明人間になっちゃったみたいでさ」
彼女は自嘲気味に笑うと、俺の手にあるホカホカの包みを指差した。
「あっちっちの肉まん、半分こしてくれるまで離れないから!」
俺は溜息をつき、肉まんを二つに割った。
立ち上る白い湯気が、透明な彼女の顔を一瞬だけはっきりと映し出した。
こうして、俺の退屈で孤独な夜は終わりを告げたのだ。
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【登場人物】
- 坂井 湊: 主人公。不眠症の大学生。
- 田所: コンビニの深夜アルバイト店員。
- 真白 透子: ヒロイン。身体が透明になり、湊にしか見えない少女。
【場所】
- コンビニ『ナイトオウル』駅前店: 深夜でも明るく、不眠症の人々の避難所のような場所。
- 店先の赤いベンチ: 塗装が剥げかけたベンチ。湊と透子が肉まんを分けた場所。
【アイテム・用語】
- 特製・極厚肉まん: ラスト一個の肉まん。湯気で透子の輪郭が浮かび上がる。




