修羅場
ボクが王子様を目指し始めたのは、私が小学校3年生のときに起きた、とある事故がキッカケだった。
学校からの帰り道、私はまだ1年生だった妹の瑞姫と一緒に、横断歩道を渡っていた。
『お姉ちゃん、今日はねーー』
いつものように瑞姫のお話を聞いていたその時、信号無視した1台の車が、私たち目掛けて突っ込んできた。
すぐに車に気付いた私は、瑞姫のことを抱きしめてその場を離れようとする。
しかし、まだ小学生だった私の身体能力では、素早く動くことは不可能だった。
勢いよく車と衝突した私は、瑞姫を抱きしめたまま数メートルほど吹き飛ばされ、意識を失った。
そして目が覚めた時には、私は全身に包帯を巻いた状態で病院のベッドに横たわっていた。
当時に医者から聞いた話だが、どうやらボクはそのとき、生死の境を行き来していたらしい。
結果として私は一命を取り留めたが、腕や足に絆創膏を貼った瑞姫に、酷く泣かれてしまったのを今でも覚えている。
このときに私は、ただひとつの思いを心に抱いた。
(瑞姫を完璧に助けられるような……王子様のような人になりたい!)
こうして、ただの女の子だった私は、みんなの王子様であるボクになったのだった。
「それでは、仁音様………………婚約いたしましょう?」
そう言ったフレーゼの手には、鈍く輝く短刀が握られていた。
彼女はボクの頬を撫でながら、ゆっくりと短刀を近付けてくる。
「待ってくれフレーゼ! ボクのことを殺――」
「この短刀を使って、婚姻届に血判を押してくださいませ」
「すのは………………血判?」
予想外の言葉に、ボクは衝撃を受けながら聞き返した。
「はい、血判ですわ。あ、安心してくださいませ。この短刀で付けた切り傷ほどであれば、北小路財閥が有する医療技術で、傷跡を残さずにすぐ治せますわよ」
違う、そうじゃない。
「その……フレーゼ。婚姻届のサインは、血判じゃなければダメなのか――」
『ピーンポーン』
ボクがフレーゼに尋ねようとした瞬間、インターホンが家に響き渡った。
その音を聞いた彼女は、明らかに苛ついた表示を浮かべながら舌打ちをする。
「なんですの、こんな大事なとき――」
『ピーンポー、ピピーンポーン、ピピピピーンポーン、ピピーー』
「あぁぁぁもう! うるさいですわね!」
連打されるインターホンに、苛つきが限界に達したのだろう。
婚姻届と短刀をベッドに投げ付けたフレーゼは、鬼のようなオーラを出しながら玄関に向かっていった。
彼女が居なくなった部屋の中で、ボクは大きくため息をつく。
フレーゼのような美人にあんな風に愛を伝えられるのは嬉しいのだが、短刀にはさすがに死の恐怖を感じた。
(………………短刀?)
「そうだ。このフレーゼが置いていった短刀で、このベッドの柵を切断出来るのでは?」
天才的な考えにたどり着いたボクは、瞬時にベッドの上の短刀を拾って手に取る。
そして勢いよく短刀を振るうと、刃がベッドの柵をスパッと切断し、そこに掛けられていた手錠が取れた。
「よし、これなら動けるな。ひとまず、フレーゼが戻ってくる前に、この部屋から出なければ」
短刀を放り投げたボクはベッドから降りると、部屋の入り口まで歩いていってそのままドアを開いた。
ボクはドアを通り抜けると、周囲を警戒しながら慎重に進んでいく。
(ここは……リビングのようだな。だったら、こっち側が玄関のは……ず……)
テレビやソファが置かれた部屋に出たボクは、この家の構造を予想して玄関だろう通路を覗く。
次の瞬間、ボクは目に映った光景に衝撃を受け、もの凄く混乱した。
「えーと……フレーゼと、それに……絆奈、2人はいったい何をしてるんだい?」
玄関ではなぜか、包丁を構えた絆奈と拳銃らしきものを持ったフレーゼが、お互いを睨みながら向き合っていた。
今にでもこの場で殺し合いが起きそうな雰囲気である。
(ちょっと待って拳銃? 明らかに違法だと思うのだが……)
「仁音様!? どうやって部屋から――」
「……仁音、やっぱりここにいたね。ほら、こんな女と一緒にいないで、早くお家に帰ろ?」
「絶対に帰らせませんわ! 仁音様は私と婚約して、ここで一生を共に過ごすしますの」
「何を言ってるの? 仁音と結婚するのはわたしだよ? 頭お花畑な犯罪者は黙っててね」
2人はそうやって会話をしながら、いつのまにか絆奈は包丁をフレーゼの首元に当て、一瞬のうちにフレーゼは銃口を絆奈のおでこに当てていた。
ボクがどう行動しても、一触即発すぎるせいで、良い方向に転ぶことはなさそうである。
そんなことを考えてながら2人のことを眺めていると、『ガチャリ』と唐突に玄関が開かれた。
開いた扉の隙間から見えたのは、ボクと同じ黒髪を結んだツインテールの、片方らしき髪の束。
「ちょっとお姉ちゃん! もうご飯の時間なんだから早く帰ってきて………………あれ、お姉ちゃんの声がしたから入ってきたけど、どういう状況?」
やはり、開いた玄関から入ってきたのは、我が天使である妹の瑞姫だった。
「だから絶対に帰しませんわ! 仁音様は、私と婚約しますの!」
「………………はぁ? あたしのお姉ちゃんなんだけど。あんたみたいな雌猫には関係ないでしょ」
「その通りね。仁音はわたしの旦那さんだから、あなたなんかには渡さないから」
(うーん、混沌としている……)
ボクは目の前の状況に、そんな感想を抱く。
瑞姫の方にちらっと目をやると、彼女はどこから取り出したのか、手にハサミを握っていた。
「さっきから何を言っているのかしら? 仁音様と結婚するのはこの私ですわ!」
「いーや、わたしが結婚するんだから!」
「ダメ! お姉ちゃんと結婚するのはあたしなんだからね! あ………………」
『えっ!?』
瑞姫が言い放った瞬間、ボク、絆奈、フレーゼ、全員が声を揃えて驚愕した。
全員の視線を集めた彼女は、気まずそうにしながら肩をすくめる。
(まさか、瑞姫がそんな風に想っていたとは……)
17年生きて始めて知った妹の想いに、ボクは衝撃を受けた。
「っ、あのね! お姉ちゃんは昔、事故に遭ったときにあたしのことを庇ってくれたの! そっからずっと大好きなの!」
「それならわたしも、病気で倒れたときに助けてくれてから、ずっと愛してるの。幼稚園のときからだよ」
「わ、私だって……公園で泣いていた私を慰めてくださり、その上、一緒にお遊びまでしてくださって……そのときからずっとお慕いしていますわ!」
ボクへの想いを隠すのをやめた瑞姫は、堂々と好きになった理由を語った。
それに感化されたのか、2人も続いて理由を話し出す。
「君たちの想いはとても伝わったよ。3人もの美少女たちから、こんなに熱いラブコールを貰えるなんて。ボクは本当に幸せ者だね」
ボクがそう伝えた瞬間、3人の顔がボンッと真っ赤に染まる。
絆奈は自分の両手を頬に当てながら、そして瑞姫はツインテールの毛先を指で弄りながら、照れたようにボクから顔を逸らした。
(フッ、照れる2人の姿も可愛らしいな)
そんなことを思いながらボクは、なぜか俯いているフレーゼに視線を向ける。
すると彼女は顔を上げた瞬間、勢いよくボクに抱きついてきた。
「仁音様! 愛しておりますわ!」
フレーゼはそう叫ぶと、ボクにトンッと顔を近付けてくる。
そして次の瞬間、彼女のくちびるがボクの口元にソッと触れた。
「………………………………ッ!?」
(い、いいい、いま、キスされた!? フレーゼに!?)
混乱したボクは1歩1歩と後ずさると、自分のくちびるに指を持っていく。
ボクがラグが発生したかのようなカクカクとした動きでフレーゼの方を向くと、彼女は頬を紅潮させながら妖艶な笑みを浮かべていた。
「ッ!!! な、何やってんだお前ェっ!!! あたしのお姉ちゃんに手ぇ出しやがってっ!!!」
次の瞬間、そう叫んだ瑞姫がハサミを構え、フレーゼに向かって勢いよく飛び出した。
その様子を見たボクは、2人の間に素早く身を挟むと、瑞姫を抱きしめて抑えつける。
「お姉ちゃんどいて! そいつ殺せない!」
「瑞姫、急いては事を仕損じるよ。ほら、早くハサミを仕舞うんだ」
(くっ、どうすれば瑞姫を落ち着かせられるんだ……!)
瑞姫はボクの腕の中で暴れながら、フレーゼのことを強く睨みつける。
どうすれば彼女を落ち着かせられるかを考えていたとき、ボクは直前の行動を思い出した。
「すまない瑞姫………!」
次の瞬間、ボクは腕の中で暴れる彼女にキスをした。
数秒にも満たない時間、瑞姫のくちびるに触れていると、ボクはゆっくりと顔を離す。
「な、な……な………………」
「フッ、どうだいマイエンジェル。落ち着きは取り戻せたかい?」
開いた口が塞がらない状態の瑞姫に、ボクはそう声をかける。
彼女はこくこくと首を振ると、ボクの腕の中からそっと抜け出した。
「いい子だね瑞姫。さすがはボクの妹だ」
そんなボクたちの様子を見ていた絆奈は、光を失った瞳でボクの目を捉えた。
彼女は少しずつ近付いてくると、ボクの目の前まで来て顔を押さえようとしてくる。
「ねぇ仁音……どうしてわたしとはキスしてくれないの? 瑞姫ちゃんとも、その女ともしたのに………………こうなったらも――」
ボクは絆奈が話し終わる前に、彼女にも触れるようにキスをした。
「………………ッ!?」
次の瞬間、彼女から『ボンッ!』という幻聴が聞こえてきそうなほどに、絆奈は顔を真っ赤にした。
「あら、まさか仁音様が全員に口付けをしてしまうなんて……少しばかり破廉恥ですわ」
使い物にならなくなった瑞姫と絆奈を見たフレーゼは、どこか興奮したような、どこか呆れたような表情を浮かべながらそう呟く。
すると彼女は、ボクの目を見ながら言葉を続けた。
「それにしても私、仁音様に初めてを奪われてしまいましたわ。これは責任を取って貰わないといけませんわね」
「……っ、それを言うならあたしだって、実の姉とキスしたことが誰かに知られたら、もう普通の恋愛は出来ないよね! お姉ちゃんにはその責任を取って貰わないと!」
「………………ぁ、わたしも、キスの責任を取って貰わないと、いけないよね」
3人は独り言を言うかのように順番に呟いていくと、ボクのことをジッと見つめてくる。
彼女たちはゆっくりとボクに迫ってくると、目の前で止まって、一斉に口を開いた。
「お姉ちゃん!」 「仁音!」 「仁音様!」
『誰と結婚するの(よ)!!!』
どうやらボクには、もう逃げ場が無いらしい。
「フッ……どうしてこうなった………………」
そんなボクの小さな呟きは、迫ってくる3人の愛の言葉に、かき消されたのだった。
Fin.
本作はこれにて完結となります。
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最後までご愛読、ありがとうございました。