監禁
「お味の方はいかがでして? 甘めのお紅茶ですので、仁音様のお口には合わないかも知れませんが……」
ボクはベッドの端に座りながら、フレーゼが淹れてくれた紅茶をいただく。
「確かに、さっき飲んだ紅茶よりも甘味が強いね。ボクはこれも好きだよ」
そわそわした様子のフレーゼにそう伝えると、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それにしても、どうしてボクはここにいるんだい? 予想だが、ここは君の家だろう?」
自分のカップにも紅茶を注いでいた彼女は、ボクに問いかけられて一瞬動きを止める。
フレーゼはポットをトレーに戻すと、笑顔のままボクの方を向いて口を開いた。
「『どうして』と言われましても……ただ、睡眠薬でお眠りになった仁音様を、私のメイドに運ばせたからですわ」
(やはり、ボクがこの部屋で寝ていたのはフレーゼの仕業か……だとしたらなぜ?)
「なるほど。えーと、理由を聞いてもいいかい? 君がボクのことをこの部屋まで運ばせた理由を」
さも当然のような態度で返事をしたフレーゼは、自分で淹れた紅茶を飲み始める。
そんな彼女にボクは、怒りでも悲しみでもなくただ疑問を抱き、フレーゼに質問した。
「それはもちろん……仁音様を愛しているからですわ。これからは、末永く一緒に暮らしましょう?」
「だとしても、こんな監禁紛いな――」
「監禁ですわよ? もしくは、誘拐でもありますわね」
「………………だとしても、どうして監禁のような真似をするんだ? それに末永くって……」
満面の笑みで答える彼女に、ボクは再び、背筋が凍るような恐怖を覚える。
じっと彼女のことを見つめていたボクが瞬きをした次の瞬間、目の前にまでフレーゼが迫ってきていた。
「ッ!?」
「仁音様、私はあなた様を愛していますの。やっっっとこの手に掬えたあなた様を、どうしてこの手から溢すことが出来ましょうか? もう私はあなた様を離しませんわ。5年前のあの日……あなた様に救われたあの日から、ずっっっとあなた様のことを想っていましたわ」
フレーゼは暗澹とした瞳でボクを見つめると、その冷たく温かい両手をボクの顔にソッと添えてくる。
(も、もしかして! き、キスをされるのかボクは!?)
彼女はゆっくりと顔を近付けてくるが、何かを思い出したかのような声を漏らすと、ボクの顔から手を離した。
「そうでしたわ! 私、この日のためにケーキを買っておいたのですわ。仁音様、一緒にいただきましょう?」
目に光を取り戻したフレーゼはそう言うと、テーブルに寄って置いてあったトレーを持ち上げる。
彼女がそのまま部屋を出ていくのを見届けたボクは、ほっと息をついた。
それにしても、初めて会ったばかりなのにも関わらず、どうしてフレーゼはこんなにもボクに惚れているのだろうか。
こうして愛を伝えられるのはとても嬉しいが、このままではは妹に心配されてしまう。
そうならないためにも、どうにか彼女を説得して、一旦家に帰らせてもらわねば。
(誰かに連絡できれば……それか、この家から脱出できれば……)
そんなことを考えたボクは、もう1度部屋の中を観察する。
まず、ボクが持っていた通学用の鞄は、どこにも置かれていないようだ。
あの中には教材だけでなくスマホも入っていたため、誰かに連絡することは不可能と思っていいだろう。
そしてこの部屋には窓がついておらず、ボクが部屋から出る方法は、先ほどからフレーゼが使っているドアしかない。
「うーん……これ、詰んでないかな〜?」
この部屋から自力で脱出する方法が残念ながら1つもないため、ボクはなんとかしてフレーゼを説得する必要が生まれた。
「どうしようか……」
ボクがそう呟いた瞬間、部屋のドアが開いてフレーゼが中に入ってきた。
「ケーキをお持ちいたしましたわ。こちらは私が経営するケーキ屋、ホワイトブリムのショートケーキですのよ。1番人気の商品でして、私も大好きなのですわ」
彼女が持つトレーの上に乗っていたのは、純白のクリームと真っ赤な苺が特徴のケーキだった。
フレーゼはテーブルにトレーを置くと、お皿を持ってこちらに近付いてくる。
「おぉ、美味しそうなショートケーキだね。それに、ホワイトブリムという名前を聞いたことがあるよ。今、女子高生たちに大人気のケーキ屋らしいね。そこを君が経営しているなんて、さすがはフレーゼだ」
ボクがそう声をかけると、彼女は頬を淡桃色に染めた。
フレーゼはボクにお皿を渡すと、テーブルまで戻ってその場に座り込む。
そんな彼女を見ていたボクは、ふと気が付いたことを彼女に伝えた。
「そういえばフレーゼ、どうして制服のままなんだい?」
ボクにそう伝えると。彼女は『そう言われてみれば、そうでしたわね』と言いたげな表情を浮かべる。
「仁音様を無事に監禁出来たことで、着替えのことを失念しておりましたわ。それでは、お着替えに行って参りますので、少しお待ちくださいませ」
フレーゼは立ち上がりながらそう言うと、急いで部屋から出ていった。
彼女がそのまま部屋を出ていくのを再び見届けたボクは、お皿を左手で持ってフォークを手に取る。
「………………とりあえず食べようか」
ボクがフォークでケーキを切り取ろうとすると、みるみるとフォークがスポンジを滑っていった。
「おー、すっごいスポンジがやわらかい。それじゃあ、いただきます」
ひとくちサイズに切り取ったケーキを、ボクはフォークで持ち上げて口に運んだ。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
ケーキを綺麗さっぱり食べ終えたボクは、空いた皿をベッド横のテーブルに乗せる。
そのまま置いてあったカップを取ろうとした時、ふと視界の端に何かが映った。
「うん? これはなんだろうか」
ベッドの脇に落ちていた紙を拾いあげると、ボクはその紙を開いた。
「ッ!? こ、こここ、ここ、婚姻届!?」
広げた紙の左上には、堂々とした文字で『婚姻届』と書かれていた。
そしてすでに、『妻になる人』のところにはフレーゼの情報が記入されている。
「け、結婚する気なのか!? しかしこの流れだと、相手は絶対ボクに――」
「お着替えをして参りましたわ」
「ニ゙ャァァァァア!?」
「きゃっ! ど、どうされましたか仁音様!」
突然部屋に入ってきたフレーぜに、ボクは驚いて悲鳴を上げてしまった。
それと同時に、手に持っていた婚姻届を放り投げてしまう。
「あら? これは……」
ひらひらと舞う婚姻届を手に取ったフレーゼは、紙を広げた瞬間に固まった。
すると、恍惚とした表情を浮かべた彼女の瞳から、だんだんとハイライトが消えていく。
「ふふっ……仁音様、喜びの声を上げるほどに私との婚約を楽しみにしてくださっているなんて、嬉しい……」
彼女はボクの方に近付いてくると、ドンッとボクのことをベッドに押し倒した。
「おっと。それにしても、ドレスを着ているフレーゼも美しいな」
戻ってきた彼女は、制服から別の服装に着替えてきていた。
全身を飾るのは黒を基調としたドレスで、白色の花飾りが散りばめられている。
「まあ、もうっ! う、美しいだなんて……髪などはよく褒められますが、私自身については褒められ慣れていませんの! その、お恥ずかしいですわ……」
ボクのセリフを聞いたフレーゼは、怪しげだった表情を可愛らしい笑顔に戻す。
彼女は仰向けのボクの頬に手を添えると、なぜか後ろに右手を回した。
「それでは、仁音様………………婚約いたしましょう?」
そう言ったフレーゼの右手には、鍔のない短刀のようなものが握られていた。
(………………いや、短刀じゃん)
この瞬間、ボクは死を覚悟した。