放課後デート
「私は北小路財閥当主、北小路獅堂の娘ですわ」
彼女がそう言った瞬間、クラスメイトたちが一斉に騒めいた。
北小路財閥――江戸時代から続く、由緒正しい一族だ。
全国展開する多種多様な料理店を主軸に、精密機械や電子機器、衣服にアミューズメント施設の運営など、幅広い分野において頭角を表している。
そんな北小路財閥は、日本を牛耳る財閥の中でも特に権力を有した、圧倒的な存在だと言われている。
騒ぎ立てるクラスメイトたちに再び呆れながら、ボクは冷静にフレーゼさんのことを眺める。
当主の娘どうこうの話よりも、彼女がお人形さんのように美しいという事実の方が、ボクにとっては大事だからだ。
ボクが頭の中で自論を述べていると、疲れ果てたような表情を浮かべる先生が思い切り手を叩いて音を鳴らす。
それを聞いたクラスメイトたちが静まり返ると、先生は1度頷いてから口を開いた。
「はい。それでは、えー、北小路さんはですね……廊下側の1番後ろの席、花園さんの席の隣ですね。そこに座ってください」
先生にそう指示されたフレーゼさんは、クラスメイトの間を通ってこちらに近付いてくる。
目的であるボクの隣の席まで辿り着いた彼女は、ボクの方を見るとにっこりと微笑んだ。
「花園様、これからよろしくお願いしますわ」
「ボクのことは仁音でいいよ。その代わり、君のことをフレーゼ、って呼び捨てにしてもいいかな?」
「まあ! これが噂の、なんぱ、という行為でして?」
ボクの発言を聞いた彼女は、そう言って笑い声を漏らした。
それにしても、改めて近くで見てみるフレーゼはとても綺麗だ。
彼女のような銀髪碧眼は人生で初め……いや、確か2度目だったようーー
「えーと、仁音様? 私のお顔をそんなに見つめて、どうかされましたの?」
「いや、ただ君のその美しい髪と、宝石のような瞳に見惚れていただけさ。それにしても、君のような銀髪碧眼のお嬢様とお話しするのは、人生で2度目の経験だよ」
「あら? 私の他にも、そのような姿をした女性がいらっしゃるなんて……とても珍しいですわね」
「ただ、『お話しをした』と言っても、当時のボクはまだ11歳だったからね。今では懐かしい思い出さ」
その時のことは、いまだ鮮明に覚えている。
小学校からの帰り道、気まぐれでふらりと立ち寄った公園で、ボクは彼女に出会ったのだ。
ブランコに座って涙を流す少女の姿は、まるで映画のワンシーンのように感じた。
『お嬢様、どうして泣いているんだい?』
『グスッ……学校でね、お友達が出来ないの……この髪とこの眼が怖いって……男の子に言われて』
『なんて酷いことを言うんだその男の子は! 君のその髪もその眼も、ボクからしたら奇跡のような美しさだよ。ねぇ、君の名前は?』
『わ、わたく……わたしの名前は、リーっていうの。グスッ……あ、あなたのお名前は?』
『ボクの名前は仁音。君を孤独から救い出す王子様さ!』
それからボクは毎日のように、公園でリーと2人きり遊んだ。
残念なことに、1週間経った次の日、彼女は公園に現れなかったが。
それでも彼女は、今でも大切なお嬢様として、ボクの記憶の中で過ごしている。
「そう、リーだ。初めてボクがお話しした銀髪碧眼のお嬢様は、リーって名前の、可愛らしい女の子だったよ」
「ッ! そう、あなたが……」
(おや? フレーゼの美しい顔に陰りが……やはり、他の女の子の話をするのはナンセンスだっただろうか)
ボクが彼女の機嫌を損ねてしまったのかと悩んでいると、フレーゼがボクの両手をギュッと掴んできた。
彼女は美の女神が降臨したかのような微笑みをボクに披露すると、ゆっくりとボクに話しかけてくる。
「仁音様。学校が終わりましたら、私と放課後デートに行きましょう?」
「大歓迎だよフレーゼ。もちろん行こうじゃ………………え? 放課後デート?」
予想だにしていなかった言葉に、彼女の瞳を見ながらボクは、素の声を漏らした。
学校を一緒に出たボクたちは、歩いて10分ほどの場所にあったカフェに入った。
こぢんまりとしているが、ボクはこういった雰囲気のお店が大好きだ。
日の当たらないテーブルに向かい合って座ったボクたちは、シフォンケーキと紅茶のセットを注文した。
少しして、白髪のお爺さんが料理を運んでくれたので、ボクは早速紅茶をひとくちいただく。
(ふぅ……美味しいな。このカフェは当たりのようだ)
「ふふっ、やはりお紅茶には、シフォンケーキが1番ですわ。仁音様はどうお考えになって?」
「そうだね……ボクは、フィナンシェが1番だと思うな。小さい頃から好きなんだ。もちろん、シフォンケーキもとても美味しいと思うよ」
フレーゼはナイフとフォークを器用に使って、シフォンケーキを食べ進める。
今この一瞬を切り取った写真を道ゆく人に見せてみれば、誰もが貴族令嬢のお茶会だと錯覚することだろう。
「仁音様は、よくお紅茶を嗜まれますの?」
「どうだろう、『よく』と言っていいほど愛飲している訳ではないね。普段のボクは、どちらかというとコーヒーを好んで飲んでいるんだ。だから、紅茶はこうした機会でしか飲むことがないんだよ」
「そうなんですの! 私、コーヒーの苦味がどうしても苦手なのですわ。仁音様は、『大人のお味』がお分かりになるのね」
笑顔を浮かべるフレーゼに褒められて、ボクはにやけながらカップを持ち上げる。
「フッ、そう褒められると照れてしまうよ。それに、ボクよりも君のほうがおとな……ぃて、ぁ……ぇ……?」
次の瞬間、ボクの手からカップが落下する。
『パリンッ』と割れる音が耳に聞こえるのと同時に、ボクの腕が重量に従って落下した。
(な、なにぁ……ぉきて……から、だ……ぁ………………)
ボクは力なくテーブルに倒れ込むと、ぼやけ出した視界で彼女の方を見る。
そこにあったのは、雪のように白い頬を紅潮させ、胸焼けするかような甘い眼差しでボクを見つめるフレーゼの姿だった。
(ぁ………………………………)
彼女のことを見つめていると、ボクの瞼がしだいに落ちてくる。
朧げになった意識の中聞こえてきたのは、フレーゼのささやくような声だった。
「ふふっ……仁音様、末永くよろしくお願いいたしますわ。ではしばらくの間、おやすみなさい………………」
紅茶の香りに包まれたまま、ボクの意識は暗転した。
「ふわぁ………………知らない天井だ」
薄らと開いたボクの目に映ったのは、シーリングライトが取り付けられた真っ白な天井だった。
おそらくベッドの上に寝かされているボクは、とりあえず重くなった上半身を起こしてみる。
「うーん………………知らない部屋だ」
部屋の中を見渡してみると、クローゼットにテーブル、本棚に勉強机などの家具が置かれており、その色は黒や白といったモノトーンで統一されている。
(えーと……確か、フレーゼと放課後デートでカフェに行って………………なぜボクは知らない部屋で寝ていたんだ……?)
さながら曇天のような頭を悩ませながら、ボクはベッドから飛び降り――
『ジャラッ』
「………………ん?」
あまり聞き慣れていない音を耳にしたボクは、動きをピタリと止めた。
どこかで聞いたことはある音なのだが……そうだ、稀にボクが身につける、チェーンネックレスの音だ。
(そういえばなんか……左手首に違和感が……)
ボクは恐る恐る、音の発生源を確認する。
そして視界に映ったのは、ベッドの柵に繋がっている、ボクの左手首に装備された手錠だった。
(……そうかーーー、手錠かーーー)
こうしてボクは、『どうしてこうなった!』な冒頭の状況に陥ったのだ。
もう1度言っておこう………………
ど う し て こ う な っ た !?