北小路フレーゼ
無事に保健室まで絆奈を届けたボクは、朝礼に遅れないよう教室までの道のりを急いだ。
チャイムが鳴り始める前に教室までたどり着くと、ボクは丁寧にドアを開ける。
(あれ……? 今日はいつもと雰囲気が違うな)
教室の中の様子を見たボクは、いつもとは違う雰囲気に違和感を覚える。
普段は穏やかに会話をしているクラスメイトたちが、なぜか今日はお祭りのように騒いでいるのだ。
ボクは恐る恐る教室に入ると、盛り上がる一行のそばを通って自分の席まで歩いていく。
何事もなく着席出来たボクは思わず安堵のため息をつくと、左隣の机で伏せている少女に声をかけた。
「おはようけまり、今日も君の髪は最高にキューティクルだね」
「……ん? あれ、仁音だおはよう。キューティクルって褒めてくるけど、うちは犬じゃないから」
机から顔を上げた少女は、眠たそうな目をしたままボクに返事をする。
モデルさんのように整った綺麗な顔には、いつものように気怠げな表情が浮かんでいる。
少しばかり着崩した制服が、その表情によく似合う。
くるくると巻かれている金髪を指先でいじりながらボクの顔を見つめると、彼女はにへらと笑った。
彼女の名前は村田けまり、ボクの中学校からの親友だ。
「そんなことは分かってるさ。でも、そう褒めたくなるくらいボクは君の髪が好きなんだよ」
「ふーん。ま、うちも自分の髪はけっこう気に入ってるよ。それと王子様、今日もいつも通りの重役出勤だね」
「フッ、今日もボクはお姫様のお迎えに答えて、学校まで付き添ってきたからね。自然の摂理なのさ」
ボクは机にかけた鞄から荷物を取り出しながら、けまりと会話をする。
あっ、筆箱が鞄の中に入っていない、どうやら家に忘れてしまったみたいだ。
「あいも変わらず幼馴染ちゃんとね。早く結婚しちゃえばいいのに」
けまりはそう言いながら机の中を漁ると、棒状のチョコレート菓子の箱を取り出した。
「それにしても、この教室の異様な雰囲気はなんだい? 中学の頃、雪が降ったときもこんな様子だったのは覚えてるが」
「ほんあほほおあっはね。んっ、なんか、転校生が来るらしいよ?」
「そうか、転校生か……なら、この盛り上がりようも納得だ。おや、ボクにもくれるのかい? ありがたくいただくよ」
ボクがけまりに問いかけると、彼女はチョコレートを口に咥えたまま返事をする。
異様な雰囲気の原因に納得がいったボクは、彼女からもらってチョコレートを口に入れた。
『こんな時期に転校生とか、ヤバいやつなんじゃね?』
『そんなことをないだろ……ワンチャン美人かも知れねぇぞ』
『うわっ! それだったらまじで最高だな』
『転校生かー、イケメンかな?』
『夢見すぎよあんた、私は仲良く出来る子だったら嬉しいかな』
『それは当たり前だよー。でも、夢くらい見たっていいでしょ?』
チョコレートを食べながら、ボクは耳を澄ませてみる。
すると聞こえてくる会話のほとんどが、やはり転校生についてだった。
「けまり。君は女の子と男の子、どっちだと思う?」
「んー? うーんとね、うちは女の子だと思うなー。そうだ、うちはチョコの箱1つをベットするね」
ボクの質問に対して彼女は、少し考えた末にそう返答すると、机の中から同じチョコレート菓子をもう1箱取り出した。
「急に賭け事を始めないでくれるかい? それじゃあ……ボクは『転校生が男の子』に、カフェデート奢り1回分をベットしようじゃないか」
けまりはボクの言葉に対して「面白くなってきたね」と呟くと、チョコレート菓子をもう1本口に咥えて食べ始める。
次の瞬間、チャイムが鳴り始めるのと同時に教室のドアが開かれると、普段の服装ではなくスーツを着込んだ先生が中に入ってきた。
(珍しく正装だな……まあ、転校生が来るからだろうな)
先生が教室に入ってくると、あれだけ騒がしくしていたクラスメイトたちが一気に静まり返る。
素早く席に着いた生徒たちを見渡した先生は、どこか緊張した様子で口を開いた。
「えー、皆さんおはようございます。風の便りによって既に耳にしていると思うのですが。えー、なんと今日から、新しく1人の生徒がこのクラスに加わります」
教壇に立った先生がそう言った瞬間、クラスの雰囲気が一気に沸き上がった。
その様子を見た先生は、なぜか不安そうにしながら言葉を続ける。
「えー、非常に珍しいことなので騒ぎたくなる皆さんの気持ちも分かりますが、質問攻めにしたりしないよう、えー、注意してください。それでは、北小路さん。えー、どうぞ入って来てください」
先生がそう言い終えると、ゆっくりと教室のドアが開いた。
『うおーーーーー!!!』
『きゃーーーーー!!!』
彼女が教室に顕現した瞬間、興奮と喜びの悲鳴が教室中で上がった。
どんな麗人もが羨むような、貴族を思わせるスタイルと立ち姿。
アニメの世界から飛び出してきたかのかと錯覚してしまう、腰まで伸びている煌びやかな銀髪と透き通った碧眼。
まるで美の女神に造形されたかのように思う、圧倒的な美しさを誇る彫刻のような顔立ち。
「さながら……お人形さんのようだ。というのが、彼女を表す最適な言葉かな」
堂々と歩く彼女を眺めながら、ボクは誰にも聞こえない声でそう呟いた。
「皆様、はじめまして。本日よりこの高校に通うことになった、北小路フレーゼといいますわ。およそ5年ぶりの帰国となりますので、至らぬところが多くあるかと存じますわ。私、皆様と親睦を深めたい思いで入学いたしましたの。ぜひ、仲良くしてくださいまし」
フレーゼさんはそう言い終えると、ボクたちに向かって会釈をする。
あまりの上品さに気圧されたクラスメイトたちが動くことが出来ず、教室が静まり返ってしまった。
ボクは教室を見渡しながら、ため息をつく。
(完全に彼女のオーラに飲まれているな……ま、ボクは王子様だからそんな風にはならないがな)
クラスメイトたちに呆れながらフリーゼさんの方を向くと、彼女はどこか悲しさを隠しているような表情を浮かべていた。
そんな彼女を見てしまったボクは、無意識にパチッと手を叩いてしまう。
ボクが鳴らした音が教室の静寂を壊すと、止まっていたクラスメイトたちが動き出し、拍手喝采が巻き起こった。
「………………はい、えー、拍手をやめてください……えー、それでは、今から少しだけフレーゼさんに質問する時間を取ります。彼女に質問したい人は、えー、静かに挙手をしてくださーー」
先生が言い終える前に、クラスのほとんどの生徒が勢いよく手を挙げた。
せっかくだから、それに混ざってボクをゆっくりと挙手をする。
「えー、それでは……まずは、川上さん。質問をどうぞ」
「はい! あの、フレーゼさんってどこの国の人なんですか?」
「私の生まれは日本ですわ。この髪と瞳は、ロシア人である母の遺伝なんですの。つまり私、日本人とロシア人のハーフということですわ」
「次は、えー、それでは木崎くん」
「彼氏はいますか!!!」
「彼氏……ですか? 私に恋人はいませんが、その……小さな頃から、お、お慕いしている方がおりますわ」
『きゃーーーーーー!!!』
『チクショーーーーー!!!』
「えー、野崎さん、どうぞ」
「ねーねー! フレーゼちゃん、さっき5年ぶりの帰国って言ってたけど、昔は日本のどこに居たのー?」
「この学校が今建っている霞ヶ坂、こちらが私の地元なんですの」
(ふーん……てことは、ボクと同じなのか)
「1限目の授業の準備もありますので、えー、次で最後の質問にしましょうか」
質問が全部で5回行われたあと、壁にかかった時計を確認した先生がそう言葉を口にした。
周りが元気に手を挙げる中、ボクは選ばなくてもいいやという気持ちで挙手をする。
そして先生が選ぶのを待っていると、教室を見渡してじっくりと誰を選ぶか吟味していた先生と、偶然目が合った。
「えー、それでは……花園さん。最後の質問をどうぞ」
最後の質問権が、ボクに回ってきた。
(まさか、ここでボクが選ばれるとは。フッ、これが王子様補正というやつかな)
ボクがフレーゼさんに質問するのは、彼女の正体だ。
実は彼女の正体については、先生の態度や彼女の振る舞い、そして彼女の名前から予想がついていた。
静かに席から立ち上がると、ボクは彼女に質問を投げかける。
「もし間違っていたなら申し訳ないのだが……フレーゼさん。あなたは、北小路財閥の関係者で合っているか?」
ボクがそう言い切った瞬間、彼女は驚いた様子で口を開いた。
「まさか、気付いている方がいらっしゃるとは……その通りですわ。私は北小路財閥当主、北小路獅堂の娘ですわ」
フレーゼはボクに問いかけにそう返答すると、制服のスカートの裾を持ち上げて、カーテシーを披露した。