西咲絆奈
最愛の妹に笑顔で送り出してもらったボクは、上機嫌な絆奈と一緒に、学校への道のりを歩み始めた。
「けっきょく仁音、10秒に間に合わなかったね」
「ああ……とっても悔しいが、君のことを5分も待たせてしまった」
絆奈の言葉にそんな反応を返すと、彼女はなぜか可愛らしい笑い声を溢す。
彼女はそっと陶器のような右手を伸ばしてくると、『ギュッ!』とボクの左手を掴んだ。
「やっぱり、仁音は王子様だよね!」
いつものように手を握ってきた絆奈は、ボクの顔を見つめながらそう言ってくる。
ボクは彼女の開花したような笑顔を見ると、空いていた右手で絆奈の頭をゆっくりと撫でた。
「っ! えへへ……嬉しいな。ありがと仁音……っ、コホッコホッ」
「絆奈、大丈夫か? 前回、風邪で学校を休んでからだいぶ時間が経っているし、苦しいならなるべく休んだ方がいい。今すぐ帰るなら、ボクが付きっきりで看病してあげよう」
軽く咳き込んだ彼女に対して、ボクは心配でそう声をかけた。
ボクの言葉を聞いた絆奈は惚けたような表情を浮かべると、じっとボクのことを見つめてくる。
しかし一瞬で苦々しい表情になると、どこか怒りの籠ったような口調で話し出した。
「今日は大丈夫………………なんだかね、今日だけは休んじゃいけない気がするの。わたしの仁音センサーが頭の中で、すっごい警報を鳴らしてるの」
「仁音センサーってなんだい!? そんな言葉、君の口から人生で初めて聞いたよ……」
「とにかくっ、今日はぜっっったいに休まないの!」
ボクの手を握っている右手にギュッと力を入れてくる絆奈を見て、ボクは彼女を休ませるのを諦めた。
彼女がここまで意見を押し通そうとするなんて、滅多にないことだ。
「……っ、コホッコホッ」
(だが、彼女の体調は常に気をつけて置かないとな……)
再び咳き込む絆奈の背中を撫でながら、ボクはそんなことを考える。
実は、絆奈とボクが今ぐらい仲良くなったのは、こんな風に咳をしていた昔の彼女がきっかけだった。
幼稚園の頃、絆奈はボクにとって不思議な存在だった。
生まれた時から病弱だった絆奈は、毎日のように病院に行っていたために、幼稚園でたまにしか姿を見ることができなかったからだ。
ある日、珍しく朝から絆奈の姿を見かけたボクは、好奇心からか……こっそりと彼女の後を着いていった。
その時だった、絆奈は大きく咳き込むと、そのまま地面に倒れ込んでしまう。
『っ! だ、大丈夫!? こ、転んじゃったのかな………………きゃっ! おでこがすごいポカポカしてる! せんせい! せんせーい!』
倒れ込んだ絆奈に近付いたボクは、彼女のおでこを触ってあまりの熱さに驚き、大声を上げてすぐに先生を呼んだ。
急いで駆けつけた先生に発見された絆奈は、先生が呼んだ救急車によってすぐに救急搬送された。
その数日後、無事に退院出来た絆奈は、母親と一緒にボクの家にやってきた。
『娘を助けていただき、本当にありがとうございました!』
どうやら、もう少し処置が遅れていれば、命の危険もあったらしい。
涙を流しながら感謝を述べる母親の後ろから、絆奈はボクのことを覗き込んでいた。
『………………あの……あ、ありがと』
これが、ボクと絆奈の、初めての会話となった。
こうして仲良くなったボクたちは、小学校、中学校、そして高校と、ずっと一緒に学校生活を送っている。
懐かしい昔の記憶を思い出していると、そんなボクの様子を不思議に思ったのか、顔を覗き込んできた絆奈が声をかけてきた。
「仁音、そんな懐かしむような表情をしてどうしたの? まるで初めて3DSを触ったときのような――」
「なかなかに具体的な例を出してきたね? 実は、絆奈との出会いを思い出していたんだ」
ボクがそう返答すると、どうしてか絆奈の青白い肌に赤みがさす。
彼女は慌てたように顔を逸らすと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「なんか……昔のことは……すごく、恥ずかしいの」
(……フッ、なんだこのあまりにも可愛らしい生き物は。やはり妖精なのか? ファンタジーなのか?)
絆奈による攻撃をクリティカルに喰らったボクは、何度も何度も彼女の頭を撫でた。
彼女は顔をほころばせると、ボクの手にぐぐぐと頭を押し付けてくる。
その可愛さにさらに大ダメージを受けたボクは、思わず口を開いて語り出した。
「どうして君はこんなに可愛いんだ。このままだと、突然現れた怪盗が『この世で1番可愛い花を攫いに来た!』なんて言いながら、君のことを連れ去ってしまいそッ!?」
ボクが意気揚々と語っていると、突如として左手が激痛に襲われた。
想像を絶する程の痛さに、ボクは反射的に口を閉じてしまう。
錆びついたブリキの兵隊のように、ボクはゆっくりと首を回した。
しかし目に映るのは、怖いくらいにいつもと同じ笑顔を浮かべる、幼馴染の姿。
「ふーーーーーん。そっか、仁音はわたしのこと、そんな風に軽い女って思ってたんだ………………でも安心して? 今から仁音のことを――」
「絆奈! ボクが悪かった!」
ボクの瞳をじっと見つめながら独り言のように呟く絆奈を、ボクは勢いよく、そして力強く抱きしめた。
しかし、彼女はボクの腕の中の『ひゃっ!?」と声を上げると、そのまま黙ってしまう。
「怪盗ごときに君という花を盗まれるなんて、あり得るわけがなかったよ! すまない絆奈、ボクの考えが至らなかったせいで、君に嫌な思いをさせてしまって」
ボクは絆奈のことを抱きしめながら、そう言い切る。
いつのまにか、左手の痛みは消えていた。
(今日はどうにも言葉選びを間違えてしまう……完璧な王子様にはまだ遠いようだな……)
ボクがそんなことを考えている間も、絆奈はボクの腕の中から動こうとしない。
それにいつの間にか、彼女の体がだんだんと温かくなってきたような気がする。
絆奈のことをゆっくりとボクから離してみると、彼女の顔はのぼせたかのように真っ赤になっていた。
「は、絆奈!? だだ、大丈夫なのか!?」
「きゅ〜〜〜。きみねが、きみねが……供給過多………………」
次の瞬間、絆奈は目をぐるぐるとさせながらボクの方に倒れ込んでくる。
そっとおでこに触れてみると、いつもは冷たい彼女の体が、揚げたたこ焼きのように熱くなっていた。
(幸いにも学校がすぐ目の前だ、急いで保健室に連れて行かねば!)
ボクは彼女の腰と胸の方に手をやると、そのまま背中と膝裏を抱えて持ち上げた。
そう、俗に言うお姫様抱っこである。
「今すぐ保健室に連れて行くからな!」
そう言うとボクは絆奈を抱き上げたまま、学校に向かって全力で駆け出した。