達人の釣りと龍脈の兆候
伝説の飛空艇『グリフォン』が、地図にない大洋へと飛び出して、三週間が過ぎた。
眼下に広がるのは、昨日と変わらぬ、青い海。
そして、明日もきっと、同じであろう、青い空。
その、あまりにも、代わり映えのしない、穏やかな日々が、俺、相川静の精神を、確実に、蝕んでいた。
(……飽きた)
退屈だった。
『沈黙の宮』での、引きこもり生活も、相当なものだったが、今の、この状況は、それ以上に、過酷だった。
狭い船内。
限られた、娯楽。
そして、日に日に、強くなっていく、一つの、切実な、欲求。
(……魚が、食べたい)
王宮から、積み込まれた、保存食料は、確かに、一級品だ。
だが、どれも、同じような、味付け。
俺の、日本の、B級グルメに、慣れ親しんだ舌は、もっと、野性的で、新鮮な、刺激を、求めていた。
焼きたての、魚。
じゅうじゅうと、皮が、焼ける音。
滴り落ちる、脂。
そして、ほくほくの、白い身。
想像しただけで、腹の虫が、盛大に、鳴った。
俺は、意を決した。
無いなら、作ればいい。
いや、釣ればいいのだ。
俺は、そっと、操縦室を抜け出し、船内の、資材庫へと、向かった。
もちろん、コミュ障スキルを、最大限に、発揮して。
仲間たちは、作戦室で、俺が描いた、おにぎりの絵(彼らにとっては、夜襲の陣形図)を、睨みながら、真剣な、議論を、交わしている。
彼らの、邪魔をするつもりは、毛頭ない。
資材庫の中は、宝の山だった。
飛空艇の、補修用であろう、様々な、部品が、整然と、並べられている。
俺は、その中から、使えそうなものを、物色し始めた。
まず、一本の、細くて、丈夫な、金属の棒。
これは、竿になるだろう。
次に、予備の、魔力伝達用の、細い、水晶の糸。
これは、釣り糸に、最適だ。
最後に、フック状になった、小さな、金属部品。
これを、少し、曲げれば、完璧な、釣り針になる。
俺は、それらの、部品を、組み合わせ、即席の、釣り竿を、作り上げた。
我ながら、完璧な、出来栄えだった。
餌は、どうしようか。
干し肉を、少しだけ、拝借すれば、問題ないだろう。
俺は、完成した、釣り竿を手に、誰にも、見つからないように、船の、後部甲板へと、向かった。
そこなら、仲間たちの、邪魔にもならないはずだ。
その、俺の、あまりにも、真剣で、そして、どこか、楽しげな、隠密行動。
それを、作戦室の窓から、偶然、賢者レオナルドが、目撃してしまった。
「……!」
彼は、息を呑んだ。
そして、慌てて、仲間たちを、手招きした。
「アレクサンダー様! セラフィーナ様! 静かに、こちらへ!」
三人は、窓の隅に、身を寄せ、固唾を飲んで、俺の、行動を、見守った。
彼らの目には、俺が、ただ、釣りをしようとしているとは、到底、思えなかった。
レオナルドが、震える声で、言った。
「……あれは……。ただの、棒や、糸では、ありません。あれは、この『グリフォン』の、予備部品……。それも、極めて、高純度の、魔力伝導体です。彼は、それらを、組み合わせ、何か、特殊な、装置を、作り上げたのです」
アレクサンダーが、ゴクリと、唾を飲む。
「装置……? いったい、何のための……」
俺は、後部甲板の、手すりから、自作の、釣り糸を、垂らした。
眼下には、雲海が、広がっている。
その、さらに、下に、青い、海があるはずだ。
どれくらいの、深さが、あるのだろうか。
こんな、上から、魚が、釣れるものだろうか。
俺の、胸は、未知なる、挑戦への、期待に、高鳴っていた。
その、俺の、あまりにも、無邪気な、姿。
それが、仲間たちには、全く違う、意味合いを持つ、光景として、映っていた。
レオナルドが、ハッとしたように、目を見開いた。
「……まさか……! 彼は、魚を、釣ろうとしているのでは、ない! 彼は、『龍脈』を、釣ろうと、しておられるのだ!」
(りゅうみゃく?)
「思い出してください!」
レオナルドは、興奮したように、続けた。
「彼が、以前、お描きになられた、あの、予言図! そこには、この世界の、魔力の流れ、『龍脈』が、示唆されていました! 彼は、今、この、果てしない、大洋の、どこに、その、龍脈が、流れているのかを、この、自作の、魔力探知機で、正確に、測定しようと、しておられるのです!」
俺が、ただ、魚を、釣りたいだけだとは、誰も、思わない。
俺の、食欲からくる、暇つぶしは、仲間たちにとっては、「伝説の暗殺者が、世界の、真理を、解き明かすための、高度な、魔力探知実験」として、完璧に、誤解されてしまった。
俺は、じっと、釣り竿を、握りしめ、当たりを、待っていた。
だが、当たりは、一向に、来ない。
まあ、当たり前か。
こんな、上空からでは。
俺が、少し、飽きてきて、釣り竿を、上下に、動かして、誘いをかけてみた、その時だった。
びりりりりりりっ!
俺の手にした、釣り竿が、突然、激しく、震え始めたのだ。
そして、釣り糸として、使っていた、水晶の糸が、眩いほどの、青白い光を、放ち始めた。
「うわっ!?」
俺は、驚いて、釣り竿を、手放しそうになった。
なんだ、これ。
魚か?
いや、違う。
この、感触。
まるで、高圧電線にでも、触れたかのような、強烈な、痺れ。
その、俺の、驚愕の、表情。
それを見ていた、仲間たちは、全てを、悟った。
「……来た!」
アレクサンダーが、叫んだ。
「彼が、捉えられた! この、大洋の、底を流れる、巨大な、龍脈の、流れを!」
レオナルドとセラフィーナも、その、あまりにも、神々しい、光景に、言葉を失っていた。
釣り糸から、放たれる、青白い光は、まるで、天と、地を、結ぶ、光の柱のようだった。
やがて、光は、収まった。
釣り竿の、振動も、止まった。
俺は、呆然と、その、奇妙な、釣り竿を、見つめていた。
結局、魚は、釣れなかった。
俺は、がっかりして、ため息をついた。
そして、仲間たちが、自分を、見ていることに、気づき、気まずくなって、その場を、離れようとした。
そして、いつものように、力なく、呟いた。
「…………うす」
それは、「ああ、釣れなかった。もう、やめよう」という、諦めの、一言。
だが、仲間たちには、こう、聞こえた。
「その通りだ。龍脈の、位置は、特定した。我々の、航路に、間違いはない」と。
こうして、俺の、ただの、釣りは、仲間たちに、絶対的な、確信を、与える、という、偉大な、功績として、歴史に、刻まれることになった。
俺たちの、飛空艇は、その、見えざる、龍脈の、流れに乗って、さらに、加速していく。
その先に、何が、待ち受けているのかも、知らずに。




