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歪んだ守護者と構造破壊

聖女セラフィーナの膝の上で意識を取り戻した俺、相川静は、目の前で繰り広げられる光景に、ただただ呆然としていた。あれほど凶暴だった漆黒の狼たちが、毒キノコの胞子によって、まるで巨大な子犬のようにじゃれ合っている。俺が転んで気絶している間に、一体何がどうしてこうなったのか。


仲間たちの、尊敬と畏怖と感動が入り混じった視線が、俺に突き刺さる。賢者レオナルドに至っては、俺の奇策(ただの事故)を『捨身の陽動と環境利用闘法』などと大層な名前で命名し、『静語録』に新たな一ページを刻んでいる始末だ。


(もう……好きにしてくれ……)


ツッコミを入れる気力すら、もはや残ってはいない。俺は、セラフィーナの治療で痛みこそ消えたものの、精神的な疲労困憊のあまり、ぐったりと体を預けることしかできなかった。その様子が、仲間たちには「大仕事を終え、静かに精神を集中させている達人」のように映っていることなど、知る由もなかった。


しばらくして、レオナルドが幻覚に酔いしれるシャドウウルフの一体に近づき、その体を注意深く調べ始めた。

「ふむ……。やはり、ただのシャドウウルフではないな。本来の個体が持つ魔力量を、明らかに上回っている。何者かによって、強制的に能力を底上げされ、凶暴化させられたと見るべきだろう」


レオナルドの言葉に、勇者アレクサンダーが険しい表情で頷く。

「ああ。この森全体に漂う、この淀んだ邪気……。間違いない。この森の奥に、元凶がいる。おそらくは、魔王軍の幹部クラスが潜んでいると見ていいだろう」


(幹部クラス!? 確定!? 帰ろう! 今すぐ引き返そうよ!)


俺が内心で全力で撤退を叫んでいると、セラフィーナが俺の頭を優しく撫でながら、心配そうに言った。

「ですが、これ以上進むのは危険ですわ。サイレントキラー様も、先ほどの戦いで心身を消耗されているご様子ですし……」


(そう! そうだよセラフィーナさん! 俺、もう限界! MPメンタルポイントはとっくにゼロだよ!)


俺は、セラフィーナの言葉に激しく同意し、こくこくと頷いた。しかし、その動きを、レオナルドは『静語録』と照らし合わせて、全く違う意味に解釈した。


「いや、セラフィーナ。彼のその頷きは、消耗を認めるものではない。『静語録』第三章第四項、『沈黙の督促』だ。『案ずるな。この程度の消耗、問題ではない。それよりも、一刻も早く元凶を叩くべきだ』……。彼の瞳の奥には、すでに次なる戦いへの闘志が宿っている」


(宿ってません! 宿ってるのは、一刻も早く家に帰りたいっていう、切実な帰巣本能だけです!)


俺の渾身の「休みたい」アピールは、またしても「戦意の表明」として誤変換されてしまった。アレクサンダーは、俺の「覚悟」に深く頷くと、聖剣の柄を強く握りしめた。


「……そうか。分かった、サイレントキラー殿。貴殿がそこまで言うのなら、我々に退く道はない。行こう、この森の最深部へ! そして、平和を脅かす元凶を討つのだ!」


こうして、俺の休憩したいというささやかな願いは無惨に打ち砕かれ、俺たちは再び、森の奥深くへと足を進めることになった。もちろん、先頭は、道を一番よく知っている(と勘違いされている)俺だ。


(もうやだ……。このパーティー、誰も俺の言うこと聞いてくれない……。いや、そもそも喋れないんだった……。詰んでる……)


俺は、絶望的な気持ちで、再び歩きやすそうな道を探して、とぼとぼと歩き始めた。


森の深部へ進むにつれて、周囲の雰囲気はさらに不気味さを増していった。木々のねじくれ方は一層ひどくなり、地面には気味の悪い紋様のような苔がびっしりと生えている。時折、動物の白骨死体が転がっているのを見つけるたびに、俺の心臓は悲鳴を上げた。


俺の後ろを歩く仲間たちは、そんな俺の様子を「極度の集中状態で、周囲の邪気を探っている」と解釈し、息を殺して俺の後に続いている。プレッシャーで、吐きそうだ。


どれくらい歩いただろうか。やがて俺たちは、森の中でもひときわ開けた、巨大な広場のような場所にたどり着いた。そして、その中央にそびえ立つ、異様な存在を目の当たりにして、息を呑んだ。


それは、巨大な、一つの黒い水晶だった。高さは十メートル以上あろうか。表面はぬらぬらと濡れたように黒光りし、周囲の光をすべて吸い込むかのように、禍々しい邪気を放っている。


「な、なんだ、あれは……!」

アレクサンダーが、驚愕の声を上げる。


レオナルドは、即座に『全知の書』を開いた。

「間違いない……! 魔王軍が用いるという、『汚染水晶ダーク・クリスタル』だ! あれが、この森の魔物たちを凶暴化させ、邪気を振りまいていた元凶……!」


俺たちがその巨大な水晶に圧倒されていると、地面が、ゴゴゴゴゴ……と、地響きを立てて揺れ始めた。水晶の根元、その地面が盛り上がり、土と、木の根と、岩とが、まるで意志を持ったかのように、一つの巨大な人型を形成していく。


やがて、俺たちの目の前に現れたのは、身長五メートルはあろうかという、巨大な木の化け物だった。その体は、黒く変色したごつごつとした樹皮で覆われ、両腕は鋭い枝の槍となっている。顔があるべき場所には、汚染水晶と同じ、禍々しい光を放つコアが、不気味に明滅していた。


「森の守護者、トレントか……! だが、完全に邪気に汚染され、歪んでしまっている……!」

レオナルドが、苦々しげに呟く。


歪んだ守護者――コラプテッド・トレントは、その巨体を揺らし、ギギギ……と、木が軋むような音を立てて、俺たちを敵と認識した。


「来るぞ! 総員、戦闘態勢!」

アレクサンダーの号令が飛ぶ。


コラプテッド・トレントは、その巨大な腕を振り上げた。そして、地面を叩きつける。ズウウウウン! という轟音と共に、地面から無数の鋭い木の根が、槍のように突き出してきた。


「くっ!」

「きゃあ!」


俺たちは、慌てて散開し、その攻撃を回避する。

「アレク! あの胸のコアが弱点だ! そこを狙え!」

「分かっている!」


アレクサンダーが聖剣を手に、トレントへと突撃する。セラフィーナは、後方から支援魔法を詠唱し、レオナルドは、攻撃魔法で牽制する。


しかし、トレントの防御力は、凄まじかった。アレクサンダーの聖剣ですら、その硬い樹皮に、浅い傷しかつけることができない。レオナルドの魔法も、ほとんど効果がないようだった。それどころか、トレントは傷を負うたびに、汚染水晶から邪気を吸収し、瞬時にその傷を再生させてしまう。


(うわ、硬すぎだろアイツ! しかも自己再生持ちとか、完全にクソゲーのボスじゃん!)


俺は、戦闘が始まった瞬間から、広場の隅にある、古代遺跡の残骸のような、崩れかけた石柱の陰に隠れていた。俺にできることは、ただ一つ。仲間たちの無事を祈ることだけだ。


戦いは、完全に膠着状態に陥っていた。いや、再生能力を持つトレントに対し、こちらの消耗だけが激しくなっていく。じりじりと、俺たちは追い詰められていた。


「くそっ、キリがない!」

アレクサンダーの動きに、焦りが見え始める。


その時だった。トレントが、その狙いを、後方で支援魔法を詠唱していたセラフィーナへと定めた。巨大な腕が、彼女に向かって振り下ろされる。


「セラ! 危ない!」

アレクサンダーが叫ぶ。


セラフィーナは、咄嗟に防御障壁を展開するが、トレントの圧倒的なパワーの前には、気休めにしかならないだろう。


(やばい! セラフィーナさんが!)


俺の頭が、真っ白になる。助けなきゃ。でも、どうやって? 俺に何ができる? 何もできない。でも、このままじゃ……!


(止まれ! 止まってくれ! 壊れろ! あんなの、壊れてしまえ!)


俺は、パニックの中で、ほとんど無意識に、目の前の石柱に全体重をかけて、もたれかかるようにして、押した。ただ、この恐怖から逃れたい、何かにすがりたい、という一心で。


ミシリ、と。石柱が、嫌な音を立てた。


長年の風雨に晒され、もろくなっていたのだろう。俺が全体重をかけたことで、その均衡が崩れた。巨大な石柱は、ゆっくりと、しかし、確実に、トレントのいる方向へと傾き始めたのだ。


(え?)


俺が呆然としていると、傾いた石柱は、その隣にあった、さらに巨大なアーチ状の遺跡の壁に、ドミノ倒しのように激突した。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!


地響きと共に、古代遺跡の壁が、連鎖的に崩壊を始める。そして、その崩壊は、広場の真上にある、崖の中腹にぶら下がるようにして、かろうじて留まっていた、家ほどもある巨大な岩盤を直撃した。


ゴッ! と、鈍い音が響き、巨大な岩盤が、崖から剥がれ落ちる。


それは、まるで、スローモーションのようだった。

セラフィーナに振り下ろされようとしていたトレントの腕が、止まる。トレント自身も、頭上に出現した、ありえないほどの質量を持った「死」の影に気づき、動きを止める。


そして。


ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!


天が落ちてきたかのような、凄まじい轟音。巨大な岩盤は、コラプテッド・トレントの巨体を、その胸にある禍々しいコアごと、完全に粉砕し、地面に巨大なクレーターを作り出した。


後に残されたのは、舞い上がる土煙と、耳鳴りがするほどの、静寂だけだった。


土煙が晴れた時、そこには、巨大な岩盤と、その下敷きになって、跡形もなく消し飛んだトレントの残骸があるだけだった。


アレクサンダーも、セラフィーナも、レオナルドも、ただ、呆然とその光景を見つめている。

そして、その視線は、やがて、この連鎖崩壊を引き起こした張本人――石柱の陰で、尻餅をついて固まっている俺へと、ゆっくりと向けられた。


三人の目に宿っていたのは、もはや、尊敬や畏怖ではなかった。

それは、神や、あるいは、人知を超えた何か、理解不能な絶対的な存在を見るかのような、原始的な『畏敬』の念だった。


レオナルドが、震える声で、呟いた。

「……まさか……。地形そのものを、兵器として利用するだと……? あの石柱一つを動かすだけで、この連鎖崩壊を引き起こし、鉄壁の守護者を一撃で粉砕する……。これが……これが、伝説の暗殺者の、真の戦い方……」


彼は、持っていた『静語録』を、パラパラと落とした。もはや、彼の矮小な知識では、俺の行動を分析することすら、おこがましいと悟ったのだろう。


俺は、ただ、自分が生きているという事実だけで、頭がいっぱいだった。仲間たちが、無事だった。よかった。その安堵感で、全身の力が抜けていく。


そして、俺の口から、いつものように、か細い声が漏れた。


「…………うす」


その一言は、仲間たちの耳には、こう聞こえたに違いなかった。


『すべて、想定内だ』と。

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