伝説の飛空艇と達人の起動印
俺が、ただ格好いいサインを求めて羊皮紙を黒くしていただけの行為。
それが、仲間たちの間では「未知なる災厄と戦うため、高次の存在と契約を交わした証」となり、ついには国王リチャードをも動かす、最終的な切り札となってしまった。
その翌日。
俺たち、勇者一行は、王国騎士団長アルフレッドに導かれ、王城の、さらに奥深く。王族ですら、限られた者しか立ち入ることを許されない、禁断の区画へと、足を踏み入れていた。
「……ここが、我が国の、最高機密。伝説の飛空艇『グリフォン』が、眠る場所だ」
アルフレッドが、重々しい声で言った。
目の前には、巨大な、金属製の扉。その表面には、複雑な魔法の紋様が、いくつも刻まれ、強力な封印が施されていることを、物語っていた。
アルフレッドが、特殊な鍵を使い、いくつかの仕掛けを解除すると、ゴゴゴゴゴ……という、地響きと共に、その巨大な扉が、ゆっくりと、内側へと、開かれていく。
扉の向こうから、古い、機械油の匂いと、そして、長い間、眠りについていた、古代の遺物だけが放つ、独特の、魔力の匂いが、漂ってきた。
俺、相川静は、その、あまりにも、物々しい雰囲気に、ただ、息を呑むことしかできなかった。
仲間たちの顔にも、緊張の色が浮かんでいる。
やがて、扉は、完全に開かれた。
そして、俺たちは、その、全貌を、目の当たりにした。
「「「…………」」」
誰もが、言葉を失った。
そこは、巨大な、地下の、大空洞だった。
そして、その中央に、それは、静かに、鎮座していた。
船だ。
だが、海を、行く船ではない。
流線型の、美しい、フォルム。翼のように、広がる、巨大な、安定翼。そして、船体の、至る所に、埋め込まれた、青白い光を放つ、魔導水晶。
それは、まさしく、空を、飛ぶための船。
伝説の飛空艇、『グリフォン』。
その、あまりにも、幻想的で、そして、雄大な姿に、俺は、ただ、圧倒されていた。
(……すごい。アニメで見た、戦艦みたいだ……)
俺の、現代日本人としての、乏しい語彙力では、その感動を、表現することは、できなかった。
「……これが、五百年前に、失われた、古代文明の、叡智の結晶……」
賢者レオナルドが、震える声で、呟いた。
「実在したとは……」
アレクサンダーも、セラフィーナも、ただ、呆然と、その光景を、見つめている。
やがて、アルフレッドが、静かに、口を開いた。
「……美しいだろう。だが、残念ながら、これは、ただの、美しい、置物だ」
「え?」
アレクサンダーが、訝しげに、問い返す。
「この『グリフォン』は、五百年前に、発掘されて以来、一度も、空を飛んだことがない。王国の、最高の、賢者たち、魔導士たちが、総力を挙げても、これを、動かすことが、できなかったのだ。起動させるための、方法が、全く、分からない」
アルフレッドは、悔しそうに、言った。
彼は、俺たちを、飛空艇の、操縦室へと、案内した。
操縦室の中は、さらに、複雑怪奇だった。
壁一面に、無数の、水晶のパネルが、埋め込まれ、その表面には、見たこともない、古代の、紋様が、びっしりと、刻まれている。
レバーや、ボタンのようなものは、一つもない。
どうやって、これを、操縦するのか、全く、見当もつかなかった。
レオナルドが、一つの、水晶パネルに、触れた。
「……この紋様……。古代魔導語とも、違う。さらに、古い、失われた、言語体系です。これでは、解読のしようがない……」
彼の、明晰な頭脳をもってしても、この、古代の叡智は、あまりにも、難解すぎた。
三人の間に、重い、沈黙が、落ちた。
最後の、希望。
それが、目の前にあるというのに、それに、触れることすら、できない。
あまりにも、残酷な、現実だった。
三人が、絶望的な顔で、立ち尽くしている。
その、重苦しい、空気の中で、俺だけが、全く、別のことに、心を、奪われていた。
(……なんだか、懐かしいな、この感じ)
俺は、操縦室の、壁一面に広がる、複雑な、紋様を、見ていた。
それは、俺にとって、未知の言語ではなかった。
それは、大学の、講義で、教授が、黒板に、書き殴っていた、難解な、数式や、プログラミング言語に、そっくりだったのだ。
もちろん、俺に、それが、理解できるわけではない。
だが、その、意味不明な、記号の、羅列を見ていると、不思議と、心が、落ち着いた。
日本の、日常を、思い出させてくれたからだ。
俺は、まるで、何かに、引き寄せられるように、一つの、大きな、水晶パネルへと、歩み寄った。
そして、その、冷たい、表面を、指先で、そっと、なぞってみた。
黒板に、落書きをするような、感覚で。
俺は、無意識のうちに、昨日、自分が、完成させた、完璧な、サインの、形を、そのパネルの上に、描いていた。
流れるような、曲線と、力強い、直線。
俺だけの、オリジナル。
その、俺の、あまりにも、無邪気で、そして、場違いな、行動。
それを、絶望の淵にいた、仲間たちが、息を呑んで、見守っていた。
俺が、指を、離した、その瞬間だった。
キィィィィィィン……。
俺が、なぞった、紋様が、一瞬だけ、眩いほどの、金色の光を、放ったのだ。
そして、その光に、呼応するかのように、操縦室の、全ての、水晶パネルが、一斉に、青白い光を、灯し始めた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
地響きと共に、巨大な、飛空艇全体が、ゆっくりと、震え始める。
船体の、至る所から、蒸気が、噴き出し、内部の、機械が、長い、長い、眠りから、覚醒していくのが、分かった。
伝説の飛空艇『グリフォン』が、五百年の、沈黙を破り、今、再起動したのだ。
「「「…………!」」」
アレクサンダーも、セラフィーナも、レオナルドも、そして、アルフレッドまでもが、ただ、呆然と、その光景を、見つめていた。
王国の、叡智の、全てを、結集しても、不可能だった、奇跡。
それを、この男は、ただ、指で、パネルを、なぞっただけで、いとも、たやすく、成し遂げてしまった。
レオナルドが、震える声で、言った。
「……『盟約の印』……。そうか……。彼が、昨日、描いておられた、あの紋様は、これだったのか……。あれは、高次の存在との、契約印などでは、なかった。この、飛空艇を、起動させるための、唯一無二の、『起動印』だったのだ……!」
俺が、ただ、自分の、サインを、練習していただけだとは、誰も、思わない。
俺の、コンプレックスの、克服に向けた、涙ぐましい努力は、仲間たちにとっては、「古代の、最終兵器を、目覚めさせるための、失われた、鍵」として、完璧に、誤解されてしまった。
俺は、目の前で起きた、あまりにも、非現実的な、光景に、ただ、呆然としていた。
そして、仲間たちの方を、振り返ると、いつものように、力なく、呟いた。
「…………うす」
それは、「え? 何か、スイッチ、入っちゃいました?」という、純粋な、戸惑い。
だが、仲間たちには、こう、聞こえた。
「その通りだ。道は、開かれた。さあ、空へ、旅立とう」と。
俺たちの、壮大な、勘違いの物語は、ついに、大地を離れ、未知なる、大空へと、その舞台を、移そうとしていた。
もちろん、俺の、意思とは、全く、無関係に。




