静語録と次なる任務
俺の意思とは全く無関係に、チンピラのダリオを舎弟にしてからというもの、俺の周囲はさらに騒がしくなった。
宿屋「光亭」に戻るやい否や、ダリオは「アニキの偉大さを広めてきやす!」と叫び、風のように街へと飛び出していった。その背中を見送りながら、俺はただただ、これから起こるであろう面倒な事態を想像して、胃を押さえることしかできなかった。
(やめてくれ……。頼むから、何もしないでくれ……。俺は静かに、目立たず、ひっそりと生きていたいだけなんだ……)
その願いが、この世界で最も叶えられにくいものであることを、俺はまだ知らなかった。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。ローブを脱ぎ捨て、いつものパーカーとジーンズ姿になると、ほんの少しだけ、自分が自分であるという感覚を取り戻せた気がした。
(もうだめだ。明日こそ、この街を出よう。北か、南か、とにかく人のいなさそうな方角へ……。ダリオとかいう彼にも、もう会うことはないだろう……)
そんな淡い期待を抱いていた俺の耳に、宿屋の一階から聞こえてくる騒がしい声が届いた。
「聞いたかよ! 勇者様のパーティーに入ったっていう、あのサイレントキラー様の話!」
「ああ、聞いた聞いた! ゴブリンごとき、指一本触れずに太陽光で焼き払ったんだろ!」
「それだけじゃねえ! 報酬の金貨を全部、戦災孤児に寄付したらしいぜ!」
「俺が見たぜ! あの悪党のダリオを、一睨みしただけで更生させたんだ! まさに聖人だ!」
(話が! 話がどんどんデカくなってる! 焼き払ってないし、寄付したのは俺の意思じゃないし、睨んでないし! なんで尾ひれどころか、翼とジェットエンジンまで付いてるんだよ!)
噂の拡散速度と誇張のレベルは、現代日本のネットニュースなど比較にならないほど凄まじかった。そして、その噂の発信源が、ついさっき街へ飛び出していったダリオであることは、想像に難くない。
俺は、ベッドの上で頭を抱えた。もう、この街に俺の安息の地はない。逃げる。明日、夜が明けたら、絶対に逃げ出してやる。
固く決意した、その時だった。
コンコン。
部屋のドアがノックされる。びくりとして体を起こすと、ドアの隙間から、ダリオの声が聞こえた。
「アニキ! ダリオでさァ! アニキの偉大さを街中に広めてきやした! それと、こいつは俺からのほんの気持ちってもんでさァ!」
そう言うと、ドアの前に何かを置く気配がして、足音が遠ざかっていった。
(……なんだ?)
恐る恐るドアを開けてみると、そこには、奇妙な紫色の斑点がついた、拳ほどの大きさの果物と、ひどく錆びついた短剣が一つ、置かれていた。
(……なにこれ? 毒々しい色の果物と、絶対切れないであろう錆びたナイフ……。嫌がらせ? これ、新手の嫌がらせなの?)
俺がその不気味な供物(?)を前に固まっていると、ちょうど通りかかった聖女セラフィーナが、それを見て目を丸くした。
「まあ……。これは、『夢見ダケ』と『古王の短剣』ではございませんか?」
(ゆめみだけ? こおうのたんけん?)
聞き慣れない単語に首を傾げる俺に、セラフィーナは優しく微笑んだ。
「夢見ダケは、幻覚作用のある毒キノコですが、適切な処理をすれば、万病に効く薬の材料になると言われています。そして、この短剣は……ひどく錆びていますが、その装飾は古代王国時代のもの。もしかしたら、伝説級の武具かもしれませんわ」
彼女は、感心したようにため息をついた。
「あのダリオという方、ただのチンピラかと思っていましたが、中々どうして、見る目があるのですね。サイレントキラー様に捧げるにふさわしい、貴重な品々ですわ」
(いや、絶対ガラクタ市とかで拾ってきたやつだって! 善意に解釈しすぎだよセラフィーナさん!)
俺は、不気味なキノコと錆びた短剣を部屋に持ち帰り、机の隅にそっと置いた。俺の部屋には、こうして、俺の意思とは無関係に、ガラクタか伝説級のアイテムか判別不能な品々が、少しずつ溜まっていくことになったのだった。
◆
その夜、俺たちは宿屋の一室に集まり、今後の活動について話し合うことになった。もちろん、俺はただそこに座っているだけで、会話に参加する権利も能力もない。
勇者アレクサンダーが、真剣な面持ちで口火を切った。
「皆、聞いてくれ。ゴブリン討伐は、あくまで肩慣らしだ。我々の目的は、魔王ゾルディックを討ち、世界に平和を取り戻すこと。そのためには、もっと大きな功績を立て、我々の名を王国中に轟かせる必要がある」
彼は、テーブルの上に広げられた地図の一点を指さした。
「そこで、次の任務だが……。この街の西に広がる『迷いの森』。最近、この森で魔物が凶暴化し、旅人が襲われる事件が多発しているらしい。おそらくは、魔王軍の幹部クラスが、この森を拠点に何かを企んでいる可能性がある。我々で、その調査に向かうというのはどうだろうか」
(迷いの森!? 魔王軍幹部!? 嫌な予感しかしない! 絶対に行きたくない!)
俺が内心で全力で首を振っていると、セラフィーナが心配そうに眉を寄せた。
「ですがアレク、それは危険すぎやしませんか? まだサイレントキラー様が仲間になってくださったばかり。もう少し、連携を深めてからでも……」
その時、それまで黙って手帳に何かを書き込んでいた賢者レオナルドが、眼鏡を光らせて顔を上げた。
「いや、セラフィーナ。その心配には及ばないだろう。そして、アレク、お前も少し早計だ。我々は、サイレントキラー殿の真意を、まだ何一つ理解してはいない」
レオナルドはそう言うと、手元の手帳をテーブルの中央に置いた。表紙には、彼の達筆な文字でこう記されている。
『静語録――沈黙の英雄の深淵を読み解くための考察手記』
(しずかごろく!? なにそれ怖い! 俺の「うす」を勝手に分析してんじゃねえ!)
俺の心の叫びなど知る由もなく、レオナルドは得意げにその手帳を開いた。
「私が今日一日、サイレントキラー殿を観察し、分析した結果だ。彼の発する『……うす』という一言には、少なくとも三つ以上の意味合いが存在することが判明した」
彼は、指を一本立てる。
「一つ、『静かなる肯定』。ゴブリン討伐の報酬を辞退された時の『うす』がこれだ。短く、低く、しかし芯のある響き。これは、『その提案、理に適っている。だが、語るまでもない』という、彼の哲学の表れだ」
(哲学じゃなくて、ただの反射です!)
レオナルドは、二本目の指を立てた。
「二つ、『慈悲深き受容』。あのチンピラ、ダリオを弟子に迎え入れた時の『うす』。これは、先ほどとは対照的に、わずかに長く、余韻を残す響きだった。これは、『道を踏み外した者よ、我が器に来たれ。この私がお前を導こう』という、彼の深い慈愛を示すものだ」
(導きません! むしろ俺が導いてほしいくらいだよ!)
そして、レオナルドは三本目の指を立て、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「そして、三つ目。これが最も重要だ。『戦術的示唆』。彼の沈黙、頷き、視線の動き、指先の微かな震え……そのすべてが、我々に対するメッセージなのだ。例えば、初陣の際、彼が木の陰に隠れたのは、単に身を潜めるためではない。『この位置から太陽を背にすれば、敵の視界を奪える』という、無言の教えだったのだ!」
(だから事故だって! 偶然だってば!)
もはや、ツッコミを入れる気力も湧いてこない。俺は、ただただ、遠い目をして天井を仰いだ。その俺の様子を見て、レオナルドは「ふむ、やはり図星か」と満足げに頷いている。勘違いの永久機関が、ここに完成した瞬間だった。
アレクサンダーは、レオナルドの『静語録』に深く感銘を受けたようだった。
「なるほど……! 我々は、彼の行動の表層しか見ていなかったというわけか……。レオ、その『静語録』、ぜひ俺にも写させてくれ!」
「ああ、構わん。我々全員が、彼の深淵なる思考を理解する努力をすべきだ」
こうして、俺の知らないところで、俺の言動を分析・解説するための公式マニュアル(もちろん、解釈はすべて勘違い)が、パーティー内で共有されることになってしまった。
一通り満足したのか、アレクサンダーは本題に戻った。
「――では、改めて問おう。サイレントキラー殿。『迷いの森』の調査、貴殿はどうお考えか?」
三人の視線が、一斉に俺に突き刺さる。
(どう考えるも何も、絶対に行きたくない! 危険な場所は嫌だ! 魔王軍とか関わりたくない! 平穏なニート生活がしたい!)
俺は、全力で拒絶の意思を示そうとした。ぶんぶんと首を横に振り、両手を激しく振る。そして、喉の奥から、必死に否定の声を絞り出そうとした。
しかし、極度のプレッシャーの中で俺の口から漏れ出たのは、またしても、あの絶望的な音だった。
「…………うす」
それは、あまりの恐怖と絶望に、もはや音にすらなっていない、か細い空気の漏れだった。
だが、その音を聞いた三人の反応は、俺の予想の斜め上を行っていた。
アレクサンダーは、その碧眼を決意の色に染めて、力強く頷いた。
「……そうか。引き受けてくださるか。その短い一言に、どれほどの覚悟が込められているか……俺には分かるぞ!」
セラフィーナは、祈るように胸の前で手を組み、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「危険な任務だと、誰よりも理解していらっしゃる……。それでも、世界のために、立ち上がってくださるのですね。ああ、なんという自己犠牲の精神……」
そして、レオナルドは、『静語録』に新たな一ページを書き加えながら、冷静に分析した。
「今のは、これまでで最も短く、最も低い『うす』……。これは、第四の分類、『覚悟の表明』と名付けよう。『多言は無用。覚悟は決まった。速やかに行動に移せ』……。彼の、鋼の意志の表れだ」
(違う! 全然違う! ただの断末魔の悲鳴だよ今の! 誰か! 誰かこの勘違い特急を止めてくれェェェ!)
俺の心の絶叫は、歓喜と決意に満ちた仲間たちの声にかき消された。
こうして、俺の意思を完全に無視する形で、パーティーの次なる任務は、『迷いの森』の調査に決定した。
俺は、これから始まるであろう、さらなる受難の日々を思い、フードの奥で、静かに絶望するしかなかった。