勇者の覚醒と達人のカード
王城の演習場。
澄み渡った青空の下で、二つの鋼が、激しく火花を散らしていた。
王国最強の騎士、アルフレッド・シュタイナー。
世界を救う運命を背負った勇者、アレクサンダー。
二人の手合わせは、もはや、ただの試合ではなかった。互いの、魂と、信念を、削り合う、真剣勝負そのものだった。
「はあっ!」
アレクサンダーの聖剣が、太陽の光を反射し、鋭い軌跡を描く。
だが、その一撃は、アルフレッドの、鉄壁の防御に、阻まれた。
キィン、という、甲高い金属音。
衝撃に、アレクサンダーの手が、わずかに痺れる。
(……強い。これが、王国最強……!)
アレクサンダーは、焦りを、感じていた。
力では、互角。
だが、経験、技術、そして、何より、その精神的な、揺るぎなさ。
そのすべてにおいて、目の前の男は、自分を、遥かに、上回っていた。
だが、彼は、決して、諦めなかった。
彼の、脳裏には、師である、サイレントキラーの、姿が、焼き付いていたからだ。
壁を、歩き、風を、読み、ただ、そこにいるだけで、世界の理を、捻じ曲げる、あの、絶対的な、存在。
(……師ならば、どうする?)
アレクサンダーは、一度、大きく、後ろへ跳躍し、アルフレッドと、距離を取った。
そして、剣を、下段に構え、呼吸を、整える。
彼は、ただ、闇雲に、攻撃することを、やめた。
師の、教えを、思い出す。
『力で、超えられない壁は、知恵で、迂回せよ』
『敵の、思考を、読め』
『その場の、風を、読め』
アレクサンダーは、目を、閉じた。
そして、五感を、研ぎ澄ませる。
風の音。
地面の、感触。
アルフレッドの、わずかな、呼吸の、乱れ。
その、すべてが、彼にとっての、情報となった。
アルフレッドは、その、アレクサンダーの、変化に、わずかに、眉をひそめた。
(……ほう。迷いが、消えたか。面白い)
彼は、静かに、一歩、踏み出した。
その、一歩が、戦いの、流れを、再び、動かす。
◆
その頃。
『沈黙の宮』の、俺の部屋。
俺、相川静は、人生で、最大級の、挑戦に、挑んでいた。
(……くそっ。あと、一段、なのに……)
俺の目の前には、テーブルの上に、かろうじて、その形を、保っている、トランプの、城があった。
高さ、五段。
それは、俺が、この、三日間、不眠不休(というのは、嘘だが)で、築き上げてきた、血と、涙の、結晶だった。
部屋の、掃除に来たメイドが、気を利かせて、置いていってくれた、古い、トランプ。
それが、今の、俺にとって、唯一の、友であり、そして、最大の、敵だった。
わずかな、息遣い、わずかな、手の震えが、この、繊細な、芸術品を、一瞬にして、崩壊させてしまう。
俺は、息を、止めた。
そして、震える指先で、二枚の、カードを、つまみ上げる。
最後の一段。
これを、乗せれば、俺の、城は、完成するのだ。
俺は、ゆっくりと、ゆっくりと、その二枚のカードを、城の、頂上へと、運んでいく。
その、集中力は、おそらく、生まれてから、今までの、人生の中で、最大のものだった。
◆
演習場では、戦いが、佳境を、迎えていた。
アレクサンダーは、もはや、アルフレッドの、攻撃を、ただ、受け止めては、いなかった。
彼は、流れるように、その剣を、受け流し、時には、地面を、蹴り、壁を、足場にし、予測不可能な、角度から、反撃を、繰り出す。
その動きは、まさしく、サイレントキラーが、見せた、『立体機動』の、片鱗だった。
「やるな、勇者殿!」
アルフレッドの、声に、初めて、賞賛の色が、浮かぶ。
「貴殿の、その動き……。まさしく、あの御方の、教えの、賜物か!」
「ええ!」
アレクサンダーが、叫ぶ。
「師の、名に、懸けて、俺は、負けるわけには、いかない!」
二人の、闘気が、ぶつかり合い、周囲の、空気を、ビリビリと、震わせる。
戦いは、完全に、互角。
どちらが、勝っても、おかしくない。
だが、その、均衡は、あまりにも、唐突に、破られることになった。
アレクサンダーが、渾身の、一撃を、放とうと、聖剣を、振り上げた、その瞬間。
彼の、脳裏に、まるで、天啓のように、一つの、光景が、浮かんだのだ。
(……今だ!)
それは、言葉には、ならない。
理屈でも、ない。
ただ、絶対的な、確信だけが、彼の、体を、突き動かした。
彼は、振り上げた剣を、そのまま、振り下ろすことを、やめた。
代わりに、彼は、その場で、一回転し、剣の、柄の部分で、アルフレッドの、足元を、薙ぎ払ったのだ。
それは、あまりにも、意表を突いた、一撃だった。
アルフレッドは、その、奇襲に、反応することが、できなかった。
彼の、鉄壁の、体勢が、わずかに、崩れる。
その、ほんの、一瞬の、隙。
アレクサンダーは、それを見逃さなかった。
彼の、聖剣の、切っ先が、アルフレッドの、喉元、寸前で、ぴたりと、止まっていた。
静寂。
勝負は、決した。
アルフレッドは、信じられない、という表情で、アレクサンダーを、見つめた。
「……なぜだ。なぜ、あの、タイミングで、足払いを……。俺の、次の、動きを、完全に、読んでいたとでも、いうのか……」
アレクサンダーも、分からなかった。
ただ、そうしなければならないと、魂が、叫んだのだ。
まるで、遠く、離れた、師が、彼に、そう、囁いたかのように。
その頃。
俺の部屋では、悲劇が、起こっていた。
俺が、最後の一枚を、乗せようとした、その瞬間。
開いていた、窓から、一陣の、気まぐれな風が、吹き込んだのだ。
そして、俺の、三日間の、努力の結晶である、トランプの城は、あまりにも、あっけなく、その形を、失い、テーブルの上に、散らばった。
ぱらぱらぱら……。
「…………」
俺は、呆然と、その光景を、見つめていた。
そして、込み上げてくる、虚しさと、怒りに、俺は、近くにあった、クッションを、掴むと、床に、叩きつけた。
ぽすっ、という、情けない音。
そして、俺は、力なく、いつものように、呟いた。
「…………うす」
それは、俺の、敗北宣言。
そして、もう二度と、こんな、不毛なことは、やるものか、という、固い、誓いの、一言だった。
演習場では、アルフレッドが、ゆっくりと、剣を、鞘に、納めていた。
「……見事だ、勇者アレクサンダー。完敗だ。貴殿は、師の、期待に、見事、応えてみせた」
彼は、アレクサンダーに、深く、頭を下げた。
「約束通り、『始まりの聖杯』は、貴殿に、託そう。どうか、その力で、世界を、救ってくれ」
アレクサンダーは、その言葉に、深く、頷いた。
彼は、師の、偉大さを、改めて、噛み締めていた。
あの、最後の、天啓。
あれこそが、師が、与えてくださった、勝利への、道筋だったのだ、と。
俺が、ただ、トランプの城を、崩されて、八つ当たりを、していただけだとは、彼は、知る由もなかった。




