達人の試験と最終承認
俺、相川静が、ただの暇つぶしにパズルボックスを解いただけの一件。
それが、仲間たちの間では、「敵の思考を読み、罠の構造を理解せよ」という、伝説の暗殺者からの、深遠なる教えとして、受け止められてしまった。
その日を境に、『沈黙の宮』の裏庭から、肉体をぶつけ合う、荒々しい訓練の音は、消えた。
代わりに、作戦室からは、三人が、昼夜を問わず、熱心に、議論を交わす声が、聞こえてくるようになった。
「いや、インテリオの性格を考えれば、その通路に、物理的な罠を仕掛ける可能性は低い。彼は、もっと、心理的な罠を好むはずだ」
「例えば、わざと、一つの宝箱を、見えやすい場所に置く。しかし、その宝箱は、囮。本当の罠は、その宝箱を、警戒する我々の、意識の、死角に、仕掛けられている……」
「なるほど。ならば、我々は、その、さらに裏をかく必要があるわね。あえて、その囮に、食いついたフリをして……」
彼らは、もはや、ただの、勇者パーティーではなかった。
魔王軍、随一の、策謀家の、思考を、完全に、シミュレートし、その、さらに、上を行くための、対心理戦の、プロフェッショナルチームへと、変貌を遂げようとしていた。
俺は、その、あまりにも、意識の高い、作戦会議の様子を、部屋のドアの、隙間から、こっそりと、窺っていた。
風邪は、すっかり、治った。
だが、部屋から、一歩も出ない、という、自己ルールを、課した結果、俺は、深刻な、退屈地獄に、陥っていた。
(……すごいな。みんな、真剣だ……)
罪悪感が、またしても、胸に、こみ上げてくる。
俺が、適当に、指さした、建物のせいで、彼らを、こんなにも、危険な、任務に、駆り立ててしまっている。
俺は、ただ、寝て、起きて、食事をするだけ。
その、アンバランスな、状況が、俺の心を、重く、締め付けた。
(……何か、俺にも、できることは、ないだろうか……)
もちろん、あるはずがない。
俺は、何の力もない、ただの、コミュ障だ。
彼らの、高度な、作戦会議に、口を挟むことなど、できるはずもない。
俺は、そっと、ドアから、離れた。
そして、部屋の中を、うろうろと、歩き始めた。
有り余る、時間と、体力。
それを、どう、発散すればいいのか、分からない。
俺は、ふと、窓の外に、目をやった。
裏庭では、彼らが、作戦演習のために、木箱や、ロープを使って、賭博場の、入り口付近を、再現した、簡易的な、フィールドが、作られていた。
そして、そこには、訓練用の、案山子のような、人形が、数体、警備兵として、配置されている。
(……あれなら、いいかな)
俺は、部屋の、暖炉のそばに、置かれていた、装飾用の、小さな、石を、いくつか、ポケットに入れた。
そして、再び、窓辺へと、戻る。
ここから、庭までは、少し、距離がある。
だが、あの、人形の、頭を、狙うくらいなら、ちょうどいい、暇つぶしに、なるかもしれない。
日本にいた頃、授業中に、消しゴムのカスを、丸めて、ゴミ箱に、投げ入れる、あの感覚に、似ていた。
俺は、窓の、隅に、身を隠し、仲間たちに、気づかれないように、そっと、石を、構えた。
そして、指先で、弾くように、投げる。
ひゅっ、と。
小さな、風切り音と共に、石は、放物線を描いて、飛んでいく。
そして、一体の、人形の、頭に、こつん、と、小気味よい音を立てて、命中した。
(……お、当たった)
少しだけ、気分が、晴れた。
俺は、夢中になって、石を、投げ始めた。
二投目。
今度は、彼らが、罠として、想定しているであろう、地面の、特定の場所に、向かって。
石は、正確に、その場所に、着弾した。
三投目。
今度は、木箱の、上に、置かれた、別の、人形。
これも、命中。
俺は、知らなかった。
その時、下の作戦室では、仲間たちが、最終的な、作戦計画の、シミュレーションを、行っていたことを。
「……よし。この、ルートで、行こう」
レオナルドが、地図の上に、駒を置きながら、言った。
「まず、入り口の、左右にいる、二人の、警備兵。彼らは、おそらく、幻影だ。本物は、この、死角に、潜んでいる。セラフィーナの、光魔法で、幻影を、かき消し、その隙に、アレクが、本物を、無力化する」
「ああ、分かった」
「次に、注意すべきは、この、通路。床の、三番目の、タイル。ここに、おそらく、重量感知式の、警報装置が、仕掛けられている。ここを、避けて、通る必要がある」
彼らが、そう、議論している、まさに、その瞬間だった。
こつん。
作戦室の、窓の外から、何かが、当たる音がした。
いや、違う。
庭に、設置された、シミュレーション用の、フィールドからだ。
三人が、顔を見合わせる。
そして、窓の外を、見た。
すると、彼らが、幻影だと、想定していた、左右の、人形の頭が、二つ、同時に、何かに、弾かれて、揺れていた。
そして、彼らが、本物が、潜んでいると、予測した、死角の場所に置かれた、三人目の、人形の頭も、同じように、揺れている。
「……なっ……!?」
レオナルドが、息を呑んだ。
さらに、彼らが、警報装置があると、予測した、三番目の、タイルの場所に、小さな、石ころが、一つ、落ちていた。
三人は、ハッとして、上を見上げた。
そこには、俺の部屋の、バルコニーがあった。
だが、俺の姿は、見えない。
ただ、静かな、沈黙が、あるだけだった。
レオナルドの、顔から、血の気が、引いていく。
「……サイレントキラー様……」
彼は、震える声で、言った。
「……我々の、シミュレーションを……。我々の、思考を、完全に、読んでおられたというのか……」
アレクサンダーが、ゴクリと、唾を飲む。
「そして、我々の、答えが、正しいかどうか、自ら、試してくださった……。これが、最後の、試験……」
セラフィーナが、祈るように、手を組んだ。
「ああ……。我々は、常に、見守られていたのですね。彼の、その、あまりにも、大きな、御心に……」
俺が、ただ、退屈しのぎに、石を投げて、遊んでいただけだとは、誰も、思わない。
俺の、暇つぶしは、仲間たちの、作戦計画の、正しさを、証明する、伝説の師からの、最終承認として、完璧に、誤解されてしまった。
三人は、もはや、迷わなかった。
自分たちの、立てた、計画が、絶対的に、正しいことを、確信したからだ。
彼らの、士気は、最高潮に、達していた。
その時、作戦室のドアが、控えめに、ノックされた。
入ってきたのは、老執事だった。
彼は、一枚の、手紙を、アレクサンダーに、差し出した。
「アレクサンダー様。サイレントキラー様より、皆様に、とのことです」
アレクサンダーが、驚いて、その手紙を、受け取る。
そこには、ただ、一言。
震えるような、筆跡で、こう、書かれていた。
「…………うす」
それは、俺が、夕食の、準備ができたことを、知らせに来た、メイドに、返事として、書いた、ただの、メモだった。
だが、この、タイミングで、これを受け取った、仲間たちには、全く違う、意味に、聞こえた。
「……『承認する』……」
アレク-サンダーが、震える声で、言った。
「サイレントキラー様は、我々の、計画を、完全に、承認してくださったのだ!」
三人は、その、あまりにも、重い、一言の、承認を、胸に、固く、誓った。
必ずや、この作戦を、成功させてみせると。
俺は、その頃、食堂で、久しぶりに、温かい、シチューを、食べながら、考えていた。
(……明日は、何を、して、暇を、潰そうかな)
俺の、あまりにも、人間的な、悩みと、仲間たちの、あまりにも、英雄的な、勘違い。
その、二つの、物語は、ついに、交わることなく、決戦の、前夜を、迎えようとしていた。




