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神の欲求と賢者の石の在処

俺、相川静が、ただの風邪でベッドに臥せっている間に、物語は、俺の意思など、遥か彼方に置き去りにして、とんでもない方向へと、突き進んでいた。

俺のポケットの中の石ころが、勝手に、古代の箱を開け、その中から出てきた、古い羊皮紙。

それが、バルトス山脈に眠る、古代の災厄の正体と、それを封じるための、儀式の方法を、記した、神の『啓示』であると、仲間たちの間で、確定してしまったのだ。


そして、今。

王都の『沈黙の宮』の一室で、勇者アレクサンダー、聖女セラフィーナ、賢者レオナルドの三人は、その『啓示』がもたらした、新たにして、最大の、壁に、直面していた。


「……『賢者の石』、ですか」

レオナルドが、重々しく、口を開いた。

「錬金術の、究極の、目標とされる、伝説上の、霊薬。あらゆる病を癒し、不老不死をもたらすとさえ、言われています。ですが、その存在は、あくまで、おとぎ話の中のもの。これまでに、発見されたという、記録は、王立大図書館の、いかなる文献にも、存在しません」


「だが、あの羊皮紙には、確かに、そう書かれていた」

アレクサンダーが、腕を組み、厳しい表情で、言う。

「それなくして、儀式は、完成しない、と。我々は、それを、見つけ出さなければならない。サイレントキラー様が、我々に、示してくださった、道なのだから」


「ですが、どこを、探せば……」

セラフィーナの声には、不安の色が、滲んでいた。

「存在するかどうかも、分からないものを、闇雲に、探すのは……」


三人の視線が、自然と、ベッドの上で、ぐったりとしている、俺へと、集まった。

まただ。

また、彼らは、俺に、答えを、求めている。

神の、次なる、神託を。


(……もう、勘弁してくれ……)


俺の体は、いまだ、本調子ではなかった。

セラフィーナの、治癒魔法のおかげで、高熱は引いたが、体中の、倦怠感と、喉の痛みは、残っている。

食欲も、全くない。

王宮の料理人たちが、腕によりをかけて作った、栄養満点のスープも、ほとんど、喉を通らなかった。


そんな、俺の、脳裏に、ふと、一つの、記憶が、蘇った。

日本にいた頃、風邪をひくと、決まって、母親が、買ってきてくれたもの。

甘い、甘い、チョコレート。

そして、キンキンに冷えた、炭酸飲料。


科学的な、根拠など、ないのかもしれない。

だが、あの、舌の上で、とろける、甘さと、喉を、しゅわしゅわと、駆け抜ける、刺激。

それが、不思議と、弱った体に、活力を与えてくれるような、気がしたのだ。


(……チョコ、食べたいな)


俺は、ほとんど、本能的に、そう、思った。

あの、異世界に来る直前に、コンビニで買った、一枚百二十円の、板チョコレート。

その、かけらを、セラフィーナが、神秘の霊薬だと、勘違いして、大切に、保管しているはずだ。


俺は、弱々しく、体を起こした。

そして、セラフィーナの方を、じっと、見つめた。

何かを、訴えかけるように。


その、俺の、切実な、視線。

それに、セラフィーナが、気づいた。


「……サイレントキラー様? どうか、なさいましたか?」


俺は、言葉を発することができない。

ただ、自分の、口元を、指さした。

そして、何かを、食べるような、ジェスチャーをした。

「何か、食べたい」という、ただ、それだけの、意思表示。


その、俺の、あまりにも、人間的な、欲求。

それが、仲間たちの、神格化された、フィルターを通して、全く違う、意味合いを持つ、神託へと、変換されていく。


セラフィーナが、ハッとしたように、目を見開いた。

「……まさか。貴方様は、あの、お菓子を、お求めに……?」


俺は、こくこくと、力なく、頷いた。

その、俺の、肯定に、セラフィーナだけでなく、アレクサンダーと、レオナルドの顔色も、変わった。


レオナルドが、震える声で、言った。

「……そうか。そうだったのか……。我々は、またしても、灯台下暗し、だったというわけか……」


(え? 何が?)


レオナルドは、まるで、世界の、真理を、発見したかのように、興奮した様子で、続けた。

「『賢者の石』! 我々は、それを、どこか、遠くにある、伝説の、アイテムだと、思い込んでいた! ですが、違った! その、答えは、最初から、我々の、目の前に、あったのです!」


彼は、セラフィーナが、懐から、大切そうに、取り出した、銀紙の包みを、指さした。

俺が、日本から持ってきた、ただの、板チョコレート。


「これだ! これこそが、『賢者の石』の、正体! あるいは、その、原石となる、物質に、違いありません!」


(違います! ただの、お菓子です!)


アレクサンダーが、信じられない、という表情で、叫んだ。

「レオ、本気で、言っているのか!? この、菓子が、あの、伝説の……!?」


「本気ですとも!」

レオナルドは、断言した。

「考えてもみてください! この、一片を、口にしただけで、聖女である、セラフィーナの、聖なる力が、活性化したのですよ! そして、その成分は、我が『全知の書』をもってしても、解析、不能だった! この世の、理から、外れた、物質! これを、伝説の霊薬と言わずして、何と言いましょうか!」


レオナルドの、あまりにも、突飛な、しかし、彼らにとっては、完璧な、論理。

アレクサンダーとセラフィーナは、もはや、反論することもなく、その説を、完全に、受け入れていた。


「……なるほど。確かに、言われてみれば……」

「では、サイレントキラー様が、これを、お求めになったのは……」


「ええ」

レオナルドは、俺の方を、振り返った。

その目は、絶対的な、確信に、満ちていた。

「サイレントキラー様は、我々に、答えを、示してくださったのです。『お前たちが、探し求めている、賢者の石とは、これのことだ』と。『そして、これと、同じものを、見つけ出してこい』と!」


俺が、ただ、風邪で、食欲がなくて、チョコが、食べたかっただけの一件。

それが、「賢者の石の正体と、その探索クエスト」という、神の、最重要ミッションとして、発令されてしまった。


アレクサンダーが、俺の前に、進み出た。

「サイレントキラー様。承知いたしました。我々は、これより、この『神秘の霊薬』と、同じものを、探し出してまいります。ですが、一つだけ、お教えください。この、霊薬は、一体、どこで、手に入れられたのですか?」


来た。

またしても、答えられない、質問。


俺は、どうすればいい?

「日本の、コンビニです」などと、言えるはずがない。


俺は、困り果てた。

そして、熱に浮かされた頭で、ふと、思い出した。

日本にいた頃、よく見ていた、テレビの、旅番組。

リポーターが、美味しいものを、紹介する時、決まって、こう言っていた。


「さあ、この、絶品グルメが、食べられるのは、一体、どこなんでしょうか? ヒントは、こちら!」

そして、カメラは、その店の、特徴的な、看板や、建物を、映し出す。


俺は、ほとんど、無意識に、それを、真似ていた。

俺は、窓の外を、指さした。

王都の、賑やかな、街並みを。

そして、その中でも、ひときわ、目立つ、ある、建物を。


それは、赤と、白の、縦縞模様の、奇妙な、デザインの、屋根を持つ、建物だった。

この世界では、見たこともない、異質な、デザイン。

俺には、それが、なぜか、見慣れた、コンビニエンスストアの、看板のように、見えたのだ。


その、俺の、何気ない、ジェスチャー。

それを見た、仲間たちの顔が、一斉に、凍りついた。


レオナルドが、震える声で、言った。

「……あ、あの、建物は……。『紅と白の、縞模様』……。まさか……」


アレクサンダーが、ゴクリと、唾を飲む。

「……魔王軍の、幹部……。『策謀のインテリオ』の、紋章……!」


俺が、ただ、コンビニに、似ているというだけで、指さした建物。

それが、よりにもよって、魔王軍の、知将が、アジトにしていると、噂される、賭博場だったのだ。


俺は、自分が、今、どれほど、とんでもない、勘違いの、引き金を、引いてしまったのか、全く、気づいていなかった。

ただ、早く、チョコが、食べたい、と、ぼんやりと、考えているだけだった。

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