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初陣と太陽の悪戯

俺が差し出した一枚の板チョコが「神秘の霊薬」だと認定されてから一夜。俺、相川静は、光亭の一室で、人生で最も寝覚めの悪い朝を迎えていた。


用意された部屋は、俺が日本で住んでいた六畳一間とは比べ物にならないほど広く、ベッドは雲のように柔らかかった。しかし、眠りは浅く、何度も「お前がサイレントキラーか!」と指をさされる悪夢にうなされた。


(もう無理だ。逃げよう。今すぐこの街を出て、どこか人のいない森の奥で、ひっそりと暮らそう。ポテチの塩味があれば、数日は生き延びられるはずだ……)


そんな現実逃避の計画を脳内で組み立てていると、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。びくりとして体を硬直させていると、ドアの向こうから、聖女セラフィーナの優しい声が聞こえてきた。


「サイレントキラー様、朝のご準備はよろしいでしょうか? 本日は、私たちにとって貴方様をお迎えしての初仕事となります。アレクがギルドで、手頃な依頼を受けてまいりましたわ」


(初仕事!? 聞いてない! 俺、まだ心の準備ができてないんですけど! いや、一生かかってもできる気しないけど!)


俺が返事もできずにベッドの上で固まっていると、セラフィーナはそれをいつもの「警戒の表れ」と解釈したらしい。「お着替えが終わりましたら、一階の食堂までお越しくださいね」とだけ言い残し、去っていった。


残された俺は、深いため息をつく。ベッドの脇には、昨日セラフィーナが「貴方様のために」と用意してくれた、真新しいローブが置かれていた。フードがやけに深く、顔を隠すのに最適なデザイン。色は、夜の闇に溶け込みそうな深い藍色だ。


(これ、完全に暗殺者用の装備じゃねえか……。俺の意思、どこまでガン無視すれば気が済むんだ……)


もはや抵抗する気力もなく、俺はすごすごとパーカーとジーンズの上からそのローブを羽織った。フードを目深にかぶると、視界は一気に狭くなり、自分の殻に閉じこもったような、奇妙な安心感があった。これなら、人と目を合わせる確率を格段に下げられる。それだけが、唯一の救いだった。


意を決して一階の食堂へ降りると、すでに三人の仲間たちがテーブルについていた。俺の姿を認めると、勇者アレクサンダーが快活な笑顔で手を振る。


「おお、サイレントキラー! よく似合っているぞ、そのローブ! まるで、闇そのものを纏っているかのようだ!」


(闇じゃなくて、絶望を纏ってます。あと、昨日着てたパーカーも中に着てるんで、ちょっとゴワゴワします)


賢者レオナルドは、俺の出で立ちを値踏みするように見つめ、眼鏡を光らせた。

「ふむ。そのローブ、一見ただの布に見えるが、光の反射率が異常に低い。おそらくは魔力を吸収し、姿を眩ます効果がある特殊な繊維で織られているな。さすがは伝説の暗殺者、装備一つにも抜かりがない」


(だから、ただの綿だって! 昨日、セラフィーナさんが市場で値切って買ってくれたやつだって!)


俺が内心で血の涙を流していると、セラフィーナが温かいスープとパンを俺の前にそっと置いた。

「さあ、まずは腹ごしらえを。今日の依頼は、街の南へ向かう街道に住み着いたゴブリンの討伐です。数は十体ほど。今の私たちにとっては、肩慣らしにちょうど良いでしょう」


ゴブリン。その単語を聞いた瞬間、俺は森で遭遇した、あの醜悪な小鬼の姿を思い出した。そして、スプーンを持つ手が微かに震える。


(討伐って……。殺すってことだよな……? 無理無理無理! 俺、虫一匹殺せない平和主義者なんですけど! 大学生の本文は勉学であって、戦闘じゃないんですけど!)


俺の内心の葛藤を、セラフィーナはまたしても別の意味に捉えたようだった。彼女は、悲しげに眉を下げて俺を見つめる。


「……また、その手を血で汚さねばならないのですね。貴方様ほどの御方が、ゴブリンのような下賤な魔物を手にかけるのは、さぞお辛いことでしょう。ですが、これも世界平和のため……。どうか、お許しください」


(違う! 辛いのは、殺し合いが怖いからです! 純粋に、フィジカルな暴力が怖いだけなんです! 頼むから、俺を悲劇のヒーローみたいに仕立て上げないでくれ!)


俺は、もはや反論する言葉も見つからず、ただ無言でスープをすすることしかできなかった。



腹ごしらえを終えた俺たちは、早速ゴブリンが住み着いているという南の街道へと向かった。

街を一歩出ると、そこには広大な平原が広がっていた。心地よい風が吹き、空はどこまでも青い。平和そのものの光景だ。しかし、これから向かう先が戦場だと思うと、俺の足取りは鉛のように重かった。


先頭を歩くアレクサンダーが、振り返って俺に尋ねた。

「して、サイレントキラー殿。今回の作戦だが、何か策はあるだろうか? 我々三人が前衛で奴らの注意を引き、貴殿が背後から首領リーダーの首を掻く、という手筈でいかがだろう?」


(策も何も、俺、戦闘能力ゼロなんですけど!? 背後から近づく前に、普通に見つかって棍棒で殴られて終わりだよ!)


俺がパニックで何も答えられずにいると、横からレオナルドが口を挟んだ。

「待て、アレク。サイレントキラー殿の流儀は、我々の常識で測るべきではない。彼ほどの達人が、我々と同じ次元で作戦を語ると思うな。おそらく、彼の頭の中では、すでに我々の想像を絶する、完璧な暗殺計画が組み上がっているはずだ」


レオナルドは、俺の沈黙を「語るまでもない」という達人の風格だと解釈し、勝手に分析を始めた。

「彼の沈黙は、肯定と見ていいだろう。だが、その真意は『お前たちは好きにやれ。俺は俺のやり方で、最も効率的に、かつ静かに、事を終わらせる』……そういうことだろう?」


(違います! 『俺には何もできません。どうか見逃してください』っていう、無言の土下座です!)


俺の心の叫びも虚しく、作戦は「前衛三人が陽動し、サイレントキラーが自由に動いて敵の首領を暗殺する」という、俺にとって最もプレッシャーのかかる形で決定してしまった。


やがて、街道の脇に、ゴブリンたちの根城らしき雑木林が見えてきた。アレクサンダーが、腰の聖剣に手をかける。セラフィーナは、祈りを捧げるように杖を握りしめた。レオナルドは、『全知の書』を宙に浮かべ、戦闘に備える。


三人の間に、ピリピリとした緊張が走る。その中で、俺だけがガタガタと震えていた。


(やばい、本当に始まっちまう……! どうしよう、どうすればいい? 戦闘が始まったら、とにかく隠れなきゃ! そうだ、俺には『気配希釈』のスキルがあるじゃないか!)


女神(自称)の言葉を思い出す。『人の多い場所とかで気配を薄くできる便利なやつ』。今こそ、そのスキルを使う時だ。俺は、戦闘が始まった瞬間に、一番近くにある大きな木の陰に隠れることを固く決意した。それが、俺にできる唯一のサバイバル術だった。


「――行くぞ!」


アレクサンダーの号令と共に、三人が雑木林へと突入していく。すぐに、ゴブリンたちの甲高い雄叫びと、金属がぶつかり合う音が響き渡った。


俺は、計画通り、脱兎のごとくその場を離れ、目をつけていた一番大きな樫の木の裏へと駆け込んだ。背中を幹に押し付け、息を殺す。


(よし、隠れた! スキル発動! 気配希釈、気配希釈……! 俺は今、ただの石ころ……。誰にも見えない、ただの石ころだ……!)


心の中で必死に念じる。効果があるのかは分からない。だが、こうしているしかないのだ。


木の陰からそっと戦況を窺うと、アレクサンダーたちが三体ほどのゴブリンと交戦しているのが見えた。さすがは勇者パーティー、危なげなく戦いを進めている。だが、雑木林の奥から、さらに七、八体のゴブリンが、一回り体の大きなリーダー格に率いられて現れた。


(うわ、増えた! やばい、アレクさんたち、囲まれちゃうんじゃ……?)


焦りが募る。だが、俺にできることは何もない。ただ、ハラハラと戦況を見守るだけだ。その時だった。俺は、ほとんど無意識のうちに、癖でポケットに手を入れていた。そして、そこから取り出したのは、圏外のはずのスマートフォンだった。


(あ、やべ。こんな時に何やってんだ俺……。電波、通じるわけないのに……)


日本にいた頃からの癖だった。手持ち無沙汰になると、ついスマホを取り出してしまう。画面には、案の定「圏外」の二文字が表示されているだけだ。


俺が「しまった」と思ってスマホをポケットに戻そうとした、まさにその瞬間。


奇跡は、起きた。


俺が隠れていた木の隙間から差し込んでいた太陽光が、まるで狙いすましたかのように、俺が持っていたスマホの黒い画面に反射した。そして、その光は、鋭い一条の閃光となって、まっすぐにゴブリンたちのリーダーの顔面を直撃したのだ。


「ギィッ!?」


リーダーゴブリンは、予期せぬ強烈な光に目を焼かれ、悲鳴を上げて顔を押さえた。突然の出来事に、彼に従っていた他のゴブリンたちも「ギ? ギギ?」と混乱に陥り、その動きが完全に止まる。


この好機を、勇者たちが見逃すはずがなかった。


「今だッ!」


アレクサンダーの聖剣が閃き、混乱するゴブリンたちを薙ぎ払う。レオナルドの放った魔法の矢が、正確に敵の数を減らしていく。セラフィーナの支援魔法が、仲間たちの力を増幅させる。


あれほど優勢に見えたゴブリンの群れは、指揮系統を失ったことであっという間に瓦解し、わずか数分後には、すべて地に伏していた。


戦いが終わり、静寂が戻った雑木林で、俺はスマホを片手に呆然と立ち尽くしていた。


(……え? なに、今の……? 俺のスマホが光って……ゴブリンが怯んで……それで勝った……? え、偶然……だよな? こんな都合のいい偶然、あってたまるか……?)


俺の頭の中は、巨大なハテナマークで埋め尽くされた。俺のスキルは『気配希釈』のはずだ。気配を薄めるスキルであって、光を反射させるスキルではない。じゃあ、今のは一体……?


俺が混乱していると、アレクサンダーたちが、興奮した面持ちで駆け寄ってきた。


「サイレントキラー殿! 見事だ! まさか、太陽光を反射させ、敵の指揮官の目を眩ませて混乱を誘うとは! なんという鮮やかな策だ!」


(策じゃありません! 事故です! 完全なる不慮の事故です!)


レオナルドは、眼鏡の奥の瞳を興奮に輝かせながら、早口でまくし立てた。

「なるほど……! 敵が最も油断するであろう、戦闘の序盤。しかも、太陽が最も効果的な角度になるこの瞬間まで、木の陰で好機を窺っていたというのか! そして、あの黒い板……! あれは、光を収束・増幅させる機能を持つ、伝説級の魔導具アーティファクトに違いない! 我々の知らない、高度な光学兵器だ!」


(スマホです! ただのスマートフォンです! 光学兵器じゃありません! 昨日、女神に蹴り飛ばされる直前まで、これで猫の動画見てました!)


セラフィーナは、うっとりとした表情で俺を見つめ、胸の前で手を組んだ。

「素晴らしい……。ご自身の手を汚すことなく、最小限の動きで、最大限の効果を上げる……。これぞ、真の英雄の戦い方ですわ。貴方様の深いお考えに、私はまた一つ、感銘を受けました」


(考えてません! 何も考えてません! ただ隠れてたら、なんかうまくいっちゃっただけなんです!)


三者三様の、最大級の賛辞と勘違い。その奔流に飲み込まれながら、俺は、もはや疲れ果てたように、か細い声でこう呟くことしかできなかった。


「…………うす」


その一言を、アレクサンダーは「当然のことをしたまでだ」という、達人の謙遜と受け取った。


こうして、俺の初陣は、俺のあずかり知らぬところで「伝説の暗殺者による、神がかり的な陽動戦術」として、仲間たちの記憶に深く刻み込まれることになったのだった。

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ま、まさか…本当のスキルは…的な?
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