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神の風邪と遺跡の罠

俺の、盛大なくしゃみ一つ。

それが、古代遺跡ザルツブルグに漂っていた、千年の邪気を一瞬にして浄化する、『聖なる息吹』として、仲間たちの脳内に、新たな神話として刻み込まれてしまった。


もちろん、俺、相川静の体は、そんな神々しい力とは、全く無縁だ。

それどころか、悪化の一途をたどっていた。

喉の痛みは増し、頭は、熱を持ったように、ぼーっとしている。間違いなく、本格的に、風邪をひいてしまった。


(……最悪だ。異世界に来て、風邪をひくなんて……。日本の、市販の風邪薬が、今、喉から手が出るほど、欲しい……)


俺が、そんな、あまりにも、現実的な苦痛に耐えていると、仲間たちは、俺が浄化した(ことになっている)遺跡の入り口に、厳かな面持ちで、立っていた。


「空気が……澄んでいる」

勇者アレクサンダーが、驚きの声を漏らす。

「あれほど、淀んでいた、死の気配が、完全に、消え去っている。これならば、アンデッドの魔物たちも、その力を、大幅に、削がれているはずだ。すべては、サイレントキラー様のおかげだな」


「ええ。戦いが始まる前に、まず、戦場そのものを、我々にとって、有利な環境へと作り変える……。その、深淵なる、ご配慮。感謝の言葉も、見つかりませんわ」

聖女セラフィーナが、うっとりとした表情で、俺を見つめる。


俺は、ただ、寒気がする体を、必死に、さすっていた。

その、俺の、小刻みな震えが、仲間たちの目には、「これから始まる戦いを前に、その御身に、闘気を、漲らせている」ように、映っていたらしい。


「さあ、行こう!」

アレクサンダーが、聖剣を抜き、号令をかける。

「サイレントキラー様が、切り開いてくださった、この道を! 我々が、進むのだ!」


こうして、俺たちは、ついに、古代遺跡ザルツブルグの、内部へと、足を踏み入れた。

俺の、悪化していく体調と、仲間たちの、天井知らずの勘違いを、道連れにして。



遺跡の内部は、まるで、巨大な、石の迷宮だった。

崩れかけた、太い柱。

苔むした、壁。

そして、どこまでも続くかのような、薄暗い、通路。

天井の崩落した部分から、時折、光が差し込んでいるが、それが、逆に、遺跡の、不気味さを、際立たせていた。


「……静かですね」

セラフィーナが、周囲を警戒しながら、囁く。

「あれほどの邪気に満ちていた場所です。アンデッドの魔物が、うじゃうじゃと、いるかと思っていましたが……」


「サイレントキラー様の、『聖なる息吹』の効果でしょう」

賢者レオナルドが、冷静に、分析する。

「邪気を糧とする、下級のアンデッドたちは、おそらく、この、清浄な空気に耐えきれず、すでに、浄化されてしまった。あるいは、遺跡の、さらに、奥深くへと、逃げ込んだか……。いずれにせよ、我々が、進みやすい状況であることに、変わりはありません」


(……頭が、痛い。ガンガンする……)


俺は、もはや、彼らの会話に、内心で、ツッコミを入れる気力すら、残っていなかった。

ただ、ぼーっとする頭で、ふらつく足を、必死に、前に、進めるだけだった。

時折、襲ってくる、めまいに、俺は、壁に、手をついて、なんとか、倒れるのを、こらえた。


その、俺の、おぼつかない足取り。

それが、仲間たちには、「遺跡の、微細な、魔力の流れや、罠の気配を、足の裏で、感じ取りながら、慎重に、進んでいる」ように、見えていた。


どれくらい、歩いただろうか。

俺たちは、一つの、広大な、ホールのような場所に、たどり着いた。

そのホールの、中央には、巨大な、石の台座があり、その上には、何か、宝石のようなものが、安置されていた痕跡があった。おそらく、あれが、アーティファクトの『欠片』が、置かれていた場所なのだろう。だが、今は、もぬけの殻だった。


「……何者かに、持ち去られた後、か」

アレクサンダーが、悔しそうに、呟く。


その時だった。

カシャ、カシャ、カシャ……。

ホールの、四方八方から、無数の、金属音が、響き渡った。


音のする方を見ると、そこには、通路の奥から、次々と、姿を現す、骸骨の兵士たちが、いた。

その数は、ざっと見て、五十体以上。

その手には、錆びついた、剣や、槍を持ち、眼窩の奥には、青白い、鬼火が、揺らめいている。


「スケルトン・ソルジャーの、大群……! まだ、これほどの数が、残っていたとは!」

アレクサンダーが、剣を構え直す。


「皆さん、気をつけて! 数が多いですわ!」

セラフィーナも、杖を構える。


レオナルドが、叫んだ。

「罠です! このホールは、我々を、誘い込むための、罠だったのです!」


スケルトンの大群が、じりじりと、俺たちを、包囲していく。

その、無機質で、無感情な、死の軍勢。

その光景に、俺の、風邪で弱った精神は、完全に、限界を迎えていた。


(……気持ち、悪い……。吐きそう……)


強烈な、吐き気と、めまい。

俺は、もう、立っていることすら、できなかった。

何か、寄りかかるものを……。


俺は、ふらふらと、一番、近くにあった、壁際の、巨大な、女神の石像へと、歩み寄った。

そして、その、冷たい石の感触に、体を、預けようとした。


その、俺の、何気ない行動。

それが、この状況を、一変させる、神の一手(という名の、ただの事故)となることを、俺は、まだ、知らなかった。


俺が、石像に、もたれかかった、その瞬間。

ゴッ、と。鈍い音がして、石像が、わずかに、後ろに、傾いた。

それは、長年の、風化によって、もろくなっていた、古代の、仕掛けのスイッチだったのだ。


ガコン!


次の瞬間、俺たちの足元の床が、いくつかの、ブロックに分かれて、せり上がり始めた。

そして、同時に、天井からも、同じように、石のブロックが、下降してくる。


「な、なんだ、これは!?」

アレクサンダーが、驚きの声を上げる。


床と、天井のブロックは、複雑に、上下し、まるで、巨大な、立体パズルのように、ホール全体を、作り変えていく。

それは、この遺跡に、侵入した者を、閉じ込め、圧殺するための、古代の、高度な、防衛トラップだった。


スケルトンの軍勢は、突然の、地形の変化に、混乱し、その動きを、止めた。

そして、その、動きを止めた、スケルトンたちの、頭上から、あるいは、足元から、容赦なく、石のブロックが、迫る。


ゴシャッ!

バキッ!

グシャアッ!


断末魔の悲鳴すら、上げることなく、スケルトンの軍勢は、次々と、遺跡の防衛トラップによって、粉砕され、ただの、骨の欠片へと、変わっていった。


わずか、数十秒後。

あれほど、いた、スケルトンの大群は、一体も、残っていなかった。

後に残されたのは、複雑に、組み上がった、石の迷路と、その中心で、呆然と、立ち尽くす、俺たちだけだった。


仲間たちが、信じられないものを見る目で、俺を、振り返った。

俺は、ただ、石像に、寄りかかったまま、荒い息を、ついているだけだった。


レオナルドが、震える声で、言った。

「……遺跡の、防衛システムを、逆利用して、敵を、一掃する……。それも、ただ、石像に、触れただけで……」

彼は、その場で、崩れ落ちた。

「……もはや、私の、矮小な、知識では、貴方様の、御業を、解説することすら、おこがましい……」


アレクサンダーとセラフィーナは、言葉もなく、ただ、俺の前に、ひざまずいていた。

彼らは、もはや、俺を、神として、崇めることすら、超越して、ただ、その存在に、ひれ伏すことしか、できなかったのだ。


俺は、強烈な、吐き気と、自己嫌悪に、苛まれていた。


(俺は、ただ、気持ち悪くて、壁に、寄りかかろうとしただけなのに……。なんで、こうなるんだ……)


俺は、込み上げてくるものを、必死に、こらえながら、いつものように、力なく、呟いた。


「…………うす」


その一言が、仲間たちには、「すべて、計算通りだ。次へ、進むぞ」という、あまりにも、頼もしい、神の号令として、聞こえたのだった。

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