神の風邪と遺跡の罠
俺の、盛大なくしゃみ一つ。
それが、古代遺跡ザルツブルグに漂っていた、千年の邪気を一瞬にして浄化する、『聖なる息吹』として、仲間たちの脳内に、新たな神話として刻み込まれてしまった。
もちろん、俺、相川静の体は、そんな神々しい力とは、全く無縁だ。
それどころか、悪化の一途をたどっていた。
喉の痛みは増し、頭は、熱を持ったように、ぼーっとしている。間違いなく、本格的に、風邪をひいてしまった。
(……最悪だ。異世界に来て、風邪をひくなんて……。日本の、市販の風邪薬が、今、喉から手が出るほど、欲しい……)
俺が、そんな、あまりにも、現実的な苦痛に耐えていると、仲間たちは、俺が浄化した(ことになっている)遺跡の入り口に、厳かな面持ちで、立っていた。
「空気が……澄んでいる」
勇者アレクサンダーが、驚きの声を漏らす。
「あれほど、淀んでいた、死の気配が、完全に、消え去っている。これならば、アンデッドの魔物たちも、その力を、大幅に、削がれているはずだ。すべては、サイレントキラー様のおかげだな」
「ええ。戦いが始まる前に、まず、戦場そのものを、我々にとって、有利な環境へと作り変える……。その、深淵なる、ご配慮。感謝の言葉も、見つかりませんわ」
聖女セラフィーナが、うっとりとした表情で、俺を見つめる。
俺は、ただ、寒気がする体を、必死に、さすっていた。
その、俺の、小刻みな震えが、仲間たちの目には、「これから始まる戦いを前に、その御身に、闘気を、漲らせている」ように、映っていたらしい。
「さあ、行こう!」
アレクサンダーが、聖剣を抜き、号令をかける。
「サイレントキラー様が、切り開いてくださった、この道を! 我々が、進むのだ!」
こうして、俺たちは、ついに、古代遺跡ザルツブルグの、内部へと、足を踏み入れた。
俺の、悪化していく体調と、仲間たちの、天井知らずの勘違いを、道連れにして。
◆
遺跡の内部は、まるで、巨大な、石の迷宮だった。
崩れかけた、太い柱。
苔むした、壁。
そして、どこまでも続くかのような、薄暗い、通路。
天井の崩落した部分から、時折、光が差し込んでいるが、それが、逆に、遺跡の、不気味さを、際立たせていた。
「……静かですね」
セラフィーナが、周囲を警戒しながら、囁く。
「あれほどの邪気に満ちていた場所です。アンデッドの魔物が、うじゃうじゃと、いるかと思っていましたが……」
「サイレントキラー様の、『聖なる息吹』の効果でしょう」
賢者レオナルドが、冷静に、分析する。
「邪気を糧とする、下級のアンデッドたちは、おそらく、この、清浄な空気に耐えきれず、すでに、浄化されてしまった。あるいは、遺跡の、さらに、奥深くへと、逃げ込んだか……。いずれにせよ、我々が、進みやすい状況であることに、変わりはありません」
(……頭が、痛い。ガンガンする……)
俺は、もはや、彼らの会話に、内心で、ツッコミを入れる気力すら、残っていなかった。
ただ、ぼーっとする頭で、ふらつく足を、必死に、前に、進めるだけだった。
時折、襲ってくる、めまいに、俺は、壁に、手をついて、なんとか、倒れるのを、こらえた。
その、俺の、おぼつかない足取り。
それが、仲間たちには、「遺跡の、微細な、魔力の流れや、罠の気配を、足の裏で、感じ取りながら、慎重に、進んでいる」ように、見えていた。
どれくらい、歩いただろうか。
俺たちは、一つの、広大な、ホールのような場所に、たどり着いた。
そのホールの、中央には、巨大な、石の台座があり、その上には、何か、宝石のようなものが、安置されていた痕跡があった。おそらく、あれが、アーティファクトの『欠片』が、置かれていた場所なのだろう。だが、今は、もぬけの殻だった。
「……何者かに、持ち去られた後、か」
アレクサンダーが、悔しそうに、呟く。
その時だった。
カシャ、カシャ、カシャ……。
ホールの、四方八方から、無数の、金属音が、響き渡った。
音のする方を見ると、そこには、通路の奥から、次々と、姿を現す、骸骨の兵士たちが、いた。
その数は、ざっと見て、五十体以上。
その手には、錆びついた、剣や、槍を持ち、眼窩の奥には、青白い、鬼火が、揺らめいている。
「スケルトン・ソルジャーの、大群……! まだ、これほどの数が、残っていたとは!」
アレクサンダーが、剣を構え直す。
「皆さん、気をつけて! 数が多いですわ!」
セラフィーナも、杖を構える。
レオナルドが、叫んだ。
「罠です! このホールは、我々を、誘い込むための、罠だったのです!」
スケルトンの大群が、じりじりと、俺たちを、包囲していく。
その、無機質で、無感情な、死の軍勢。
その光景に、俺の、風邪で弱った精神は、完全に、限界を迎えていた。
(……気持ち、悪い……。吐きそう……)
強烈な、吐き気と、めまい。
俺は、もう、立っていることすら、できなかった。
何か、寄りかかるものを……。
俺は、ふらふらと、一番、近くにあった、壁際の、巨大な、女神の石像へと、歩み寄った。
そして、その、冷たい石の感触に、体を、預けようとした。
その、俺の、何気ない行動。
それが、この状況を、一変させる、神の一手(という名の、ただの事故)となることを、俺は、まだ、知らなかった。
俺が、石像に、もたれかかった、その瞬間。
ゴッ、と。鈍い音がして、石像が、わずかに、後ろに、傾いた。
それは、長年の、風化によって、もろくなっていた、古代の、仕掛けのスイッチだったのだ。
ガコン!
次の瞬間、俺たちの足元の床が、いくつかの、ブロックに分かれて、せり上がり始めた。
そして、同時に、天井からも、同じように、石のブロックが、下降してくる。
「な、なんだ、これは!?」
アレクサンダーが、驚きの声を上げる。
床と、天井のブロックは、複雑に、上下し、まるで、巨大な、立体パズルのように、ホール全体を、作り変えていく。
それは、この遺跡に、侵入した者を、閉じ込め、圧殺するための、古代の、高度な、防衛トラップだった。
スケルトンの軍勢は、突然の、地形の変化に、混乱し、その動きを、止めた。
そして、その、動きを止めた、スケルトンたちの、頭上から、あるいは、足元から、容赦なく、石のブロックが、迫る。
ゴシャッ!
バキッ!
グシャアッ!
断末魔の悲鳴すら、上げることなく、スケルトンの軍勢は、次々と、遺跡の防衛トラップによって、粉砕され、ただの、骨の欠片へと、変わっていった。
わずか、数十秒後。
あれほど、いた、スケルトンの大群は、一体も、残っていなかった。
後に残されたのは、複雑に、組み上がった、石の迷路と、その中心で、呆然と、立ち尽くす、俺たちだけだった。
仲間たちが、信じられないものを見る目で、俺を、振り返った。
俺は、ただ、石像に、寄りかかったまま、荒い息を、ついているだけだった。
レオナルドが、震える声で、言った。
「……遺跡の、防衛システムを、逆利用して、敵を、一掃する……。それも、ただ、石像に、触れただけで……」
彼は、その場で、崩れ落ちた。
「……もはや、私の、矮小な、知識では、貴方様の、御業を、解説することすら、おこがましい……」
アレクサンダーとセラフィーナは、言葉もなく、ただ、俺の前に、ひざまずいていた。
彼らは、もはや、俺を、神として、崇めることすら、超越して、ただ、その存在に、ひれ伏すことしか、できなかったのだ。
俺は、強烈な、吐き気と、自己嫌悪に、苛まれていた。
(俺は、ただ、気持ち悪くて、壁に、寄りかかろうとしただけなのに……。なんで、こうなるんだ……)
俺は、込み上げてくるものを、必死に、こらえながら、いつものように、力なく、呟いた。
「…………うす」
その一言が、仲間たちには、「すべて、計算通りだ。次へ、進むぞ」という、あまりにも、頼もしい、神の号令として、聞こえたのだった。
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