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神託の旅路と風の悪戯

黒鉄の鉱山都市ダグダでの、熱狂と歓喜の一夜が明けた。

俺、相川静のただのあくびが、次なる目的地を指し示す『神託』として、仲間たちの間で絶対的なものとなってしまった、その翌朝のことだ。


俺たちは、街中の人々からの、熱狂的な見送りを受けながら、ダグダの街を後にした。

「救世主様! どうか、ご無事で!」

「古代遺跡の魔物なんぞ、貴方様の敵ではありますまい!」

「我らが神、サイレントキラー様に、栄光あれ!」


その声援は、もはや、ただの期待ではなかった。それは、絶対的な存在に対する、信仰そのものだった。その、あまりにも重い信仰心を一身に浴びながら、俺は、王家が用意した豪華な馬車の中で、再び、死んだ魚のような目になっていた。


「しかし、驚きました。まさか、サイレントキラー様の、あの『あくび』に、それほど、深い意味が隠されていたとは……」

馬車の中で、聖女セラフィーナが、感嘆のため息をついた。


賢者レオナルドは、もはや、彼の知識の及ばない存在となった俺を、畏敬の念で見つめながら、静かに頷く。

「ええ。我々凡人は、言葉や、文字で、情報を伝達する。ですが、彼ほどの領域に達した御方は、違うのです。あくび、咳払い、瞬き……。その、ごく自然な生理現象の一つ一つに、我々が、一生かかっても、解き明かせないほどの、膨大な情報が、含まれている。我々は、その神託の、ほんの欠片を、垣間見ることができたに過ぎないのです」


(違う! ただ、眠かっただけだって! 深読みしすぎだよ、この人たち!)


俺が、内心で、必死に訂正していると、勇者アレクサンダーが、地図を広げながら、決意を新たにした。

「古代遺跡ザルツブルグ……。そこに眠るという、アーティファクトの『欠片』。それを、手に入れることが、魔王討伐への、次なる鍵となるのだな。サイレントキラー様、貴方様が、我々を導いてくださる限り、我々に、敗北はありません!」


三人の、あまりにも、純粋で、そして、揺るぎない、勘違い。

俺は、もう、何も言えなかった。ただ、ソファの隅で、体育座りをし、自分の存在感を、可能な限り、消すことだけに、集中していた。



ダグダから、古代遺跡ザルツブルグまでは、馬車で、およそ五日の道のりだという。

旅は、最初の二日間、比較的、穏やかに進んだ。

ダグダでの一件が、すでに、周辺地域にも伝わっているのか、魔物の類は、俺たちの馬車を見るなり、蜘蛛の子を散らすように、逃げていく。山賊や、追い剥ぎの類も、影すら見せない。


それは、俺にとって、非常に、ありがたいことだった。

何事も、起こらない。

それが、一番だ。


俺は、馬車の窓から、流れていく景色を、ぼんやりと眺めていた。

どこまでも続く、緑の平原。

緩やかに起伏する、丘。

その光景は、俺の心を、少しだけ、穏やかにしてくれた。


(このまま……。このまま、何も起こらずに、旅が終わればいいのに……)


そんな、俺の、ささやかな願い。

それが、この世界で、最も、叶えられにくい願いであることを、俺は、またしても、思い知らされることになる。


旅の三日目。

俺たちが、見渡す限り、遮るもののない、大平原を走っていた、その時だった。


びゅうううううっ!


突如として、猛烈な風が、馬車を襲った。

それは、ただの、強い風ではなかった。まるで、意志を持っているかのように、鋭く、そして、ねじれるような、異常な突風。最新鋭の魔導馬車が、その風に煽られ、ギシリ、と、嫌な音を立てて、大きく揺れた。


「な、なんだ、この風は!?」

アレクサンダーが、体勢を立て直しながら、叫ぶ。


レオナルドは、窓の外を、険しい表情で睨みつけた。

「……自然の風では、ありません。極めて、高密度の、魔力が、含まれている。何者かが、遠隔から、我々を、攻撃しているのです!」


「まさか、魔王軍の、新たな刺客!?」

セラフィーナの顔に、緊張が走る。


その、異常な突風は、一度だけでは、終わらなかった。

第二波、第三波と、立て続けに、馬車を襲う。その度に、馬車は、今にも、横転しそうなほど、激しく、揺さぶられた。


(やばい、やばい、やばい! 酔う! これ、絶対に、酔うやつだ!)


俺は、三半規管が、あまり、強くない。

この、不規則で、暴力的な揺れに、俺の胃は、すでに、限界を訴え始めていた。

込み上げてくる、吐き気。

俺は、必死に、それを、こらえた。


何か、何か、気を紛らわすものを……。

俺は、無意識のうちに、ポケットを探っていた。

そして、指先に、一枚の、カサカサとした、感触が、触れた。

例の、板チョコの、銀紙だった。


俺は、それを、お守りのように、握りしめた。

その時、またしても、最大級の突風が、馬車を襲った。

俺の体が、大きく、浮き上がる。


「あっ!」


俺の手から、握りしめていた銀紙が、ひらりと、舞い上がった。

そして、それは、開いていた窓から、風に乗り、外へと、吸い出されてしまったのだ。


(あ! 俺の、銀紙が!)


それは、ただのゴミだ。

だが、今の俺にとっては、日本と、自分を繋ぐ、数少ない、大切な、遺物だった。

俺は、ほとんど、本能的に、馬車のドアを開け、外に飛び出していた。


「サイレントキラー様! 危ない!」

アレクサンダーの、制止の声も、耳に入らない。


風に舞う、銀紙。

俺は、それを、必死に、追いかけた。

だが、銀紙は、まるで、俺を、嘲笑うかのように、風に乗り、ひらひらと、舞い続ける。


俺は、焦った。

そして、足元の、石に、気づかなかった。


ガンッ!


俺は、盛大に、つまづいた。

そして、前のめりに、転んだ。


ズザザザザザッ!


俺の体は、地面を、無様に、滑っていく。

その時、俺が、転んだ衝撃で、乾いた地面の、大量の土埃が、高く、舞い上がった。


それは、まるで、煙幕のように、俺たちの周囲に、濃い、土埃の壁を、作り出した。


そして、その、土埃の壁が、巻き起こった、まさに、その瞬間。

俺たちがいた場所を、目にも留まらぬ速さで、いくつもの、緑色の、風の刃が、通り過ぎていったのだ。


もし、俺が、転んでいなければ。

もし、この、土埃の壁が、なければ。

俺たちは、今頃、その、風の刃によって、切り刻まれていたかもしれない。


風が、止んだ。

土埃が、ゆっくりと、晴れていく。


後に残されたのは、地面に、深く、鋭く、刻まれた、無数の、斬撃の跡。

そして、その中心で、膝と、肘を、すりむいて、涙目になっている、俺だけだった。


仲間たちが、息を呑んで、俺の元へと、駆け寄ってくる。

彼らの目は、もはや、俺を、神としてすら、見ていなかった。

それは、世界の理を、書き換える、創造主そのものを、見る目だった。


レオナルドが、震える声で、言った。

「……すべて、お見通しだったのですね……。敵の、不可視の、風の刃による攻撃を……」

彼は、俺が落とした、銀紙を、指さした。


「貴方様は、まず、あの、軽い銀紙を、風に放つことで、我々には、見ることのできない、風の流れ、魔力の流れを、完璧に、可視化した。そして、敵の攻撃が、着弾する、その、コンマ一秒の、刹那。自らの、身を挺して、転倒し、その衝撃で、土埃の壁を作り出し、我々全員の、身を、お守りになられた……」


「なんという、神速の、判断力……。なんという、自己犠牲の、精神……。そして、なんという、完璧な、カウンター戦術……」


レオナルドは、その場で、崩れ落ちた。

「……完敗です。我々は、貴方様の、足元にも、及ばない……」


アレクサンダーも、セラフィーナも、言葉もなく、ただ、俺の前に、ひざまずいていた。


俺は、すりむいた膝の痛みに、耐えながら、心の中で、叫んだ。


(違う! 俺は、ただ、ゴミを追いかけて、転んだだけだって!)


俺は、痛む膝を、さすりながら、いつものように、力なく、呟いた。


「…………うす」


その一言が、仲間たちには、「この程度の傷、問題ない。それよりも、次なる敵に、備えよ」という、あまりにも、気高い、英雄の言葉として、聞こえたのだった。

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