決戦のゴングと神の一投
決戦の日の正午。
黒鉄の闘技場は、異様な静寂に包まれていた。
円形の観客席は、ダグダの住民たちで埋め尽くされている。だが、誰一人として、声を発しない。皆が、恐怖と絶望に顔をこわばらせ、これから始まる一方的な処刑を、ただ待っているかのようだった。
闘技場の中心、乾いた砂の上に立つ俺、相川静の心臓は、今にも張り裂けそうだった。
目の前には、山のように巨大な男が立っている。魔王軍幹部、『剛腕のゴライアス』。その体は、鋼の筋肉で覆われ、ただそこにいるだけで、空間を歪めるほどの威圧感を放っていた。
(……帰りたい。日本に、帰りたい)
俺の脳内は、その言葉だけで、埋め尽くされていた。
隣に立つ勇者アレクサンダーが、俺の耳元で囁く。
「サイレントキラー様。計画通り、いつでも合図を。我らが、この街を兵器に変え、奴を葬り去ります」
(計画なんて、ないって!)
俺たちの後方では、聖女セラフィーナが静かに祈りを捧げ、賢者レオナルドが街の構造図を片手に、崩落のタイミングを精密に計算している。彼らは、本気だった。俺が、この街を破壊する張本人だと、信じて疑っていない。
ゴライアスが、獰猛な笑みを浮かべた。
「来たか、もやしっ子。てめえが、サイレントキラーか。噂に聞いてりゃ、神だの英雄だの、笑わせるぜ。俺様のこの『剛腕』の前では、神だろうが悪魔だろうが、ただの肉塊だ」
彼は、ゴキリ、と拳を鳴らした。その音だけで、空気がビリビリと震える。観客席の端から、小さな悲鳴が上がった。
「さあ、始めようぜ。てめえが死ぬまでの、一方的なショーをな!」
ゴライアスが、地響きを立てて突進してくる。その巨体からは、想像もつかないほどの速度。逃げ場はない。死が、巨大な壁となって、俺に迫る。
(死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ!)
俺の頭は、完全に真っ白になった。パニックが、思考を焼き切る。恐怖に支配された体が、勝手に動いた。俺は、何かを投げつけようとしたのかもしれない。あるいは、ただ、この場から、逃げ出したかっただけなのかもしれない。
俺は、無意識に、足元に転がっていた、親指の先ほどの小さな石ころを、拾い上げていた。
それは、何の変哲もない、ただの石ころ。
俺は、それを、迫り来るゴライアスに向かって、力いっぱい、投げつけた。
つもりだった。
俺の手から放たれた石は、あまりにも弱々しく、情けない放物線を描いて、ゴライアスのはるか手前の地面に、ぽとりと落ちるはずだった。
だが、その瞬間、奇跡が起きた。
俺の投げた石は、なぜか、闘技場の壁に当たり、カンッ、という軽い音を立てて跳ね返った。跳ね返った石は、ゴライアスの巨大な鎧の肩の部分に当たり、再び、角度を変えた。それは、まるで、計算され尽くしたビリヤードの玉のように、何度も、何度も、鎧の上を跳ね回った。
カン、カカン、カンカンッ。
誰もが、その光景に、目を奪われた。ゴライアス自身も、自分の鎧の上で、コミカルに踊る、小さな石の動きに、一瞬だけ、気を取られた。
そして、その石が、最後にたどり着いた場所。
それは、ゴライアスの兜。その目の部分にある、ほんの数ミリの、呼吸用のスリットだった。
カチン。
小さな、小さな音がした。
石ころが、そのスリットに、まるで吸い込まれるように、すっぽりと、収まったのだ。
ゴライアスの、巨大な体が、ぴたりと、止まった。
突進の勢いのまま、前のめりに固まる。
闘技場にいる、すべての者が、息を呑んで、その瞬間を見守った。
やがて、ゴライアスの巨体が、ゆっくりと、ゆっくりと、前に傾き始めた。
そして。
ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!
大地を揺るがすほどの轟音と共に、剛腕のゴライアスは、顔面から、闘技場の砂に突っ伏した。
その巨体は、一度も、ぴくりとも、動かなかった。
静寂。
完全な静寂が、闘技場を支配した。
魔王軍幹部、『剛腕のゴライアス』。その圧倒的な力で、ダグダの街を恐怖に陥れた、絶対的な強者。その男が、たった一投の、小さな石ころによって、倒された。
観客席の誰かが、ごくりと唾を飲む音が、やけに大きく聞こえた。
やがて、一人が、また一人と、その場に、立ち上がり始めた。
そして、次の瞬間。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」
割れんばかりの、いや、天を突き破るほどの、大歓声が、闘技場を揺るがした。
人々は、泣いていた。笑っていた。抱き合っていた。絶望からの解放。その歓喜が、爆発していた。
その熱狂の中心で、俺は、石を投げた姿勢のまま、ただ、固まっていた。
俺が投げた石が、なぜ、あんな動きをしたのか。なぜ、ゴライアスが倒れたのか。何一つ、理解できなかった。
仲間たちが、震える足で、俺に駆け寄ってくる。
その目は、もはや、神を見る目ですらなかった。
それは、神を創造した何か、世界の理そのものを、目の当たりにした者の目だった。
レオナルドが、その場で、崩れ落ちるように、膝をついた。
「……なんということだ……。我々の計画など……。街を兵器にするなどという、我々の、浅はかな考えなど……。すべては、この一投のための、余興だったというのか……」
アレクサンダーが、天を仰いだ。
「これが……。これが、サイレントキラー様の、戦い……。一撃……。たった一撃で、すべてを終わらせる……。我々は、神話の誕生に、立ち会っているのだ……」
セラフィーナは、ただ、涙を流しながら、俺に向かって、深く、深く、頭を下げていた。
俺は、何も言えなかった。
ただ、歓喜に沸く群衆と、畏敬に震える仲間たちに囲まれながら、いつものように、か細い声で、呟くことしか、できなかった。
「…………うす」
その一言が、この日、この国で、新たな神が誕生したことを告げる、最初の神託として、永遠に語り継がれることになったのを、俺はまだ、知らなかった。
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