神託の行方と次なる目的地
二度目の意識喪失から、俺、相川静が目を覚ました時、最初に感じたのは、柔らかな羽毛布団の感触と、額に乗せられた、ひんやりと心地よい濡れタオルの感触だった。
「……よかった。お気づきになられましたか、サイレントキラー様」
耳元で、聖女セラフィーナの、透き通るような優しい声がした。薄目を開けると、彼女が心底安堵したという表情で、俺の顔を覗き込んでいる。その姿は、まるで天使のようだった。もし、ここが天国で、彼女が本物の天使ならば、どれほど良かっただろうか。
しかし、現実は非情だ。俺の視界の隅には、テーブルの上に鎮座する、あの忌まわしい『岩のこぶし』が、変わらずに存在感を放っている。
(……現実だ。やっぱり、夢じゃなかった……)
俺は、三度目の絶望に、もはや何の感情も湧いてこなかった。ただ、無だった。虚無。それが、今の俺の心を、最も的確に表す言葉だった。
「全く、人騒がせな方だ。敵将からの挑戦状(と彼らは思っている)を受けただけで、二度も気絶するとは」
部屋の隅の方から、勇者アレクサンダーの、呆れたような、しかし、どこか楽しそうな声が聞こえる。
「無理もありませんわ、アレク。あれほどの強大な魂が共鳴すれば、その御身にかかる負担も、我々の想像を絶するものでしょう」
セラフィーナが、俺をかばうように言う。
賢者レオナルドは、腕を組んで、テーブルの上の『岩のこぶし』を、難しい顔で睨んでいた。
「問題は、これからどう動くか、です。敵は、挑戦状を叩きつけてきた。我々は、それに応えねばなりません。しかし、その『剛腕のゴライアス』が、どこにいるのか……」
そうだ。それが、問題だった。
俺が、ゴライアスとかいう魔王軍幹部と、直接対決することが、なぜか決定してしまった。だが、その相手がどこにいるのか、誰も知らない。
(知らないなら、好都合だ。このまま、見つからずに、話が立ち消えになってくれれば……)
そんな、俺の淡い、淡い期待。
それを、アレクサンダーは、一刀両断にした。
「心配ない。サイレントキラー様が、我々と共におられるのだ。敵の居場所など、彼にとっては、掌を指すようなものだろう」
(させません! そんな無茶ぶり、絶対にさせませんから!)
俺は、ベッドの上で、必死に首を横に振った。
しかし、その動きは、仲間たちには、全く違う意味で伝わったようだった。
「……なるほど」
レオナルドが、深く頷いた。
「『我に頼るな。お前たち自身で、まずは考え、行動せよ』……。そういうことですね、サイレントキラー様。我々の主体性を、試しておられるのだ」
(違う! 試してない! ただ、俺には何もできませんっていう、全力のギブアップ宣言だよ!)
俺の意思は、もはや、このパーティー内では、正常に伝わることを完全に放棄したらしい。
アレクサンダーは、「よし!」と気合を入れると、部屋の壁に掛けられていた、巨大な王国全土の地図の前に立った。
「レオ、何か、ゴライアスに関する情報はないのか。『全知の書』ならば、奴の根城くらい……」
「それが、ダメなのです」
レオナルドは、悔しそうに首を振った。
「魔王軍の幹部クラスは、強力な魔力障壁によって、その情報を守っています。『全知の書』をもってしても、『ゴライアスは、現在、王国の南方に位置する』という、極めて曖昧な情報しか、引き出せませんでした」
地図の上で、レオナルドが、王国の南半分を、大きく円で囲む。
あまりにも、広大すぎる範囲だった。
「南方、か……。これでは、探しようがないな……」
アレクサンダーが、腕を組んで唸る。
その時だった。
俺は、喉の渇きを覚えた。二度も気絶したのだ。無理もない。
ベッドサイドのテーブルに、水差しと、グラスが置かれているのが見えた。
俺は、ゆっくりと、ベッドから体を起こした。
その、俺のわずかな動きに、三人の視線が、一斉に集中する。
(な、なんだよ……。ただ、水が飲みたいだけなんですけど……)
その、突き刺さるような視線に、俺の体は、再び、硬直する。
しかし、喉の渇きは、生理的な欲求だ。俺は、意を決して、ベッドから降り、テーブルへと、歩み寄った。
俺が、グラスに水を注ごうと、手を伸ばした、その瞬間。
緊張と、気まずさで、俺の手が、滑った。
ガシャン!
グラスが、床に落ち、派手な音を立てて、砕け散った。
飛び散った水滴が、近くにあった、アレクサンダーの地図に、いくつかの染みを作った。
「「「あっ!」」」
三人が、同時に、短い悲鳴を上げる。
俺は、やってしまった、という罪悪感で、その場でフリーズした。
(すみません、すみません、すみません……! わざとじゃないんです……!)
俺が、心の中で、必死に謝罪していると、レオナルドが、震える声で、呟いた。
「……まさか……」
彼は、ゆっくりと、地図に近づくと、水滴が作った、いくつかの染みを、食い入るように見つめた。
染みは、全部で三つ。
王国の南方に位置する、『バルトスの山脈』、『古代遺跡ザルツブルグ』、そして、『黒鉄の鉱山都市ダグダ』。
その三点を、正確に、濡らしていた。
レオナルドの顔から、血の気が引いていく。
彼は、信じられないものを見る目で、俺と、地図を、交互に見比べた。
「……そういうことか……。そういうことだったのか……」
彼は、何かを悟ったように、天を仰いだ。
「我々が、あまりにも、愚かだった……。ゴライアスの居場所を、必死に探そうとしていた、我々の姿……。貴方様の目には、さぞ、滑稽に映っていたことでしょう」
(滑稽とか、思ってませんけど……)
レオナルドは、興奮を抑えきれない様子で、アレクサンダーとセラフィーナに、早口で説明を始めた。
「いいですか! サイレントキラー様は、我々に、答えを示してくださったのです! 彼が、わざとグラスを落とし、その水滴で、地図上の三点を、正確に指し示した! これは、偶然などでは、断じてない!」
(偶然です! 100パーセント、ただの事故です!)
「この三つの地点……。バルトス山脈、ザルツブルグ遺跡、そして、ダグダ鉱山。この三つに、ゴライアスは、同時に、何らかの形で、関与している! おそらくは、彼の軍勢を、三つに分けて、潜伏させているのでしょう! そして、我々が、そのどれか一つに向かえば、残りの二つの軍勢が、手薄になった王都を襲う……。そういう、三面作戦に違いありません!」
レオナルドの、あまりにも、飛躍しすぎた推理。
しかし、アレクサンダーとセラフィーナは、その言葉に、完全に納得してしまっていた。
「なんと……! 敵は、それほど、狡猾な策を……!」
「それを、サイレントキラー様は、一瞬で、見抜かれたというのですか……」
三人の、尊敬と、畏敬の念が、再び、俺へと向けられる。
俺は、もう、弁解する気力もなかった。
ただ、床に散らばった、ガラスの破片を、呆然と見つめるだけだった。
アレクサンダーが、俺の前に、再び、片膝をついた。
その目は、絶対的な信頼に満ちている。
「サイレントキラー様。我々の、進むべき道をお示しくださり、心より、感謝いたします。して、この三つの地点、我々は、まず、どこへ向かうべきでしょうか。どうか、最後のご神託を……」
(神託とかじゃないから!)
俺は、もう、どうにでもなれ、という気分だった。
どうせ、俺が何をしても、彼らは、勝手に、都合のいいように、解釈するのだ。
俺は、ただ、早く、この場を収めて、部屋の隅で、一人になりたかった。
俺は、床に落ちた、ガラスの破片を、指さした。
「これを、片付けてほしい」という、ただ、それだけの、意思表示。
しかし、俺の指が、偶然、指し示した先。
それは、水に濡れた地図の、三つの地点のうちの一つ。
『黒鉄の鉱山都市ダグダ』だった。
俺の指先を見た、アレクサンダーの顔が、決意に満ちたものに変わった。
「……ダグダ。承知いたしました」
彼は、すっくと立ち上がると、仲間たちに向かって、高らかに宣言した。
「聞け! 我々の、次なる目的地は、黒鉄の鉱山都市ダグダだ! サイレントキラー様のご神託は下った! 魔王軍幹部、剛腕のゴライアスを討ち、その野望を打ち砕くぞ!」
こうして、俺の、次なる受難の旅路は、俺が、ただ、割れたグラスの片付けを、お願いしようとした、その一瞬のジェスチャーによって、決定されてしまったのだった。
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次回は8月23日(土)19時更新予定です。
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