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救世主の誕生と豪華すぎる牢獄

国王陛下の高らかな宣言が、謁見の間に響き渡った。俺の「うす」という、ただ一言の呻きが、魔王討伐という壮大な誓いとして、この国の歴史に正式に刻まれてしまった瞬間だった。


「うおおおおおおおっ!」


地鳴りのような歓声が、俺の体を叩く。大臣たちが感極まったように叫び、騎士たちが祝福の意を込めて剣を掲げる。その熱狂の渦の中心で、俺、相川静は、ただ一人、魂が肉体から抜け出てしまったかのように、呆然と立ち尽くしていた。


(違う……。そんなつもりじゃ、なかったのに……)


俺の心の声は、この熱狂の中では、あまりにも無力だった。興奮に顔を上気させた王が、再び俺に歩み寄ってくる。その瞳には、もはや、狂信的とすら言える光が宿っていた。


「おお、救世主殿。貴殿のその気高き覚悟、このリチャード、生涯忘れぬぞ。そして、貴殿の魔王討伐という聖なる旅路を、我がグランツ王国が全力で支援することを、ここに約束しよう」


王はそう言うと、隣に控える宰相に、威厳をもって目配せした。宰相は、恭しく一歩前に進み出ると、手にしていた羊皮紙の巻物を広げ、朗々と読み上げた。


「沈黙の英雄、サイレントキラー様には、王都の一等地にある『沈黙のちんもくのみや』を贈呈いたします。今後の活動拠点として、ご自由にお使いいただきたい。また、ご滞在に必要なものは、食料から衣服、その他一切、すべて王家がご用意いたします」


(ちんもくのみや? いらない、そんなもの……。俺の家は、家賃四万五千円の、あの六畳一間で十分なのに……)


俺は、必死に首を横に振った。いらない、という意思を、全身で表現する。しかし、その必死のジェスチャーは、またしても、最悪の勘違いを生む結果となった。


王は、俺のその姿を見て、深く頷いた。

「なんと……。拠点すらも、不要と申されるか。特定の場所に留まらず、宿屋を転々としながら、常に民と同じ目線で世界を救うと……。そのような、お考えなのだな。あまりにも、あまりにも無欲……。なんと気高いことか」


(違う、違う、違う! ただ、豪華な家とか、知らない人に囲まれる環境とか、そういうのが落ち着かないだけなんだ! 人見知りだから、嫌なだけなんだ!)


俺の拒絶は、残念ながら、さらなる尊敬と賞賛を生むだけの燃料にしかならなかった。見かねたアレクサンダーが、俺の耳元でそっと囁く。

「サイレントキラー様。これは、国王陛下からの御心遣いです。無下に断れば、逆に陛下の顔に泥を塗ることになりかねません。ここは、お受けするのが得策かと存じます」


(得策とか、そういう問題じゃないんだよ……。俺の精神が、もう、持たないんだよ……)


しかし、この場の流れの中で、俺に拒否権など存在するはずもなかった。話は勝手に進んでいき、謁見は、俺が『沈黙の宮』とやらを賜る、という形で、幕を閉じた。

謁見の間から解放された。それは、解放という名の、新たな地獄への入り口だった。


謁見の間を出ると、来た時とは、廊下の空気がまるで違っていた。すれ違う騎士たちは、俺の姿を認めるやいなや、その場で一斉に膝をつき、深く頭を垂れる。侍女たちは、壁際に張り付くようにして、俺が通り過ぎるのを待っている。その誰もが、俺を、神か何かを見るような、畏敬の眼差しで見ていた。


(気まずい……。気まずすぎる……。地面に穴を掘って、今すぐ埋まりたい……)


俺は、パーカーのフードを、これ以上ないというほど深くかぶった。もはや、視界のほとんどが闇に閉ざされている。アレクサンダーに肩を引かれ、まるで、意思のない操り人形のように、王城の廊下を歩いていった。


王城の外に出ると、そこには、王家の紋章が金色に輝く、壮麗な馬車が待っていた。昨日まで乗っていたものとは、明らかに格が違う。俺たちはそれに乗り込み、俺のために用意されたという、忌まわしき『沈黙の宮』へと、向かうことになった。



馬車に揺られながら、俺は、死んだ魚のような目をしていた。

アレクサンダーは、未だ興奮冷めやらぬといった様子で、熱っぽく語っている。

「すごいぞ、サイレントキラー様! ついに、我々の活動が、国王陛下直々に認められた! これもすべて、貴方様が我々の仲間になってくださったおかげだ」


セラフィーナは、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

「ですが、お顔の色が優れませんね。やはり、国王陛下の前では、大変お疲れになったのでしょう。あれほどの重圧……。私には、想像もつきませんわ」


レオナルドは、静かに窓の外の景色を見ていた。彼は、もう『静語録』を手にしていない。俺という存在が、彼の知識や分析の範疇を、完全に超えてしまったことを、悟ってしまったからだ。彼はもはや、アナリストではなく、ただの、歴史の目撃者として、そこにいるだけだった。


やがて、馬車が止まる。王都の中でも、ひときわ壮麗な屋敷が立ち並ぶ貴族街の一角。その中でも、一際巨大で、豪華絢爛な屋敷の前に、俺たちは立っていた。門の大きさだけで、俺が日本で住んでいたアパートの建物全体よりも大きい。広大な庭には、芸術的な彫刻の施された噴水まで備え付けられている。これが、『沈黙の宮』。俺の新しい家(という名の、豪華すぎる牢獄)だった。


屋敷の前には、すでに大勢のメイドや執事が、完璧な列をなして、俺たちの到着を待ち構えていた。俺たちの姿を認めるやいなや、その全員が、寸分の狂いもない、完璧な角度で、一斉に頭を下げた。


「「「サイレントキラー様。ようこそ、おいでくださいました」」」


完璧に統率されたその声が、逆に、俺の心を、冷たく締め付けた。


(無理だ……。こんな場所で、暮らせるわけがない……。俺は、一体、どうすればいいんだ……)


屋敷の中に案内される。床は、磨き上げられた大理石。壁には、歴史的価値のありそうな絵画が、ずらりと並んでいる。天井からは、俺のアパートの家賃の、何百年分もしそうな、巨大なシャンデリアが吊り下がっていた。そのすべてが、キラキラと、まばゆい光を放っている。その輝きが、俺の心を、深い、深い、闇へと沈めていった。


案内されたのは、屋敷の一番奥にある、最も豪華な部屋だった。俺の私室として、与えられた場所らしい。部屋の広さは、大学の講義室ほどもあっただろうか。部屋の中央には、天蓋付きの巨大なベッドが鎮座し、大きな窓の外には、王都の美しい景色が、パノラマのように広がっていた。


(……広い。広すぎる……)


俺は、部屋に入るなり、壁際の隅っこに立った。そこが、この広すぎる空間の中で、唯一、落ち着ける気がしたからだ。アレクサンダーたちが、感嘆の声を漏らしながら、部屋に入ってくる。


「素晴らしい部屋じゃないか。さすがは、王家が用意しただけのことはある。ここでなら、ゆっくりと休めるだろう」

アレクサンダーは、満面の笑みでそう言った。俺は、ただ、黙って俯いていた。


セラフィーナが、そっと紅茶のカップを差し出してくる。

「お疲れでしょう。何か、甘いものでもいかがですか? 先日のお菓子、まだ残っておりますわ」

彼女が言う「お菓子」とは、俺が日本から持ってきた、ただの板チョコのことだ。彼らにとっては、いまだに、神秘の霊薬として、大切に保管されているらしい。


俺は、力なく首を横に振った。食欲など、全く湧いてこなかった。

その俺の様子を見て、レオナルドが、静かに口を開いた。


「……彼は、喜んではいないようだ。この、豪華すぎる環境を。むしろ、厭うておられる」


(レオナルドさん……!)

その言葉に、俺の心に、一筋の、ごくわずかな希望の光が差した。

(分かってくれるのか……! 俺の、この気持ちを……!)


しかし、その淡い光は、次の瞬間には、絶望という名の、分厚い雲に覆い隠された。


「当然のことだ」と、レオナルドは続けた。

「彼ほどの存在が、このような、物質的な豊かさに、価値を見出すはずがない。彼にとって、この壮麗な宮殿も、我々凡人が雨風をしのぐための、ただの『道具』に過ぎないのだろう。その道具が、あまりに華美で、無駄が多いことに、心を痛めておられるのだ」


(違う……。そうじゃないんだ……。ただ、落ち着かないだけなんだって……)


俺の最後の希望は、またしても、壮大な勘違いの彼方へと、消え去った。俺はもう何も言えず、ただ、部屋の隅で、石のように固まることしかできなかった。


仲間たちは、俺をそっとしておくのが一番だと判断したらしい。「では、我々は下の階にいますので。何かあれば、お呼びください」と言い残し、部屋を出ていった。


一人きりになった。広すぎる部屋に、ただ一人。俺は、ゆっくりと窓辺に歩み寄った。窓の外には、美しい王都の夜景が広がっている。人々は、俺という、偽りの救世主の誕生に、今頃、沸いているのだろう。だが、俺の心は、どこまでも冷え切っていた。


(帰りたい……)


日本に。あの、狭くて、少し汚れていて、でも、誰にも邪魔されない、俺だけの城だった、六畳一間のアパートに。心から、そう願った。


その時だった。

コンコン、と。部屋のドアが、控えめにノックされた。


びくりとして振り返る。ドアの向こうから、執事らしき老人の、落ち着いた声がした。

「サイレントキラー様。夜分に失礼いたします。貴方様に、お届け物でございます」


(お届け物?)


俺が返事もできずにいると、執事は続けた。

「差出人は……不明でございます。ですが、『北の地の者より』と、そう記されておりました」


執事が、部屋の前に、一つの木箱を置いて、静かに去っていく気配がした。俺は、恐る恐る、その木箱に近づいた。それは、何の変哲もない、ただの木箱だった。


だが、その蓋を開けた瞬間、俺は、自分の目を疑うことになった。


木箱の中に、鎮座していたのは、巨大な、あまりにも巨大な、一つの『こぶし』だった。

それは、岩でできているようだった。人間の頭ほどもある、巨大な岩のこぶし。その表面には、禍々しい紋様が、びっしりと刻まれている。


そして、そのこぶしの下には、一枚の、羊皮紙が添えられていた。

そこには、震えるような、怯えた文字で、こう書かれていた。


『偉大なる破壊神、サイレントキラー様へ』

『我らが長、剛腕のゴライアスより、心ばかりの貢物でございます』

『どうか、お納めくださいませ』

『魔王軍一同より』


俺は、その場で、静かに、意識を手放した。

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