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コミュ障と光るマンホールと「…うす」

新作発表記念!!

今週だけ一挙10話更新!

大学の講義室は、俺にとって最前線であり、処刑台でもあった。


「――というわけで、この部分について、相川君、君はどう思うかな?」


老教授の穏やかな声が、マイクを通してやけにクリアに響き渡る。その瞬間、三百人以上はいるであろう学生たちの視線が、一斉に俺――相川あいかわ しずかへと突き刺さった。心臓が、鷲掴みにされたかのように嫌な音を立てて縮み上がる。


(きた。一番恐れていたやつがきた。なんでだよ。なんで三百人もいる中で俺を指名するんだよ。俺のスキル『気配遮断EX』は発動していなかったのか!? いや、そんなスキル持ってないけど!)


内心で滝のような汗を流しながら、俺はただ固まることしかできない。口を開こうとする。何か、何か言わなければ。「すみません、よく聞いていませんでした」でもいい。「わかりません」でもいい。だが、喉に粘土でも詰まったかのように、声というものが一切出てこない。開いた口からかろうじて漏れ出るのは、「あ、ぅ……」という情けない空気の音だけだ。


周囲から、くすくすという嘲笑と、「またかよ」「あいついつもだよな」という憐憫の混じった囁き声が聞こえてくる。それがさらに俺の全身を硬直させた。教授は困ったように眉を下げ、やがて諦めたように「……では、隣の田中さん」と、次の標的へと移っていった。


解放された安堵と、何もできなかった自己嫌悪で、俺は俯く。これが、俺の日常。極度のコミュニケーション障害。人とまともに会話ができないせいで、友人はおろか、アルバイトすらままならない。唯一の安息の地は、大学から徒歩十五分の場所にある、家賃四万五千円の六畳一間のアパートだけだ。


その日も、俺は逃げるように大学を飛び出し、アパートの自室に転がり込んだ。バタン、とドアを閉め、鍵をかける。この瞬間だけが、俺が唯一、世界と断絶できる時間だった。


「……はぁー、マジで死ぬかと思った。なんで俺なんだよ。絶対あの教授、俺のこと嫌ってるだろ。俺が毎回一番後ろの席の隅っこで、石みたいになってるの知っててやってるだろ。パワハラで訴えたら勝てるか? いや、その前に弁護士と話せないわ。詰んでるわ。人生詰んでるわ!」


誰にも聞かれることのない空間でだけ、俺の内なるツッコミは饒舌になる。パソコンの電源を入れ、ネットの海にダイブする。SNSで流れてくる友人たちのキラキラした大学生活の投稿から目をそらし、ただひたすらに、どうでもいいゴシップ記事や、動物の面白い動画を眺め続ける。それが終われば、オンラインゲームの世界に逃避する。そこでは俺も、無口な凄腕プレイヤーとして(チャットを打つのが遅すぎるだけなのだが)仲間から一目置かれる存在だった。


(明日こそは……。明日こそは、コンビニで肉まん買ったとき、店員さんに『ありがとうございます』ってちゃんと言おう……)


そんな小さな、しかし俺にとってはエベレスト登頂に等しい目標を立てて、眠りにつく。もちろん、翌日にはレジ前で固まった末に無言で商品を受け取り、自己嫌悪に陥るのがお決まりのパターンなのだが。


そんな絶望的なループを繰り返していたある日のこと。その日は珍しく、いつもと違う道でアパートへ帰っていた。少しでも気分を変えようと思った、ほんの気まぐれだった。日が落ちかけた住宅街の、細い路地裏。そこで俺は、奇妙なものを発見した。


マンホールの蓋が、ぼんやりと紫がかった光を放っている。


(……なんだ、あれ)


最初は目の錯覚かと思った。だが、何度まばたきしても、光は消えない。まるで、SF映画に出てくるワープ装置みたいに、内側から妖しい光が漏れ出している。


(最新のイルミネーション……? いや、自治体がこんなマニアックな路地裏でそんなことするか? 不法投棄された発光物? それとも、ついに俺の頭が……?)


好奇心は猫を殺す、という。そして、コミュ障の大学生の平穏も殺すらしかった。俺は、まるで何かに引かれるように、その光るマンホールへと近づいていた。間近で見ると、蓋の隙間から漏れる光は、まるで生き物のように揺らめいている。そして、その表面には見たこともない複雑な紋様が刻まれていた。


(やばい、これ絶対に関わっちゃいけないやつだ……)


頭では警鐘が鳴り響いている。だが、俺の足は言うことを聞かなかった。まるで、この紋様がどんな構造になっているのか確かめなければならない、という強迫観念に駆られたかのように、俺はそっと、スニーカーのつま先で蓋に触れた。


その瞬間だった。


「あ」


声にならない声が出た。足元が、ぐにゃりと歪む。いや、歪んだのは空間そのものだ。マンホールの蓋があった場所には、底なしの闇が口を開けていた。重力に引かれるまま、俺の体は真っ逆さまにその闇へと吸い込まれていく。


(うわああああああああああああああああああ!?)


情けない悲鳴は、もちろん心の中だけで響き渡った。



どれくらいの時間が経ったのか。


次に俺が意識を取り戻した時、そこにいたのは、あまりにも現実離れした空間だった。


床も壁も天井も、すべてが真っ白。どこまで続いているのかも分からない、無限の空間。そして、俺の目の前には、一人の女性が浮いていた。


金色の髪をツインテールにし、やけに露出度の高い、羽衣のようなものをまとった、いわゆるギャルっぽい雰囲気の美女。頭の上には、申し訳程度の天使の輪っかがぷかぷかと浮いている。


(……え、コスプレ? ドッキリ? 俺、なんかやらかした?)


混乱する俺をよそに、その女性はパン、と柏手を打つと、とんでもない勢いの早口でまくしたててきた。


「おはよー! 目ぇ覚めた? 私、異世界管理神の女神アフロディーテ! ま、テキトーに女神ちゃんって呼んでくれていーよ! んで、単刀直入に言うけど、君、死んだわ! いや、正確には死んでないんだけど、元の世界には戻れない的な? あの魔法陣、古代のやつで片道切符なんだよねー。まじウケる!」


「……え?」


「てわけで君、めでたく異世界『アルスファート』に転移決定! パチパチー! で、ただ放り出すのもアレだからさ、お詫びと餞別代わりに、今から君にチートなスキルをあげちゃう! その力で、ちょちょいと魔王倒すの手伝ってちょーだい! はい、じゃあ早速いくよー! 君に授けるスキルは、ゴニョゴニョ……! ま、要はなんかこう、人の多い場所とかで気配を薄くできる便利なやつだから! 使い方はフィーリングで! じゃ、そういうことで、あとはよろしく!」


女神(自称)のマシンガントークは、一息継ぐことなく俺の脳を揺さぶった。情報量が多すぎる。死んだ? 異世界? 魔王? スキル? 何一つ理解が追いつかない。特に、肝心のスキルの部分が、女神の異常な早口と壊滅的な滑舌のせいで、ほとんど聞き取れなかった。


(え? ちょ、なんて? けん……? けはい……きしゃく……? 『気配希釈』……? 人混みとかで気配を薄められる……? それって、俺みたいなコミュ障には地味に、いや、めちゃくちゃありがたいスキルじゃないか? でも、それで魔王を倒せって、無茶ぶりにもほどがあるだろ!)


何かを問いただす暇も、反論する時間も与えられなかった。


「んじゃ、いってらー!」


女神は軽いウインクを一つすると、俺の背中をヒールで思いっきり蹴り飛ばした。再び、体が奈落へと落ちていく感覚。そして、俺の意識はぷつりと途絶えた。



次に目を覚ました時、俺の鼻腔をくすぐったのは、土と草の匂いだった。


見上げれば、鬱蒼と茂る木々の隙間から、見たこともないほど青い空が覗いている。慌てて体を起こすと、自分が広大な森の真ん中にいることに気づいた。服装は、日本にいた時と同じパーカーにジーンズ。手には、なぜかあの時持っていたコンビニの袋が、律儀に握られていた。中身は、飲みかけのお茶と、ポテトチップスの塩味、それから板チョコが一枚。


「…………」


声も出ない。どうやら、あれは夢ではなかったらしい。


(マジか……。マジで異世界に来ちまったのか……。スマホは……圏外、だよな、そりゃ。これからどうしろってんだよ……)


途方に暮れる。サバイバルの知識なんて、テレビで見たことがある程度だ。とりあえず、動かなければ飢え死にする。そう思って立ち上がろうとした、その時だった。


ぐぅぅぅぅ……。


腹の虫が、盛大に鳴いた。そういえば、昼から何も食べていない。極度の緊張と空腹に耐えかね、俺はコンビニ袋の中のポテトチップスに手を伸ばした。せめて、腹ごしらえをしてから考えよう。


袋を開ける。その瞬間、森の中に「パリッ」という、場違いなほど軽快な音が響き渡った。


直後、すぐ近くの茂みがガサガサッと激しく揺れた。びくりとしてそちらを見ると、茂みの中から、緑色の肌をした、醜悪な顔の小鬼――ファンタジー映画で見たことがある、ゴブリンとかいうやつだ――が、涎を垂らしながら姿を現した。手には、さび付いた棍棒を持っている。


(うわ、でたあああああああああああああ!)


全身が凍り付く。恐怖で、指一本動かせない。ゴブリンは、俺という格好の獲物を見つけ、にたりと下卑た笑みを浮かべた。終わった。食われる。俺の異世界ライフ、開始一時間で終了。


そう覚悟した、その時だった。


ゴブリンは、俺を一瞥すると、なぜか「ギッ!?」と短い悲鳴を上げた。そして、まるでこの世の終わりのようなものを見たかのように目を剥き、慌てて踵を返すと、脱兎のごとく森の奥へと逃げ去ってしまったのだ。


「…………え?」


後に残されたのは、ポテチを片手に固まる俺と、静寂だけだった。


(な、なんで……? 俺、そんなにやばい顔してた? それとも、このポテチの塩分が、魔物には毒とか……? いや、そんな都合のいい話……)


訳が分からないまま、俺はポテチを口に運んだ。うん、ただの塩味だ。首を傾げながらも、俺はとりあえず森を抜けるために歩き始めた。


どれくらい歩いただろうか。森を抜けた先には、石造りの城壁に囲まれた、大きな街が見えた。中世ヨーロッパを思わせるその光景に、俺は改めて、自分が本当に違う世界に来てしまったのだと実感した。


しかし、安堵したのも束の間、新たな問題が発生した。街に入るなり、俺の現代的な服装が、人々の奇異の視線を集めまくっているのだ。ジロジロと見られ、ひそひそと噂される。その視線が、俺の胃に突き刺さる。


(やばい、やばい、やばい……! 落ち着け俺! こういう時は、スキルだ! 女神が言ってた『気配希釈』! 気配を薄く……薄く……!)


俺は念じながら、パーカーのフードを目深にかぶり、なるべく人通りの少ない路地裏へと逃げ込んだ。


だが、それは最悪の選択だった。


「おい、そこのお前」


背後から、ドスの利いた声がかかる。振り返ると、そこには見るからにガラの悪い、チンピラ風の男たちが三人、にやにやと下品な笑みを浮かべて立っていた。


「その妙な服、どこで手に入れたんだ? 見ねえデザインだな。高く売れそうだ」

「それによ、その袋ん中にも、いいもんが入ってんじゃねえか?」


男たちが、じりじりと距離を詰めてくる。恐怖。圧倒的な恐怖が、俺の思考を麻痺させた。足が震え、歯の根が合わない。声を出そうにも、喉がひきつって音にならない。スキルを使おうにも、パニックでそれどころではなかった。


俺はただ、その場で完全にフリーズしてしまった。


チンピラたちは、そんな俺の様子を見て、逆に警戒したようだった。微動だにせず、ただ無言でこちらを見つめる(ように見える)俺から、何か得体のしれない圧力を感じ取ったのかもしれない。


「な、なんだこいつ……。一言も喋らねえ……」

「目が……目が笑ってねえ……」


(当たり前だろ! 人生終わったって顔してんだよこっちは!)


内心の絶叫も、彼らには届かない。一人の男が、意を決したようにナイフを抜き、一歩前に出た。


「ひ、ひるむな! こけおどしだ! やっちまえ!」


絶体絶命。俺はぎゅっと目を閉じた。


その、瞬間だった。


「――そこまでだ!」


凛とした、それでいて力強い声が、路地裏に響き渡った。


目を開けると、男たちの背後に、一人の青年が立っていた。陽光を反射して輝く金色の髪。強い意志を宿した碧眼。豪華な装飾が施された鎧を身にまとい、腰には立派な剣を下げている。まるで、物語の中から抜け出してきたかのような、絵に描いた『勇者』そのものだった。


チンピラたちが、ぎょっとして振り返る。「ゆ、勇者アレクサンダー!?」


アレクサンダーと呼ばれた青年は、チンピラたちには目もくれず、その視線をまっすぐに俺へと注いだ。そして、彼は目を見開き、驚愕に染まった声で言った。


「その静かなる佇まい……。殺気を完全に消し去りながらも、なお滲み出る圧倒的な存在感……。まさか……古文書にのみ記されていた、伝説の暗殺者、『サイレントキラー』……なのか!?」


(……さいれんと? きらー?)


俺の頭上に、巨大なクエスチョンマークが浮かぶ。誰だ、それは。


チンピラたちは、「サイレントキラー」という単語を聞いた途端、顔面蒼白になった。「で、伝説の……!?」「ば、化け物だ! 逃げろ!」と叫びながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


嵐が去った路地裏に、俺と勇者アレクサンダーが取り残される。彼は、ゆっくりと俺の前に進み出ると、なんと、その場で恭しく片膝をついた。


「おお……! まさか、実在したとは……! サイレントキラーよ! 我が名はアレクサンダー・フォン・グランツ! 魔王ゾルディックを討ち滅ぼし、この世界に平和を取り戻すため、旅をしております! どうか、その大いなるお力を、我々にお貸しいただけないだろうか!」


キラキラした目で、彼は俺を見上げてくる。俺の頭の中は、すでにキャパシティオーバーを起こしていた。


(誰ですかそれは!? 人違いです! 激しく人違いです! 俺は相川静! ただのコミュ障な日本人大学生です! 暗殺者とか物騒なものじゃありません! 助けてください!)


心の底から、そう叫びたかった。全力で否定したかった。だが、極度の緊張と混乱状態にある俺の口から絞り出されたのは、いつもの、あの音だけだった。


「…………うす」


肯定とも、呻き声ともつかない、情けない音。


しかし、その音を聞いたアレクサンダーの顔は、ぱあっと輝いた。


「おお! 引き受けてくださるか! なんと心強い! これで、世界は救われる!」


彼は感激に打ち震えながら立ち上がると、俺の手を固く、固く握りしめた。


こうして、俺、相川静は、伝説の暗殺者『サイレントキラー』として、勇者パーティーに加入することになった。


本人の意思と能力と希望的観測を、すべてガン無視する形で。


(……助けてください)


初めましての方も前作からの方もご覧いただきありがとうございます。

どうも作者の双子相です。

なるべく読んで楽しんでいただけることを考え、文体も前作と比べ、柔らかくしています。

どうぞ引き続き楽しんでいただけると幸いです!

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