第83話『星空』
「お嬢様! 優勝おめでとうございますっ!」
「ユ、ユエル……落ち着いて」
屋敷に戻ったのは、もうすっかり夜も更けた頃だった。
それでも、玄関前には明かりが灯され、使用人たちとともにユエルが嬉しそうに待ち構えていた。
馬車を降りるなり、弾けるような声で祝いの言葉が飛んでくる。
彼の顔は紅潮していて、興奮が抑えきれない様子だった。
どうやら、狩猟祭の結果はすでに街中に知れ渡っているらしい。
まるで自分のことのように喜んでくれるユエルを見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。
けれど――素直に喜べない思いもある。複雑な感情が胸を占め、表情が曇った。
その変化に、ユエルがすぐに気づく。小さく眉をひそめて、心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫。あとでちゃんと話すね」
軽く笑ってそう言うと、彼は少し戸惑いつつ小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
私室に戻ると、扉の前にはリュカとカイロスが立っていた。
「おかえり」
先に口を開いたのはリュカだった。
彼の声は、どこか張りつめていた糸がほどけるように、柔らかく優しい。
「こんな遅くまで……待っててくれたの?」
「あたりまえだろ」
即答で答えるリュカ。
ふふ、と笑い声がこぼれたのは、隣にいたカイロスだ。
「よかったなあ、リュカ。ご主人様が帰ってきて。
こいつ、一日中そわそわしてて面白い事になってたんだぜ」
からかうように言われて、リュカは少し頬を赤らめて視線を逸らした。
それだけで、カガリの胸にあたたかなものが満ちる。
部屋に入ると、ようやく張り詰めていた気が抜けたのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
ソファに腰を下ろすと、体がじんわりと沈み込む。
そこへユエルが、湯を張った桶を抱えてやってくる。
「お嬢様、足を洗います」
「ありがとう。でも、自分でやるから大丈夫だよ」
「いえいえっ! やらせてください!」
ぴしゃりと断られてしまい、仕方なく任せることにした。
靴を脱いで桶に足をつけると、ふわりと湯気が立ちのぼる。冷えた足先がじんわりと温まり、ほっと息が漏れた。
ユエルは丁寧に手ぬぐいを使って泥を落とし、やさしく揉みほぐしてくれる。
足元からじんわりと緊張が溶けていく。少しずつ、心までほぐれていく気がした。
「優勝おめでとう」
と、リュカがカガリに向かって微笑む。
そのまま、セラフィの方にも視線を向け、言葉を続けた。
「さすがだな」
だが、セラフィは小さく首を振った。
「……いや、俺の実力じゃないんだ」
「……?」
その言葉に、リュカは首を傾げる。
「どういうことだ?」
訝しむカイロスに、カガリとセラフィはふと視線を交わし――
ゆっくりと、今日の出来事を話しはじめた。
◇ ◇ ◇
静寂な空気の中、アストレアはカーテンを半ば開けたまま、星灯りの差し込む窓辺に佇んでいた。
その視線は夜空の彼方に向けられている。まるで、答えのない問いを、星に投げかけるように。
扉を叩く控えめな音が、沈黙を破った。
「入ってよい」
扉を開けたのは、アイゼンだった。
彼は一礼もそこそこに、そのまま膝をつく。
「陛下……申し訳ございません。……私が、あの場で結果を出せていれば」
「顔を上げろ、アイゼン。お前は己の務めを果たした」
「ですが――」
「お前でなくて良かったと、思ってしまった。私は……そんな女王だ」
アストレアは小さく笑みを浮かべたが、それはどこか痛々しく、心の奥底を隠そうとするようだった。
「陛下」
低く落ち着いた声が、室内に響く。
ふとアストレアが振り返ると、レヴィが壁際から歩み出てくる。
「……陛下、今年の優勝者――あれは確実に操作されてますよ」
「わかっている。だが、証拠はない。関わっているだろうルシェリア嬢は姿を消し、背後の策士は堂々と笑っている。……剣を抜ける状況ではないな」
アストレアの視線が、窓の外の星々に絡めとられたまま、微かに細められる。
「……でも、このままだと……。……それでいいの? 陛下」
紫の瞳が揺れる。
アストレアは、そんなレヴィを一度見た後、机の上の書類に目を移す。
それから、小さく息を吐いた。
「過去の英雄二人を救い出したその力。……星の力をどう受け止めるのか、確かめたい気持ちもある……」
それは少し、掠れるような声だった。
「エルネストは? 彼も、星晶の間に入れるの?
狩猟祭の優勝を操作するために、入念に準備を進めてたみたいだし……なんだか、良くないことが起こりそうで……心配だよ」
レヴィの声には、隠しきれない不安が滲んでいた。
アストレアは、視線を僅かに逸らしたまま答える。
「……儀式の場には、アイゼン卿がいる。彼がついている限り、そう簡単に何かできるとは思えない」
言葉にしながらも、胸の奥にわずかな棘が残る。
アストレアはわずかに顎を引き、アイゼンへ視線を向ける。
「――龍晶の深窟は、どうなっている?」
「……肥大化の進行が予想より早く。数日後には、次の段階に入る可能性が高いです」
「……王都からも近い場所だ。猶予はない、か」
アストレアの声が、かすかに沈む。
深いため息をつくと、静かに告げた。
「少し、一人にさせてほしい」
アイゼンとレヴィは無言で頷き、静かに下がった。
アストレアは再び、窓の外――夜空を見上げる。
そこには、何一つ変わらぬ美しい星々。だが、それらの輝きがどこか冷たく、遠い。
心の奥で、ひとりの少女の姿が浮かび上がる。
「……宿命が、選ばせたのだ。……ならば、私は、その行方から逃げはしない」
その声は、誰に届くでもなく、ただ夜の帳に溶けていった。
ここまで読み進めてくださり、本当にありがとうございます。
第83話をもって、第4章『空読みの貴公子』が無事完結しました。
ここまで一緒に歩んでくださった皆さまに、心から感謝です。
なお、毎日1話ずつの更新は、今回でひと区切りとなります。
次回から始まる最終章『裁断の王と調律の少女』では、3〜5話ずつまとめての投稿を予定しています。
完結まではあともう少し。1か月以内には完走できるよう頑張ります!
活動報告などは引き続きまめに更新していきますので、
ラストまでどうぞお付き合いよろしくお願いいたします。




