表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

85/120

第82話『狩猟祭閉幕②』


宴の灯がやわらかく揺れる中、狩猟祭の参加者たちはそれぞれの席で談笑し、時折笑い声が交じる穏やかな時間が続いていた。

しかし、そのざわめきは徐々に静まっていく。会場の中央に据えられた壇上に、甲冑をまとった進行役の騎士の姿が見え始めたのだ。


彼の一歩一歩は力強く、その足音だけが会場の静寂に響く。

やがて壇上に立つと、鋭い目で会場を見渡し、重く低い声が広がった。


「皆の者、狩猟祭の終わりを告げる時が来た」


その言葉に会場の空気がぴんと張り詰める。

期待と緊張が入り混じった視線が一斉に壇上へ注がれ、参加者の呼吸も自然と揃うようだった。


「無事の終了を心より喜びたい。数多の獲物を追い、己の腕と胆力を示した者たちに敬意を表す。

 ――今宵、栄誉はその中の一人に与えられる」


騎士団長はゆっくりと巻物を取り出し、参加者の名と、狩猟の結果を一つ一つ読み上げていく。

名前が呼ばれるたびに、歓声と拍手があがり、緊張の中にも祭典の温かさが感じられた。


「どうせ、アイゼン卿だろうな」


誰かがささやく。


しかし、誰もが予想していた優勝者の名前はなかなか呼ばれない。

視線は壇上の騎士団長へ向けられ、会場の空気はますます張り詰めていった。


やがて、騎士団長はゆっくりと巻物を胸に引き寄せた。

その場が一層静まり返る。


「今年の狩猟祭、優勝者は――」


その声が会場に響き渡り、全員の視線が一点に集中する。


一呼吸置いて、団長は名を告げた。



「カガリ・エルグレア」



その瞬間、場内は一瞬にして静寂に包まれた。

そして、やがて驚きの声が波のように広がり、どよめきが会場を揺らした。


「え……?」


突然の発表に、一番驚きを隠せなかったのは、他でもないカガリだった。


思わず手にしていたグラスを取り落としそうになる。

信じられないものを見るように、隣のフェリオたちと視線を交わすが、彼らも同じく目を見開いていた。


名前を呼ばれ、カガリと同行者のセラフィは壇上へと促される。

セラフィと目が合った。彼もまた驚いていたが、小さく頷き、共に歩き出す。


壇上では、狩猟の成果が順に読み上げられていく。

数々の討伐名と得点、そして――


「最後に提出されていたのは――“黒角獣の角”。

深森に棲む幻獣とされ、狩猟記録すら乏しいこの個体の素材が、今回の勝者を決定づける結果となった」


その瞬間、胸にざわりとした違和感が走った。


(……黒角獣の角……?)


騎士団長の言葉に、場内がざわめく。


「黒角獣だと……? そりゃ、すげえ……」

「記録なんて、もう数十年単位で出てないはずじゃ……」


騒めきの中で、カガリの脳裏に一枚の紙がよぎる。

狩猟祭に備えて、カイロスがまとめてくれた資料。その末尾に小さく記されていた、黒角獣の名。


――“黒角獣ネザリオ

全身を煤のような黒毛で覆い、まるで闇そのもののごとき気配を漂わせる幻獣。

極めて希少な個体であり、出現例は少なく、実在すら疑われることもある。


きっと出会うことはないだろうと、そう持って気にしていなかった。


ちらりと背後を振り返る。

片膝をついて跪いていたセラフィが、カガリに気づき、小さく首を振った。


――やはり、そんな魔物は狩っていない。


混乱する思考の中で、ふと視界の端に一人の男が映る。

――エルネストだ。


傍らのグラスを優雅に傾けながら、こちらを見て、薄く笑んでいた。


(……まさか)


脳裏に、ルシェリアの言葉がよみがえる。


『お兄様が、お姉さまを優勝させようとしてるから。なんだか、気に食わなくて』


その時、すべてが繋がった。

これは――エルネストの仕業だ。


(……でも、どうして?)

(エルグレア家は今回の狩猟祭の主催によって、すでに十分な権威を示したはず)

(こんな操作までして……栄光を手にする必要なんか……)


答えは出ない。

ただ、不安だけが、胸の奥で形を持ち始めていた。


そんな中、場が再び静まり返る。

壇上の奥の扉が開かれ、ひとりの人物が現れる。


――女王陛下、アストレア。


カガリは膝をつき、頭を垂れる。

その前に進み出たアストレアが、静かに言った。


「顔を上げよ」


言葉に従って顔を上げると、アストレアと目が合った。


その瞬間、カガリは目を見開く。


アストレアの顔が、――ひどく、歪んでいた。

名誉の授与の場に似つかわしくない、苦悩に満ちたような表情だった。


(どうして……? )


沈黙が続く。

名を読み上げるはずのアストレアは、口を開こうとしながらも、言葉を発さない。


会場にざわめきが広がる。


やがて、何かを振り切るように、アストレアはようやくその口を開いた。


「カガリ・エルグレア。そなたの功績を讃え、“黄金の鞍”をここに授ける」


儀礼的な言葉が、どこか虚ろに響いた。


そして、その鞍がカガリに授けられる。


アストレアが一歩近づき、手渡す瞬間――

距離が一瞬、近くなる。


そのとき、アストレアは小さく囁いた。


「……どうして、……君なんだ……」


ぽつりと漏れた声は、雑踏の中でも、はっきりとカガリの耳に届いた。


「え……?」


思わず聞き返した。

だが、アストレアはそれ以上、何も言わない。

ただ、静かに目を見つめ返す。


問いは宙に浮いたまま、互いの視線だけが交わる。

言葉にならない想いが、しばしの間、二人を包んだ。


やがて、進行役の騎士が前に出る。


「勝者への“星の加護”の儀式については、例年通り、日を改めて執り行われる。今年の狩猟祭、優勝者に拍手を」


重々しい声が場内に響き、拍手とざわめきがそれに続く。


アストレアはカガリから視線を外す。

わずかに目を伏せ、何かを飲み込むように唇を引き結んだ。


そして、マントを翻し前に出る。


「これをもって、狩猟祭――閉幕とする」


淡々と、だが力強く宣言されたその声に、空気が引き締まった。

それは祝福とも、別れともつかない静かな終わりの合図だった。


カガリは、まだ胸の奥に残るざらつきを抱えたまま。ただ、王の背を見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ